Heart-Shaped Box
「自分は揺らぐもの自信は失くすもの」
⇧元々これが今回のサブタイトルの予定だったけど、
最後なぜかカートの話になったからタイトルも変えた。
絶対もっとわざとらしくて長ったらしいタイトルのほうが伸びるんだろうけどな。
「読む前から予測したものがその通りか、それ以上の水準で出てくるのが保証されたうえで確認する」
のが、最近の読書なんだろ?
何度も何度も凹んで何度も何度も立ち直って来たけど、自分で自分が好きになれないし信用も出来ない。自分がいちばん自分を見ているわけで、自分ならこんな奴イヤだもんな。
と思っている。
仮に励まされたり慰められたりして、なにがしか自信が付いても次の日まで持続しているか分からない。
一体全体どうやってみんな自分で自分をそんなに好きだったり信じたり出来てるんだろうか。
たぶん生まれつき性格が決まってるんだとしか思えない。
だとすれば、私は多分ちゃんと後者だった。
でも、後からぶっ壊されてねじ曲がったからタチが悪い。
壊すだけ壊した奴が居なくなったのが不幸中の幸いだけど、おかげで誰のせいにも出来ないで今日も生きてる。
今となっては失敗に対する予防線とか被害妄想とか色々ないまぜで、別にどれでもないし、どれにも当てはまる。何をしてても後ろめたさが付いて回る。
自分が自分としてだけ世界の粒子から孤立して浮き上がってる感じ。
ガキの頃なにかしでかしたときに、今更どうにもならないようなことを延々と
「どうするんだ」
「どうするんだ」
と詰められて殴られ、事が済んだ後もたびたび蒸し返されてきた人ならわかると思う。それがあったから、何かするより先に言い訳を作ってホットスナック置き場のオレンジの灯りの網で骨なしチキンやコーンドッグと一緒に並べておこうとする。
コーンドッグって所謂アメリカンドッグのことなんだってな。19ぐらいの時に出たカート・コバーンの評伝に書いてあった。生涯そればっか食ってたって。
あれは市民プールの帰りに食うから美味いんであって、毎日食ってたら嫌にもなるよな。嫌になっても食えるものが他になければ(すごい偏食だったらしい)食うしかなくて。
カートも曲がった自分を抱えながら生きてたんだろうな。同じに思うつもりはないけど、誰にだって曲がってる部分があって。
そこと折り合いをつけて生きるか、どっかで見切りをつけてしまうか、なんだろうな。
見切り品のハート形の箱が色あせた値札をぶら下げたまま今日も申し訳なさそうに脈動している。
でもまあ、なんでもいいさ。気にしないで。




