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答えは、ふたりで〜四十歳夫婦、若返って異世界転生。クラフト&ミステリな暮らし〜  作者: 翠川しおり


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9.夫婦、森へ入ってみる

 森に踏み込んでから、千尋は何度目かになる切断跡の前で足を止めた。細い枝が、斜めに落とされている。

 折れたものではない。裂けてもいない。断面には多少の粗さは残っているものの、刃物のような何かを使った跡だった。


「こっちで合ってそう?」


 少し先まで進んでいたい真琴が振り返る。


「たぶん。少なくとも、さっきの野営跡から誰かがこっちへ動いた可能性は高いと思う」

「人が通った道を追いかけているかと思うと、急に楽しくなってきた」

「それは分かるけど、前ばっかり見てないで足元もみてね」

「だいじょぶだいじょぶ」


 返事と同時に、真琴は足元の蔓をひょいと跨いだ。千尋はその背中を見ながら、少しだけ歩調を上げる。先程までの探索とは気分が明らかに違っていた。

 食べられるものを探す、素材を探す、水場を確認する。それらも生きるためには必要だった。けれど、今二人が追っているのは、自分たち以外の人間がこの森にいた証拠だ。

 それがいつのものなのかは、まだ分からない。


 野営跡はかなり古かった。残されていた木材には苔まで入り込み、今朝や昨日に使われた場所とは思えない。

 それでも誰かが、ここまで来た。

 ならば、その誰かがどこから来たのかを知る手がかりも残っているかもしれない。


「千尋、これ」


 前を歩いていた真琴の声が変わった。弾んでいた調子が消え、少し低くなる。


「大発見かも」


 真琴はしゃがみ込み、一本の低木の脇を指さした。千尋も隣へ腰を落とす。湿り気を帯びた柔らかな土に、浅いくぼみが残っている。


 最初は獣の足跡かと思った。だが形が違う。細長く、先端は丸い。左右に少し広がった輪郭の中には、薄く横方向の筋まで見えた。


「これは……靴跡?」

「明らかに狼やウサギとは違うよね。人なんじゃない?」


真琴は興奮したように顔を上げた。


「蹄でも肉球でもないな。人型の何かって可能性もあるけど……」

「千尋……いつものことだけど、すっごい慎重だね」


 真琴は少しあきれたような顔をした後、直ぐに足跡へ視線を戻した。森に来てから、湿った地面についた跡は何度も見ている。獣の後、鳥かそれに近いものが残したであろう足跡。


 だがこれは、そのどれとも違った。


 千尋は膝をついたまま、くぼみの輪郭を目でなぞった。長さは自分の足より少し小さいくらいだろうか。かかとにあたる部分は浅く、つま先に近い側が深く沈んでいる。何かを引きずったような跡はなく。緑の土もまだ崩れずに残っていた。


「ほら、歩幅もさ」


 真琴が低木の向こうを指さす。確かに同じ形のくぼみがもう一つ。少し離れた場所に見えた。


「私が普通に歩く幅と、そんなに変わらないんだよね。走ってたらもっと間が空くし、のそのそ歩いてたらもっと詰まる。それに、こっちは足の外側のほうが深いでしょ?多分、体をひねって枝を払ったときに踏ん張ったんだと思う」

「なるほど、切断跡とも辻褄が合うね。真琴がそう感じるなら人が歩いた跡って見方が一番近そうだ」

「でしょ?」

「ただ、人と決めるのは、もう少し材料がそろってからにしようか。二本足で歩く何かが、この世界にいないっていう保証はないしね」

「うわ、そっちか。夢がない」

「夢はあるよ。ちゃんと二人で生きて帰る、それが俺がいつも思ってる現実的な夢」


 真琴は吹き出して肩をすくめた。千尋は足跡の縁へ指を近づけ、触れないまま眺める。土の表面にはまだ細かな粒の形が残っていた。雨に打たれたり、湿っては乾いてを繰り返したした地面なら、もっとなだらかに崩れているはずだ。切断された枝の断面も、野営跡の木材のように黒ずんではいない。


「野営跡よりは、ずっと新しいと思う。縁もくずれていないし、苔もついてない。ただ、昨日今日かって言われたらそこまでは言えないかな?」

「新しいって言っても一年前暗いかもしれないってこと?」

「そんな前じゃないと思うけど、一応そのくらいの幅は見ておこうか。少なくともあの釜とは時間の単位が違う気がする」


 口に出して整理すると、胸のあたりが少し落ち着いた。分からないことを、分からないままの形で並べておく。それだけで、次にやることが見えてくる。


 二人は足跡と切断跡を頼りに、森の奥へ歩き出した。千尋は少し進むたびに足を止め、バッグから短く切った縄を取り出した。手近な枝へ、目につきやすい高さで結ぶ。解けにくい結び方で、橋を少しだけ長く垂らしておく。振り返ると、さっき結んだ縄の端が、木々の暗がりの中で小さく揺れていた。


「千尋、それ何本目?」

「三本目。もう少し間隔をあけるつもりだったんだけど、この森、同じような木ばっかりで自信がなくなってきた」

「ふふ、千尋の道しるべだ。パンくずのやつみたい」

「鳥に食べられないだけ、あれより優秀でしょ?」


 縄を結び終えて立ち上がると、千尋は先を歩く真琴の背中へ声をかけた。


「真琴、さっきも言ったけど、今日は戻れるところまでにするからね。足跡が続いてると、つい先まで行きたくなるのは分かるんだけど」

「分かってますよ~って、でももうちょっと先まで見たいなって思ってたのは事実。頭の中見た?」

「見てないけど、そうだと思った。縄にも限りはあるし、日が暮れたら縄も辿れなくなるから、日が傾く前に引き返すよ。そこだけ守れるよね?それなら後は真琴の行きたいところに付き合うよ」


 真琴は少し唇を尖らせたが、「条件付きの自由か……」と呟いて、結局はうなずいた。納得はしている。ただ、残念さは隠しきれない顔だった。


「……わかった。千尋がそう言うときって、大体正しいからね。逆らっていい思いしたことないし」

「心配だから言うんだよ。それにめったに言わないでしょ?」


 しばらく歩いたところで、千尋は視界の端へ意識を向けた。朝から出したままの《体力》の表示は、出発前よりわずかに短くなっている。歩いた分だけ減っているのだろう。一方の《魔力》は朝からずっと動きがない。


「真琴の方はどう?」

「体力はちょっと減ってるかな?でも、歩いてるだけだし、全然平気。魔力は変わらず」

「まぁ、魔法使わないと減らないよな。一日のデータとしては、まだ全然足りないけど、使わなければこんなもんだろうね」

「データマニア」


 真琴が笑い、千尋も小さく笑った。確認はそれだけで終わりにして、二人はまた足跡を追う。

 やがて、地面の様子が変わった。柔らかかった土が次第に締まり、落ち葉の下から細かな石や固い根が顔を出し始める。さっきまではっきり残っていた靴跡は、一つ、また一つと姿を消し、いつの間にか途切れがちになっていた。


「あれ?なくなっちゃった」


 真琴が足を止めて周囲を見回す。千尋もしゃがんで地面を見たが、見つかるのは落ち葉と小石ばかりだった。


「この硬さだと、足跡が残らないのかもしれない。一回止まって、残ってるものを探してみようか」

「ちょっと待って……」


 真琴は目を細め、低い位置の草へ視線を滑らせた。屈みこんで、て時かな葉を指先でそっと押さえる。


「ここ、草がみんな同じ向きに倒れてる。風じゃないよね。風ならもっとバラバラになるし、完全に押されてる。それとこっちの枝、先っちょじゃなくて根元に近いところが折れてるでしょ?押しのけて通ったんじゃないかな?」

「確かに。さっきの切断跡とも並べてみようか」

 千尋は歩いてきた道を振り返り、切断跡があった位置を一つずつ思い出していく。最初のものは川から少し離れた場所。次は、それよりやや奥。その次は、さらに奥。点を線で結ぶように頭の中へ並べると、ゆるい弧を描きながら川から離れ、少しずつ低いほうへ向かっている形になる。


「切断跡が並んでる向きも、真琴が見つけた草の倒れ方も同じだね。通るのに邪魔な枝だけ払って、進む方向だけ空けてるんだと思う。道を作りたいんじゃなくて、ただ通り抜けたいって感じかな。たぶん、どこか決まった場所へ向かってるよ」

「目的地がある人の歩き方、ってことね」

「そう。あくまで可能性だけど、迷って歩いてる感じじゃないんだよね」


 真琴が違和感を拾い、千尋がそれを一本の線に束ねる。いつもの形だった。真琴は満足そうに頷くと、倒れた草の向きに沿って、再び歩き出す。


 足跡の代わりに草と枝の痕跡を拾いながら進むうち、木々の間隔が次第に広がってきた。頭上を覆っていた枝葉が薄くなり、森のそこまで光が差し込む。足元は緩やかな下り坂になっていて、傾斜の向こうで地面が大きく窪んでいた。谷のような地形だった。

 その時、耳がかすかな音を拾った。


「……水の音…」

「うん。川の支流かな。それとも別の流れか」


 千尋が声を抑えていった直後、前を歩いていた真琴の足がぴたりと止まった。肩の力は抜けているのに、意識が静かに張りつめている。千尋は何も言わず、背中に軽く手を添える。


「真琴?」

「……嫌な感じ、ってほどじゃないんだけど……落ち着かない。ゲームで何かフラグが立った時みたい。そんな空気感」


 千尋は横から真琴の顔を覗き込んだ。笑っていない。戦闘前の顔とも少し違う。目だけが谷の先を見つめている。


「分かった。じゃあ、ここからは声を落としていこうか。一気に下りないで、見える範囲を確認しながら行こう」

「うん、ありがと」


 それ以上は何も言わず、二人は息を潜めるようにして斜面を降り始めた。足の裏で落ち葉を押さえ、枝を踏まないよう、一歩ずつ進む。水音だけが、少しづつ大きくなっていく。

 

 谷の底が見えた時、最初に目に入ったのは石だった。


 自然なものにしては、角が揃いすぎている。苔むした石の塊が谷を横切るように、ほぼ等間隔に崩れ残っていた。その間を埋めるように、黒ずんだ太い木材が何本も落ち、土と枯れ葉と草に半分ほど呑み込まれている。谷底には細い流れがあり、石と木の隙間を縫って静かに水が通り抜けている。


「……橋、だったんだよね、これ」


 真琴が声を落としたまま呟いた。さっきまでの落ち着きのなさが、いつの間にか驚きへ変わっている。


「たぶん。石の土台が、ここと向こう側にあって、木の橋桁がその上を渡ってたんだと思う」


 千尋は慎重に近づき、苔の生えた石の側面へ手を当てた。表面は湿って冷たく、指の腹に細かな凸凹が伝わってくる。それでも、石の面は不自然なほど、平らに整えられていた。積み方にも規則がある。下の段と上の段で継ぎ目をずらし、互い違いに積み上げているのだ。崩れてしまった今でも、そこには「作られた」形が確かに残っていた。


 折れて落ちた橋桁が断面も確かめる。腐ってやわらかくなった外側の下に、まだ硬さを残した芯があった。木目は細かく、角材として切り出された面が見て取れる。


「石も木も、ちゃんと加工してあるね。橋としては、ごく普通の作りだと思う」

「普通って?普通に使われてたってこと?ミノス島みたいに、実際に使われてたかどうかってことじゃなく?」

「うん、ただの遺跡じゃなくてね。橋架けるのって、手間も材料もかかるんだよ。わざわざここに作ったってことは、人がここを通らなきゃいけなかったんだと思う。何のためかまでは、まだ分からないけど」


 誰が、いつ作ったのか。それを示すものは何も見当たらない。ただ、これだけの石を木材を運び、この谷にかけた人たちがいた。そしてその橋を渡る必要があった。しかも、歩いた場所は人がたくさん通った形跡がある。飾りとして設置したわけではないのだ。それだけは疑いようがなかった。


 真琴は残骸の周りをぐるりと回り、崩れた石を軽く蹴ってみた。重い音もたてず、崩れることもなく、そこにあった。


「渡れなくなってから、結構経ってる感じだね。足跡の人は、どうやって向こうへ行ったんだろ」

「ここまで崩れてれば、橋っていうより、もう地形みたいなものだからね。作りはしっかりしてたでしょ?この残骸の上を、そのまま越えたんじゃないかな」

「じゃあ、私たちも同じように越えられるね」

「うん、足元の石は濡れてるから、確かめながらね」


 千尋は谷の手前に立つ太い木へ、念のため縄を結んだ。ここは目印として特に大事な場所だ。端を長めに垂らし、遠目にも分かるようにしておく。


 橋の残骸は、もはや橋と呼べるものではなかった。谷底に積もった石と、土に埋もれた木材が、谷の両側をほどんど地面の続きのようにつないでいる。二人は特に身構えることもなく、苔の薄い場所を選んで残骸の脇や上を超えた。千尋は足の置き場を目で確かめながら、真琴は石の上をひょいひょいと進む。


 細い流れを跨ぎ、反対側の斜面へ取り付く。登り始めてすぐ、真琴が低く声を上げた。


「千尋、あった」


 斜面の途中に立つ細い木。その幹の脇から伸びていた枝が、見覚えのある切り口を見せて落とされている。一つではない。少し先の木にも、さらにその先にも同じ切り方の跡が並んでいた。


「やっぱり、ここを越えてるんだ!」

「間違いなさそうだね。この先にも続いてるし」


 二人は顔を見合わせた。さっきまでの用心深さが、期待に押し流されるように薄れていく。斜面を登りきる頃には、足取りは自然と早くなっていた。千尋も無理には引き止めなかった。縄は辿れる間隔で結んである。日もまだ高い。引き返す条件は今のところ守れている。


 木々が途切れたのは、そのすぐ先だった。


 視界が急に開け、思わず足が止まる。目の前に、蔦と苔にびっしりと覆われた、大きな建物が現れた。


 最初は小さな丘か岩山かと思った。だが、輪郭がそれを否定している。崩れかけた石壁が幾重にも連なり、その間から倒れた柱の残骸がのぞく。屋根はほとんど失われているか、空へ向かって開いた部分があり、そこから伸びた木々が建物の中へ根を下ろしていた。森が建物を吞み込もうとしているのか、それとも建物が森の中から顔を出しているのか、見分けがつかない。

 野営跡や朽ちた橋とは、まるで桁が違った。人の手で作られたものが、ここまで大きくなるのかと、千尋は思わず息を止めていた。


「……すごい……」


 真琴の声はかすれていた。それ以上は続かない。


「これ……遺跡?」

「そう見えるね。でも、何の建物なのかは、見た目だけじゃまだ分からないな」


 千尋もそれ以上は言えなかった。鳥の声が、いつの間にか遠くなっている。どこかから吹いてきた風が、蔦の葉をわずかに揺らして過ぎていった。

 しばらくして、二人は同じタイミングで足を前へ出した。蔦の下を探るように、建物の正面へと回り込んでいく。


 正面には、見上げるほど大きな開口部が口を開けていた。両側には太い石の柱が残り、その間が通路になっている。扉があったのだろうか、柱の内側には何かを取り付けていたようにも見える窪みが左右に残っているが、扉そのものはどこにも見当たらず、ただ暗がりだけが奥へと続いていた。


「大きい、扉だったのかな?」

「それに近いものがあったんだろうね。壊れたのか、外されたのか……」


 言いかけて、千尋は開口部の縁にふと目を留めた。柱の側面、苔の下に、規則的な筋が浮かび上がっている。一歩近づき、指先でそっと苔を払うと、直線と曲線が組み合わさった模様のようなものが現れた。柱だけじゃない。入り口を囲む壁にも、同様の模様が連なって見える。


「凝った模様だわね。文字みたいにも見える」

「飾りだとしても凝ってて高い技術力を感じるよね。文字って言われればそう見えるし、飾りって言われても否定できない。苔で隠れてる部分もあるしね。なんとも言えないな」


 千尋は模様を目で追ったが、意味は何一つ掴めなかった。ただ、適当に刻まれたものではないことだけは分かる。感覚、深さ、向き。どれにもキチンと揃えよう、という意図が見えた。


 真琴は千尋の隣に並び、開口部の奥へ視線を向けた。外から差し込む光が、数歩先で力を失い、その向こうは黒い闇に溶けている。奥から、わずかに風が流れてくる気がした。冷たく湿っていて、古い石の匂いがした。


 二人は何も言わず、この大きな発見と、遺跡の圧倒的な雰囲気の前で立ち尽くしていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


楽しんでいただけたら幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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