第八話「告解標の聖堂」後編
ゆりが丘の地に粘り続けて日が暮れた。
祓い屋業務は夜が本番、と意気込み、恭介は式場を再訪する。電柱には見知った黒地のトタン看板。だが、文面が反転していた。
《お前は英雄》
《行く先は天国》
《おめでとう!》
《君は選ばれた》
背中に冷汗が滲む。賛美の言葉が道路いっぱいに貼られ、矢印は全て結婚式場を指していた。
……悪徳宗教の勧誘かよ!
頭皮がぴりりと張った。眼前を歩く、小学校高学年くらいの子供が門をくぐって消える。恭介は後を追い、聖堂へ乗り込んだ。
「来たねぇ! 祓い屋殿!」
無人のはずの空間に久世の高笑いが跳ねた。オルガンの厳かな音が背筋を硬直させる。
「久世! やはりお前の仕業だったか!」
「恐怖は人を従わせる。私は告解標の力を手に入れた。人間を選別し、理想郷を作り上げる力をッ!」
脳裏に地獄のビジョンがみたび浮かんだ。
「さっきの子供はどこだ!」
「知らぬ! 弱者の行方など!」
血液が沸騰する。数々の事件を解決してきたが、悪意をもって怪異を使う人間は初めてだった。
「私には君が必要なのだ。人も怪異も、等しくねじ伏せる君の力がッ!」
「黙れ!! あの子たちを返せ!」
叫んだ瞬間、背後の扉がひとりでに閉まった。空気が更に冷える。
「返してほしくば挑むがいい。我が“選別”の試練になッ!」
躊躇なく駆け出した。
聖堂内に壮麗なる旋律が満ち、勇気を不吉なまでに後押しする。
恭介はスタッフ扉をこじ開け、配電盤を探り当てた。音響系統を全て落とす。だが音は止まない。矢継ぎ早に床下から別の名曲が溢れ出る。賛美の音色は、耳を塞いでも響き続けた。
……あの子はどこだ!?
彼に幼き日の自分を重ねて身が詰まる。階段を登ると高い廊下。空中に聖歌隊の幻影が浮かび、称賛の歌声を降らせた。
《素晴らしい正義だ!》
《お前は正しい!》
《英雄を称えよ!》
床板が抜けた。欄干に爪を立て、靴紐を結んで命綱にする。力を振り絞るごとに合唱の音量が上昇した。何とか這い上がり、足元を確かめる。腕が笑い、腿が痙攣した。
敵なのに賛美の嵐。迷い続けていた自分にレールを敷かれている心地だ。心が揺らぎかける。それでもあの子――あの頃の自分は捨て置けない。
披露宴会場の一角で床タイルが浮き、空中に再配置された。美辞麗句が滲み、踏む順番を迫る。迷うほど賛美が濃くなり、喉の渇きが増した。今や式場全てが巨大な怪異の巣窟だった。試練の数々で判断が乱れてゆく。
……ダメだ! 先に久世本人を叩かねば!
沈む足場を見分け、落ちていた銀食器で危険箇所を先に処理する。最低限の体重移動だけで渡り切った。膝が擦れ、熱い痛みが走った。
前室は玻璃の壁。色ガラス内の聖人たちが一斉にこちらを向いた。“視線”は光線となり、床を焼く。
「目からビーム!? 嘘だろ!?」
最早体裁を投げ捨てた攻撃だ。恭介は消火器を噴かし、射線を濁らせた。うっかり粉を吸い込んで咳が止まらない。袖が焦げ、焦臭が鼻に刺さった。最後は扉へ肩をぶつけて強引に開けた。
息は切れ切れ。大聖堂型チャペル内、祭壇の上で式場の主が待ち構えていた。
「素晴らしい! やはり私の目は正しかったッ!」
ガラス状の結界の中から拍手を送る久世。踏破したはずの仕掛けが蘇り、悍ましい称賛が満ちた。こいつを討たねばあの子を、住民を救えない。だが勝てば試練を突破し、彼の思い通りになってしまう!
オルガンが讃美歌を奏で、聖歌隊も歓喜する。何人もの聖人が自分を見て笑顔を咲かせる。舌が乾いて唾が飲めない。
「さあ、来い! 共に理想の世を築きあげようではないかッ!!」
やめろ。こんなつもりじゃないのに。
魂が抜けかけた瞬間、別の声が喉を破った。
「黙れ」
祟り神の金光は全てを否定した。
“彼”は拳で結界を砕く。
「お前なんかに……恭介は渡さねぇ」
祭壇と共に背後のステンドグラスも粉砕された。極彩色の雨が喝采じみて降り注ぐ。
久世は歪んだ笑みのまま昏倒した。怪異を“使う者”と“征服する者”の差を、“彼”はただの一撃で証明した。
***
夜明け。
豪華絢爛なる式場は廃墟と化していた。
ガラスの破片が床一面に散り、踏むたびに乾いた音が返る。近隣住民の通報でサイレンが近づく。恭介のLINEを受け、綾子もタクシーで現場に駆け付けた。
「すみません。起きてから確認していただくつもりで送ったのに」
「いえいえ……一刻も早く、あなたの無事な姿を見たかったんです」
彼女の眼が細められる。恭介の拳は切り傷まみれだった。熱さも怒りも冷めやらない。久世を殴った感触が、いつまでも脈と同期していた。
赤色灯で崩れた回廊が明滅する。警察の捜索は迅速で、すぐさま地下への隠し扉を発見した。警官隊がこじ開けると、埃っぽい空気と共に行方不明の住民が次々と這い出た。先の子供も救助され、泣きながら恭介へ抱きついた。
現場検証の合間、警官は看板――《告解標》について淡々と語る。元凶は土地に染みついた宗教勧誘の怨念。数十年前、悪質な宗教団体が地域に根を張り、社会問題になりかけた。直接的な犯罪こそなかったが、周辺の児童に「地獄行き」の恐怖を植え付けたという。団体が退去した後も、看板だけは不定期に出現した――恭介は全てを自分事として受け止めた。
……それにしても、あんなに褒められたこと、なかったな。
雇用主の河本は勿論、綾子、亮ですら『英雄』とまでは言ってくれなかった。耳がむず痒い。怪奇なる甘い響きは、以降の説明を次々と追い出していった。
久世出夜はオーナー就任後の調査で異変を知った。だが解決はさせず、寧ろ選民思想の道具にしてしまった。
彼は利益のために国内外の宗教理論を漁っていた。ゆりが丘へ進出するや否や、霊能者を雇って現象を改変。昼は住民を恐怖で縛り、夜は称賛で釣る。そして地下へ誘導し、帰れぬよう幽閉した――
「いやはや、祓い屋殿の力を見誤っていました」
久世はボロボロの姿で手錠を掛けられ、連行されていく。怪異、人脈、土地、端正な容姿。全てを失っても、彼は尊大だった。
軽薄な笑みは唐突に綾子へ向く。
「結婚するならご用命を。我々はいつでもお待ちしておりますよ」
「生憎、式場はごまんとありますので!」
綾子はぷいと顔を背ける。
「……まあ、出所したらまたお会いしましょう」
拒絶されても久世の目は輝いていた。なぜこうまで自信を保てるのか、逆に興味が湧いてきた。遠く太平洋からの風が事件の空気を払ってゆく。
「挙式するならもっと静かな場所がいいです。ね、恭介さん?」
「えっ!? あ、そうですね!」
慌てて頷く。綾子の中では既に『結婚』という選択肢ができあがってるらしい。だが彼女とヴァージンロードを歩く光景は、やっぱり想像できなかった。諸々を誤魔化すべく脳味噌をフル回転させる。彼方の水平線を見て思いついたのは――
「そうだっ、お寿司でもいかがですか? ……解決祝いに、僕のおごりで」
海、西洋への対抗策、和風で連想した結果であった。流石に突飛すぎたか、と顔が赤くなる。
「……ふふ、似合ってますね。『僕』って」
綾子は微笑んだ。
ようやく息がほうっとほどけた。
看板は撤去、久世は逮捕。住民は全員救助された。またしても事件は完全解決。そう言い切りたいのに、拳に残る熱は深い。彼を倒した瞬間、世界が自分を肯定した感触が確かにあったのだ。
――私は、どこまで正しくいられるんだ?
問いは胸中で空回りする。
内なる神はとっくに黙している。
それでも戦わねば、人々を救えなかった。
感謝の声と、廃墟の冷えた空気を背負い、恭介たちはゆりが丘を後にした。
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