第三章 一つの答え②
セルマとアストは、街と農地の境にある楕円形の商店街を歩いていた。
(どう? この雰囲気もなかなかいいんじゃない?)
(ああ。商店街は、アーケードがあって、まっすぐ延びてるイメージだからな。ここは、澄んでる感じがする)
辺りには老婦人の値切り声、夫を押す妻の肘、立ち話に夢中な主婦たちがいる。
下町のような活気が、風に流れていた。
(元は住宅街だったんだけど火事が原因でこの広場ができたんだよ)
(ああ。知ってる。五十日デモは歴史で学んだ)
歩いていると背後のアストが、追い付いては立ち止まり、追い付いては立ち止まりを繰り返していた。
「何をしている。置いて行くぞ」
「ねえ、ルマーダお兄ちゃん、会いに行くのをやめようよ。ほら、買い物する所もたくさんあるし、ラーガさんのお土産も考えよ。喫茶店にはラウルのジャムがなかったんだよね。一回試してサンドイッチのメニューに加えてもらおうよ」
「お土産は任せる。目的はアウス・エーヴィスを知る人物に会うことだ」
前を向くと、背後で溜め息が聞こえた。
(それはセルマの勝手な解釈だよ。ジャンさんはアウス・エーヴィスを知る人物じゃなくて作家になれなかった人。それだけ。アストくんがかわいそう。子どもを怖がらせるのがセルマの趣味?)
足が止まった。振り向いてアストに質問する。
「なあ、すべての孤児院に悪魔が出ると思っているのか?」
アストの顔が少し青ざめた。
案内の女性から、ジャンの家が孤児院であると聞いたときも、微かに顎が震えたのを見た。
答えを待っているが、アストは下を向いているだけ。でも何かを思いついたようで、進行方向に走っていき、調味料店に入った。
「おやおや、いらっしゃい」
腰を曲げた老人が杖をつきながら現れ、アストがブラックペッパーを指さした。
「僕、これからジャンって人に会いに行くんだ」
「……」
店主の老人は突然、腰がピーンと伸びて開眼しアストの前にきた。
「なんと。酷い親じゃ。こんな子をあんな所に連れていくとは。家族はどこじゃ?」
アストが口をへの字にしてこちらを指差した。
(う、うう。ボクはアストくんの素晴らしさに涙が出てくる。うう。セルマはブラックペッパーだよ)
(意味は?)
(ピリッと意地悪――あ)
血相を変えた店主が前にきた。杖を振り上げる。
「兄弟なら、面倒を見るのが当然じゃろ。このっ」
振り下ろされた杖を受け止める。
「はあぁ。入れたりしない。アウス・エーヴィスがどこにいるか聞くだけだ。あなたがアウス・エーヴィスの居場所を教えてくれるなら、ジャンには会わない」
「……」
店主は顔から覇気が消え、植物がしおれるように、腰を曲げ、杖をつき、まさしく老人になった。
「そうであったか。すまぬ。でもな、若いの、作家になるなら別の人がおるじゃろ」
「なぜみんなそう言う。オレはアウス・エーヴィスに会いたいんだ」
「そんな者はおらん。それならノクーヴェなんぞとっくに滅ぼしておる」
(この町の人はみんな常識人だね。セルマとは大違い)
(黙レイン)
(またそれ)
外に出て、小高い丘の上にある三階建ての洋館を見やって黙って歩きだす。
アストは、小さな瓶に入ったブラックペッパーを購入すると慌てて追いかけてきた。
「それは買う必要があったのか」
「うん。朝食で使うんだ。一〇〇ミラルで買えたし」
そのシーンを想像すると納得したが、疑問も生まれた。
(パラシドの近くに似たようなのがあったはず)
(アストくんはセルマと違って大人に優しいの。指差したんだから、買わなきゃいけない。きっと気まずさを感じるタイプなんだよ)
(そうか?)
(この前だって、沈黙カップルの前でわざと転んで持ってた個包装のクッキーを二つテーブルに撒けたでしょ。それを皮切りにカップルの会話が弾んだ。ボクはアストくんが大人になったらモテモテだと思うよ。この見た目の暗い雰囲気から繰りだす笑顔のギャップ、うん。文句ないね)
横を歩くようになったアストを一瞥した。
(それは分かる。可愛いと思う)
(はいはい。デートを楽しんでね)
商店街を抜け、東の林に向かって歩いていると、農地が目に入った。
(すごい。広い)
緑と赤土がずっと地平線の彼方まで続いている。
(コルセというかこの州は農業がメインだからね)
州境に位置するコルセ町は、トールク州に属している。首都アイタスの約三八〇倍の面積で人口は約三倍の二八〇〇万人だ。
(広いのは知っていたが、壮大だ)
上り坂の林道を歩き抜けると、木々に囲まれた、両サイドにとんがり帽子を被ったような塔を持つ三階建ての黒い洋館が現れた。アストに袖を掴まれた。
「ね、ねえ。本当にオバケが出そうだよ」
曇り空と建物の黒さに加え、無造作に生えた木々が洋館の窓まで届き、花壇は手入れがされておらず草が伸び放題で、窓ガラスはあちこち補修テープが張ってある。
(きっと、ここにアウス・エーヴィスが……)
(君だけだよ。こんな所で高揚してるのは。誰も住んでないかもよ。建物が黒いのもきっとここで惨劇があったからだよ。きれいにすると赤い部分が出てきたりして)
震えはじめたアストの手を引きながら正面玄関にきた。
(それは分からんが人は住んでいる。蜘蛛の巣はないし、窓は隅まで汚れがない)
インターフォンを鳴らした。アストが後ろに隠れる。
扉がギイィィと音を立てて、ゆっくり開く。
(うらめしやああああ)
(そんなもんが来たら蹴り飛ばしてやる)
「えっ、こ、こんにちは」
女子全開の高い声が出る寸前だった。アストもぴょっこっと顔を出す。
玄関には、アストと同じくらいの背格好をした二人の子どもが立っていた。
男の子と女の子。
「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」
声が揃い、同時に頭を下げた。
(か、可愛いぃぃ)
(うわっ。さっきの可愛いとぜんっぜん違う。へえ、そんなふうに喜ぶんだまレインいつものパターンね)
(くっ、黙れ、インッ)
セルマは咳払いしたが、目じりが下がる。
「君たちは、二人なの?」
二人が振り向くと、バタバタと音を立てて新たに子どもが二人やってきた。みんな同じ歳くらいだ。落ち着いた様子の子もいれば、少しだけこちらを警戒している子もいる。
(特に目立った様子はないね。ごくごく普通の生活を送っている、いや孤児院では優秀かも。これならアストくんも心配なさそう)
(アストにはちゃんと帰ってもらうし、私もここに残りたい、などと言っていない)
(セルマたん? 君の目は輝いているみたいだけど――あ)
「どちらさま」
子どもたちの後ろから、管理者と思われる女性が現れた。年齢は二十代後半だろうか。表情は硬く、こちらを見る視線には警戒が滲んでいる。
ポケットから、動物の目玉のような形をしたストラップが覗いていた。
一瞬だけ、それに視線を留める。
なぜだか、胸の奥がざわついた。
「ジャンという人に会いにきた」
そう答えると、女性の視線がアストに移った。
「手続きでしたら、こちらでやりますが」
「いや。そっちじゃない。小さいころに歴史書を読んだことがある。その内容でどうしても知りたいことがあるんだ」
「……そうですか。ですが、主人は」
女性はそこで話を止め、視線を逸らした。
(あれ、別人かなあ)
(副業してるかもしれん。今は留守ってこともある)
(ボクが言いたいのはそういうことじゃなくて)
子どもたちが、遊びに来たんだね、とアストを連れて目の前の階段を上がっていった。
「どうぞ。こちらへ」
女性が、下への階段に手を差し伸べた。
(地下か)
(作家って変わってる場所が好きだよね)
地下二階まできて、辺りが真っ暗になると女性は電気を点けた。通路を歩き、最初に現れた部屋の前で立ち止まる。ノックをして返事がくる前に扉を開けた。
そこは質素な寝室で、部屋の右奥にベッド、左奥に勉強机があり、老人が机に向かっていた。やせ細った体をした白髪のオールバック。口に髭を蓄えており、目の下の熊が浮き彫りになっている。
「主人のジャンです。あたしは妻のテリーヌ」
瞬きが連続した。老人を見て、女性を見て、また老人を見て女性を見る。
(夫婦、ってことだよな?)
「よく言われます。遺産目当てでしょって。でも、孤児の面倒を見るあの人の、人のよさを知って、結婚したんです。じゃあ、どうぞごゆっくり。お茶をお持ちしますね」
テリーヌが会釈して部屋を出ていった。
(別人じゃなかった。それよりもセルマにはデリカシーがない。あんなにわざとらしく見たりしないよ。それこそ顔に書いてある、だね。ボクもこういう作品をセルマに紹介して勉強させなかったのは痛恨の極みだよ。で、まさか『私の心の声が聞こえた!?』とか思ったりしてないよね)
(くっ。だ、黙レイン)
(はいはい。まあ、こんな所で突っ立ってないで話しかけたら)
ジャンはペンを握って固まっていた。瞬きもない。
胸が高鳴る。ここですべてが決着するかもしれない。
足を一歩、踏み出した。ゆっくり、しっかりと近づいていく。床には絨毯が敷いてあるので足音はまったくしなかったが、気がついたジャンが首を曲げ、目を合わせた。
するとジャンの力のない目が急に大きく開かれ、立ち上がって目の前にくると、両手で自分の頭を抱えた。
「あ、ああああああああ」
(な、なんだ!?)(うわあああオバケ)
ジャンの大きく開かれた目に顔面を見られる。
「世界から人間が消えたっ。なぜ……。そうか、隕石だ」
急に閃いた表情になって机に戻り、何かを書く。
(執筆中、なのか)
(そ、そうじゃない、かなぁ)
ジャンは壁にペンを投げつけ、両手で頭を抱え、天井を凝視した。
「おいは、おいどんは、私? ボクはオレ? ワイは、ああああああああっ」
(『話が通じない』って案内の女性が言っていたのはこういう意味かな)
(私に訊くな)
(ごめん。感想)
天井を見上げたまま固まっているジャンに近づき、視界に入った。
「アウス・エーヴィスについて聞きたい」
「アウス・エーヴィス?」
「そうだ。あなたの歴史書を読んだ。四百年前までは書かれていた。でもこの国には、歴史の関する本では、昔から存在しないことになっている。教えてくれ。アウス・エーヴィスはどこにいる」
ジャンが片手で鷲掴むように自分の顔面を覆うと、机に伏せた。
「けふぁああああ。宇宙がこの天才を必要としているっ。嘘つきだ。アイツがこの儂という天才を葬った。許さああああんっ」
ジャンは急に机に置かれているすべての物を払い飛ばした。床に原稿やら執筆道具やらが散らばった。
(か、帰ろう。セルマ。さすがに怖いよ)
レインの声に誘われて背中が少し震えた。それでもジャンの隣に屈み、顔を覗き込む。
「オレは、死んだ弟を助けたい。頼む。アウス・エーヴィスの居場所を教えてくれっ――うっ」
ジャンに両手で頬を掴まれた。冷たく、力がない。それなのに顔は強固な怒りだ。額が今にもぶつかるような至近距離で叫びだす。
「すうう。奴は人間が憎い。ブラックホールですべてを滅ぼしたんだっ。すべてをおおおお」
(こ、壊れちゃってるよ。この人)
――それだけ……じゃない?
眼前にあるジャンの狂気な眼差しをしっかり見返す。
「嘘だ。そうだ。コアだ。すべてはあれから始まった」
頬から力のない手が離れ、ジャンは散らばった原稿用紙を拾うと、机に戻って何かを書き始めた。
ジャンの腕が同じ動きをしている。書いている音がしない。覗いてみると、原稿用紙に黄色のペンでぐるぐると円を書いているだけだった。
「アウス・エーヴィスの、居場所を、オレに……」
拳に力が入る。ジャンに近づけない。
(やめなよ。見てるこっちが辛いよ)
(くっ)
唇を噛み締める。
「神ではない悪魔だ。絶望したんだああああああああ」
「フェングニス王家なら、知っているのか?」
ジャンの動きが止まった。こちらを見る。
「悪魔は、実験が好きなんだ。ああああああああ」
そのとき、扉が勢いよく開いた。テリーヌである。走ってきてジャンの頭を抱く。
「ジャン、もうやめてっ」
テリーヌは、半ば強引にジャンをベッドに入れた。
冷静になったジャンは天井を見上げ、呟き始める。
「宇宙が、この、天才を……。はて? 天才は、宇宙。いや、月だ。月が悪魔を」
ジャンの顔を見ていたテリーヌが振り向いた。冷たく苦い顔をしていて他の客人なら逃げ去るだろう。
言葉を待った。
「もう、いいですよね」




