人に恵まれていると気づいても気づいても独り
自分が最も恐れているのは孤独だ、と最近あらためて気づいた。
折々に触れて思う。嫌な奴に出会うと(一人ぼっちで失意のまま消えてしまえばいい)みたいに思う。要するにソイツに対して「自分が一番イヤだと思う目に遭えばいい」というのだ。仕事やお店や道端で出くわす嫌な奴ら。そいつらがみんな惨めな思いをするように、と私がチョイスした呪いが孤独。
年に数度だけど、10年近く大阪に通っている。色んなお店にお邪魔して色んな人にお会いしてきた。中には何度も会ってくれる人も居て、超久しぶりでも変わらず乾杯してくれる人、ずっと会えてないけど覚えててくれる人も居て。その場限りだったけど楽しく過ごしてくれた人も居る。有難いことに、そうして時々遊びに行くのが今の楽しみだ。
地元にずっといることが怖い。嫌ですらある。ガキのようなことを言うが、いつか出たいと思っている。地元って嫌じゃん?
良いところも沢山知ってるけど嫌なとこばっかり目に付くし。
いい人ばかりだけど物凄い嫌な奴もいるわけで。
良く知らない場所と人だからこそ気楽に過ごせるし、しがらみのない場所で真っ新な生活をしてみたい。
時々どんな感じなのだろうか想像してみるけど上手くいかない。端緒の場面が「何もないアパートの洋間と明るい窓の外」っていうのが間違っているのかもしれない。
内装屋さんのバイトしてる時によく見た光景で(これからココで新しく暮らす人が居るんだな)と思っていた。
けど別に一軒家に居候とか、そもそも住む家なんかがちゃんとあるとも限らない。
放逐無宿という可能性もある。書いてるうちに世知辛い気分になって来たからやめよう。
思い切って相談事をしに行った人が思いがけず読書家で、思った以上に励ましてもらえたのが嬉しかった。
でも、別に責任を負うわけじゃない立場だから気楽に言ってくれたのだろうな。とも正直なところちょっと思う。それでもちょっと有難いなとは思う。
自立と孤立は紙一重。
恵まれている自覚はあるけど、未だ恩返しの目途が立たない。
塞ぎ込んでいる場合ではないのだが、そうしないと感情の流入と放出が止まらないのだ。何も考えないで生活し、無意識で選択し、当たり前に存在する。ただそれだけのことが出来なくて、今日もそれが悲しくて。




