3.夫婦、異世界で初めての共同作業
がんばります!
応援のほど、よろしくお願いします!
真琴は足元を見回すと、まず乾いた枝を一本拾った。千尋も少し離れた場所で手ごろな意思を選んでいく。さっきまで《自己照覧》を眺めていた時と違い、これが生きるために必要な材料となるならば、見え方も変わってくるというものだ。
「これくらいの太さでいいのかな?」
「斧や鶴嘴の柄にするなら、そのくらいだろうな。自分が持つならって考えて、あまり曲がりがないほうがいいと思うよ」
真琴は枝を目の高さまで上げ、その先に斧が付いているかのように持ち、くるりと回してから千尋のそばへ置いた。次に見つけたのは、地面に落ちて乾ききった蔓だった。細い枝をお箸のようにして持ち上げて様子を見る。
「これはいろいろと使えそうじゃない? ロープでもいいし、繊維にもなりそうよ」
「乾いてるし、見たところ棘も樹液もないようだね」
千尋が端をつまんで軽く引くと、蔓は細く裂けた。さらに撚れば、簡単な紐になりそうだ。二人は同じようなものをいくつか集め、石や枝をひとまとめにして横へ置いた。
「なかなか優秀な素材係でしょ」
「まだ五分くらいしか働いてないけど……」
「うるさいやい」
真琴はごまかすように口を尖らせたが、すぐに次の石へ目を移した。平たいもの、角のあるもの、丸いもの。千尋が選別をしていると、真琴が手のひらサイズで片側が鋭く削れているものを差し出す。
「これなんかどうかな?本当は黒曜石みたいなものが欲しいんだけどな……」
「いいな。まぁ黒曜石はなかなかないだろうけど、これだって十分石の斧にはなりそうだよ」
真琴は満足そうにその石を、資材置き場になっている場所へ置いた。その瞬間だった。
【条件を確認しました】
【共同製作可能】
《簡易石斧》
二人の動きが止まった。目の前に半透明のタブレットが現れ、画面の真ん中に表示が現れている。
「……真琴、見えてるか?」
「うん、見えてる。共同制作って」
表示の続きへ意識を向けると、簡易石斧に必要な素材と、その下には二人の名前があり、そしてYESとNO が並んだ。どこかで見たことがあるという程度のものではない。二人にとってあまりにも馴染みのある表示だった。
「キセマホじゃん……」
「似てるだけ……とはさすがに言えないくらい、そっくりだ」
キセマホ、と真琴が言っているのは現代の地球で二人が長く遊んでいた、協力型のサバイバルクラフトゲームだった。
素材を拾い、手持ちの材料から作れる道具を確認し、必要な物を選んで製作する。目の前に現れた《双創》の表示は、そのクラフト画面によく似ていた。真琴は興奮したように言った。
「ほら、これ。材料が表示されて、クラフトする感じとかも似てる……。素材も同じよ」
千尋は珍しく否定しなかった。実際、石、枝、植物繊維という素材から《簡易石斧》が候補に挙がっていることも、ゲームの序盤そのものだった。
だが、そうだと言い切るには情報が足らな過ぎた。なぜ地球にあったゲームがこの世界にあるのか。地球と同じものがあるわけがないとどこかで思ってはいるが、それでもゲームのクラフト画面を連想するなという方が無理だった。
「どうする?」
「うん、試してみよう。どっちにしろ斧が出来上がるだけだもんね。真琴、YESにしてみて」
言われた真琴はすぐに頷き、YESへ意識を向けてみた。素材はそのまま変化はない。その代わりに、幽霊タブレットの画面に新しい一文が表示された。
【共同制作者の承認を待っています】
「待たれとるようで」
「二人で創り出すって事なんだな。」
千尋もYESへ意識を向けた。次の瞬間、並べていた石と枝と繊維が淡い光に包まれる。輪郭がぼやけ、重なり、ほんの数秒で光が消えた。地面に残っていたのは、一本の石斧だった。
「できた……!」
「やったな!拾ってきた石で作った斧ってどうなるんだよって思ったけど」
真琴が手を伸ばしかけ、途中で止める。千尋が頷くと、二人で今出来上がったばかりの石斧を確かめた。石は刃になる部分が整えられ、柄も石のかたちに合わせて削られている。植物繊維は何重にも巻かれ、今の真琴が振るっても、簡単には緩みそうにない。
「共同作業ですね……ふふ」
「結婚十七年目にして初めての石斧ですな」
「異世界で初めての石斧作成~!」
「すごいな、切削も結束もきれいに終わってる。いったいどういう仕組みなんだ……」
千尋の視線は石斧へ戻った。やったぁと笑って済ませたい気持ちと、どういう仕組みで出来上がったのか、仕組みをなにが何でも確かめたい気持ちがせめぎあっている。
「便利じゃない。これぞ魔法!てかこれ魔法なのかな?」
「どうなんだろうな。便利だけど、俺たちは何も加工してない」
石を割る音も、枝を削ったり、繊維を締め上げる作業もなかった。材料が光に包まれた後、必要な工程がすべて抜け落ちたように完成品だけが残った。
石斧を眺めている千尋の顔は、どうにかしてその謎を解き明かしたそうな顔をしていた。真琴はそんな千尋の様子を見て、ふふっと笑った。
「どうする?調べる?」
「……いや、今じゃない。今は先にやらなきゃいけないことがある」
真琴は「えらい!」と満足そうに頷いた。
千尋は石斧を持ち上げ、近くの枝へ刃を当てる。そう力を入れることもなく、すっと枝は素直に切れた。
「私もやりたい!」
「結構切れるから、加減してな。素材はあるからもう一本、真琴の分作るよ」
受け取った真琴は、小さく構えて一度だけ振った。乾いた音と同時に枝が一撃で切断された。本人が一番驚いた顔をしていた。真琴は石斧とすっぱりと切断された枝を見比べ、それからそっと両手で持ち直した。
「……今、相当軽くやったのはお分かりで……?」
「うん、そのようだね……。道具を壊さない練習もしておいてね」
真琴ははっと、その練習もしなきゃいけないの?という顔をして、手を眺めた。
千尋が《双創》を意識すると、幽霊タブには新しくいくつかの製作候補が現れる。
《簡易ナイフ》
《木製容器》
《簡易火起こし器》
今選択できるものは三つだけで、その下にいくつか名前が表示されてはいるが、文字が薄い灰色になっていて、選ぼうとしても反応しなかった。見慣れたクラフト画面なので、二人にはよくわかっていた。
「これはやっぱり材料が足らないやつかな」
「そうだろうな。今のところ、知ってる構造でも素材がなければ選べないみたいだな」
逆に、二人が構造を知らないものまで都合よく並んでいる様子はない。まだ断定はできないが、何でも作れる便利な魔法ではなさそうだった。
「素材を集めてきて、そこに必要な物があったら作れる感じなのかな?」
「そうだろうね。だから切らさないようにしたいな」
真琴は「出た、在庫管理の鬼」と笑った。千尋は聞き流しながら、まず真琴用に石斧をもう一本作り、続けて《簡易ナイフ》を選択した。二人で承認すると素材が減り、石刃を短い柄へ固定した簡素なナイフが残った。続けて《木製容器》も作成した。
「本当にキセマホっぽいな」
「ほんとだよね。大体必要な素材は分かるから、手あたり次第でなくて助かるね」
出来上がった木製容器を手にした千尋は、近くにある小川の方へ目を向けた。
二人は草地の端を抜け、さっき確認した小川へ戻った。透明な水が石の間を流れ、こもれびを細かく反射している。きれいに澄んだその水は、元の世界でならそのまま口にしてしまうだろうほどに、美しかった。
「やっぱり美味しそう……」
「もうちょっと待ってね」
真琴は分かってるという目で微笑んだ。そして、今作ってきた木製容器へ水を汲んだ。千尋は真琴が取り出してくれたハンカチで、彼は細かな泥を取り除く。これで安全になったわけではない。ただ、今できる処理を一つずつ重ねるしかなかった。
「次は火を熾すんだね」
「うん、石を焼いてその容器に入れる」
千尋は河原の濡れた石ではなく、少し離れた乾いた場所を探した。表面に大きな亀裂がなく、濡れていない石をいくつか選ぶ。
「川の石じゃダメなの?」
「中に水分が残ってる石を急に熱すると、割れちゃうことがあるんだよ」
「すごい、よく知ってるね」
「知ってても、実際にやるのは初めてだけどね」
初心者しかいないからなかなか進まないね、と真琴は笑いながら言う。そりゃ間違いないと二人で笑いながら頷きあった。
草地へ戻るころには、木々の間から指す光が少し傾いていた。周りには二人で両手を広げても届かないような大木がぐるっと回りを囲んでいるような、広い森の中にぽかっと開いた不思議な草地で、この草地に戻ってくるとホっとするような不思議な場所だった。
しかし、どんな安心できる場所でも、暗くなってから寝床を作るのは避けたい。二人は火の準備をいったん脇へ置き、倒木のそばへ枝を集め始めた。
太い倒木を背にして、眺めの枝を斜めに立てかける。細い枝を横へ渡し、乾いた蔓で固定する。その上から葉のついた枝を重ねれば、少なくとも頭上からの露くらいは避けられそうだった。
二人で指示を出し合いながら、少しづつ作業を進める。「そこ、押さえてて」「はいよ」なんて言いながら共同作業を続けた。
次にどちらへ動くのか、言葉がなくてもなんとなく分かるもので、家でもゲームでも、二人で何かを組み立てるときは、こんな調子だった。
「よし!固定できた。これで夜は過ごせるかしら」
「じゃあ、上にもうちょっと葉っぱを載せたら完成だ」
「OK!取ってくる!」
真琴は葉のついた枝を取りに行き、戻ってくるたびに抱えている量が増えていった。最後には千尋なら両腕で持つような量を平然と抱えている。
「すごい量だな。大丈夫?重くない?」
「全然!なんせ規格外なもんで」
得意げに笑う真琴へ、あそこにおいてと置き場所を教えた。力があるのなら使えるところで使えばいい。思い切り活躍できることに、真琴は嬉しそうでもあった。
しばらくして二人が並んで横になれる程度の簡素なシェルターができた。真琴は数歩下がり腰へ手を当てて眺める。
「家!」
「家?こういうのってなんていうの?テント?」
真琴はすぐに「家でいいじゃん」と返した。千尋は横から吹き込む風が素通りする様子を見て、首をかしげる。
「えっと壁ないけど……」
「初日なんだからさ、上出来だよ」
真琴が笑いながら中を覗き込む。千尋も否定はしなかった。地面へ直接寝るよりはずっといい。
「余裕があったら直そう。拠点は少しづつ整えていくもんだ」
「増築~!増築~!」
真琴の中では、このテントに毛が生えたものが家になったらしい。何もなかった草地に、二人が作った場所が一つ増えた。その事実だけで、ほんの少し気持ちが落ち着く。
残しておいた枝と繊維を並べ、《簡易火起こし器》を選ぶ。二人で承認すると、弓錐式の火起こし器が完成した。
「使い方わかる?火種になるものがいるんだっけ」
「構造は分かるけど、これも実際に使ったことはないからな」
二人で本当にできるのかと、笑ってしまったが、やってみなければわからないと、ついに手を伸ばした。
削った木屑をまとめ、さらに乾いた繊維と枯れ草を重ねる。着火した小さな火を育てるなら、最初から太い枝へ移すわけにはいかない。少し太い枝を簡易ナイフで削って逆立たせる。その削られた部分に火種を移すのを、こちらに来る前は、よくショート動画などで見たものだ。
真琴はその横へ座り、千尋の手元をしばらく眺めていたが、ふと思いついたように首をかしげた。
「ねぇ千尋……魔法で火はつけられないの?」
「何?」
真琴の視線が、用意した火口と千尋の手を往復した。
「ま、ほ、う。魔法で火、出ないの?」
石斧を持った手が止まる。千尋は数秒黙って自分の手を見た。確かに、この世界には魔法というものがあったんだ。
真琴はニコッと笑って「忘れてたでしょ」といった。千尋は言い返そうとしてやめた。火を熾すなら知っている手段を使う。それが当たり前すぎて、魔法のことをすっかり忘れていた。選択肢にすら入っていなかったのが本当のところだった。
「魔力あるんだから、試しにやってみたらいいんじゃない?」
「あるらしいけどさ……さっきのステータス覚えてる?」
「規格外?じゃあ、私からやってみてもいい?」
「おお、いいよ。じゃあ、火が飛ばないように周りをもうちょっと安全にしよう」
多少大きな火が出ても安全なように、先程より広く周りの枯れ草を除け、土が見える範囲を広げる。火口は中央に少量だけ置いた。
準備を終えると、真琴は火口へと手を向けた。
魔法がどういう感覚なのか、二人はまだ知らない。とりあえず火が燃えるところを思い浮かべてみるね、と真琴は言った。
「……火」
何も起きない。先程から気持ちよく吹いている風が、枯れ草の先をわずかに揺らしただけだった。
「もう一回やってみる」
今度は声に出さず集中した。数秒待っても火口は乾いたままだ。真琴は眉を寄せて、残念そうに手を下ろした。
「ダメっぽい。体の中の魔力とか意識してみたけど、いまいち掴みきれなかった……」
「おれもやってみたい。詠唱しないとダメとかあるかもな」
場所を替わると、真琴はスススススッスっと後ろへ相当下がる。
「遠くない?」
「規格外の怖さは私が一番よく知ってるからね」
ふふっと笑って言った。魔力容量は規格外、制御は低位。そのステータスを見ていたら警戒するのは仕方がない。ましてや自分の規格外の力を素材回収時にいやというほど確認したのだから。
千尋は火口へ手を向けた。真琴が言っていたように、まず魔力があるということで、その点を意識してみた。どこにあるのか、どう動かすのか、どうすれば熱へ変わるのか、その入り口すら見当がつかなかった。
手のひらに小さな火の弾ができるところを想像してみる。
……何も起こらない。体の内側にも、何かが動いたというような感覚もなかった。
「どう?火の玉出てきそう?」
「わかんないなぁ……」
真琴が、その言葉をきっかけに近づいてきた。そして千尋の手元を覗き込む。
「魔力、というものがどういうもので、どう動くかが想像できない。『動く感じ』ってのがさっぱりだな」
『魔力』というものはゲームの世界では聞きなれ、使い慣れていたものだが、実際にあるといわれても、あると表示されただけで使い方まで理解したわけではない。何かきっかけがあればそれも理解できるのだろうけど、今のところはどうしようもない気がする。
千尋が火口から手を下ろした。方法もわからないまま、規格外と表示された力を無理に引き出す気にはなれない。
「魔法に関しては今日はここまでだな」
「うん、変に頑張って燃えすぎても困るしね」
まだまだこれから先は長い。明日以降まず魔力そのものを感じられるか少しづつ試していけばいい。今日のところは人力で頑張ろう。
「ここまでの人類の英知を使わせていただこう」
「おっと、壮大ですな。弓錐式は持久力を問われるから、私は火を熾せるか自信ないなぁ……」
真琴の言葉を聞くか聞かずのうちに、千尋は板のくぼみに棒を立て、弦を巻きつけた。
実際にやると、知識で知っているほど簡単ではない。角度がずれれば棒が外れ、力を入れすぎれば動きが重くなる。何度かやり直していると、真琴が替わろうか?と聞いてきた。
「もうちょい頑張ってみたい」
やがて木屑の色が濃くなり、細い煙が上がり始めた。真琴がはしゃいで喜んでいる。
「煙が出たよ!もうちょっとだね!すごい、ライターだと一瞬なのに、火を熾すって大変なんだね!」
黒くなった火種を乾いた繊維で包む。千尋が息を吹き込むたびに、中心の赤い点が少しずつ明るくなった。ゆっくりと息を送った次の瞬間、乾いた繊維の端に細い炎が立つ。
「枝を重ねて置くんだよ」
千尋が地面に火種を置くと、真琴が細い枝を火種をつぶさないように置いていった。少しづつ太い枝へ燃え移らせていき、安定して燃えるようになった。ぱちりと薪が爆ぜる。
二人は顔を見合わせた後、同時に笑った。
魔法ではない、派手さもない。それでも自分たちの手で得た最初の火だった。赤い炎が揺れるたびに、日が傾いて少し冷え始めた空気まで少し柔らかくなる。
「いやぁ、すごい達成感ある……」
「次から魔法で一発なら、その方が楽だけどな」
見守っていただけの真琴が達成感を感じていた一方で、魔法が使えたらいいのにと千尋は考えていた。真琴は「切り替え早っ」と笑いながら、火のそばへ手をかざした。千尋も同じように指先を温める。
「まぁ、安全に使えるなら便利な方を使おう」
「そうだよねぇ。確かに」
昼間から張りつめていた身体が、ほんの少し緩んだ。
次は水だった。千尋は小川から離れた乾いた場所で拾った石を火のそばへ置き、時間をかけて熱していく。木製容器を直接火にかけるわけにはいかない。熱した石を水へ入れ、温度を上げるつもりだった。
千尋が枝を使って熱した石を水へ入れると、じゅっと音がして白い湯気が立つ。石を入れ替えながら何度か繰り返すと、容器の中身に細かな泡が増えていった。
「沸いてきたね……もう少し入れる?」
「ああ、もう少し入れよう。」
十分に加熱してから、飲める温度まで冷ます。その間に真琴は小型バッグを開け、残っていたお菓子を取り出した。
「今日の夕飯ね。半分こしよ」
「そうだね、なるべく残して明日の朝の分で取っておこう。食べられるものが見つかる保証がないからね」
真琴もわかっているようで、分けたお菓子をまた半分にしてバッグにしまった。おなかを満たすには到底足りない。それでもありがたい食料だった。
ようやく口に含んだ水は、ただの水とは思えないほどありがたく、そしておいしかった。
「美味しい……」
「今のところ変な味はしないね。これで少し様子を見よう」
真琴はもう一口飲み、ほっと息を吐いた。千尋も続けて口をつける。完全に安全だとわかったわけではない。けれど、何もしないよりはずっといい。
太陽が見えない森でも夜が近いことははっきりわかった。木々の隙間から落ちる光が急速に弱まり、焚火の明るさが目立ち始める。
千尋はシェルターの結び目をもう一度確認し、緩んでる部分を締めなおした。真琴は集めた薪を手の届く位置へまとめ、石斧と簡易ナイフを二人の間に置く。
「これでようやく夜を越す準備は完了かな?」
「最低限ね。でも安全とは言えないな」
真琴は焚火の向こう、暗くなり始めた森へ視線を向けた。昼間とは違い、木々の間が黒く潰れて奥行きが分からなくなっている。
「絶対なんかいるよね……」
「いるね。まぁ、いる前提で寝るからね」
低い鳴き声が遠くから響き、二人ともそちらへ顔を向けた。姿は見えない。少し間をおいて今度は別の方向から甲高い声が返ってくる。
見に行きたそうな真琴がこちらを見ているが「行かないよ」と笑いながら止める。明るくなってからならまだしも、暗いうちに動くのはまずい。
火へ細い枝を一本足すと、炎が一瞬だけ高くなり、すぐ元の大きさへ戻る。
昼からずっと次にやることがあった。素材を拾い、運び、作る。火を熾す。水を沸かす。手を動かしている間は目の前のことだけを考えていればよかった。
今は落ち着いてすることがない。
「ねぇ、千尋」
「ん?」
真琴は膝を抱え、炎を見たまましばらく黙っていた。
「あの飛行機事故で、私たち死んだのかな」
千尋も火を見る。燃えた薪が崩れ、赤い火の粉が小さく舞った。
「可能性は高いと思う」
「やっぱりそうだよね……」
焚火をぼんやりと眺めながら、二人の間に短い沈黙が落ちる。
重苦しいというより、今まで忙しくて触れずにいたことを、ようやく置く場所ができたような沈黙だった。
「戻れるのかな?」
「わからないなぁ……」
千尋は現状が分からない今、戻れるよと言えないが、安心させるためだけに分かるとは言えなかった。
「ここがどこかも分からないしなぁ……戻る方法があるのかもわからない。今の時点では無理かもしれないが、今後も無理だと決める理由もない」
「私も帰れないって決めたいわけじゃないよ。戻れるなら戻りたい。家もあるし、やりたいことだってあったし」
声は静かだった。千尋も穏やかな表情で続きを待っている。
「でも、本当にあそこで一回終わったんだとしたら……」
真琴が顔を上げた。黒い瞳に炎が写っていた。
「ここからまた二人で生きられるなら、それもありかなって思う」
「そうだな、俺もそう思うよ」
帰られるかだけを考えて、こちらで生きる時間を全ていやなものにするのはもったいない、真琴はそう言って、少しだけ肩の力を抜いた。
千尋は火へ枝を一本足した。すぐに答えなくても、真琴は急かす様子はなかった。何年も一緒にいるうちに、考えてから話す癖まで含めて知っている。
「俺もそう思う」
「でしょ?よかった!同じで」
「戻る方法が見つかったら、その時にまた二人で考えればいい」
「うん!それまでは元気に生きる!!」
「その次にQOLを上げる!」
真琴はニコッと笑った。
千尋は今日作ったものへ視線を巡らせる。水と火と寝床。それから石斧と簡易ナイフ。十分とは言えないが、朝には何一つなかった。そのすごさと、二人で頑張ったということをお互い労った。
今日あったことを振り返りながら、双創についてびっくりしたと真琴が笑い出したのにつられ、千尋も口元を緩めた。
腹は減っている。森の正体も分からない。明日何が起きるかも分からない。それでも、今ここに二人でいる。
「もし四十で一回終わったとして、二十五からもう一回なら、ちょっと得した気もするな」
「そうよね、ピッチピチだからね!」
「結局そこか」
「そりゃそうでしょ!大きなことだよ、膝も痛くないし」
「膝のことずっと言ってるな」
真琴は声をたてて笑った。千尋もつられて笑う。さっきまで胸の奥にあった重さが、少しだけ薄くなった。
その時、焚火へ火を足そうとした真琴が、ふと動きを止めた。
「千尋、見て……」
真琴が空へ指をさした。
草地の上だけ、木々の枝が途切れている。その向こうに、夜空が広がっていた。
「すごい……」
「星が降ってきそうだな……」
真琴と千尋は小さくつぶやいた。街の明かりが一つもない空には、数えきれないほどのほした浮かんでいた。明るい星の隙間まで細かな光で埋まり、まさに満天の星空というものだった。
「こんなに見えるんだ」
「地球でも山の上とか暗い場所なら見えるけど、レベルが違うな」
二人で知っている星の並びがないか探したが、自信をもってこれだといえるものが見当たらない。とはいえ、ものすごく詳しいわけでもない二人には確信を持つことはできなかった。
それでもきれいなことだけは分かる、真琴がそう言うと千尋も短くうなずいた。
二人は並んで座り、しばらく黙って星空を眺めていた。知らないものばかりの一日だった。それでも不思議と怖さだけではなかった。
水も苦労して確保した。火も熾せた。屋根と呼ぶには物足りないが、横になれる場所も確保した。道具も増えた。そして、隣にはいつもの愛する人がいる。
「明日も晴れるといいね」
「雨対策がまだできてないしな」
「いやいや、そういう意味じゃなくてよ?」
「わかってるよ」
千尋が答えると、真琴はふふっと笑って肩を寄せた。千尋も身体を寄せた。
夜は交代で見張ることにした。最初は千尋が火のそばへ残り、真琴がシェルターへ入る。
「ちゃんと起こしてね、一人で最後までやらないでよね」
「大丈夫だよ、俺も久しぶりに動いてこれでも眠いんだから」
「先にごめんね、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
真琴は後ろ髪をひかれながらシェルターへ引っ込んでいった。一人になって、改めて焚火の向こうへ視線を向ける。
ほどなくして、森の奥で枝を踏むような音がした。暗闇へ目を凝らしても何も見えなかった。別の方向では、聞いたことのない鳴き声が続いている。
火があるとはいえ安心とは言えない。石斧一本で何ができるかもわからない。が、火を絶やすことがないように、薪を足し炎が消えないように見守った。
夜半に真琴を起こして交代し、今度は千尋が横になる。けれど眠りは浅かった。森が静かになれば、それはそれで気になる。何かが鳴けばまた目が覚める。
異世界で迎えた最初の夜は、二人が思っていたよりずっと長かった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
楽しんでいただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。




