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答えは、ふたりで〜四十歳夫婦、若返って異世界転生。クラフト&ミステリな暮らし〜  作者: 翠川しおり


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11.夫婦、手帳を読む

更新がままならず、申し訳ございません。

頑張って書いております!


よろしくお願いいたします!

「手帳……読む?」


 先に沈黙を破ったのは真琴だった。そう言いながらも、手帳へ伸ばしかけた手は膝の上で止まったままだ。


「すごく大事そうな手帳だよね。なんでこんなところに落ちてるんだろうな」

「そうなんだよ。読みたいけど、いいのかなって。家計簿とか、探検の日誌とか、下手したらめっちゃ私的な日記かもしれないでしょ?勝手に開くのってなんか……」


 言い淀む真琴に、千尋は手帳を見つめたまま小さく頷いた。自分も同じことを考えていた。同じことを感じ、同じところを躊躇したことは、少し嬉しかった。

 荷物の持ち主が今どこでどうしているのかは分からない。それでも、誰かが毎日大事に書きつけていたであろう手帳を、落ちていたものを見つけたからと言って、好きに覗いていい理由にはならない気がした。


「じゃあ、こうしようか。持ち主に返すための手がかりを探す。そのために読ませてもらう。どこから来た人なのかが分かれば、返しようもあるしね」

「うん……それなら、ちょっと言い訳が立つ」

「そうだね、まぁこれに関しては俺たちの気持ちの問題だからね」


 真琴の口元が少しだけ緩んだ。千尋は空を仰いで時間感を確認する。光は明らかに色を変え始めていた。


「ただ、ここで開くのはやめておこう。もう日が傾き始めているし、読み始めたら絶対止まらないでしょ、俺たち」

「絶対止まらない。気が付いたら2時間。自信ある」

「うん、否定しない」


 荷物には一切手を付けないことにした。袋の口も、箱の蓋も、見つけた時のままにしておく。手帳だけを預かり、いずれ持ち主へ返すつもりで持ち帰る。千尋は布の下へ半歩だけ身を入れ、手帳の端をそっとつまみ上げた。思ったより軽い。湿気を吸った表紙はひんやりとしていて、指先に皮のざらつきが残った。開かないよう閉じたまま、バッグの中の他の物とぶつからない場所へしまう。


 それからスマホを取り出し、すこし離れた位置から野営跡を何枚か撮った。斜めに張られた布、石で囲った焚き火跡、置かれたままの荷物の並び。遺跡の崩れた石壁が映り込む角度でも一枚撮っておく。これで、どこにあった野営跡なのかは後からでもわかる。画面の隅のバッテリー表示は、朝よりもはっきりと短くなっていた。


「私のはもう心もとないから、そっちはお任せしてよろし?」

「了解。帰ったらしばらく節約だね」


 最後にもう一度だけ野営跡を振り返ってから、二人は遺跡の正面へ回り込んだ。入り口の脇の木に結んだ縄が、さっきと同じように小さく揺れている。そこから先は、来た道を戻るだけだった。



 谷を越え、結んできた縄を一本ずつ辿り、川沿いの古い野営跡を過ぎるころには、木々の影がずいぶん長く伸びていた。行きより口数は少なかった。疲れのせいだけではない。バッグの中の小さな重みを、二人とも意識していた。


 《安息の小屋》が見えた時、空の端はうっすらと赤く染まり始めていた。日暮れには間に合った。千尋が視界の端の《体力》を確かめると、朝よりはっきり短くなってはいたが、まだ余裕はある。隣の真琴も同じように宙へ視線をやってから、こちらへ親指を立ててみせた。


 炊事場の簡易炊事釜に火を入れ、干し肉の残りと野草で手早くスープを作る。鉄釜から湯気が立ち、《食膳確認》がいつも通り《安全》を告げた。歩き通しだった体に、塩気のある温かい汁が染みていく。二人とも、いつもより少し早く器を空にした。


 片づけを終えると、千尋は小屋の前の焚き火のそばへ腰を下ろした。夜の見張りのために絶やさないようにしている火だが、今夜は薪を少し多めにくべる。手元を照らす明かりが欲しかった。真琴も当たり前のように隣へ座り、肩が触れるくらいの距離で火を覗き込む。


 千尋がバッグから手帳を取り出した。表紙の湿り気は、帰り道の間に少しだけ抜けている。


「開けるよ」

「うん」


 紐で閉じた背を傷めないよう、千尋はゆっくりと表紙をめくった。

 最初の頁には、文字がびっしりと並んでいた。見たことのない文字だった。曲線と短い直線を組み合わせたような形が、左から右、几帳面な間隔で連なっている。アルファベットでも漢字でもない。二人の知っているどの文字とも似ていなかった。

 

 それなのに、目で追うと意味が頭に入ってくる。


 読もうとしたわけではなかった。文字の形を一つずつ確かめるより先に、日本語の文章を眺めた時のように、内容がするりと流れ込んでくるのだ。千尋は思わず瞬きをして、もう一度最初の行へ目を戻した。文章は相変わらず見知らぬ形のままで、日本語に化けて見えてるわけではない。形は知らないのに、意味だけ分かる。


「……真琴、これ読める?」

「読める。……え、なんで読めるの?私」


 真琴は千尋の肩越しに頁を覗き込み、触れないように指を宙に浮かせたまま、行の上をなぞった。


「『村を立って二日目。今日から採取地に入る』……で合ってる?」

「合ってる。俺にもそう読めるよ」


 二人とも同じように読めている。どちらかの思い込みではないらしい。真琴はしばらく黙って頁を見つめていたが、やがて顔を上げた。


「じゃあ、話すのもいけるってこと?ここの人たちに会っても、普通にしゃべれる?」

「どうだろうね。読めるのと、話して通じるのは別かもしれないよ。文字はこうやって時間をかけて見られるけど、会話はその場で返さなきゃいけないし。聞いてわかるのと、こっちが喋って伝わるのもまた別の話かもしれない」

「あ、そっか。読めてもしゃべれないって、普通にあるもんね。英語とか」

「俺たちの英語がまさにそれだね」

「やめて、英会話本気出しておけばよかった」


 真琴は笑ったが、その笑いはすぐに引っ込んだ。視線が、焚き火の明かりの届かない森の暗がりへ流れていく。


「……会ってみるまで分からないか」


 少しだけ、緊張した顔を見せた。人に会いたいと言い続けてきたのは、真琴だった。けれど、いざそれが現実味を帯びてくると、期待だけではいられないのだろう。千尋も同じだった。


 手帳の書き手はヨアンという男で、村から森へ採取に来た三人組の一人らしかった。三人の中では記録を任されているようで、最初の数頁からして、その日に採ったものが品目ごとに細かく書きつけてある。

 薬草が数束、木の実がいくつ、魔核がいくつ。採ったものは村で共同管理されるらしく、村の倉へ納める分、という書き方が何度も出てきた。一度書いた数字を線で消し、横に書き直した跡まである。

 一緒に来ているのは、ガルドとティモという二人の男だった。ガルドは見張りの順番を決め、採取の段取りを仕切っている、三人のまとめ役らしい。ティモはどうやら一番年下で、ヨアンの書きぶりからすると、まだ若い。

 見張りは夜を三つに分けて交代しているようだった。その順番はガルドが毎晩決め、ヨアンはそれも、その記録の最後に律義に書き添えている。採取の数の合間には、ちょっとした出来事も書き留めてあった。ティモが木の根につまずいて籠をひっくり返し、拾い集めるのに日暮れまでかかった日。夜が冷えるから、毛布をもう一枚持ってくればよかったという愚痴。ガルドが魔除けだと言って、灰牙狼の前足を腰に下げていることが結構苦手ということ。


「へ~、足が魔除けになるんだ」

「それくらい生活に密接に関係する獣なのかもね」


 千尋は頁をめくりながら、ヨアンの文字に目をやった。行はまっすぐで、文字の大きさも揃っている。疲れていそうな日でも、記録だけは欠かしていない。


「この人まじめだな、毎日ちゃんと付けてる。数が合わないと気持ち悪いタイプだ」

「会社に必要な人よね。ナチュラルにこれをやってくれるのは本当に助かるよねぇ」

「ぜひ、一緒に仕事したいね。こういう人は信用できる」


 真琴は「ヘッドハンティング始まった」と笑って、膝を抱えなおした。


 日記の様子が変わったのは、採取地に入って数日が過ぎたあたりからだった。


『朝、目を覚ますと、野営地の周りを大きな獣の足跡がぐるりと回っていた。夜の間、誰も物音を聞いていない。見張りをしていたガルドも、何も気づかなかったという。保管していた素材と魔核がごっそりとなくなっていた』


 声に出して読む真琴の調子が、少しだけ低くなった。焚き火の中で薪が小さく爆ぜる。


 ガルドは灰牙狼より大きい奴かもしれない、と言ったらしい。三人は火を絶やさないよう気を付け、素材の置き場所を変えた。それでも数日後、同じことがもう一度起きる。足跡がまた野営地を囲み、また誰も聞いておらず、また素材が減っていた。


『記録と数が合わない』


 その一行だけ、文字が僅かに乱れていた。


「足音しないし、気配も感じないのに、足跡残るの?」


 真琴が首を傾げる。


「そんな大きい足跡の獣だよ?野営地の周りを一周して、誰も気が付かないって……。灰牙狼だって、近くに来た時はちゃんと分かったよ?気配っていうか……空気が変わるっていうか」


 千尋は答えなかった。ポケットからスマホを取り出し、メモを開く。手帳の頁を少し戻し、足跡が出た日の記述と、その前の晩の見張りの順番を、一つずつ書き写していく。

 真琴は事実として起こったことを整理している千尋を見て、何も言わずに待っていた。

 書き写し終えると、千尋は画面を消して、また頁へ目を戻した。


「ごめん、お待たせ。続きを読もうか」

「うん、続けるよ」


 次の異変は、獣ではなく人だった。


『夜、私の見張りの番に、ティモがそっと寝床を抜け出していくのを見た。声を掛けようとしたが、出来なかった。しばらくして戻ってきた』


 翌朝、ヨアンはティモを問いただしたらしい。ティモは、用を足しに行っただけだと答えた。けれど最後まで目を合わせなかった、と書いてある。


『疑いたくはない。ティモは悪い奴ではない。それなのに、素材が消えたこと、昨夜のことを、頭の中で並べてしまう。そういう自分が嫌になる』


「……これはつらいね。仲間を疑いたくないのに、疑う材料が目の前にあるんだもん。記録係だから、余計に数のことが気になるだろうし」

「そうだね、真面目な人ほど、こういう時はしんどいと思う」


 残りの頁は少なくなっていた。最後の数頁は、それまでの整った文字とは明らかに違う。行が傾き、文字の大きさがばらつき、ところどころインクがかすれている。

 その夜の見張りは、ガルドだった。

 ヨアンは叫び声で目を覚ました。ガルドが言うには、見知らぬ男が荷を漁っていたので、怒鳴りつけて追い払った。逃げた男を追いかけたが、闇の向こうで獣に襲われたようだった、という。

 夜が明けてから、三人で沢のほうへ向かった。男はそこに倒れていた。もう息はなく、身体には大きな爪の跡があった。


『ガルドは灰牙狼だと言った』


 その下に、一行だけ、小さく書き添えてある。


『遠吠えは聞こえなかった』


 真琴の指が、宙でその行の上に止まった。千尋も、その一行から目を離せなかった。ヨアンが何を思ってそれを書いたのかは分からない。ただ、書かずにはいられなかったのだろうということだけは、その文字の小ささから伝わってきた。

 手帳はもう少しだけ続いていた。ガルドは、血の匂いで魔物が寄ってくるといい、火が高くなる前にここを離れると決めた。荷は置いていけ、身に着けて持っていけるだけ持て、とも言ったらしい。


『あの男を埋めてやりたかった。盗人だったとしても、あのままにしておくのは……』


 そこで文が途切れ、少し間を空けて、最後の数行が書かれていた。


『あの男は、本当に盗賊だったのか。あの夜、ティモはどこにいたのか。私は』


 その先はなかった。次の頁から後ろは、真っ白だった。



 千尋は手帳を閉じた。

 しばらく、二人とも何も言わなかった。焚き火に爆ぜる音と、遠くの虫の声だけが聞こえる。夜の森は昼間よりずっと近く感じられて、明かりの届かない暗がりの向こうに何があっても不思議ではないように思えた。


「……その人、まだ沢のところにいるのかな」


 真琴が膝を抱えたまま言った。


「一人で、誰にも埋めてもらえないまま」


 千尋はすぐには答えられなかった。手帳がいつ書かれたものなのか、正確なところは分からない。けれど、あの野営跡はまだ新しかった。布も荷物も朽ちてはいなかった。だとすれば、その男も今も沢のどこかに横たわってるのかもしれない。


 千尋の頭の中では、さっきから何かが小さく引っかかっていた。手帳に書かれていることは、ひとつひとつを取り出せばどれも筋が通っている。獣が出て、素材が消えて、盗人が来て、その盗人が獣に襲われた。それなのに、全部を並べてみると、どこかが嚙み合わない。歯車の歯が一枚だけずれているような感覚がある。ただ、それがどこなのかは、まだ言葉にならなかった。形にならないものを口に出せば、掴みかけたものまで見失うような気がした。


「灰牙狼なら私たちも知ってる相手だよね。本物がいるなら危ないのは分かってる。でも、知らないふりして通り過ぎるのも違う気がするんだよね」


 千尋も同じことを考えていた。本当に人を襲う獣がいるのなら、それは自分たちが暮らしているこの森の話でもある。確かめないまま小屋で眠る方が、よほど落ち着かない。


「明日、沢のほうを見に行ってみようか」

「いいの?」

「うん、ただ一つ約束してほしいんだよね。危ないと思ったら、すぐ引き返す。俺がそう思っても、真琴がそう感じても、どっちかがそう思った時点で、戻る。それでいい?」

「うん、それでいいよ」


 真琴は迷わずに頷いた。それから少しだけ笑って、付け加える。


「千尋が止めるときは、ちゃんと理由があるもんね」

「真琴が嫌な感じがするっていう時もね。今日だって、それで気付けたんだし」


 そう言ってから、千尋はふと口を閉じた。手帳の中の灰牙狼と、遺跡の扉の前で感じたものが、頭の中で重なっていた。模様の溝の底に、薄い膜のように残っていた何か。人の手で刻まれた石にさえあんなものが残るのなら、獣が暴れた場所にも、何かが残っていてもおかしくない。


「それとね、行きがけに一か所だけ寄りたいところがあるんだ」

「どこ?」

「四日目に灰牙狼とやり合った場所。沢へ行く前に、本物の灰牙狼が暴れた跡が今、どう見えるのか、先に確かめておきたいんだよね。比べるものがないと、向こうで何を見ても判断のしようがないから」


 真琴は少し考えるように瞬きをしてから、ああ、と小さく声を漏らした。


「魔力の痕跡?なにを確認するの?」

「そう、それ。同じよう何かわかるのかどうかは、行ってみないと分からないけどね」

「分かった。ちょっと遠回りになるけど、あそこなら道は覚えてるし」


 千尋が差し出した手帳を、真琴は両手で受け取り、そっと膝の上に置いた。皮の表紙に、焚き火の明かりが揺れている。千尋は燃えさしを一本だけ火の外へ寄せて、炎を少し落とした。今夜もこれから、交代で見張りをしなければならない。


 明日の行き先は決まった。手帳の男が最後に倒れていた、沢の方へ。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


謎ときのカギとなる手帳が出てきましたね!


楽しんでいただけたら幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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