18.夫婦、村で生活を始める
※タイトルを『答えは、ふたりで』に変更しました。今回から、毎週 月・水・金 19時10分更新です。
「起きてるかい! 朝飯、冷めちまうよ!」
扉越しに響いてきた声で、千尋は目を開けた。階段の下から上がってきたはずの声なのに、枕元で言われたような大きさだった。窓の板戸の隙間から、細い朝の光が床へ差し込んでいる。隣で真琴が掛布団の中からもぞもぞと顔を出し、天井を見上げたまま、ふふっと笑った。
「ほんとに、大きな声がした」
「したね。……よく寝た」
「うん。見張り、久しぶりにしないでよかったもんなぁ」
食堂へ降りると、卓は昨夜より空いていた。早くから森へ出る探索者たちは、もう発ったあとらしい。ベルタが運んできたのは、焼きあがったばかりの丸パンと、昨夜の煮込みを温め直したものと、目玉焼き、そして湯気の立つお茶だった。真琴はパンをちぎって口へ入れ、もぐもぐと嚙みながら千尋の顔を見た。何気ない日常の幸せ。ありがたすぎて、涙が出そうだった。
器が空になったころ、ベルタが卓の脇へやってきて、腰に手を当てた。その目が、二人の服を上から下までゆっくりとなぞっていく。
「で、その服だよ。洗うなら裏の洗い場を使いな。乾かすのは装備の乾燥室でいい。……けどねぇ、替えはあるのかい?」
「……ないです」
「洗ってる間、どうするつもりだったんだい」
「まっっったく考えてませんでした!」
真琴が正直に答えると、ベルタは呆れたように天井を仰ぎ、それから笑った。
「古着でよけりゃ、安いのがいくらでもあるよ。荷揚げ場のそばだよ。王都から舟で古着が入ってくるからね。この村は、森で採れたものを川で東へ流すためにできたようなもんさ」
舟、と千尋は胸の中で繰り返した。昨日も一昨日も、この村で川を見た覚えがない。真琴を見ると、真琴も小さく首を傾げていた。二人の財布の中にあるのは、ミナが仮で買い取ってくれた牙の代金だけだ。宿代を払えば、それほど残るものではない。
「服は、今日の査定が終わってからにしようか」
「うん。お金の目途が立ってからね」
小声で決めた二人に、ベルタは満足そうに鼻を鳴らした。
「堅実なのはいいことさ。行っといで」
協会へ向かう道は、もう三度目になる。広場の手前まで来たところで、真琴が不意に足を止めた。東へ抜ける細い通りの先で、何かが光っている。家並みの切れ目の向こうに、朝日を跳ね返す水面が見えた。平たい舟が何艘も岸へ寄せられ、木箱や樽を担いだ男たちが、石積みの岸と舟の間を行き来している。掛け声と、荷を下ろす鈍い音が、ここまでかすかに届いてきた。
「……あんなところに、川があったんだね」
「あんなに大きいのにな。うわの空にもほどがあるな」
昨日の朝は、手紙の重みのことしか考えていなかった。一昨日の夕方は、三人との話のことしか頭になかった。村は今までもこれからもこうして動いていて、二人の目がようやく向けられたのだ。千尋と真琴は、しばらくその光る水面を眺めてから、協会の扉へ向き直った。
受付台の向こうで、ミナが顔を上げた。
「おはようございます! お待ちしていました」
いつも通りの明るい声だった。けれど二人を奥の部屋へ通すとき、ミナは扉を閉めてから、少しだけ声を落とした。
「昨日は、お疲れさまでした」
それ以上は言わなかった。千尋が黙って頭を下げると、ミナはにこっと笑い、棚から預かっていた袋を下ろして机の上に布を広げた。
牙、爪、乾かした皮。それから、半透明の塊がいくつか。森で戦うたびに少しずつ溜めてきたものが、布の上に並べられていく。ミナは牙を一本取ると、棚の端から別の牙を持ってきて隣に置いた。どちらも灰色がかった白で、形もよく似ている。ミナは爪の先で二本の根元を順に押した。
「こっちは、村の近くで獲れた灰牙狼の牙です。ほら、少しへこむでしょう? でも、お二人のは」
もう一本は、爪で押してもびくともしなかった。
「同じ灰牙狼なのに、まるで別の獣みたい。深部の子は、こうなんですね……私も、見るのは初めてです」
ミナは感心したように首を振り、今度は半透明の塊を一つ持ち上げて、窓の光にかざした。奥の方に、淡い光がにじんでいる。
「魔核も、こんなに澄んでるのは初めて見ました」
「まかく?」
真琴が聞き返すと、ミナは「あっ」と目を丸くした。
「魔核です。魔物の体の中にある、魔力を溜めて置くところで……そうですね、あれを見てもらうのが早いかな」
ミナが天井を指さした。梁からつるされた小さな硝子の器の中で、白っぽい光が静かに灯っている。森を出てから何度もこの部屋に入っていたのに、それが油の火ではないことに、千尋は今まで気が付いていなかった。
「あの明かりの中にも、小さな魔核が入っているんです。明かりにしたり、火を起こしたり、湯を沸かしたり、魔道具を動かす力になるんですよ。術を使う時の補助にも使えます」
真琴の顔が、ぱっと明るくなった。
「あの光る石、そういうものだったんだ」
森で最初の一つを千尋が取り出した日、二人は「魔石みたいなもの」と呼んで、使い道も分からないまま袋の底へしまいこんだ。名前も分からず、何に使うのかもわからず、それでも捨てる気にはなれなかった塊だった。真琴は、ミナの手の中の魔核を、宝物でも見るような目で覗き込んでいる。
「ずっと気になってたんだよね。何に使うんだろうって」
「しかも、魔道具を動かす力って。研究したくなるな」
千尋はそう言いながら、天井の明かりから目を離せずにいた。魔核があって、それを動かす道具がある。どこかにそれを作る職人がいる。どんな仕組みなのか、中を見てみたいという気持ちが、腹の底からむくむくと湧いてくる。隣で真琴が、こちらの顔を見てくすりと笑った。考えてることなど、とっくにお見通しなのだろう。
「それで、査定なんですけど」
ミナは魔核を布の上へ戻し、木箱を引き寄せた。
「その前に、ひとつ確かめさせてください。お二人とも、こちらの貨幣の価値、まだよく分からないですよね」
「はい。正直に言うと、まったく」
千尋が答えると、ミナは「ですよね~」と頷き、木箱から硬貨を三枚取り出して、机の上に小さい順に並べた。赤みがかった茶色の硬貨、白く光る硬貨、そして、窓の光を受けてとろりと輝く黄色い硬貨。
「これが銅貨。パン一個とか、お茶一杯だとか、だいたい銅貨一枚です」
「今朝のパン、一個で銅貨一枚かぁ」
真琴が、しみじみと言った。あの焼き立ての丸パンの重さを、手のひらで思い出しているような顔だった。
「《森鹿亭》に一晩泊まって、朝と夜のご飯がついて、銅貨五十枚くらいですね。で、銅貨百枚でこの銀貨一枚になります。普通の鉄の剣なら、銀貨五枚から八枚くらい」
真琴の目が、銀貨の上でぴたりと止まった。剣、と口の形だけで呟いたのを千尋は見逃さなかった。
「それで、銀貨百枚で、金貨一枚です。金貨は……そうですね。この村の小さな家なら、金貨三枚から五枚くらいで買えます」
ミナは最後の一枚を、指先でそっと押し出した。
千尋は並んだ三枚を、左から順に眺めた。パン一個。宿の一晩。剣一本。家一軒。百倍ずつ、きれいに桁が上がっていく。頭の中で、物の値段が一本の物差しの上に並んでいった。
隣で真琴が、膝の上でこっそり指を折っていった。
「パン一個が銅貨一枚ってことでしょ。ってことは、だいたい百円くらい……?」
「そう思っておくと分かりやすいね。宿が一人一晩、五千円くらい」
千尋も声を落として返した。ミナには届かないくらいの小さな声だった。
「で、銀貨が一万円。剣が五万から八万」
「金貨が、百万」
「……家が、三百万から五百万てことか」
口に出してみると、急に手触りのある数字になった。財布の中にある仮買取の代金は、銀貨にして三枚と少し。三万円とちょっとだ。宿に何日か泊まれる、とミナが言った意味がようやく形をもって分かった。
「じゃあ、査定額を言いますね」
ミナは帳面を開き、細い字でいくつか数字を書きつけていった。
「牙と爪と皮で、合わせて銀貨四十枚です。魔核は五つあって、大きいのはひとつで金貨一枚。小さいのは少し下がります。全部合わせると、金貨五枚と銀貨六十枚になります」
部屋が、しんとした。
千尋は帳面の数字を見て、それから机の上の金貨を見た。村の小さな家なら、金貨三枚から五枚。ついさっき聞いたばかりの言葉が、頭の中で大きくなってくる。
隣の真琴も、こちらを見ていた。大きく見開いた目が、言葉より先に、千尋が考えていることと同じことを語っていた。家、と真琴が小さくつぶやいた声が聞こえてきた。千尋は表情を変えなかった。変えなかったつもりだったが、膝の上の指に、知らないうちに力が入っていた。
「……あ、今、計算しましたね」
ミナが、ちょっと楽しそうに言った。
「そうなんです。小さい家なら、買えちゃう額なんですよ」
真琴が、ふぅっと長い息を吐いて椅子の背にもたれた。
「森で、ただ溜めてただけなのに」
「深部まで入って、生きて帰ってくる人がほとんどいないんです。だから、深部の素材は外に出回らない。値段がこうなるのは、そのせいですね」
千尋は小さく頷いた。値段が付くのは、物そのものの出来だけではない。取りに行く危うさと、帰ってくる難しさが、そのまま数字に乗ってくる。同じものを、もう一度同じように持ち込めるとは限らない。その不安定さが高額査定になっているのだ。
「支払いは、どうなりますか」
「それが、ですね」
ミナは申し訳なさそうに眉を下げた。
「出張所の金庫に、そこまでの手持ちがないんです。今日お渡しできるのは金貨一枚と、銀貨六十枚まで。残りの金貨四枚分は、協会で預かる形にさせてもらえますか。預かり証を出しますので、この出張所でなら、いつでも引き出せます。数日中には、協会本部より残りの金額も補填されるように手配いたしますので」
「それで構いません。高額すぎて、持ち歩くのも怖いですしね。預かり証には、品目ごとの内訳も書いていただけますか」
「もちろんです」
ミナはすぐに帳面へ書き足していった。
扉が開いたのは、その時だった。
ディルクが入ってきて、外套を壁にかけた。顔に疲れが残っているのは、朝早くから治安官のところへ出向いていたからだろう。机の上の素材と、帳面と、並んだ硬貨を順に見て、ディルクは低く言った。
「ガルドは治安官のところだ。ベネトの方には、昨日のうちに人を出した。戻るのは何日か先になる」
それだけ言って、ディルクは椅子に腰を下ろした。真琴が小さく頷き、千尋も黙って頭を下げた。昨日の部屋の空気が、ほんの一瞬だけ戻ってきた気がした。
「査定はどうだった」
ミナが額を告げると、ディルクの眉が動いた。喜ぶ顔ではなかった。
「深部の物をこれだけ持ち込めば、どうしたって噂になる。売り方と、口にする相手は選べ」
「はい」
「噂って、そんなにすぐ広まるものですか」
真琴が尋ねると、ディルクは鼻で短く息をついた。
「村は狭い。昨日の朝の話だって、もう半分は知ってる」
真琴は口をつぐみ、千尋と目を合わせた。昨日、あの部屋で起きたこと。それを、今朝の村の誰かが、もう知っている。
「肝に銘じます」
千尋が答えると、ディルクはそれでいいというように顎を引いた。
少しして、真琴が背筋を伸ばした。
「あの、ミナさん。魔法の適性って、今日見てもらえますか?前に、今度ねって言ってもらってたので」
「あ、そうでしたね! 今日なら大丈夫です。持ってきますね」
ミナは素材を手早く戻して棚にしまうと、部屋を出ていき、すぐに平たい木箱を抱えて戻ってきた。ディルクは椅子に座ったまま動かない。どうやら見届けるつもりらしかった。
箱の中から出てきたのは、両手を広げたくらいの石の板だった。中央に、手のひらほどの透明な石がはめ込まれている。石の周りから板の縁へ向かって、細い線が何本も等間隔に刻まれていた。
「これで、魔力の量と、流れ方を見ます。正式な登録の時は、《自己照覧》を見せてもらうことになるんですけどね」
ミナは、ごく当たり前のことのように言った。
「暫定登録のうちは、そこまではお願いしてないんです。それに《自己照覧》だと、だいたいのところしか出ませんから。今日はこっちで測りますね」
千尋は表情を変えずに頷いた。隣で、真琴はちょっとだけびっくりした顔をしていた。
森で目を覚ました日から、二人にだけ見えていると思っていた、あの半透明の板。この世界の人にとっては、登録の時に人へ見せるのが当たり前のものらしい。あの板には《双創》も、《異邦より来たりし者》も書いてある。今日はまだ、その時ではない。けれど、いつか来る。千尋はそのことを、頭の隅にそっと書き留めた。
ミナは板を机の真ん中に置き、二人の顔を見た。
「魔素っていうのは、空気にも、水にも、土にも、何処にでもあるものです。それを体の中に取り込んで、自分で使える形にしたのが魔力。この石に手を置くと、その人の魔力が少しだけ流れて、中が光ります。光がこの線をどこまで上がるかで、どれくらい溜めておけるか分かるんです」
千尋は透明な石を見つめた。森で角ウサギを見ていたときに、初めてはっきり感じた、あの違い。灰牙狼を吹き飛ばした時、身体の奥から押し出した、あの大きなもの。自分の中で名前のないまま扱ってきたものに、この世界の言葉が一つずつ当てはまっていく。
「じゃあ、私から」
真琴が、待ちきれないように手を伸ばした。
「力は入れなくていいですよ。息をするみたいに、ゆっくり」
真琴は言われた通り、石の上に右手をそっと置いた。しばらくは何も起こらなかった。やがて石の奥に、小さな光が灯った。光は線に沿って、ゆっくりと上っていく。一本、二本。半分を少し越えたあたりで、光はふわりと止まった。それから、止まった場所から左右へにじむように広がって、石全体をうっすらと明るくした。
「いい方ですよ、魔力の量」
ミナが板を覗き込んでいった。
「それに、この広がり方。外へ飛ばすより、身体の内側で回すのが得意な人に多い出方なんです。身体強化っていう、魔力で体の力を底上げする使い方と、相性がよさそうですね。……あくまで、見立てですけど」
「身体強化……めっちゃ私向け!」
真琴は手を石から離し、自分の手のひらをまじまじと見た。それから千尋の方を向いた顔が、まるで新しいゲームのダウンロードが完了した時のように輝いていた。
「聞いた? 身体強化だって。もう行こう!すぐ行こう!探索!強そう!」
「強そう、で済ませるな」
ディルクが、腕を組んだまま低く言った。真琴は一瞬きょとんとして、それから肩をすくめて笑った。
「はーい。ちゃんと教わってからにします」
千尋は笑いをこらえるのに苦労した。筋力が規格外の真琴が、そのうえ魔力で体を底上げする。森で倒木を真っ二つにした石の音が、ふと耳の奥によみがえる。頼もしいのと同じくらい、先が思いやられた。
「次は、チヒロさんですね」
千尋は板の前に座り直した。
自分の《自己照覧》には、魔力容量の欄に《規格外》と書いてある。制御の欄には《低位》。どちらも、転生した日から知っていた。だから、力は入れない。むしろ思いっきり出さないつもりで、そっと手を置く。
石の奥に光が灯った。
光は真琴の時と同じように、線に沿って上り始めた。一本、二本。半分を越える。止まらない。急ぐでもなく、滞るでもなく、まるで水位が上がるように静かに上っていき、一番上の線まで届いた。そして、そこで止まらなかった。光は行き場をなくしたように、石の縁にぴたりと張り付いたまま、動かなくなった。
派手なことは何も起きなかった。石が割れることも、部屋が眩しく照らされることもない。ただ、板の上の光が、目盛りの一番上で静かに押しとどめられている。それだけだった。
ミナが、小さく息を呑んだ。
「手を離せ」
ディルクの声は低く、落ち着いていた。千尋が手を上げると、石の中の光は、ゆっくりと時間をかけて薄れていった。
「……目盛りの、上です」
ミナの声は、さっきまでよりずっと小さかった。
「この道具で測れるところより、上……ということです」
誰もすぐには口を開かなかった。ディルクは板を見下ろし、それから千尋の顔を見た。値踏みをするような目ではなかった。昨日、地図の上で千尋の指が止まった場所を見ていた時と、同じ目だった。
「量が多いのと、使えるのとは別だ」
ディルクはそう言って、組んでいた腕をほどいた。
「黙っておけ。今日ここで見たことは、俺とミナと、お前さん達だけの話だ」
ミナは黙って頷いた。真琴の結果を書き込んだ紙を一度見下ろし、千尋の欄には何も書かないまま、帳面を静かに閉じる。板を木箱へ戻す手つきにも、余計な動きはひとつもなかった。
千尋は自分の右手を見ていた。
自分の魔力容量が《規格外》だということは、この世界で目を覚ました日から知っていた。ただ、何と比べて規格外なのかは、《自己照覧》のどこにも書かれていない。この世界の人が普通どれくらいの魔力を持っていて、何処から多いといわれるのか、千尋はその基準を、今日初めて道具の目盛りで見せられたことになる。昨日、魔力の痕跡が分かると話した時も、ディルクに言われるまで、それが珍しいことだとは考えもしなかった。あの時と全く同じだった。
「自分で、多いとはわかってたのか」
ディルクが聞いた。
「《自己照覧》で、多いことは知っていました。ただ、測れないほどだとは思っていませんでした」
「だろうな。量が多い奴ほど、出すより抑える方で苦労する。使ってみて、制御が難しいと思ったことはないか」
千尋は、森で灰牙狼を吹き飛ばした時のことを思い出した。真琴から引き離すつもりで押し出しただけなのに、獣は数メートル先まで飛んで行った。
「あります」
「そういうことだ」
ディルクは立ち上がり、壁の外套に手を掛けた。
「制御の手ほどきは、ここでもできる。落ち着いたら来い。……少し出てくる」
ディルクが部屋を出ていくと、ミナも「お金、用意してきますね!」と木箱を抱えて後を追った。扉が閉まり、廊下の足音が遠ざかっていく。
部屋には、二人だけが残った。千尋は椅子に深く座り直し、机の上に残された硬貨に目を落とした。
「測りきれないって言われても、どうしたらいいのか分からないな」
思っていたより、弱い声が出た。真琴は机の上に頬杖をついて、千尋の顔を横から見上げた。
「分からないなら、分かるところまで調べようよ。いつもみたいにさ。……二人で」
森にいる間、何度も口にしてきた言葉だった。今日は真琴の方から言われた。千尋は硬貨から目を上げて、真琴を見た。
「……うん、二人でね」
「それにさ、ディルクさんが手ほどきしてくれるって言ってたじゃん。二人で練習しよう。二人でできるなら、楽しみしかない!どっちが先に制御できるか。私かもよ」
「それは……どうかな?」
「先に使えたら、教えてあげようか」
「それはちょっと怖いな」
「なんでよ」
真琴が千尋の腕を軽く叩いたところで、廊下から足音が聞こえてきた。千尋は姿勢を正し、真琴も頬杖をほどいた。
ミナは小さな革袋を手にしていた。少し遅れて、用を済ませたらしいディルクも部屋へ戻ってくる。
「お待たせしました。金貨一枚と、銀貨六十枚です。お確かめください」
千尋は革袋の口を開き、中身を机の上に並べて数えた。間違いはない。最後に金貨を手のひらに載せると、大きさの割にずしりと重かった。真琴に渡すと、真琴は両手で受け取り、指でつまんで裏と表を何度もひっくり返していた。
「……ミナさん。もう一つ、相談させていただけますか」
金貨を袋へ戻してから、千尋は言った。
「宿は本当にありがたいのですが、いずれ、自分たちの場所が欲しいと思っています。物を作ったり、直したりする作業場が欲しいんです。森でも、道具はほとんど自分たちで作っていたので」
「宿の部屋で道具を広げるわけにも、いかないですもんね」
真琴が言い添えると、ミナは「なるほど」と頷いてから、少し困った顔になった。
「ただ、暫定登録のままだと、家や土地を買うには村の許可がいるんです。お金があっても、すぐには難しいと思います」
「正式な登録は、この出張所じゃできん」
ディルクが口を挟んだ。
「大きな支部まで行くことになる。この村に根を張るかどうかは、それからでも遅くない」
千尋は少し考えた。森の小屋を建てた時とは違う。ここには土地の持ち主がいて、決まりがあって、許可を出す人がいる。急いで買えば、そのぶん人目を引く。ついさっきディルクに言われたばかりのことだった。
真琴と目が合った。言わなくても、真琴の答えは顔に出ていた。
「買うのは、まだ早いかもね」
「うん、俺もそう思う。……ただ、借りられる場所があれば、それが一番いいんだけど」
二人のやり取りを聞いて、ミナがぽんと手を打った。
「借りるなら……ベルタさん、川沿いに古い倉庫を持ってたはずです。昔は住まいも兼ねてて。荷揚げ場の並びで、ここからもすぐなんですよ。今は使ってないはずですけど」
そこまで言って、ミナは言葉を切った。
「ただ、あそこはちょっと……」
ミナは言いかけたまま、ディルクの方を見た。ディルクは何も言わず、左眉の古い傷あたりを指で一度こすっただけだった。
「……いえ、ベルタさんに、直接聞いてもらった方がいいと思います」
ミナはそう言って笑顔を作った。けれど、その目はもう二人ではなく、手元の帳面の方を見ていた。真琴の視線が千尋の方へ流れてくる。千尋は目だけで応えた。今ここで聞くことではない。
「帰ったら、ベルタさんに頼んでみようか」
「うん。そうしよう」
「預かり証には、俺の署名が要る」
ディルクが言った。
「夕方までに用意しておく。後で、もう一度寄れ」
協会を出ると、日はもう高くなっていた。
二人はどちらからともなく、朝に川が見えた通りへ足を向けた。家並みが途切れたところで、視界が一気に開ける。
近くで見ると、川は通りの先から覗いていた時よりずっと広かった。左手の奥、森の方からくる流れと、右手の北からくる流れが、目の前で一つに合わさり、幅の広い川になって東へ下っていく。石積みの岸には平たい舟がいくつも繋がれ、朝と同じように、樽や木箱が次々と陸へ上げられていた。
岸に沿って、古い倉庫が並んでいる。どれも川の方へ大きな扉を向けていて、中には建物の足元まで水が来ているものもあった。舟をそのまま中へ入れられる造りになっているらしい。
「家が、川に足を浸しているみたいね」
「舟から直接、荷を入れられるようにしてあるんだろうね。よく考えてある」
二人は人の流れから少し外れた石段に腰を下ろした。真琴は膝を抱えて、倉庫の並びを端から順に眺めている。
「どれだろうね、ベルタさんの倉庫」
「さぁ。でも、この並びのどれかだろうね」
周りに見知った顔はない。荷揚げの男たちは自分の仕事が手一杯で、石段に座る二人のことなど誰も気に留めていなかった。千尋はそこでやっと、朝から張っていた肩の力を抜いた。
「自分たちの場所、出来るかもしれないね」
「うん。作業場があれば、あれも気兼ねなく使えるし」
千尋が言葉をぼかすと、真琴もすぐに察して頷いた。
《森鹿亭》の部屋では、スキルの使用なんて出来そうもなかった。扉を閉めて、物を広げて、心置きなく作業ができる場所。森の小屋で使用していた、作業台なども並べて試してみたいことがいっぱいあった。
「ミナさん、何か言いかけてたよね」
「うん。ディルクさんも、何も言わなかった」
「気になる」
「気になるね。でもそれもベルタさんに聞こう」
「ふふ。また調べることが増えたね」
真琴がそう言うと、千尋のシャツの襟もとに手を伸ばした。
「先に、服だね。千尋のそのシャツ、襟がもう限界だよ」
森で枝に何度も引っかけたせいで、襟は片側が伸び、折り目もなくなっていた。真琴は指で布を引っ張って形を整えようとするが、手をはなすとすぐに元へ戻ってしまう。それでも、二度、三度とやり直している。
千尋はされるがままになりながら、声を出して笑った。
「もう直りそうもないよね。新しく買うか」
「分かってる。でも、地球とのつながりだから……」
「真琴の洋服も、大分くたびれてるよ。膝のところ、擦り切れてるし」
「そうなんだよね。お互いにやばい。……あと、剣ね」
「言うと思った」
「銀貨五枚からだって。覚えちゃった」
「あはは、確かに覚えちゃうよね」
「大事なことだからね、二回言おうか?」
真琴は胸を張った。荷を積んだ舟が一艘、岸を離れて下流へ出ていく。二人はそれを見送ってから、石段を立った。
ベルタに教わった古着屋は、荷揚げ場から一本入った通りにあった。店先の竿に、シャツや上着や外套がずらりと吊るされている。真琴は一枚ずつ手にとっては、千尋の肩に当て、丈を見ては戻していった。値札代わりの木札を見ると、厚手のシャツでも銅貨三十枚ほどだった。二人は着替えをそれぞれ二組ずつ選び、千尋が財布から銀貨を出して支払った。
日が傾き始めたころ、二人は古着の包みを抱えて協会へ戻った。受付台の明かりは、もう点いていた。ミナが二人に気が付いて、手を上げる。
「おかえりなさい。服、買えたんですね。預かり証、ディルクさんの署名をもらってありますよ」
ミナが、机の引き出しを開け、預かり証を取り出すのと同時に、奥の扉が開いた。
出てきたのはディルクと、もう一人、見慣れない男だった。背が高く、瘦せている。短く整えた黒茶の髪に、飾り気のない上着、ディルクより頭一つ高いのに、威圧するような気配はない。男は受付台の前の二人に気付くと、ディルクと短く目を交わしてから、こちらへ歩いてきた。
「お二人が、カミヤさんですね」
男が軽く頭を下げた。
「ルーゼ村の治安官をしている、ローデン・クライスです。発見者のお二人に、お話を伺いたいのですが」
ローデンは話しながら、千尋と真琴の顔を一人ずつ見た。それから、千尋が抱えている古着の包みに、ほんの少し目を留めた。
千尋は包みを持ち直して、「はい」と答えた。
お読みいただき、ありがとうございます。
今回から更新日を固定します。
毎週 月・水・金 19時10分更新です。
次回は11月2日(月)19時10分にお届けします。
あわせて、作品タイトルを『答えは、ふたりで』に変更しました。
詳しくは活動報告をご覧ください。
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