誰かと話してると死にたさが薄れ一人になって我に返ると蘇る
多分この男を殺すのは孤独だ。
どうにも一人で考え込んでいるんで環境を変えようと思って出かけてきた。
すると、その場では全然そんなこと思わない。
ヨソの街で小説書いてて、丸っこくて日焼けしている愛想のいい男をやっている。
お店の片隅の席で一人ボケタンと座って、時々お店の人と話して、お客さんとまで話して、それで歩いて帰る。駅の中に居ても大丈夫。人混みはイヤだけど、それでもまだ平気。
でも帰りの電車で、ふと我に返ると
「またね、ってお前まだ生きてるつもりだったのかよ?」
と自問自答が始まる。
結局この記事のタイトルの通り、対人関係に極端な依存があって。
誰からも相手にされないと思うから辛いし、さみしいし、何より自分の存在価値とか理由、カッコつけて言えばレゾンデートルみたいなものが全部そこなんだな。
相手して欲しい人に構われないから自分で自分を貶めているしかない。
褒められたい人に褒めてもらえずに、会いたい人に会いに行けずに、ずっとつまらない日常と地元に縛られている自分が惨めで仕方がないんだ。
いつかここを飛び出したいと思って、せっかく地球の裏側まで行ったのに行っただけで逃げ帰って来た奴の末路としては妥当なところだが、まだ死ぬだの死なないだの言っているのが我ながら甘いというか。
散々助けてもらっているはずだし、構ってくれてたはずだし、時間だってお金だって使ってくれただろうと思うのに、その時はそんなことツユほども頭をよぎらずに楽で考えなしで居られるってだけで死にたがってるんだろうお前は。
そうとしか思えないけど、だからって思い直したところで何も変わらない。
お前だけはダメ、という烙印を押されて、優しい人たちに迷惑をかけて、親子とか友達として付き合ってもらっているだけだ。
だから早いにこしたことなんかない、っていうんだ。
それなのに、誰かと話していると、それすら忘れてしまう。
どっちがどこまで本当の本気なんだか、無意識に死のうとしているくせに人前では生きようとする、この面倒くさい脂の塊を誰か早く楽にしてやってくれ。




