表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/24

第十話「裂都事変」前編

仙台を襲った大災害。その震源には、盗まれた国宝と水神の怒りが眠っていた。

崩壊を止めるため、恭介は自ら“彼”の力に手を伸ばす。

だが代償は、愛する者と自身の尊厳だった――。


※本作には災害表現が含まれます。閲読にはご注意ください。

 二〇二六年九月下旬。

 七月から続いた猛暑がようやく退き、天から虐げられる心地が和らいだ。恭介は白夜堂のポストを開ける。朝刊にチラシが挟まっていた。駅前の大型商業施設・イービルンズ仙台での催し物『隠岐諸島の秘宝展』の告知だ。壺、刀剣、勾玉類の写真が異様な光沢を放っている。

 『隠岐』の二文字を見た瞬間、喉が詰まった。禍澗島への渡航は諦めて久しい。その怠慢を、海の向こうから咎められた気がして……。


 だが、目下の悩みごとは別である。


 (僕は幽閉実験で何をやらかしたんだ!?)


 先日、青森県・県立北奥精神病院で河本が仕掛けた、祟り神“彼”を発現する実験。その最中の記憶が欠落したままだった。食事中も、店番中も、空白への不安が途切れずにいた。

 河本を問いただしても、彼は回答を濁した。「爆発事故で記録を失くしたんですわ」と。唯一提出した監視カメラ映像には、見えない何かに殴られ続ける恭介だけが映っていた。滑稽なまでに踊り跳ねる身体。なのに声は入っていない。無音が、更に胃を締めつけた。


 恭介はマスクとサングラスで顔を隠し、街へ出た。今や人相が割れすぎて、変装なしでは外を歩けない。

 歩道の人波が視界の端で揺れる。コンビニの自動ドアが開くと、過剰な冷房が肌を撫でた。ホットスナックの匂いが鼻腔に満ちても、食欲は湧かなかった。

 真っすぐ雑誌コーナーに向かい、週刊誌を棚から引き抜く。紙面には『県立北奥精神病院、爆発』の見出しが踊っていた。焦げた窓枠、黒い煙柱、緊急車両の赤。凄惨な写真が、あの無音の映像と重なる。

 だが事故と恭介、河本との因果関係はどこにも書いていなかった。次のページから芸能人の醜聞が始まり、欲しい情報は消える。

 程なくして子供に「テレビの人だ」と後ろ指を差され、慌てて雑誌を棚へ戻した。逃げるように店を出ると、まだまだ強い日差しがサングラスに弾ける。

 恭介は肩を落として来た道を帰る。と、交差点の向こうに小柄な青年が見えた。


 ――佐久間俊哉だ。


 予備校講師時代の教え子にして、比留野村殺人事件の証人。雑踏の渦でも幼げな輪郭は浮いていた。彼の手には秘宝展のパンフレット。紙を握る指が軽く踊っている。

 首の後ろが疼いた。俊哉の中で自分は、今でも恐ろしい殺人鬼なのだろうか。恭介は横断歩道の信号が変わるのを待ちきれずに手を振る。


「佐久間くん!」


 俊哉は一瞥だけ寄越した。次の瞬間、彼は無表情でノイズキャンセリングイヤホンを耳に嵌め、商店街方面へ消える。青になるまでの時間が永遠に思えた。信号が変わってすぐに追い縋る。


「来ないでください! 先生!」

「お願いだ! 話だけでも……!」


 俊哉の背は硬かった。恭介は半ば強引に彼の腕を誘導し、喫茶店の扉を押し開ける。

 ドアを閉めると、交差点の喧噪が遠ざかった。代わりに満ちるのは小洒落たジャズ。店内はアフタヌーンで混雑し、珈琲と甘い焼き菓子の香りが渦巻いていた。着席した恭介はようやく息を抜く。俊哉へ何でも奢ると申し出たが、彼はお冷すら飲まず、両膝をぴたりとくっつけていた。


「……で、あれから『奴』は出してないですよね?」

「え?」

「とぼけないでください! 先生の中のあいつですよ! また誰か殺したりしてませんよね!?」

「佐久間くん、こ、声が大きい!」


 周囲の視線が刺さる。慌てて人差し指を唇に当てた。幽閉実験のせいで、殺してないと言い切れないのが辛い。


「先生。お願いだから金輪際ボクに関わらないでください。怖いし迷惑です」


 俊哉は関節が白くなるほど両手を握り締めた。恭介は笑顔を作る。


「……それでも、まだ私を『先生』と呼んでくれるんだね」

「別に。……ただのクセですよ」

「先生呼びに免じて、名誉挽回のチャンスをくれないか」

「イヤです」

「お願いだ。この通り」


 恭介は頭を下げた。髪が垂れ、額がテーブルに付く。『返せ』店内BGMに男の声が混入した。俊哉は視線を逸らしつつも唇を開く。


「……そ、そこまで言うんなら……」


 言葉の途中で床が鳴る。カップが震え、スプーンがかちりと跳ねる。畳みかけるように臓腑を揺るがす地鳴りが走った。店内が騒然とし、あちこちで椅子が倒れる。

 窓の外、大通りのアスファルトから、水蒸気と黒煙が噴出した。熱気がガラス越しに膨らむ。


『返せ』


 恭介の脳髄へ直に響きが叩きつけられた。背中が沈み、平衡感覚を失いかける。俊哉は勢いよく席を立った。


「この揺れ、ただの地震じゃないですよ!」

「私も……そう思ってたところさ」


 二人は押し合う人波を縫い、喫茶店を飛び出した。



***



 主要道路が、布じみて裂けてゆく。

 路面に亀裂が走り、断面の奥から紺碧の海面が覗いた。金の燐光が煌めき、津波じみた波動が地中で蠢く。粉塵の中には潮の匂い。まるで仙台が、昏い海へ沈没しかけているようだった。


 恭介と俊哉は、群衆に逆らい震源へと駆けた。人々の靴音が雪崩れ、誰かの泣き声が混じる。上空では看板が軋み、遠くでガラスの割れる音が連鎖していた。恭介は耳を塞ぎかける。水が見えるたびに冷や汗が流れた。だが足は止まらなかった。


「先生、この揺れ……イービルンズ仙台の方角から来てます!」


 俊哉は怯えながらも視線は冴えていた。恭介は頷き、亀裂を跳び越える。アスファルトの縁が砕け、靴底に小石が噛んだ。背を叩くのは熱気。二人はイービルンズ仙台へ向けて駆けた。


 逃げ惑う群れの中に、亮がいた。警備員の制服がひときわ目立つ。焦げ茶のマッシュヘアーを乱し、細い身体で人々の肩をすり抜けてきた。恭介を視界に入れた瞬間、亮は口角を上げた。


「恭ちゃん、また祓い屋案件かよ!」


 軽口の形をした確認だ。恭介は笑顔を作り、首を横に振った。頬が引き攣る。


「違うよ! 本物の災害だよ!」

「ボクら、この異変の震源を探してるんです!」

「ならオレも行くよ! 怪異には慣れっこだぜ!」


 三人は、崩れた入口の隙間から地下へ潜った。


 地下鉄・仙台駅構内は見るも無残な有様だった。電光掲示板は割れ、死に損ねたように明滅している。天井材が垂れ、配管が破れて水を噴き上げていた。水滴が照明を散らし、床のタイルは黒く濡れて滑る。焦げとコンクリの臭いが鼻を突いた。


「恭ちゃん、水、大丈夫?」


 亮が振り返る。恭介の指先は無意識に拳を作っていた。


「うん……」


 吐き気は確かにある。脚がふらつき、視界の端が霞む。なんとか呼吸を保ち、歩幅を整えた。目線は水浸しの床を避け、壁のラインだけを追う。


「ところで恭ちゃん、この子、誰? なんかテレビで見たことあるけど」

「ええっと……佐久間くんだよ。私の元教え子で……」


 恭介は比留野村の件を飲み込んだ。俊哉は神妙に会釈する。暗い照明の下でも、頬に薄い赤みが浮くのが分かった。


「初めまして……。佐久間俊哉です」

「オレは村瀬亮。こいつの犬だよ」


 亮は胸を張った。冗談のはずなのに、言い切りが謎に重かった。


「ちょ、やめてよ亮!」

「あはは……確かにそんな感じですね……」


 俊哉が笑ったので、恭介は良しとした。今は言葉を選んでいる余裕がない。


「オレ、イービルンズ仙台の近くで警備のバイトしてたんだけどさ、地下がものすげー揺れたんだよ。思わずバックれたけど大丈夫かなぁ」

「絶対大丈夫じゃないですけど……。ボクは秘宝展を見に来てました。その途中で先生と会ったんです」

「私は……コンビニ帰りかな」


 自分の理由が一番薄い。恭介は気恥ずかしさを噛み潰し、通路の奥へライトを向けた。瓦礫の影に、展示会場から流れ着いたらしい木箱が転がっている。割れた陶器の破片が散り、金箔が剥げた札が濡れて張り付いていた。


 ゴミ山の中に、一つだけ無傷の品があった。刀身一尺ほどの小刀。波紋が淡く、鞘は古い漆の黒。秘宝展の目玉展示品、国宝《潮断》だった。


「国宝が捨てられてる。ヤバくね?」


 亮は瓦礫の間へ手を突っ込み、慎重に引き抜く。刃が空気を切る音が細く鳴った。俊哉は展示解説パネルへ視線を滑らせ、眉を寄せる。


「……変ですね」

「変、とは?」


 恭介が尋ねると、俊哉は指先で濡れた紙面をなぞる。白い欄が妙に多い、逃げ腰の文章だ。


「伝来経路が書かれてません。国宝展で来歴ぼかしは、まずあり得ないのに」


 亮が舌打ちする。


「じゃあ盗品ってこと? ガチでヤベーじゃん」


 恭介の脈も強まる。理屈が先に立った。展示は見せるために整えるもの。空白は、隠す意志だ。

 唐突に《潮断》の刀身が蒼白く輝く。


「わぁっ!」


 恭介の肩が跳ねた。光は単なる反射ではない。心音に合わせてどくどくと明滅していた。


「刀が先生と行きたがってるみたいです……」


 俊哉の呟きは、本気だった。恭介は恐る恐る《潮断》を鞘に収める。鞘走りの感触が、硬い。懐へ入れた瞬間、服越しに冷たさが染みた。


 構内はまだ不安定で、余震が断続的に続いた。天井から砂が落ち、遠い場所で崩れる音が絶えない。三人はすっかり疲れ果て、階段に腰を下ろした。恭介は鞄に入っていたカロリーメイトを分け合い、食す。乾いた粉が喉に絡む。飲み込むのに唾液が足りなかった。


 亮が、我慢できない顔で切り出す。


「……恭ちゃん、アレを使ってよ」

「アレって?」

「あー、何て呼べばいいの? ……いつも怪異をぶっ飛ばしてる、あの力」


 つまりは”彼”を解放しろと言っていた。恭介はわなわなと震える。俊哉が即座に割り込んだ。


「そ、そんな! ダメですよ! 先生がまた人を殺したらどうするんですか!?」

「そうだよ! 戦う私の身にもなってよ!」

「悪い、悪いって!」


 亮は両手を合わせた。彼の目は焦っている。地下の閉塞感が、軽い声から冗談を剥いだ。


「でもこの先、何があるかマジでわかんないぜ。警備の先輩が『東西線工事の時にヤバいモン埋めた』って噂してたんだよ」

「だから、私がなんとかしろと……?」

「……うん。ごめんだけど」


 恭介は返事の代わりに、鼻から息を抜いた。懐の《潮断》が、呼吸と共に冷たさを広げる。

 探索を再開した瞬間、俊哉の耳が何かを拾った。彼の首がすっと傾く。


「あっちから人の声がします! 逃げ遅れたのかも……!」

「助けよう!」


 俊哉と亮が駆け出す。恭介も追おうとして、亮に腕を押さえられた。


「恭ちゃんは異変を見つけて。オレらの代わりに!」


 胸の奥が、つきりと疼いた。託された重さが双肩に乗る。恭介は頷き、逆方向へ歩んだ。

 ひとり、駅のホームへ降りる。降下するごとに空気が冷え、外の気配が遠のく。崩れた線路の向こうから、大いなる呼び声が届いた。


『返せ』


 音と呼ぶには、あまりに厳めしい響き。進むごとに懐の《潮断》が光を増す。鼓動も釣られて高まった。足下が海面じみて揺らぎ、瞬きを打つ。恭介はひどく戸惑った。


 ――なぜだ。なぜ、こんなにも“理解”してしまうんだ。


 誰かの怒り。刀が盗品である確信。災いが日本全土へ波及する予感。知らないはずの事実が、脳内で既に整列していた。呼応が強まるたび、自分の輪郭が少しずつ薄れてゆく。爪を掌に食い込ませた痛みで、辛うじて思考を保った。


 ――でも、行かなければならない。


 亮と俊哉に託されたから。

 何より、自分自身が真実を知りたいから……。

 瓦礫を越え、ジャンクション最深部へ辿り着く。そこに、あり得ないものが露出していた。

 コンクリートの隙間から、水神の祠が覗いている。融解した炉心のごとく、あまりに生々しい。しめ縄は破れ、紙垂が濡れて貼り付き、金の水泡が脈打っていた。


 悲鳴を上げかけた。頭痛が鈍器のごとく走る。


 ――まずい! 手遅れ、だ……。


 祠から神力が膨張する。音が消え、圧が押し寄せた。光の泡が視界いっぱいに弾け、恭介の身体はそのまま飲み込まれた。

誤字報告などはお気軽にどうぞ。


感想・ブクマ励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ