家族を大事に出来るのは家族から大事にされた奴だけ
だってそうじゃん。いちばん身近な赤の他人が暴力や暴言や否定行為ばかり仕向けてきたら、それが刷り込まれて「自分は否定されるべき存在」だと決めつける。
そんなことされて、そんなの大事に思うわけがないし、自分だって家族なんか要らないと思うよ。母親だけ元気で居てほしい。別に後は…親戚とかそんなもん普段から会わないから考えても仕方ないし、不仲の連中なんか高額の慰謝料プラス無縁仏にでも化けてくれたら恩の字固めだ。
そういうわけで和哉君が言われて最も嫌な言葉は
・あなたのことが嫌いな(信用できない)わけじゃないけど、無理ですごめんなさい的なやつ。と、もうひとつが
・家族を大事にしろ
なのである。
そんなものは自分が大事にされて来たからこそ言えるのであって、私は私の身の回りの連中に見切りをつけるのに値する時間を苦しんで来ているのだ。
散々な目に遭って尚まだ面倒見てやったり、家族愛を取り戻したりなんぞする奴らが居るのは大いに結構だが、私にそんなものを望むのはお門違いだ。
虐待や理不尽な暴力に遭うのは誰にでも起こりえることだけど、そこから立ち直って絆や愛を取り戻す(北斗の拳じゃないぞ)ことは誰にでも起こることじゃないし、誰にとっても救いになるわけではない。元サヤに収まったところで元の木阿弥ってことだってある。
どうせまた殴られる、どうせまた詰られる、そう思うに至るまでの日々の積み重なりが20年分ぐらいあるんだ。
お前はその20年を否定してまで、俺をその家族にしばりつけて苦しめる筋合いがあるのか?
だから早く死んじまいたいってんだよ。
お前は死ぬな
お前の家族を愛せ
それで俺にどうしろというんだ。
死ぬより嫌なことがあるとすれば家族を許し、一緒に暮らすことだろうな。
まだ一人で、母も元気で居てくれるから、かろうじて生きてしまっている。
俺に生きろと言う人は、どうせすぐまた誰かのところへ行ってしまう。楽しそうに、幸せを自分でつかめる人だ。自分で自分の不幸を乗り越えて、自分で自分の幸せもわかっていて、それに従って動けるひと。
そういう人だから私だって憧れるけど、その人に手の届かない俺の存在に意味はあるのか。惨めになる。結局このクソみたいな街でクソみたいな生活をするしかない。
山ほど積もった糞のなかから必死で伸ばした手を誰にも掴まれず、掴んまれたところで延々と死ぬより辛い目にあわされて育って。
そんな家族を愛し、そんな自分で生きろと言うだけの残酷さを思い知ることもなく、元気で幸せに暮らせるならそれでいい。
俺にそんな真似は出来っこないし、したくもない。
ココから抜け出すためには何か書いて書いて出さなきゃならない、広めて読まれていかなきゃならないのに。もう何も進まなくて、こんなことばかり毎日つらつら書いている。
いよいよ最後の取り柄の砦も兵糧攻めに屈したと見える。
お盆に可哀そうな孫を見殺しにせず、そっちへ連れてってくれないものかな。




