第三章 一つの答え⑤
森を抜け、川を飛び越え、住宅街の屋根や塀の上を走って、商店街に戻ってきた。
「もういいぞ。いま何時だ」
「す、すごい。ワープした……」
「で、いま何時?」
アストが降りて、携帯端末で時間を確認する。
「午後二時。ルマーダお兄ちゃんが外に飛び出してきてから、まだ五分」
グウゥウゥウウキュルルルゥ。
(わあ、すごい。お腹のデュエットだ)
二人は僅かに頬を染めた。
「そ、そういえば僕たち、お昼がまだだったね」
近くでホットドッグを買い、食べ歩きしながらアストが調味料店に向かった。
「お主ら、何があったのじゃ」
背筋を伸ばした店主の老人が、血相を変え、武器の杖を持ってセルマの前にきた。
(さあ、セルマの嫌いな大人だ。しかも攻撃態勢だ)
そんな挑発が、遠くで聞こえた気がした。目の前にいる店主の老人を見ていると、いつの間にかジャンと重なってしまう。
杖が眼前に迫ってきて、ようやく我に返り、平手で受け止める。
「オレたちは午前中に買ったブラックペッパーを失くして、探していたんだ。おそらく用水路に落として流れてしまったと思う。だから、諦めて買うことにしたんだ」
「そしたら、いつの間にかあの館が燃えちゃって。でも、僕は、行かなくて済んだ」
(噓つきセルマ。噓つきセルマ)
(おい、アストは)
(セルマのせいだ♪ セルマのせいだ♪)
(黙レイン)
(またそれセルマ♪ またそれセルマ♪)
顔が不機嫌になるのが分かった。それを店主の老人に向けた。
「……そうであったか」
店主の老人は、急にしおれ、杖をついて、必死に店内の奥に歩いていく。ガタゴトと物音がしたあと、ブラックペッパーを持って戻ってきた。
「ほれ。しょうがないからタダでやる。半分はこの兄ちゃんの顔にかけてやるんじゃ」
セルマは目を据わらせた。
「食べられないですよ。舐めてもきれいに……できないと思います」
アストが答えに、少しだけ微笑むことができた。
(ええええっ!? やっぱり嬉しいんだ)
(……黙レイン)
周囲が少しだけ半透明に見えていたが、ようやく鮮明になっていく。
アストの答えが、今頃になって感情をつついた。
「それにしても暑いな。ケフースの山中は涼しいかな」
胸元をパタパタさせて恥ずかしさを拡散させた。
「若いの、肝試しをするにしてもケフースの山中はなかろう。あそこは立ち入り禁止じゃ。知らぬのか?」
「お化けが、出るのか?」
「怪物じゃ。飲み込まれても知らんぞ」
(行きたいんでしょ)
(この目で確認はしたい)
「帰ろう。ルマーダお兄ちゃん」
手を握ってきたアストの肌が柔らかくて、すべてから解放された。
辺りを見る。商店街は火事の騒ぎがあるものの、いつもの日常だ。
目を閉じる。ジャンの『それでも、やるのか?』という言葉が反芻され、大きく息を吐いた。
「よおし、アスト。お土産を探すぞ」
(墓は逃げたりしない。またあとにするよ)
そのあと、セルマとアストは、コルセ商店街を歩き回り、本当の兄弟のように買い物を楽しんだのだった。
西の空、雲が開けてきた。太陽が、街に黄金色の輝きを齎す。
商店街の西、アパートの近くにある公園のベンチでセルマとアストは休んでいた。
セルマは横になり、帽子を握って体を卵のように丸めて眠っている。隣で携帯端末をスワイプするアストは呟いた。
「本当に変な寝方だなぁ」
セルマは夢を見ていた。
夕焼け空の下、森の中で、老人とセルマが向き合っていた。
「よく聞いてくれ。セルマ。今から村を出る。逃げるんだ」
「村ではみんな戦ってるでしょ。私も、戦うよ」
「ダメだ」
「なんでっ。そうやってまた適当な理由をつけて私を騙すんでしょ」
「セルマ、お前はみんなの希望なんだ。これは嘘じゃない。お前は正体がバレたら、どの方面からも命を狙われる。今まで、色んなことで騙してきたのは――」
「レヴニールが姿を消して三日。帰ってくるまで待たなくちゃ」
セルマは踵を返したが老人に肩を掴まれた。
「一人で行ってはダメだ。一緒にいく」
二人は炎が上がる方角へ走った。
(どこに行ったんだよレヴニールのやつ。帰ってきたら今度こそ厳しく叱らなくちゃ)
戦火はすぐ近くのはずだが、静まり返っていて変化はない。
「えっ、何、あれ?」
血の気が引いた。
進行方向に、木々を舞い上げた巨大な化け物いる。牛のような角を生やした毛むくじゃらのその化け物は、十メートルを優に超えている。
「セルマッ、これ以上はダメだ」
老人に腕を掴まれるが、振り解いて走る。
化け物は村の中心で暴れていた。村の入口にいくと男の子を見つけた。レヴニールの友だちである。
「何があったんだ。教えてくれ」
「セルマ、お姉ちゃん。あいつが……レヴニールが大きくなって……」
辛うじて化け物を指さす。
「なんだって」
「人間がレヴニールを放り投げたら、様子がおかしくなって、体が急に……。ごほっ、ごほっ、死にたく、ないよお」
「だ、大丈夫だ。みんなを助ける」
「お、お願……い……」
男の子は息を引き取った。
セルマは走っていき、化け物と対峙する。
化け物はセルマを見て動きを止めた。
よく見ると額に黄色い鉱石らしき物体が嵌め込まれていて、ギラリと光る。
背中が震えた。
「……レヴニール……なのか?」
化け物は声に反応せず、獲物を見つけた動物のように手を伸ばしてきた。
セルマはジャンプして逃げる。が、
「なっ!」
足首を掴まれ、目元に持っていかれた。
セルマはノクーヴェの姿になり、腕をレイピアのような細い剣に変えて、夢中で乱雑に暴れた。
カツンッ。
何か固いものに当たった直後、セルマは離された。
化け物が額の黄色い鉱石みたいなものを押さえている。まもなくしてパリンッとガラスのように割れた。そこから黄色い液体が吹き出す。
同時に、化け物は小さくなっていった。
「そんな、レヴニールっ」
化け物は人の姿になる。セルマと同じクリーム色でやや長めの髪をした、垂れた目の男の子になった。
「お姉ちゃっ……フェングニスで、実験……。王子が、コアが……子どもたちを、守って」
レヴニールは目を閉じた。
「う、うわああああ。レヴニールゥゥゥウウウ」
「起きてって」
セルマは目を開いて飛び起きた。夕焼けが目に入る。
辺りを見回す。
アパートに住む家族だろうか、大人が子どもの手を引いて去っていく。
「……。夢、か」
「びっくりしたよ、もう。急にレヴニールって叫んで。えっと、弟さん、だよね」
「あ、ああ」
「帰ろ」
アストがベンチから降りた。
群青の空が真上に迫ってきている。
頭がぼんやりしている。目もまだ瞼が重い。アストのリュックを見ながらあとを追う。
商店街は帰宅時間とあってか賑わっていた。
ようやく並んで歩く。隣のアストに表情の変化はない。加えてレインも静かだ。周囲の音が大きく聞こえる。値引きの揚げ物を買って帰る親子の笑顔がとても澄んでいた。
ゆっくり、口を開く。
「オレと、レヴニールは異夫兄弟だったのさ」
「えっ」(えっ)
「ああ、すまん。過去のことだ」
「む、無理に話さなくてもいいよ」
「いや、聞いてくれ。今はそんな気分なんだ」
アストが立ち止まった。少しだけ不安な顔をしている。
(じゃあ、戸惑っているアストくんの代わりにボクが聞きまくってやろう)
目が細くなる。口元だけ微かな笑みが現れた。
(うん)
(えっ……)
レインの戸惑った声が深かった。
「オレたちはある事情で国境沿いの村に住んでいたんだ。ちょうど、アストと同じくらいの子どもが八人いて、みんな、密かに国境を越えて遊んでいたんだ」
セルマは人混みを避けて中央を歩き、話を続ける。
「ある日、レヴニールが帰ってこなくて、国境を越えて探したんだけど見つからなくて……。でも三日後、首都のアイタスから帰ってきたんだ」
「……」
アストが顔を向けてきた。
「そしたら、急に巨大なモンスターに変わって、遊んでいた子どもたちをみんな殺して、大人も死なせて……」
言葉が続かない。体調が悪いわけでもないのに、喉が痛く、舌が痺れる感じがする。目の前のアストが化け物に変わってしまいそうな気がする。
顔を逸らした。
「それで、どうしたの?」
質問に答えなきゃと思いつつも、目は心に正直に行動し始める。
(私は、今は男だ。男は涙を見せてはいけない)
(それは違うよ、セルマ)
唇を噛みしめ、少しだけこらえたあと、小さく開いた。
「……頭を……叩き割った」
そこまで言って帽子の鍔を鼻の下まで引っ張った。
「レヴニール、さんは、人に戻れたの?」
顔を隠したまま頷く。
「も、戻って『王子が、実験に。コアを。お願い、オイラたちみたいな子どもたちを、守って』って、そ、その言葉を残して死んでいった」
早口で声が震えてしまっていた。前に進めない。その場に立ち止まる。
誰の顔も見たくない。ただ帽子の鍔を引っ張ったまま、感情が落ち着くのを待った。
(セルマ……)
(そんな優しい声を出すなよ。泣いちまうだろうが)
(いや、笑ったらさすがに傷つくでしょ)
(ふっ。恐ろしい計画を考えているお前が、一人の女の心を気遣うなんてな……)
静かな時間が十秒も続いた。この夜が明けてしまいそうなくらい、長く感じた。
(帰ったら、ミディにオッペケペーダンスでもやってもらおう。やり方はこう、ピースを二つ作って、それぞれ人差し指を鼻の穴に入れて、反復横跳び。カニダンス)
帽子の鍔を口に押し付けた。堪えること十秒、冷静を取り戻す。
「聞いてくれてありがとな」
「これから、どうするの」
(やっぱり、ケフースに行ってすぐに確認したいかも)
アストに手を握られる。
「まずは、早く帰ろう。帰りのトラムがなくなっちゃう」
町役場まで戻ると、トラム乗り場に人が集まっていて、視界が遮られている。フラッシュの音や光が連続しているので有名人でもいるのかと、アストがジャンプした。セルマも背伸びする。
『ご覧ください。これでノクーヴェがトラムに乗ればすぐに分かります』
トラムの乗車口に取り付けられたライトが、緑の光を強烈に放った。
(セルマ、終わったね)
冷や汗が噴き出した。思わず首飾りを握る。
だが、すぐに何かを閃いた。その顔をわざとらしくアストに見せた。
「アスト、用事ができた。先に帰っていてくれ」
(なんか都合よすぎて怪しまれない?)
「ええっ。……あ、ひょっとして、実は彼女がこっちにいて、密かに会ってくるとか」
アストがにやにや笑う。これ幸いと、微笑んで夜空を見上げた。
「……あいつが、どうしてるのかと思ったんだ」
(ふうん。へぇ。そうなんだぁ。くくく)
レインに何を言われようが冷静だった。気持ちはすでに昂っている。勢いに任せてアストに背中を向け、手を上げた。
「すぐ戻る」
「ちぇっ、しょうがないなぁ」
(嘘つきセルマ、嘘つきセルマ)
(黙れ、インッ)
(あっ、わざと言った)
(はっ、何を今さら)
セルマは商店街に戻ってきた。個人店は閉まっており、街灯と、僅かに開いている店舗の灯りが寂しく光っている。
通りから外れて、路地裏から商店街を出た。目の前にはもう、畑が地平線の彼方まで広がっている。
(本当に行くつもりなの? ここから先は農地だけど、ケフースの山あいまでは二百キロメートルもあるよ)
リュックの中身を確認する。携帯食料が二食分。飲み物なし。小説が一冊。
(ノクーヴェの凄さってやつを教えてやる)




