第三章 一つの答え⑤
下に行くほど炎が激しくなっている。時間は掛けられない。
階段をジャンプで一気に飛び越え、地下二階まで来ると、姿を人間に戻してジャンの部屋に来た。
扉が開いている。
入口にはテリーヌと目玉の化け物が頭から血を流し、仰向けに倒れていた。目が開いたまま反応しない。
「ジャンっ」
ベッドの隣でうつ伏せにジャンが倒れている。体を抱えて軽く揺すると、目を覚ました。
「うっ、あ、ああ、君か」
(えっ?)
空気を吐くようなレインの声が聞こえた。
「無事だったか」
ジャンは頷いた。狂気さは微塵もなく穏やかな表情している。周囲の炎の音が異様にうるさく感じるほどだ。
「目玉の化け物は、火が怖いようじゃ。儂を殺そうとする妻の後頭部を殴ったあと、目玉の化け物はあちこちに体当たりして倒れた」
「やっぱり、普通に喋れたのか」
ジャンはニヤリと笑う。が、すぐに真顔になり、しっかりと視線を合わせてきた。
「いいか若いの。時間がないからよく聞け。アウス・エーヴィスはアルトゥーゼ王家が殺したかもしれん」
「なんだって?」
「王家はアウス・エーヴィスについて書く儂を毒殺しようとした。儂は毒を飲んだふりをして、壊れた人間を演じ、ここまで逃げたが、見つかって監視を付けられた」
「子どもをモンスターに変えるのと、アウス・エーヴィスに何か関係はあるのか?」
「それは分からん。が、アウス・エーヴィスのことを避けているのは間違いない。公式では物語になっているが、遥か昔には確かに存在し、圧倒的な力を受け継ぐ器を用意して血筋を守ってきたはずだ」
(やっぱりいたのか)
(ボクはまだ信じてない)
背中が徐々に暑くなる。
「どこに住んでいた」
「アウス・エーヴィスはケフースの山あいで隠れるように生活していたんだ」
(ケフース?)
(コルセの南にある集落の名前)
「現在の国王、ニヒトが自らケフースに出向いて城に招き手厚く歓迎したのだが、そこから何日も城から出てきていない。日にちが経つにつれ国民も、城に招いた要人が姿を現さない、と話題になっていた」
ジャンの呼吸が荒い。ひと呼吸、整えて話を再開する。
「そんな中、謎の死体がナーバリ放送局付近で焼けた状態で発見された。王国の発表では国防相が謀反を企んで失敗し、逃亡のすえ、焼身自殺と言っていたが、数日して王さまと一部の高官が死体をケフースの山中に丁重に埋葬した。その後まもなくして立ち入りが禁止になった。密かに侵入した私の知人は、真新しいアウス・エーヴィスの墓を見たと言っていた」
(この話、ボクも一部分だけ聞いたことがある。ケフースの山中にはお化けが出るから行くなって)
「山なら迂回して簡単に侵入できるだろ」
「村に王国軍の駐留所がある。そこから東に一キロ。はっきりしているだけに監視も厳しい」
「その見た知人は?」
「一ヵ月後に事故死」
周囲がパキッ、パキッと音を立てる。酸素も少ないのか互いに呼吸が早くなっていた。
ジャンに肩を掴まれ、顔を寄せられる。
「歴史書は本物だ。……ああ。懐かしい」
垂れ下がる蝶つがいの首飾りが、炎によりキラキラ輝いている。
(セルマ、もう……時間がないよ)
「とりあえず、ここを出て――」
ジャンの体を担ごうとしたが、腕を掴まれ、首を振られた。
「いいんじゃ。儂は病でもう持たない」
「だからって生きるのをやめるんじゃない」
「よい心だ。そうだな。だがの、すべての生命には尊厳がある。だからこそ生き返らせることをしてはいけない。戻らないからこそ尊い。……それでも、やるのか?」
冷静で温かい眼差し。それなのに魂のすべてを注入してくるような一言ひとことの重み。
「……う」
息を飲んだ。
ジャンは床に転がった。仰向けになって目を閉じる。
「おいっ」
「早く行け。この中でも、お主なら助かるじゃろ?」
振り返る。一歩先はすでに炎だった。足に火がつく寸前。辺りが崩れてきている。
(セルマ……)
「くっ。す、すまん」
「そうだ、名前を教えてくれ」
ジャンの前でまっすぐに立って、帽子を取る。
「セルマだ」
ジャンが驚いた顔をしている。
「……」
「……」
セルマは数秒眺めた。
パキッ、パキンッ。ゴオオオオオオ。
踵を返し、服を脱いでノクーヴェになると炎の中に飛び込んだ。階段にくるが崩れ落ちている。ジャンプして踊り場にきた。
勢いで玄関にやってきた。が、倒れた柱で塞がっている。
(こんなものっ)
(セルマ)
(なんだよ)
(いや、君の力でこの扉を突き破った先にアストくんがいたらどうするの)
外を目の前にして動けず、歯ぎしりする。
(くっ、飛びだした瞬間に体を人間にしても、女だとバレる。服が燃えるわけにはいかない)
(浴室が奥にあると思う。湿気が多ければ、まだ崩落してないはず。そこから体当たりして脱出するんだ)
(なるほど。そうか。すまない)
(ありがとうでしょ。それに、その言葉は浴室が見つかってからね)
右も左も炎で見えない。とにかく奥へと進んだ。
燃えていない壁を突き破ってどこかの部屋に入った。
「うわっ」
化け物に変わっている最中の動物の死体で溢れていた。
(ここでギャンダルは実験していたみたいだね)
また辺りを探す。
走っていくと、まだ燃え広がっていない部屋を発見し、勢い任せに飛び込んだ。
そこはタイルで覆われた浴室だった。レインの言う通りまだそれほど燃えていない。加えて湯船には水が張ってあった。
「よし、行くぞ」
服を着て、帽子を被って紐をしっかり縛ると、湯船に潜った。しっかりと濡れると、来た道に少し戻って助走をとり、走りだした。全力でタイルに体当たりし突き破った瞬間、体を人間に戻した。
生い茂る雑草の中にまで転がった。
「ルマーダ兄ちゃんっ」
玄関を見ていたアストが気づいた。アストは後ろに自分のリュックを、前にセルマのリュックを抱えて走ってくる。
木々にはもう火が移っていて火の粉が落ちている。
「アスト、無事だったか」
「それはこっちのセリフだよ。でもよかった。僕、もうダメかと思ったよ。何してたんだよ」
寝転がったまま、アストの顔を見る。
潤んだ瞳が炎によりキラキラしていた。
表情が映りそうだった。なので目を細め、安らかに笑ってみせた。
「あはは。暑いな」
「帽子を外せっ。あれ」
強く縛っているので外れなかった。帽子を掴まれ強く引っ張られた瞬間は、たまったものじゃなかった。目の前で隕石落下を目撃したかの如く心臓が飛びはねた。
(おしいなぁ。帰ったらアストくんには指先の筋トレさせるんだよ)
女の子がやってきた。
「逃げてください」
「どうしてさ。説明しなきゃダメでしょ。全部を喋ってやる」
アストが女の子の肩を掴んだ。女の子はコルセ商店街の方角を指差した。王国軍がやってくるのが見える。
男の子もやってくる。
「アスト、このお兄さんを連れて、遠くに逃げて」
「なんで。説明してよ」
男の子が、遠くの王国軍を一瞥して答える。
「たぶん、捕まる。みんな、ひどいことになる」
「だったらなおさらっ――」
「ここは、あたしたちの家だから残る。逃げる場所なんて、もうないし。でもアストたちは違うでしょ。なんとか言っておくから。早く」
「だ、だけど……」
アストが困っている。
ジャンを助けられなかったことを考えれば、どうにか助けたいが、果たして三人の子ども連れて逃げられるだろうか。セルマも悩んで動けなかった。
すると女の子が、アストの手とセルマの手を無理やりくっつけた。
「アスト、このお兄さんを守ってあげて。それからお兄さん、ありがとう。あたしたち、このご恩は、決して忘れません」
アストの熱い手を強く握る。足を一歩、前に出かけて、止まる。それ以上、体が動かない。
(さすがセルマはノクーヴェだね。みんなの心を踏みにじる)
(どういう意味だっ)
(突然セルマとアストくんが訪ねてきて、火事が起きたら真っ先に疑われるでしょ。子どもたちは孤児院に送られ、セルマは取り調べでノクーヴェだとバレて、アストくんも道連れになる)
(くっ……)
(だから言ってるでしょ? そうやって子どもたちの心を裏切って動かず、最悪のパターンを引き起こす。でも君はノクーヴェだからそれが狙い。子どもたちの悲しい姿という快楽を味わうのには心を壊すのが一番効果的だもんね)
(き、キサマッ――)
(それからっ、手が痛いって。アストくんが)
レインに声を張り上げられた。
瞬きを繰り返して、少しだけ冷静になる。横を見ると、怒って泣いた顔があった。
セルマは大きく深呼吸し、子どもたちを見る。
「じゃあ、元気でな。また会おう」
「はい。助けてくれてありがとうございました」
「じゃあ、あたしたちは、先に行くね」
二人の子どもは、やってくる王国軍に向かって歩いていった。
女の子と男の子の後ろ姿がゆっくり遠ざかる。髪が風に靡いていた。
「じゃあ、僕たちも」
「……よし」
アストを抱えて走り出した。一度、山を登る側の道を進み、大きく迂回する。
(あの子たちに、バレたかも)
(……かもね。アストくんにもバレないようにね)
「ルマーダお兄ちゃん、すごく足が速い」
「オレは鍛えてるからな。アリバイを作らないと」
「あとね、お姫様だっこは恥ずかしい」
両手に抱えたアストが頬を赤くして体を縮めている。
(あはは。アストくんがラッコみたい。セルマのリュックを前で抱えてる姿が特にそう)
(このままじゃ、ダメなのか?)
(誰かに見られたら、何かの疑いの要因になるね。アストくんが女の子と間違えられて、違うってなって、それがセルマに飛び火して『君、ひょっとして』ってなる)
(……言ってることが分からん)
(つまり、肩車をすれば、自然な形に見える)
まず、走りながら、アストを片手で支えた。
次に、もう片方の手でアストから自分のリュックを取る。
「うわっ」
最期はアストを軽く投げて、肩車した。
「よおし、オレ、もっと早く走ってやる。風圧で目がやられるかもしれないから、しっかり目を閉じていろよ」
「うん」
帽子の顎紐をしっかり握る。足をノクーヴェに変える。そして走りだした。




