第三章 一つの答え③
(ほ、ほら早く頭を下げて)
天井を見上げたままのジャンに頭を下げて部屋を出た。
(アウス・エーヴィスは、どこなんだ。月? 宇宙?)
(だからお伽噺だって。月かもしれないし宇宙かもしれない。とにかくセルマの手には届かない所。早く出よう。怖いよ。ボク、オバケのほうがよかった)
(あの歴史書が嘘だなんて……。レヴニール……)
顔に悲しみが現れようとする。必死に眉間に皺を寄せて隠す。一方では歯軋りしていた。
(アストくん、どこかな。みんなと楽しそうに遊んでいるのかな)
(……ここにはまだ、何か秘密があるはずだ。そんな気がする)
階段をのぼっていると子どもたちの笑い声が聞こえてきた。そこに向かって進んでいく。アストたちは三階にいるようだ。声の聞こえる扉の前にきて立ち止まる。振り向いて通路の奥にある窓を眺めた。木がぶつかっていて視界が遮られている。
(誰もいないよ)
肩を落として扉を開けた。部屋の真ん中でアストが子どもたちと本を重ねて遊んでいた。
「あれ、ルマーダお兄ちゃん、もう終わったの? ジャンさんから話は聞けたの?」
声には出ない。首を振るだけ。笑顔で、冷静に。
(まさかとは思うけど、ここに残る、なんて言わないよね)
「帰るぞ」
顔を上げてアストから視線を逸らす。窓の外はまだ灰色の雲で覆われていた。
アストが立ち上がり視界の下に顔が覗く。
「……残念だったね。僕もみんなから聞いたよ。十年前に国の偉い人が数人きてジャンって人と話をしたあと、変になったんだって」
(それって年齢的におかしくない?)
「どうして、そんな昔のことを知ってるんだ」
子どもの一人が答える。
「前にいたお兄ちゃんが言ってた。その日に結婚したのも、不思議だって」
「そのお兄ちゃんっていうのは?」
「病気で死んじゃった」
ドンッ。
突然、アストが尻餅をついた。
「あ、ああ、あ、あ」
瞳孔を小さくし、顎を震わせている。
振り向くと、テリーヌがナイフを持って立っていた。
「やっぱり、あなた、調査にきた人だったのね。子どもを使うなんてどこの情報屋かしら」
「オレは本当にアウス・エーヴィスを探しにきただけだ」
テリーヌはセルマを睨む。
「下手な演技ね。それに、そう。みんな、知ってたんだ」
「どういうことだ?」
「さあ、みんなで死にましょう」
テリーヌがナイフを振ってきたので、後ろに下がった。
そのタイミングでテリーヌが近くにいた子どもを捕まえると、すぐさまペットボトルに入った黄色い何かの液体を飲ませた。
「あれが、病気にさせた薬。ブリュー」
女の子が叫んだ。表情に恐怖を浮かべている。
「違うわよ。ジュースでしょ」
テリーヌは笑っている。だが、
「なっ……」「ひっ」(あっ)
アストとレインと、声が重なった。
人質の子どもの体が大人になると、体中がたくさんの目玉で覆われた化け物に変化し、四つん這いになった。
誰も悲鳴を上げなかった。声が出なかった。
「た、助け、て」
辛うじて人間の声だと分かる。すべての目から涙が零れ、瞬時に床が水浸しになった。
(偽ノクーヴェじゃない。これはいったい――)
目玉の化け物がジャンプして襲ってくる。
「アスト、これを」
リュックをアストに渡す。
「う、うん」
迫ってくる化け物の鳩尾に、肘をぶつける。目玉に当たってぷるんとした気持ち悪い感触に鳥肌がたったが、目玉の化け物も相当痛かったらしく、ひっくり返って鳩尾の目玉を擦った。
「アスト、携帯端末で連絡を」
「う、うん。あ、ダメだ。圏外だよここ」
(くっ。どうにか全員を無事に逃がさなきゃ)
横にも部屋がある。指さす。
「ひとまず奥に逃げてどうにかしてみんなを避難させろ」
(セルマ前っ)
振り向いた瞬間、すでに人間の足が目の前にあった。
「ぐあっ」
背中が床に叩きつけられた。
「あたしの可愛い子どもになんてことをするのっ」
テリーヌの足蹴りだった。足を下ろすと化け物を起こし、大丈夫? と声をかけていた。
(早く立って)
(うるさいな)
立ち上がった直後、テリーヌがナイフを突き刺してきた。
躱してテリーヌの腕を掴むと、ナイフを蹴り飛ばす。テリーヌがナイフを取りにいこうとするが、腕を強く握ったまま放さない。
「このガキッ」
「……」
テリーヌを睨み付ける。
その隙に女の子がアストの手を引いて隣の部屋に逃げる。
「秘密の通路。こっち」
女の子は隣の部屋に向かうと床を開けて、下に飛び降りた。次々と飛び降りる。
(よしっ)
テリーヌを化け物めがけて投げつけ、子どもたちを追って飛び下りた。そこは大食堂だった。
目の前にはアストや子どもたちの安堵した表情があった。
「よし、このまま逃げる――あっ」
振り返った直後、動けなくなった。足に力が入っている。
扉には、忘れもしない嫌な顔がいた。茶髪でおかっぱ頭。狐目をした細身の中年の――、
「またあったな、ガキ」
ギャンダルであった。
「討伐隊の……。なぜこんなことを」
「俺はお前のせいでクビになった。代わりにいい役職をもらったと思ったらこんな辺境の地で老人の監視とはな。だが、お前がやってくるなんて」
「あっ、上ッ」
アストが叫んだ。
目玉の化け物とテリーヌが飛び降りてきた。
アストと子どもたちが壁際に逃げる。セルマは守るように立ち塞がった。
テリーヌと化け物がギャンダルの隣に向かう。
「言ったでしょう。アウス・エーヴィスなんてカモフラージュだって。このガキは何かを調べているのよ。きっと王家の犬よ」
「ちっ、やはりミディの隠れ部下だったか」
(セルマは本気でアウス・エーヴィスを探しているのに凄い発展の仕方だね)
「そうなの、ルマーダお兄ちゃん」
アストが心配そうに見ていた。
「違う」
顔を合わせずに答えた。逃げ場のないこの状況、不安を見せるわけにはいかなかった。握り拳を作っても力が入らない。
(レイン、どうしたらいい)
(余計な考えは捨てて『ギャンダルとテリーヌは敵、自分たちは逃げる』そこに論点を持っていけばいいよ)
震えた。冗談かあるいは「ノクーヴェになって暴れるんだ」というレインらしい言葉をある意味では期待していたのかもしれない。
(ど、どうしたんだ、レイン)
(はっ? ああもう。弱いノクーヴェだね。『おい、お前たち、オレは王家の犬じゃないし、そもそも子どもたちは関係ない。目的はなんだ』はい、言って)
そのまま口にした。上手く話せずやや棒読みだったので、この状況にもかかわらずレインが噴き出した。
「子どもたち、それにあなたたちもブリューを知ってしまった。それは重罪。あなたたちはここで全員死ぬの。あとは任せたわ」
テリーヌは、目玉の化け物を盾にしてその場を離れた。
(くっ。入口をふさぐつもりなのか)
(た、たぶん――あっ)
一人の子どもが、もう一つの扉に走った。だがギャンダルに捕まってしまった。
「う、うわああ。みんな、た、助けて」
セルマは走りだそうとしたが、
「動くなっ。このガキを殺してキサマにその罪を着せてやる」
ギャンダルが懐から黄色い液体の入ったペットボトルを取り出した。
セルマは踏み出した一歩で止まる。
「くっ、この野郎、子どもを離せよ」
「へっへっへ、ルマーダ以外は逃げてもいいんだぜ。もっとも、テリーヌの化け物と戦って勝つ自身があるのならな。その前に、このブリューをかけてやるがな。フハハハ」
逃げようとしていた子どもたちは、仕方なく立ち止まる。
「くっ。キ、キサマァァ」
ギャンダルが子どもを抱えながら、ゆっくりと近づいてくる。
「お前の目的はオレだろ。子どもたちは関係ない。その子を早く離せ」
「本当に態度がなってねえな。おい、いきがったガキ、子どもらを助けてほしいか?」
「そう言ってるっ。早くその汚ねえ手を離せよ」
「さっきテリーヌが言ったろ。ブリューを知った者は全員死んでもらうって」
ギャンダルは黄色い液体、ブリューの入ったペットボトルを口で開けて、子どもの口に近づける。
「待てっ。それはやめろ」
「フハハハハ。どうした、さっきの威勢は。ああ? よおし、ルマーダ、うつ伏せに寝てみろ」
セルマは睨んだままでいた。
それを見たギャンダルがブリューを子どもに呑ませようとする。
「う、うわぁ、た、助けて」
子どもがブリューを睨み付けて震え、涙を零す。
(くっ、くそっ)
歯ぎしりする。目を強く閉じる。
息を飲んだ。
(え、ちょっと)
セルマは床に寝そべった。
「こ、これでいいか」
「ふっ」
直後、ギャンダルが走ってきて顔面に向かって足が飛んでくる。
「ぐあっ」
「お前への恨みだっ、くらえっ」
「がはっ。ぐっ」
さらに二度も顔面を蹴られた。セルマは我慢できず立ち上がった。
(頭がくらくらする)
(な、何をやってるんだよセルマ! 目を閉じててって言ってノクーヴェになってやっつけてよッ)
(ダメだ……)
(あっ。あのときみたいに、何か秘策があるんだね?)
「……」
拳、歯、ともに力が入りすぎている。ギャンダルを睨む表情は、怒りよりも焦りの充満だった。
(……相手を殺してしまっても、ボクは君を責めないよ……)
「言うことを聞けないとは、ふざけた奴だなあっ」
ギャンダルが、子どもにブリューを飲ませた。
「やだ、やだよ。げほっ、げほっ、う、うああああああああああああああ」
子どもの腹部の脂肪が風船のように急に膨らむ。腕も足も同じように膨らみ、脂肪の球体が五つ現れた。脂肪の一つの大きさは縦横ともにアストと同じくらいの大きさだ。
球体の化け物はその重さのせいで一部が床にめり込んだ。
「キサマあああああ」
「お前が従わないからだ。お前のせいだ!さあ、化け物よ、そのガキらを踏み潰せ、殺せっ」
しかし、球体の化け物は襲ってこず、手足の指先をぐにゃぐにゃ動かすだけだった。
(襲ってこないからって、これは残酷だよ。セルマ)
(ああ。分かってる。あの液体に注意しながら、近づいて、ぶっ飛ばしてやる)
「くそおお、死ねええ」
ギャンダルがブリューの入ったペットボトルを勢いよく投げつけてきた。
「伏せてっ」
セルマが叫び、後ろの三人がしゃがんだ。
直後、ギャンダルが化け物を踏み台にして、男の子の前に降り立った。
「へへへ」
「しまった」
セルマが焦って振り返ったときにはすでに、男の子が、ギャンダルに髪の毛を鷲掴みされて捕まっていた。
「コイツならどうだ」
「は、離してぇ」
(セルマ、ギャンダルは変な液体を持っていない。多少のケガは承知で強行突破を――あっ)
ギャンダルは懐から、栄養ドリンクの瓶を取りだした。
「こんな素晴らしい液体をそう簡単に手放すと思うか?」
ギャンダルは笑いながら、瓶から液体を一滴だけ落とす。それは確かに黄色い液体だった。
「くっ」
「さあ、ルマーダッ、どうだ、悔しいか。このガキも化け物にされたくなかったら、そこに正座しろ」
男の子がじたばたして必死に抵抗する。ギャンダルの髪の毛を鷲掴む手がさらに強くなった。
(くっ、くそぉ)
(だ、ダメだよ、セルマ)
セルマは正座した。
「ギャンダル、お前は卑怯者だっ」
「それはっ、ノクーヴェに言う言葉だろうがっ」
ギャンダルがセルマの顔面を蹴った。
「ぐあっ」
(セルマ……)
(どうしたレイン、そんな弱い声を出して)
顔に笑顔をまとわせ、必死に余裕を演出し、改めてギャンダルを睨んだ。
「なんだその目はっ」
回し蹴りがこめかみに当たった。気を失いそうになり、倒れた。
「ルマーダお兄ちゃんっ」
「誰が倒れていいなんて言った? ようし、呑ませるか」
焦って起き上がり、正座した。もうそのときにはギャンダルの足が下から勢いよく上がってきていた。
「かはっ」
顎を蹴られ、後ろに倒れた。
「だからっ! 誰が倒れていいなんて言った。ああっ!?」
(セルマ、戦ってよ)
歯を食い縛って正座し直す。ギャンダルの回し蹴りが迫っていたが、躱して頭を下げる。
「その子を離して。お願いだからッ」
(もういいって。みんなに目を閉じさせて、戦ってよ。楽勝でしょ)
「そんなに離してほしいか。なら『オレは間違った人間です。どうか、殴りつけて教育し直して下さい』って言え」
「オレは間違った人間です。どうか……」
(変な意地を張らないでよ)
「どうか、殴り付けて……ぐあっ」
また顔面を蹴られる。口から血が出た。
「聞こえないなぁ、ああっ?」
「教育をっ」
「貴様ああああ、最初から言え。でないと、このブリューをコイツに飲ませる」
(セルマ、お願いだから抵抗してよ。相手が全面的に悪い。この状況から脱出できるなら、どんなことをしても、たとえ殺してもボクは君を責めないよっ)
(子どもたちに悪影響だ。それに、絶対に気がつく)
ギャンダルが男の子にブリューを呑ませようとしている。
それを見て体は自然に動いていた。額を床につけ、叫ぶ。
「オレは間違った人間です。どうか、殴りつけて、教育し直して下さい」
「ふははは。そうか。そんなに教育してほしいか。ならそのままでいろ」
「ひっ」
アストの微かな声が聞こえたと同時に頭に激しい痛みが迸った。
「ぐあああああああっ。た、頼む、子どもを離してくれ。なんの罪もないだろ」
「なんだ、その言い方はっ!? お前の教育は終わっていない」
「ぎゃああああああ。うがあああああ。痛いいいいいいいいいい」
連続する強打に、頭がかち割れそうだった。
(セルマ、お願いだよっ。戦ってよ)
(この状況で勝つには……)
(ノクーヴェになるしかないんでしょ? それでいいって。ボクは責めないよ。むしろ君がノクーヴェになって戦ってくれることに、心から感謝するよ)
(アストや、みんなが、怖がる)
(目を閉じさせてよ)
(開けてたらどうするっ)
(子どもの心を信じてよッ)
レインの怒鳴り声に、一瞬だけ痛みを忘れて目を大きく開いた。
(っ――)
(こんな状況、誰も喜ばないよ)
(ギャ、ギャンダルが喜べば、子どもたちは、解放される)
(そんなっ、ああっ――)
「火事だあああ、きゃああああ」
女の子が叫んだ。




