7.夫婦、料理をする
頑張って書いていきます。
よろしくお願いいたします!
夜明けが近づくにつれ、森の色がゆっくりと変わっていった。
黒く沈んでいた木々の輪郭が浮かび上がり、頭上を覆う葉の隙間から、青みを帯びた光が差し始める。紺色の夜空と明け方のオレンジ色がゆっくりと交じり合っていくこの時間が、真琴の好きな時間であった。
夜の間に途切れることのなかった虫の声もいつしか遠のき、代わりに枝から枝へわたる鳥の鳴き声が増えていた。
《安息の小屋》の開口部に腰を下ろしていた真琴が、森の奥から視線を戻した。夜明け前に千尋と見張りを交代してから、特に変わったことは起きていない。
昨日は灰牙狼と遭遇した。ここまで何事もなく過ごせていたからといって、この森が安全な訳ではないことを、二人は身をもって知ったばかりだ。
背後で小さく衣擦れの音がした。
「おはよ」
振り返ると、千尋が上体を起こしていた。
「おはよう。久しぶりに凄いよく寝た気がするよ……。何もなかった?」
「なかったよ!気持ちいい朝だよ~」
それを聞いて、千尋は小さく安堵の息を吐いた。
真琴は立ち上がって両腕を伸ばしかけ、途中でぴたりと止まる。眉を寄せたまま肩を回すと、今度は背中を反らせた。
「あいたたた……。疲労感はすごい楽になったけど、筋肉痛まではどうにもならなかったなぁ……」
「昨日は大活躍だったんだから、仕方ないよな」
石を投げ、走り、灰牙狼と戦った。若返った身体がいくら丈夫でも、慣れない動きをしたのだ。いくらバフ付きベッドでも完全に回復とまではいかなかったらしい。真琴は慎重に肩を回した。
「千尋は?大丈夫なの?」
「俺は意外と平気だな。だってほら、そんなに無茶してないし」
「え、何ずるいじゃない。もう~若さよ!頑張れぇ!自分」
「なんだよその言い方」
千尋が笑い、焚火のそばへ座る。今まで最小限の大きさになっていたが、火を大きくして今日の分の水を沸かす。
朝露を含んだ空気は冷たい。草の先には細やかな水滴が並び、枝葉の隙間から差し込んだ朝日を受けて光っている。確かに、今日もいい日になりそうだった、そんな5日目の朝だった。
最初に目を覚ました草地には何もなかった。今は小さくとも雨風をしのげる場所があり、火を囲める場所がある。集めた素材を置く場所も決まりつつあった。たった数日のことだが、同じ森の中とは思えないほど景色は変わっている。
「拠点っぽくなってきたね。家って感じ」
「まだ小屋だけどな」
二人で《安息の小屋》を振り返った。
「家だよ~立派な。異世界にきて5日で持ち家だよ」
「土地の権利関係、何も確認してないけどな」
「え~そこ気にするところ?境界石もないけど。まぁ、こんな森の真ん中まで『そこは俺の土地』って言いに来る人がいたら、その時は謝ろう」
「それで済めばいいけどな。訴えてやるって言われたり」
冗談なのか本気なのか、分からない顔で千尋は言った。
出来上がった水を飲み、顔を洗う。それだけのことにも、最初のころのような慌ただしさはなくなっていた。どこに何があるか、探してドタバタすることなく生活することが出来ているのはありがたい。小さな変化ではあるが、それは確かに生活のかたちであった。
「……おなかすいた」
水を作って、火が上がった焚火をつつきながら千尋が顔を上げた。
昨日は戦闘までこなして、いつも以上に身体を動かしたのだから当然だった。幸い食べ物がないわけではなかった。リンゴもどきのほかに、昨日仕留めた灰牙狼の肉は収納の中に残っている。
腐敗を気にせず、部屋のチェストに入れておけば保存できることは分かった。だが、それを人間が食べても問題がないかどうかは、まだ分からない。
「肉はあるんだよね。狼の」
「あるよ。安全かどうかは置いておいて」
真琴の視線が、何もない空間へ向く。ステーキ皿にじゅうじゅうと音を立てて美味しそうに盛られている美味しそうな肉を想像しているとしか思えない顔をしていた。
「調理場もないしね、今のところ」
食べられるか、食べられないか、そこが問題だった。
そもそも、地球とここと同じように生き物が食べているからと言って、自分たちもOKだという判断がつかないところがなんとも困った部分だった。
リンゴの件があるので、それほどこだわる必要はないのか?という流れになりかけているが、手放しで『ぜんぜんOK!!食べられるぜ!!』という気分には到底なれない。これはもう性格だ。仕方がない。
千尋は小屋の脇へ目を向けた。これまでに集めた木材や石、蔓が用途ごとにまとめてある。必要になりそうだと持ち帰ったものも少なくない。
次に必要なのは真琴も言っていたが、QOLの向上だろう。
「調理場所を作るか……」
真琴が直ぐに振り返り、ものすごい速さで隣にピタッとくっついた。
「お台所?おうちの中?いい考えじゃない!!」
「地球みたいなシステムキッチンは無理だよ?竈みたいな」
「おお竈~!いいじゃない!」
焚火でも肉は焼けるし、魚も焼ける。
だが、毎回地面に火を熾し、枝に刺したものを炙るだけでは、できることは限られる。安定して火を使える設備があれば、焼く以外の調理にも繋げられる。現在も焚火はあるが、火を維持するのは意外にも手がかかるものなのだ。また、外に火がそのまま置かれているので、風の影響も受けやすい。
二人は集めてある素材の前へ移動した。千尋が《双創》を意識する。
半透明の幽霊タブレットが現れ、真琴もそれを確認するように隣に並んだ。最初のころと比べると表示されるものは増えている。
ただし、何でも自由に作れるわけではない。材料が足りないものはグレーアウトしている。二人が構造を理解出来ていないものも同様だった。キセマホの内容とも少し違っていた。
その中に、家が完成したからか、新しい項目が増えていた。
《簡易炊事釜》
「あった!これじゃない?簡易版かぁ~。どんな感じなんだろうね」
「たぶんこれだろうな。まだ鉄がないから、鍋はないのかな」
《双創》で完成形を確認すると、名称から想像した釜そのものとは少し違っていた。石を組み、下部に火を入れる空間を設け、その熱を上部へ集める簡素な構造。
鍋や容器があれば、煮炊きにも使えそうだが、今のところは焼き物が中心になりそうだった。
「竈だね。釜ってよりは。竈って書いてくれればいいのに」
家の外壁に隣接して屋根を作成して、平らな石で床を整え、できるだけ平らに均した。そこに材料を移動させ、場所を確認したうえで改めて作成した。雨が降っても煮炊きができるようにだ。
開口部とは別に台所へ続く扉を作成する。同じ部屋にすると煙が回るので、壁のない開放的な台所になった。
「だんだん快適になるぞ♪うれしいな!簡易版でもキッチンができるのはうれしいね」
「よし、承認して作成っと」
二人の承認がそろう。積まれた石と木材の輪郭が淡い光の中で揺らいだ。素材が派手に飛び回るわけではないが、目の前に完成形を重ね合わせたような映像が浮かび、素材の姿が少しずつそこへ近づいていく。何度見ても奇妙な光景だった。
真琴は途中からしゃがみ込み、変化していく様子を覗き込んでいる。
やがて、光が消えた。地面には先程までなかった小さな炊事施設が出来上がっていた。石の上に掛かっているのは鉄製の棒であった。
鉄を作るには、石から鉄を取り出す溶鉱炉が必要だと思っていたので、意外だった。鉄鉱石も探さなくてはと思ってたのだが、大量でなければ、素材に石が入っていればまかなわれるらしい。
火を入れる前に構造を確認する。燃料を置く場所、空気の通り道。上部には食材や調理器具を置けるだけの空間がある。単純な作りだが、焚火よりは格段に扱いやすそうだった。
その時二人の前に新しい表示が浮かんだ。
《食膳確認》
しばらく、どちらも何も言わなかった。最初に表示へ顔を近づけたのは真琴だった。
「……食膳確認?何のことかな?」
「なんだろうね。何か確認できるんだろうね。俺たちの助けになればいいんだけどな」
千尋も表示を追う。詳しい説明は出ていない。ただ、食膳となっているので、《簡易炊事釜》を使用して調理を終えた、お膳に対して使える機能らしいことは分かる。念のため、チェストから灰牙狼の肉を取ってきて、釜の上に置いてみても表示に変化はなかった。
想定通り、生の食材そのものを調べる機能ではないようだ。
「ご飯作ったら分かるかな?」
「その可能性が一番高いな。何か作ってみよう。鍋があればいいんだけど……」
この簡易釜作ったから、作れるもの増えてないかな、ということで改めて確認する。
期待を込めて《双創》の一覧を確認してみたものの、残念ながら鍋らしいものは増えていなかった。
調理に関係する項目はいくつか追加されている。木皿や木匙といった簡単な食器類は作れそうだが、肝心の煮炊きに使えそうなものは、どれもグレーアウトしたままだ。
「やっぱり鉄かな。鉄鉱石。あわせて銅とかも鉱石があればいいんだけどな」
「だろうな。さすがに鍋一個分となると、石からどうにかしてくれる量じゃないらしい」
先ほど完成した簡易炊事釜には、食材や調理器具を載せるための鉄棒が使われている。
つまり、《双創》が石の中に含まれる鉄分を利用できないわけではない。ただ、それにも限度があるのだろう。少量の部品ならともかく、鍋一つを作れるほどの鉄を石から集めようとすれば、必要な量も加工の規模もまるで違ってくる。
一覧を眺めていた真琴は少し残念そうに肩を落とした。
「キッチンができたのに、お鍋がないとは……」
「絵に描いた餅だな。どうにもならん」
「惜しいわ~。実に悔しいね」
とはいえ、焼くだけなら今までより格段に楽になる。食材を置ける石板でも用意すれば肉や魚を直接火であぶる必要もない。
それでもせっかく《食膳確認》という新しい機能が現れたのだ。出来れば焼いただけではなく、いくつかの食材を使った料理でも試してみたい。千尋は表示を閉じ、外の森へ目を向けた。
「水を汲みに行くついでに、少し川沿いを見てみるか……」
「お鍋探し?それとも鉄鉱石?」
「森に鍋が生えてるとは思えないけどね……鉄鉱石を手に入れれば溶鉱炉が解放されるかな?鉱石であればなんでもいいから、一つ手に入れたいね」
「異世界だから生えてるかもね~。なんせ、異世界だし」
「異世界に全力で頼りすぎだよ。なんだと思ってるんだ」
真琴は笑いながら立ち上がった。鍋が見つからなくても、水辺には魚がいる。今までも水を汲むたびに魚影は見えていた。食べられるかどうかわからず手を出してこなかったが、《食膳確認》が使えるなら話は変わる。どんな確認が行えるのかはっきりは分からないが、確認しない手はない。
必要な道具を揃え、二人は拠点を出た。
朝の冷たさはすでに薄れ始めていた。木々の隙間から差し込む光が少しずつ強くなる。足元の土を踏むたび、夜露が落ちた湿った土と青臭い植物の匂いが立ち上った。
昨日の灰牙狼との遭遇があったせいか、二人とも以前より周囲を見る回数が増えている。真琴が少し前を歩き、千尋は木々の間や足元に目を配りながら続く。
森そのものは何も変わっていない。
だが、茂みの向こうに何がいるか分からないと知ったことで、枝の折れる音や葉の揺れ方まで、昨日と違って見えた。
しばらくすると、聞き慣れてきた水音が木々の向こうから届いてきた。
水辺へ出る。朝日に反射した水面が細かく揺れ、その下をいくつもの黒い影が走っている。
「今日もいるね!」と勢いよく真琴が水辺へ寄ると、魚影が一斉に散った。
水を汲むだけなら、いつもと同じ場所で済む。今日はそこから少し先まで調べてみることにした。
川に沿って進むと、地面の様子が変わっていった。川沿いの湿った土にはいくつもの生き物の足跡が残っている。みな、命の水を飲みに来ているのだろう。中には見覚えのある足跡もある。角ウサギと昨日の灰牙狼のものだった。
二人の歩みが自然と慎重になる。真琴が周囲を警戒し、千尋は地面に残された情報を確認して整理していく。
古いものなのか、新しいものなのかまでは、まだ二人にははっきりと判断できない。それでもここが自分たちだけの水場ではないことだけは確かだった。
さらに進んだところで、千尋が足を止めた。
「真琴、ちょっと待って」
呼び止められた真琴が戻ってくる。千尋が見ていたのは、地面に転がる石だった。いや、石そのものではない。その並びだった。
同じような大きさの石が、半円を描くように残っている。中央だけ草が薄く、土の色も周囲とは違っていた。千尋はしゃがみ、表面の土を指先で退ける。黒いかけらが出てきた。
「これは……炭?」
「たぶんな……異世界で初めての……人の形跡だ」
「焚火の後よね。この形」
二人は同時に周囲を見回した。先程まで森の中の少し開けた場所だけだったところに、別のものが見え始める。
倒れている木の一本は、不自然な位置で断面が揃っていた。土に半分埋まった細い木材もある。どれも古い。苔に覆われ、腐食し、森に吞み込まれかけている。
「ここに誰かいたんだね」
「ああ。ただ、最近じゃないと思う。相当古い感じがする」
焚火跡にも植物が入り込んでいる。昨日今日使われた場所ではないことくらい、二人にも分かった。
ただ、人がいた。その事実だけでも十分すぎるほどだった。
これまで人間の姿は一度も見ていない。けれど、少なくとも過去には、この森のここまで人が入ってきたことになる。
二人はお互いに離れすぎないように注意しながら、周囲を調べ始めた。何か手掛かりになるものは残っていないか、道具があれば最高だ。人里へ向かった方向が分かるものなら、なおいい。
だが、森に放置された時間は想像以上に長かったらしい。布のようなものはもう残っておらず、木製品らしきものはほとんどが朽ちている。
その中で、真琴が苔に覆われた塊の前で立ち止まった。
「千尋、これなんだろ」
足元に、妙に丸みを帯びたものが埋まっている。真琴が苔を少しはがした。下からは赤茶色の表面が現れた。
「石ではなさそうだな。ん?この色は……」
千尋もしゃがみ込み、周囲の土を退けていく。丸い縁が現れた。さらに掘り進めると、やがて取っ手のようなものが見えてきた。
「……なべ?」
「いや、釜っぽい……ほら、あの有名なRPGのいわゆる錬金釜みたいな。蓋はないけどね」
二人は顔を見合わせた。数秒の沈黙のあと、真琴の顔がみるみる明るくなった。
「生えてた!!やっぱり異世界だわ~」
「いやいや、生えてないよ。埋まってた」
現実的に処理しようとしているが、千尋の顔にも笑顔がこぼれている。
二人で慎重に掘り出す。顔を出したのは、小ぶりな鉄製の釜だった。表面はかなり錆びている。土に接していた部分の傷みは特に激しく、縁も欠けていた。そのまま火にかける気にはなれない状態だ。
それでも紛れもなく鉄だった。
千尋は裏返し、底を確認した。幸い、大きな穴は開いていない。
「修復できるかな?それともそのまま使える?」
「《双創》で修復できればいいんだけどね。家帰ったら確認しよう?」
「よし、持って帰ろう」
今日一番迷いのない決定だった。釜を収納し、さらに野営跡を調べる。他に使えそうなものは見つからなかった。だが、釜以上に重要な物をこの場所は残していた。
人の痕跡。
ここから想像するに、森の外に人の暮らす場所があるという期待は、昨日までより少しだけ現実味を帯びた。野営跡を離れようとしたところで、真琴が足を止めた。
「ねぇ、こっちにも足跡があるよ」
湿った土に残った獣の足跡だった。先程の水辺で見たものと似ている。ただし、その向きが違う。川ではなく、木々の向こうに見える低い岩壁へ続いていた。
一頭だけではない。何度も行き来しているらしく、同じ辺りの地面が踏み固められている。二人は少し距離を取りながら、その後を追った。
岩壁に近づくにつれ、足跡の数が増えていく。そして行き着いた先で、真琴が首を傾げた。
「ここで何してるんだろうね?」
岩肌の一部だけが、自然に滑らかになっていた。周囲には白っぽい筋が走っている。千尋が近づき、表面を確かめる。岩から結晶のようなものが浮き出ていた。
「舐めてる……のかな?」
「動物たちが?」
真琴も隣からのぞき込む。白から灰色をした結晶だった。少し離れた場所にも同じものが見える。
「これさ……塩かな?」
「俺もそれ今考えてた。だからこそ、塩もあり、水もあるから動物も集まり……」
「キャンプがあったんだ!!」
「そういうことだと思う」
岩塩。真琴の指が岩へ伸びた。
「舐めるなよ」
「あら、そんなセリフ任侠映画とか以外で初めて聞いたわ」
「そういう意味じゃない」
「分かってるわよ~。ちょっと味見してみようかなって」
「それを舐めるっていうんだよ」
正体の分からない結晶を、確かめるためだけに口へ入れる必要はない。まして今は《食膳確認》という試せそうな方法がある。
二人は表面に出ている結晶を少しだけ削り取った。白い欠片がいくつか手のひらへ落ちる。見れば見るほど塩だ。だからこそ、見た目だけで決めつけるのはダメだ。
「これも持って帰ろう」
「塩だったらうれしいね。料理が引き締まる」
「保存にも使える。確か、簡易干し台があった気がするね」
「長期保存ができるなら、人のいる場所への探索の時に持っていけるしな」
真琴は笑いながら、採取した結晶を丁寧にしまった。鍋を探しに来たわけでも、塩を探しに来たわけでもないのに、食生活を大きく変えるかもしれないものが、立て続けに二つ見つかった。あとは食材だった。
水辺へ戻ると、魚影は相変わらず見えている。釣り竿を作ること自体は難しくない。問題は針と糸だった。
手元にある蔓を細く裂き、何本かを撚り合わせる。強度を確かめながら長さを調節し、竿にはしなりのある細い枝を選んだ。針には、硬い素材を細く削って代用する。
見た目は、ずいぶん頼りない釣り竿だった。
「これで釣れるかしら……」
「やってみないと分からないけど、釣り竿でつられる経験はないだろうから、もしかしたら入れ食いかもよ」
「え~ほんと?私がやるやる!」
真琴が釣り竿を受け取った。嬉しそうに水面へ糸を垂らす。最初のうちは何も起こらなかった。水の流れる音と、頭上からは鳥の鳴き声。時折、魚影が近づいては離れていく。真琴も次第に口数が減り、竿先を見つめるようになった。やがて、糸が小さく震えた。
真琴の姿勢が変わる。もう一度。今度ははっきりと竿先が引かれた。
「来た!!!」
水面が弾けた。銀色の魚体が朝日に光る。真琴が反射的に凄い速さで竿を引き上げた。細い枝がギリギリのしなりを見せて、魚を引き上げた。
どちらかというと、力技で瞬間的に針を口に引っ掛けたような形だったように見える。
勢いよく引き上げられた魚が、草の上へ転がる。結構大きい。地球の魚でいったら『いなだ』くらいの大きさだろうか。四十センチほどはあるだろうか。
「釣れた!!!釣れたよ!」
「凄いな……ものすごい力技を見た気がするけど……」
「釣り楽し~~!」
「それは何より。それじゃ、何匹か確保したいね。塩で干せるし」
その後、場所を少しずつ変えながら何匹か確保した。必要以上には獲らない。今日食べる分と保存を試す分。それだけあれば十分だった。
拠点へ戻ったころには、朝日はすっかり高くなっていた。真っ先に取り出したのは、古い鉄釜だった。
水辺で泥を落とすと、傷み具合がよりはっきりした。赤さびが表面を覆い、縁の一部が欠けているのがはっきり分かった。
「これが使えるようになったら、今日は煮込み?スープ?」
「まず先に修復だね。それができたら、帰り道で取ってきたキノコとか食べられそうな草とか入れて作ってみよう」
千尋が《双創》を開く。鉄釜を意識すると、先程までなかった項目が表示された。
《鉄釜》
《鉄釜/補修済》
必要素材も表示されている。
拾った鉄釜そのものに加え、表面を研磨するための砂や石。欠けた部分を補うための素材も必要らしいが、それは石に含まれている量でまかなえるらしい。一緒に解放された新しい鉄釜を一から作るより遥かに素材の量は少ない。
「いけるね!よかった~」
「よし、さっそく作ってみよう」
必要な材料をそろえる。何を直そうとしているのかも、二人には理解できる。確認を終え、承認する。
淡い光が鉄釜を包んだ。
赤茶けた表面が少しずつ削れ、荒れていた縁が整っていく。拾った時の古びた姿が、完成形へ向かってゆっくり変化していった。全ての傷が消えたわけではない。長く使われてきたらしい跡は、ところどころに残っている。
それでも光が消えた時、鉄釜はもう拾った時の錆びた塊ではなかった。
千尋が水を入れる。しばらく待って様子を見る。底から漏れてくる様子はない。
「よし、復活だな。漏れていないみたいだ」
簡易炊事釜の上へ載せると、大きさも問題なかった。大きな期待を胸に火を熾す。鉄釜に水を張り、まずは今日釣った魚を処理した。内臓を取り除き、きれいな水で洗う。そこへこれまで採取したものの中から、料理に使えそうな野草を少しだけ加えた。
最後に取り出したのは、岩壁から取ってきた白い結晶だった。真琴が指先程の欠片を持ち上げる。
「これ、本当に塩だったらいいなぁ」
「塩じゃない可能性もあるからな。少しだけにしておこう」
「了解」
細かく砕いた結晶を、ごく少量だけ釜に入れる。火にかけ、しばらくすると水面に小さな泡が浮かび始めた。
鉄釜から湯気が立ち上がる。魚の身が白く変わり、野草の香りと一緒に温かな香りが広がっていった。焚火で焼いた時とは違う。
釜の中で食材が煮え、湯気が上がっている。それだけの光景が、ひどく懐かしいものに見えた。
二人は時折中を確認しながら、十分に火が通るまで待った。その間に干物にする分の魚をさばくことも進めた。あとで簡易干し台を作成して、干物にするのだ。
やがて、火の通りを確認した千尋が鍋を下ろした、その瞬間だった。二人の前に、朝見たものと同じ表示が浮かんだ。
《食膳確認》
続いて表示された。
《魚と香草の塩煮込み》
《安全》
真琴が目を丸くした。
「出た!安全だって!食べられるって!」
「ああ、思ったとおりの表示だったね」
視線が釜へ戻る。だが、魚が安全なのか、野草が安全なのか。それぞれの正体まで表示されたわけではなかった。分かったのは結晶が塩で、完成した料理が《安全》と判定されたことだけだった。
「じゃあ、これ食べても大丈夫ってことだよね」
「少なくとも、この表示を信用するならな」
「そこは信用しようよ~。せっかく出てきたんだし」
木で作られた器に、汁と魚を少量ずつ取り分ける。湯気が顔に触れた。真琴が息を吹きかけ、まず汁を一口飲んだ。千尋も続く。
どちらもすぐには何も言わなかった。魚から出た淡い旨味。野草の香り。そしてその奥にはっきりと感じる塩気。真琴がもう一口飲んだ。
「……塩だね」
「塩だな……」
魚の身も一緒に口へ運ぶ。豪華な料理ではない。味付けだって、塩だけだ。それでも温かな汁が喉を通って、腹へ落ちていく感覚は、これまで食べてきたものとはまるで違った。
「温かくて、しょっぱいって最高だね」
「塩の偉大さ……だな」
二人の間から、しばらく会話が消えた。ただ湯気の上がる器を手に、ゆっくりと食べる。森へきて五日目。初めて食べた温かい料理らしい料理だった。
「なんかさ、生活っぽくなってきたね。人間らしくなって、ちょっと感動しちゃった」
うるんだ瞳で、二人で作った小さな小屋を見つめている。
千尋も《安息の小屋》へ目を向ける。小さな小屋。その脇に増設された、屋根付きの炊事場。細い煙が森の木々の間へ溶けていく。
現代の暮らしと比べれば、不便なことばかりだ。夜になれば、今日も交代で見張らなければならない。森の外へ出る方法も、まだ分からない。
それでも今日を生き延びることだけを考えていた、数日前とは違う。
明日の食事を考えられる。
何を作れば暮らしやすくなるかを考えられる。
そして今日、この森に自分たち以外の人間がいた痕跡も見つけた。
二人きりだと思っていた森に、人の残したものがあった。
五日目。
二人の生活がようやく形を持ち始めたその日、森の向こうへ続く最初の手がかりも、静かに姿を現し始めていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
楽しんでいただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。




