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第十一話「祟り神の孤島」前編

裂都事変の後、日増しに『座敷牢』の気配が濃くなる。

恭介は霊刀《潮断》返還を名目に、因習の孤島・禍澗島へ単身上陸。

地下牢で待っていたのは、“彼”の正体と、〈〈ここで暮らせ〉〉という甘い宣告だった。

 日に日に『座敷牢』からの気配が強まる。

 金色の視線が、全身を隅々まで撫で上げる。

 疼痛にも似た悪寒で、恭介は今夜で何度目かわからない寝返りを打った。


 ――やめてくれ。


 己の内から影が湧き出る。夢魔のごとく、幾重にも覆い被さる。重苦しいだけではない感覚に吐き気を覚えた。黒い端が、緩く弧を描く。


 ――君は、どこまで僕を奪うつもりなんだ?


 見慣れた自室が、見たことのない社殿に変貌していく。すかさず枕元のラジオを点けた。被災者の嘆きが現実に錨を下ろす。どうにか布団を這い出て、頓服薬を服用した。


 メディアは水神が引き起こした一連の大災厄を「裂都事変」と命名した。仙台駅前一帯が壊滅、都市機能は寸断。被害総額は概算で一兆二千億円、死傷者は五千人に及ぶ。

 幸いにも白夜堂は無事だった。二十日もすれば元通りの生活に戻れた。

 報道によるポルノ化は、かつての震災より苛烈だった。誰もが「被災者」のラベルを貼られ、「可哀想」から脱することを許されない。

 そうして”人格”を消される末路を知っていた。恭介は、迷わず河本へ電話した。


「祓い屋として、禍澗島(まがみじま)を調査させてください」


 公私混同も甚だしい願い。だが、河本はあっさりと承諾した。


『いいよ。金儲けする国土が無くなっちゃ敵わねェしな』


 霊刀《潮断》は大京グループの調査班が押収していたと話した。表向きの理由は、刀の返還で十分。すかさず隠岐諸島行きの準備を始めた。


 数日後、恭介は仙台港に立った。陸路は裂都事変により寸断されている。一度苫小牧港を経由して新千歳空港に向かい、飛行機で島根県に渡る予定であった。

 旅立つ背中を、亮が心配そうに見送る。


「恭ちゃん、ホントに行くの? オレがついてかなくても大丈夫?」


 足は尋常でないくらい震えているのは、自分自身もわかっていた。


「うん。僕一人で決着を付けたいんだ」

「無理すんなよ。……ぜってー帰って来いよな」


 恭介は亮と別れの抱擁を交わす。乗船の途中、脳裏から“彼”が馴れ馴れしく話しかけてきた。


『お前も無茶するよな。水が怖いのに船に乗るなんて』


 いつも通り、恭介の声を借りて喋る“彼”。


『俺に交代すれば楽になるのにさぁ』


 黙れ。君を消したいんだよ。

 無視を決め込んでいると、“彼”が豹変した。


〈〈降りろ〉〉


 神の――裂都事変で見た、紋付袴の男の声だ。

 かくりと膝が抜ける。一瞬、何が起きたのか理解できなかった。それでも歩を進めると、激しい耳鳴りが襲う。


〈〈聞こえなかったか? 降りろ〉〉


 視界から色が欠け始めた。


「っ、誰が……っ」


 柵を掴み、歯を食い縛った。係員が訝しむ目線を向けたが、気にしてる場合ではない。


〈〈降りないなら、俺と代われ〉〉


 もつれる足で客室へ転がり込んだ。


〈〈大丈夫……無事に辿り着かせてやるから〉〉


 そうなりたい。

 そうされたい。

 だが、従えば“終わり”だ。


〈〈それとも、何も考えられなくしてやろうか?〉〉


 痺れるような響きに、身体が反応しかけた。

 いやだ。なぜ。どうして。

 たまらず手帳を開き、ペンを走らせた。


《僕は恭介 僕は恭介 僕は恭介 僕は恭介 僕は恭介 僕は恭介 僕は恭介 僕は恭介》


 書き味の硬さだけが、自分を現実へ繋ぎ止めてくれた。己の名前で一冊を埋め尽くした時、ようやく苫小牧港へ到着する。


 ……切り抜けたのか? よかった。


 以降は予定通りの旅路を辿れた。

 海難事故から約四年。

 ついに禍澗島へ上陸した。


 港の空気は、どろどろに淀んでいた。

 埠頭で村長の石見(いわみ)玄弥(げんや)が恭介を出迎える。

 彼は五十代後半の、陰険な雰囲気の男だった。


「お前が特異現象調査員とやらか……本土から、はるばるご苦労なことだ」


 石見は恭介を一瞥し、冷徹に宣告する。


神意(まがみ)を聞くな。日没後の外出は許さん。ここはお前の知る世界ではない」



***



 禍澗島は、隠岐諸島外周の海域に位置する孤島だった。

 島は有人集落のある「親島」と、原生林に覆われた禁足地の「子島」で構成されており、両島は干潮時にのみ海面へ露出する砂州によって接続される。かつて江戸時代には北前船の寄港地として交易で栄えた記録が残るものの、令和の現在は寂れて久しい。

 港から続く集落には、昭和三十年代で時を止めた木造家屋が密集していた。潮風に晒されたトタン屋根や、路地に放置されたオート三輪には赤黒い錆が浮き、乾いた古血のようにも見える。とりわけ異様なのは、全戸の窓という窓に、目隠しのような赤い和紙が隙間なく貼ってあることだった。

 カーテンの閉ざされた家々の合間から、島民たちの殺気立つ視線が突き刺さる。恭介は背筋を這い上がる粟立ちを無視し、地図上の石見宅へと足を早めた。村と山林との境界、植物の浸食を拒むように建つ巨大な日本家屋だった。

 通された屋敷の客間は、外気とは異なる湿った静寂に満ちている。

 恭介は鞄を開け、大京グループ調査班から受領した霊刀《潮断》の桐箱を石見へ差し出した。


「ふむ……確かに、我が家の家宝だ」


 石見は《潮断》を鞘から僅かに抜き、一尺に満たぬ刀身をじっくりと確認する。淡い刃紋が電灯の下で鈍く光を放った。


「それで、なぜこれが仙台などにあった?」


 石見の声色が低くなり、老齢とは思えぬ鋭い眼光が恭介を射抜く。


「この刀は島外不出の祭具。何者かが持ち出さぬ限り、海を渡るはずがない」


 恭介はあくまで平坦な口調で応じる。


「私の仕事は返還です。流出経路の特定は管轄外であり、関与もしておりません」

「儂は其方が盗人か、あるいはその手先ではないかと疑っているのだがな」


 威圧感で手がべとついた。無実を証明したいが、上手く言葉を紡げない。呼吸が浅くなる。瞬時に、網膜の裏で金の光が弾けた。


「“俺”が盗みなんてやる訳ないだろう。早く真実を見せろ」


 石見はハッと息を呑み、後ずさった。何かを悟った顔で、祭壇の奥から一冊の和綴じ本を取り出し、恭介の前へ放り投げた。

 禁忌の記録『禍澗島年代記』。

 震える指でページを捲る。そこには江戸時代の筆跡で『きょうすけ』の名が刻まれていた。


 ――僕の名前……!?


 自分は現代に生きる人間だ。江戸期に存在したはずがない。だが、同姓同名という偶然を、島全体の空気が否定していた。

 記述は続く。島民が個としての意識を放棄し、神へ絶対的に隷属する災厄『無選ノ夜』の記録。

 人々、選ぶことを忘る。従うを、従と知覚せず。

 挿絵には、呆然と立ち尽くす群衆が墨汁で描かれていた。稚拙ながらも写実的な絵柄で、神の御言葉なしでは水を飲む判断もできず渇き死んだ者、自らの耳を引き千切る者、柱に額を打ち付けて頭蓋を砕いた者の姿が克明に描写されていた。

 島民は襲い来る御前へ、あらゆる対抗策を投じたという。『神婿』と称して生贄を捧げ、祟りの変遷を逐一記録した。人と神、自己と他者の境界を別つ宝具《潮断》をも錬成した。やがて記録に災厄を封じるという風習は、海を越えて本土にも伝来したという。

 夢中で読み進めていたその時、どこからともなく声が落ちた。


〈〈帰ったぞ〉〉


 声は石見も感知していた。彼は首を垂れる。


「……掟を守るなら、続きを見せてやる」


 あまりにあっけない心変わりだった。石見は皺だらけの手で襖を開け、恭介を屋敷の奥、地下への入り口へと案内する。


「誰とも会話をするな。何を聞いても、決して応じるな」


 恭介は黙って頷いた。

 一歩一歩、確かめるように階段を下りる。地下へ深く潜るごとに、鉄錆のような血の臭いが濃くなった。鼓動が早まり、肋骨の内側が痛む。緊張が頂点に達し、視界が明滅しそうになった時、またあの声が響いた。


〈〈思い出せ〉〉


 神の一言が、記憶の蓋を抉じ開けた。


 ……四年前、北条恭介は、島根半島沖で嵐に巻き込まれた。日本一周旅行で乗船していたフェリーが転覆し、海に投げ出された。潮流に流され、漂着したのは禍澗島の子島だった。

 そこにあるのは鬱蒼とした森と岩場だけで、完全な無人島と思えた。救助は来ない。喉は焼けつき、肌は凍え、胃壁が自らを消化するような飢餓感が襲う。強烈な幻覚にも苛まれながら林叢を駆けずり回った。

 その果てにようやく人造物――小さな社を見つけた時、人間としての理性が消えた。注連縄を引き千切り、祠のお供え物を貪り食った。

 味は、あまりにも甘かった。人生で一番美味い飯だった。感涙し、口の端から汁を垂れ流した。直後、祠の奥から黒い靄がどろどろと溢れ出した。

 “それ”はニタリと笑った。祟りだとわかりきっていた。だけど、抵抗はしなかった。寧ろ親近感を覚え――己の中に、嬉々として招き入れてしまった。この靄こそが、後に”彼”と呼ぶことになる裏人格の正体だった。

 全身から脂汗が噴き上がる。こんな罰当たりな行いを、なぜ今の今まで忘れていたのだろう。


〈〈いいや、お前が自ら封じていたんだ〉〉


 男の声は、耳を両手で塞いでも隙間からぬるりと流れ込んでくる。


〈〈お前は俺から逃げた。俺を見なかった。ずっとずっと、見えないふりをしてたんだ〉〉


 ――違う。そんなつもりじゃなかった。


 反論したがる唇を必死に噛み締める。血の味が舌に広がり、僅かに意識が覚醒した。


〈〈いい子だな。掟を律儀に守るなんてさ〉〉


 奥には、鉄格子で仕切られた牢獄があった。

 恭介は絶句する。その牢の構造は、精神世界にある『座敷牢』と寸分違わず同一だった。差異はただ一つ。畳の中央に、人型の黒い染みが拡がっていることだけ。


〈〈見ろ〉〉


 牢の脇にある書き物机に、年代記の別冊が置かれていた。声に導かれるがまま、本を開く。


《嘉永三年 古物商ノ倅鏡介(キョウスケ) 金眼ノ呪怨ヲ以テ祟神ト成ル》

《人神ノ境鎔ケ落チ 其ノ喉ヨリ溢ルルハ無選ノ死ト溟海ナリ》

《神婿ヲ供シテ 此ノ大祟ヲ永劫ニ鎮メ奉ル》


 これは運命か、それとも呪いか。


〈〈そう、俺も『きょうすけ』なんだよ〉〉


 “彼”は、自分と異口同音の名前だったのだ。

 自己の輪郭が揺らぐ。内なる神は別人という確信が、砂のように崩れていく。


「やっと、帰ったな」


 背後に気配が降り立つ。

 振り向くと、黒い紋付袴の男――鏡介がいた。

 袴の男、“彼”、そして鏡介。三者がようやく同一存在だと線で繋がった。恭介は膝の震えを抑えながら、掠れた声で言い返す。


「帰ってない。僕は“来た”だけだ!」


 彼はただただ微笑み、肩をすくめた。


「どっちでもいい。お前が真実に辿り着いたなら」


 鏡介は恭介の耳元へ顔を寄せ、ぞっとするほど甘い声で囁いた。


〈〈ここで暮らせ。永遠に俺と一緒だ〉〉


 抵抗できなかった。

 身体が先に()()()()()と従っていた。

 抗う力を失った恭介を、鏡介は座敷牢へと押し込む。扉が閉ざされ、錠が下りる音が、地下の闇に重く響いた。

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