第三章 一つの答え④
セルマは顔を上げる。黒い煙が流れ込み、辺りが焦げ臭くなる。
ギャンダルが後ずさりして見にいくと、煙が一気に入ってきた。
「へっ、作戦は成功したってか。おいガキ、俺は運がいいぜ。お前の死ぬ姿を拝めるんだからな。さあ、最後まで殴らせろ」
ギャンダルがやってくる、その前に、
「こ、怖いよおお」
アストが背中に張り付いた。
「なっ」
指先で、背中に何かを書く。
〈ひ・き・つ・け・て〉
(どういうことだ?)
(セルマはアストくんも信じないの?)
その言葉が胸に刺さった。鳥肌が立って、全身に力が入った。
セルマは、立ち上がった。額と頬の血を拭い、ギャンダルを睨む。
「貴様ああああ、誰が立っていいと言った。伏せてろ」
セルマはわざと震えて崩れるようにまた正座した。
「も、もう、諦める。どうせだから派手にやってくれ。オレの弱点を教えてやるよ。オレは頭突きに弱いんだ。あれだけは、耐えられない」
「な、なるほど。殊勝な心がけだ。ではお見舞いしてやるぜっ。くらえっ」
ギャンダルが、ブリューの入った瓶を懐にしまい、ゆっくりと歩いて、セルマの前にきた――その瞬間、
「くらえっ」
背後にいたアストがセルマの横に来て黒い粉をぶちまけた。ブラックペッパーだと気がついた時には目が焼けるように痛かった。涙があふれ目を閉じた。
「ぐあっ。な、なんだこれはっ、げほっげほっげほっあああ目がぁ」
ギャンダルも同じ状態で苦しんでいるようだ。
「もう一発くらえっ」
「あああああっ」
アストの大声と、ギャンダルの悲鳴が聞こえた。
(何があった)
(アストくんがギャンダルの股間を蹴った。男の子を手放した。アストくんが男の子を抱き寄せた)
「よくやった! アスト、頼むぞ」
「うんっ」
複数の軽い足音が遠ざかる。
(セルマ、ついでに立ち上がって右足で蹴ってみて)
その通りに全力で振り回すと、何かに当たった。
「ぐはっ。このおお」
(ギャンダルを蹴ったのか?)
(そう、顎だよ。あっ、しゃがんでッ。顔面にパンチが来る)
上空で風が流れた。
「くそっ、視界が。どこだっ、ルマーダ」
(その姿勢のまま回し蹴りをして)
「ゲぼああああ」
ふたたび全力で振り回した足が、ギャンダルの柔らかい部分に当たり、パリンッ、とガラスの割れる音がした。
(さっすがあ)
(レインッ)
(あ、えっと蹴りがギャンダルのケツに当たって吹き飛び、部屋の奥の窓ガラスに嵌った。セルマ、そのまま直進して。この部屋から出るんだ)
セルマは通路に出た。
「ルマーダお兄ちゃん、ごめん。目、大丈夫?」
ゆっくり目を開ける。目の前にはアストと男の子、女の子がいた。
「オレは大丈夫だ。さすがアストだ。でかしたぞ」
「うんっ。もう悔しくてたまらなかったよ」
ゴオオオオオオオオッ。
「うわっ」
目の前で火柱が上がり、驚いた男の子が尻餅をついた。女の子が起こす。
ガスの臭いが混じっている。
焼けるような熱さよりも、進路が塞がってしまった焦りがみんなの表情を支配していた。
「ルマーダお兄ちゃん、どうしたら……」
「先を確認してくる」
セルマは炎の中に突っ込んだ。
壁が続いている。階段が見えてこない。
(待って。ここ、右隣は大きな部屋みたい。壊れやすいかも。セルマ、大丈夫だよ。誰も見てない)
すぐさま腕をノクーヴェに変えて、壁を殴った。レインの言う通り、広い部屋だ。火事で周囲が燃えているが床の中心には火の手が回っていない。
次は床を殴った。抜け落ちて下にいく。
キッチンだ。
冷蔵庫を持ち上げて壁に突っ込むと、外への穴が開いた。
(やったねセルマっ)
「うわああっ」
アストの叫び声が聞えた。
足もノクーヴェに変えて急いで戻る。
アストたちがいるだろう、炎の先へ飛び込んだと同時に、人の姿に戻った。
「なっ、アストッ」
通路でギャンダルがアストを抱えていた。もう片方の手にはブリューの入った瓶を持っている。
「へへっ――なっ」
焼けた柱が崩れ落ち、ギャンダルを襲う。
(今だっ)(今だっ)
足をノクーヴェに変えて俊足で近づき、柱に気を取られていたギャンダルの顔面を蹴る。同時にアストを奪い取った。
ギャンダルは吹き飛び、壁に叩き付けられたあと、瓶から黄色い液体、ブリューが飛び散って口に入ってしまった。
「ああああああ。嫌だ、嫌だぁ。ゲホッ、ゲホッ。クソ、おえええ。おえええ。吐き出ろよ。おえええ」
床に吐こうとしているが、唾液しか出てこない。
セルマは抱えていたアストを下ろした。
「火柱の先、右隣の部屋の床が落ちていて外に出られる。アスト、他の子どもたちを任せたぞ」
「う、うんっ」
三人は目配せして頷き、火柱の中に突っ込んだ。
セルマは安堵した。
だが、すぐに表情が消えた。目から熱が消え、視線だけが細く鋭くなって、床に寝転がるギャンダルに迫った。
「その液体は、どこで手に入れた?」
ギャンダルの顔がサメのように変化している最中だった。薄気味悪い笑みを浮かべる。
「お前も一緒に死ぬか?」
「ああ。だから教えろよ」
「えらあああああい人だよ」
「オルトロス王子か?」
「アッハッハッハ。なんだ、分かっているじゃないか。アイツめ、どうやってこんな物を作ったんだ」
顎が震えた。でも、抑えて下を向く。
(そうか……)
「ああ、くそ。目が。ルマーダの顔が歪んでいく」
ギャンダルの顔が完全にサメと化した。さらに両腕は蛇になった。その変化した蛇の腕が長く伸びてきてセルマの体に巻きついた。もう片方の蛇も頭を噛んできた。涎が垂れる。
「汚ねーよ」
頭を勢いよく下げた。蛇が離れ、帽子が取れる。
前を見るとギャンダルが固まっていた。
「お、お前、女?」
「そうだ。残念だったな。美味しそうな男の子じゃなくて」
「殺してやる。可愛い男だからいたぶるのも楽しかったのに」
蛇が帽子を放し、首を絞めつけてきた。
「ふっ、そんなんで私を殺せるか」
思わず口角を上げた。蛇を掴んで力任せに無理やり引き離す。
ギャンダルを見ると、ただ口を開けている顔があった。
「な、なんだ、その力……」
「……お前が探してたヤツだ」
「何? あ、ああああ、お、お前、ノ、ノクーヴェ?」
セルマは目を赤く光らせ、体ぜんぶをノクーヴェに変えた。顔だけ人のままだが、首から伸びる青紫色の肌が頬の一部に侵食している。
体に巻きつく蛇の腕を、自分の腕を力任せに広げて離した。すぐにギャンダルのサメの頭を鷲掴んで持ち上げる。ノクーヴェの腕の模様が蠢き、ギャンダルの体が震えた。
「お前は正解だった。だが、挑発に踊らされ、チャンスを見失った」
「こ、このっ、悪魔のノクーヴェめ!」
鷲掴んだ手に力が入る。爪がめり込む。
「……ノクーヴェが全員、戦いたいんじゃない」
「なら、この俺を助けろ。そうだ、共闘して国を乗っ取ろうぜ。ふぎゃ」
頭突きを食らわせた。ギャンダルが地面に叩きつけられる。
「まて、ノクーヴェよ、話を聞け」
セルマは、折れた細長い柱を拾い、ギャンダルの太ももに突き刺した。
「ぐああぁあぁああぁぁあああああ」
柱は、太ももを貫通している。
「こ、このぉ、た、戦いたくないんじゃないのかっ!」
「……」
苦しむギャンダルの首を片手で掴んで持ち上げ、数秒間、凍てつく視線をぶつけると、目玉を殴った。
「がああッ」
「……」
「お、お前っ――ぐはっ」
ギャンダルを床に叩きつけた。直後、セルマはジャンプして、ギャンダルのもう片方の足、正確には膝に勢いよく膝蹴りをした。ゴキッ、グギャ、ゴリゴリと鈍い音がした。
「ぎゃああああああああああ。い、痛いッ」
脳内に、ブリューを呑まさせる瞬間の子どもたちの顔が浮かぶ。
「……」
セルマはノクーヴェ特有の、腕をレイピアのような細い剣に変えて、ギャンダルの左肩を突き刺した。
「ぎゃあああぁぁあぁあぁ」
「……子どもたちは、もっと痛かった……」
突き刺したまま、セルマは小さく言った。
「な、なにっ?」
「……」
アストを迎えに行ったとき、遊んでいる子どもたちの顔が浮かんだ。
「子どもたちはっ、もっと痛かったんだっ!」
「ル、ルマーダ、こ、このぉ」
「地獄の土産に教えてやる。私はセルマだ」
腕を引き抜き、ふたたびジャンプして、ギャンダルの腹部に渾身の膝蹴りをした。
「ゴバあああッ」
ギャンダルはブリューを吐きだした。すぐに顔が人に戻っていく。
「詫びれよ。二人の子どもに。人の心で」
「た、助けてくれよぉ」
姿を見せたその表情は、瞳孔を小さくして震えているだけだった。
セルマは帽子を被り、踵を返して去っていく。
自分で作った道を通り、一階に飛び降りたとき、屋根が崩れた。
「ぎゃわあああああ」
ギャンダルの叫び声が微かに聞こえた。
セルマは外には出ず、階段へ向かい地下へと駆けていく。
(どこに行くのさっ。早く戻ろうよ。アストくんが心配するよ)




