第97話 王
時間は少しさかのぼる。
この大陸で東ノ国が西ノ帝国の城壁を壊し、戦いが始まったころ。
海の向こうの国では、王であるアーシェンヴァーンが病にふせっていた。
王の右腕、ターレンシェーンは足早に王宮の廊下を進み、執務室のドアを叩いた。
「入れ」
アーシェンヴァーンの声に応じて入るなり、ターレンシェーンは血相をかえた。
「王! 休んでくださいとあれほどお伝えしたのに!」
「なに、最期の整理をしていたまでよ」
飄々と笑うアーシェンヴァーンは執務室の中で机の前に座り、書き物をしていた。
その顔は驚くほど白い。だが、強い光をたたえた目で、王はターレンシェーンに尋ねた。
「”議”の動きは?」
ターレンシェーンは目を伏せた。
「海の向こうの大陸へ攻め込むことが決定しました。もうじき好機がくる。あの大陸を手に入れれば、この国はもっと豊かになると。……ですが、私にはそうは思いません」
「あぁ。何十年後かには、また新しい大陸を欲するのだろう」
アーシェンヴァーンは乾いた声で自嘲気味に笑い、続けた。「なぜ我らは求めすぎてしまうのだろうな。広い土地、新しい技術、豊かな食料……」
暗い顔の王に、ターレンシェーンはそっと薬湯を出した。
「あなたのせいではありません。ずっと我らの民族はそうだったのですから」
「あぁ。この国を変えられるのは、あやつしかいない」
アーシェンヴァーンはひとつ息をつき、表情を引き締めて、書き物の続きを行った。
「これで、よいな」
確認するように視線を送ると、ターレンシェーンは深く頷いた。
「私も同じ考えです。異論はありません。ノーレスリャーンをあの大陸に密かに向かわせ、伝えさせましょう」
「頼む」
アーシェンヴァーンは頷くと、ゆっくりと目を閉じた。
「私は疲れた。もう休むとしよう」
◇◇◇
「ジグルステン様」
戴冠式のあと。砂になった帝都のはずれの木陰で書き物をしていたニックに声をかけたのは、柔和な細面に長髪を後ろで1つに括った異国人だった。
ニックは顔を上げ、驚きの表情を浮かべた。
「ノーレスリャーン。なぜここに」
ノーレスリャーンはニックの近くに歩み寄ると、耳元でささやいた。
「王が崩御されました。亡くなる前、王はあなたを時期王にとお望みでした。ターレンシェーン様も同じお考えです」
絶句するニックにノーレスリャーンは続けた。
「死因は心臓の病です。長らく私が診ていました。ずっと一部の者にしか伝えず、周りには秘匿にしていたのです」
「……王に子は」
「いません。あなたが海の向こうの国に渡ってからも、誰も妻をめとりませんでした。生涯愛すべきはシャルステン様だと言って」
ニックは「そうだったな」と静かに呟き、さらに問うた。
「まだ王の死は、公表されていないのだな」
「えぇ。あなたが戻られ、王になられたら公表します」
「あの国の王など……」
歯を食いしばり、唇を噛みしめるニックに、ノーレスリャーンは束の間痛々しそうな表情を浮かべたが、表情を戻し、穏やかに続けた。
「あなたしか適任はおりません。この大陸への侵攻を撃退したら海の向こうの国へお戻りください」
「……あぁ。本来の俺の居場所は向こうだからな」
ニックは静かに呟いた。
その声に混じる僅かな諦観。
ニック本人も自覚していないようなそれを、敏感に感じ取ったノーレスリャーンは一瞬だけ目を伏せた。
一面に広がった荒野を見渡し、話題を変える。
「戦乱は終わったのですね。ジグルステン様は、この国の王におなりで?」
「いや。俺よりもふさわしい男に任せた。信頼できる」
「あなたよりも適任がいるのですか」
驚いたように目を見開くノーレスリャーンに、「あぁ。かなりの適任がな」とニックは口の端をあげ、表情を引き締める。
「もうまもなく侵攻が始まるか」
ノーレスリャーンの顔に暗い影が落ちた。
「えぇ。ヴァーレントゥーガ連合軍2000が向かっています。厳しい戦いになるでしょう」
ニックは頭を下げた。
「情報に感謝する。ノーレスリャーン、お前は安全なところにいた方がいい」
◇
夕暮れ時。
赤く染まる西ノ帝国の大地を1人眺めていたデイトンに、若王は声をかけた。
「デイトン。その王冠とマント、よく似合うぞ」
にこやかな表情で歩み寄る若王に、デイトンは「恐れ多い限りです」と頭を下げた。
「かしこまらなくてよい。私は今日をもって一般の民となるのだから」
金色の美しい髪を揺らして、屈託なく笑う。
「ですが、たとえ一般民となられても、私実はあなたのお力が必要なのです」
デイトンが微笑むと、若王は謙遜しながらも嬉しそうにして頷いた。
デイトンと若王は、すっかり崩れ落ちてしまった王の宮殿の跡地で、焚火を作り、暖を取りながら、言葉をかわし始めた。
今後の新しい国の在り方についての話だ。あたりが闇に沈み、二人の話もひと段落したころ。
デイトンがふと顔をあげて聞いた。
「そういえば、あなたの名前は?」
「シャールシェーン」
照れたように若王は答えた。
「……聞き取れなかった。もう一度頼む」
気まずそうにデイトンが頭を下げると、若王は笑った。
「シャールシェーンだ。変わった名だが、母上がこの名を秘密裏にくれたのだ」
呼びづらかったら元通り若王でも良いぞ、と続け、少し口ごもってから小声で言った。
「これは女の名だ」
「え?」
あっけにとられるデイトン。
「私は母上に男として育てられたが、女なのだ。最初は髪も男のように短かったんだぞ」
手で自らの金髪をそっと梳く。「私は体格が良い。皆男だと疑わなくなったから、もういいと思ってな。母の愛したこの髪を戻したのだ」
「じゃあ、あなたは――」
何かを言いかけたところで、デイトンはさっと後ろを振り向き、剣の柄に手を置いて身構えた。
「ど、どうした」
若王が驚いたように尋ねる。
「何者かが、来る」
暗闇をじっと見つめるデイトンの先に現れたのは、巨大な図体の男だった。
穏やかな表情で両手をあげている。
「ヒスタロス……に似ているが同じというわけでもなさそうだな」
デイトンが剣の柄を握りしめたまま呟く。
男はヒスタロスのような見上げるほどの身長だが、筋肉はそこまでない。
どちらかというとやせ気味の体で、細面の柔和な顔立ちをしている。男は微笑みを浮かべながら、胸に手を当て、礼儀正しく一礼した。
「ノーレスリャーンと申します。あなたがたは?」
「俺はデイトン。こちらは――シャールシェーンと申す高貴なお方だ」
「おい、お主の自己紹介に足りないものがあるだろう」
若王がデイトンをつつくが、デイトンは不思議そうな表情をするばかりである。
ため息をついてから、若王は異国人に向き直り、デイトンを手のひらで指し示して重々しく言った。
「この方こそ、この国の王、デイトン・ヴァルゼンベルクである」
大男、ノーレスリャーンは「あなたが……」と目を細めると、丁寧に頭を下げた。
そして、自分は海の向こうの国から来たと言った――。
夜が白み始めている。
ノーレスリャーンの長い長い話を聞き終わったデイトンは、驚愕の表情を浮かべた。
「ならばニックは海の向こうの国から来たというのか。そしてその国はこの大陸に侵攻するのを虎視眈々と狙っていて――もうじき攻めてくるのか」
若王は先ほどから言葉を失っている。
「その通りです。ジグルステン様があなた方に民の避難誘導を頼むと言っていました」
ノーレスリャーンは頷いてから、「あ、ニック様ですね、こちらの呼び名では」と言い直した。
「分かった。そなたの話を信じよう」
デイトンはすぐに立ち上がって焚火を消し、馬の用意をし出した。若王も続こうとする。
「ま、待ってください」
ノーレスリャーンが若王を引き留めた。しばし、その顔を見つめて、そして深く頭を下げた。
「シャルステン様に瓜二つです」
「私の名はシャールシェーンだそ。それに母の名はシャルテだ。似ているが違うぞ」
居心地悪そうに若王は言ってから、「ほら。お主の馬だぞ」と手綱を渡した。
「え?」
瞬きをするノーレスリャーンに、若王は屈託なく笑った。
「そなたももう仲間だ。私はデイトンの馬に乗せてもらうからな」
若王はデイトンが差し出す手をとり、ひょいと馬に登った。
「では行こう」
デイトンと若王、ノーレスリャーンは朝もやの中、民衆がいる森の中へと馬を駆った。
「デイトン、先ほどの話の続きだが」
若王は、デイトンの背にしがみつきながら何かを考えるようにして口を開いた。
「もしかしたら母上も海の向こうの国から来たのかもしれない。きっと父上の周りにいた女たちの何人かもそうだ」
デイトンは僅かに目を見開いた。
「君の母上は、トルク家の娘ではないのか。王の寵愛を受け、惜しまれながら病で亡くなったと聞いたが」
「いや。養子だ。それに、私の記憶では父上は母上を愛してなどいなかった」
◆
「母上。またお顔に傷がついています」
夜遅く部屋に戻ってきた母の物音で私は目を覚ました。
燭台の光で照らされた母の顔には、殴られたのか、痛々しい赤い腫れあとがあった。
母上は「起こしちゃったわね」と苦笑しながら、私の髪を撫でた。
指先が少し震えていた。
その手を取り、声をひそめて言った。
「また父上にやられたのですか? いずれ必ず、私が成敗してみせましょう」
「シャール。気持ちは嬉しいけど、そんな物騒なこと言ってはダメよ」
周りを伺うようにして、困ったように微笑む。
「なぜです。母上が戦っておられるのに、私だけのうのうとしていることなどできません」
声を殺しながら強い口調で言うと、母上は「勇ましくなったわね。ごめんね」と申し訳なさそうにした。
「では、実家のサルク卿に申して、離縁を願い出てもらっては」
私の言葉に母上はぎょっとしたような顔をして、「私は養子の身だからわがままは言えないの」と言ってから、凛とした声で私にささやいた。
「これは私の戦いなの。私はこの戦いに自分の意志で乗り込んだ。あなたは来ないで」
「ですがもう負け戦ではありませんか……」
うつむくと、母上は「それでも戦い続けるの。慣れているから大丈夫よ」と笑った。口もとまで切れていて見ているだけで痛々しかった。
「それよりもシャール。養父上とヴァルゼンベルク卿があなたのことを褒めていたわ。剣の筋がいいって」
「ですがまだお二人の足元にも及びません。強くならなくては」
拳を握りしめると、母上は「そんなに急がなくてもいいのよ」と笑った。
物心ついたときには、母上と父上の関係は悪くなかったと思う。
それが崩れ出したのは、父上が砂紋民に対して強硬な姿勢を取り出してからだ。
父上は、砂紋民の紋様の美しさに魅せられ、”砂紋民狩り”を行いはじめた。
自慢げに、地下の宝物庫に眠る砂紋民の剥製を見せてくれたことがあったが、正直、吐き気をこらえるので精一杯だった。
「まあ美しい。もっと見たいわ」
父上の隣に侍る女たちが歓声をあげたことが信じられなかった。
特に最近急に寵愛されるようになった女――シカラは父上に節操なく抱きつき、新たな砂紋民の剥製をねだった。
「分かった。もっと集めてきてやるからな」
父上は濁った瞳で嬉しそうにそういった。
唯一、母上だけがおやめください、と強く言ったが父上はめんどくさそうにあしらっただけだった。
それからしばらくのち。
「なぜ……」
私の呟きに、誰も答える者はいなかった。
ヴァルゼンベルク卿との剣の稽古を終え、王妃の間にいつものように戻ると、寝台の上に冷たくなった母がいた。
息は既にしていない。
ギィッと部屋の扉が開いた。
その音にはじかれたように振り返る。
父上だった。
父上は数歩部屋に入ると、母上をちらりと見て、「病死だ」とひとことだけ言った。
濁った眼。その顔にはなんの表情も浮かんでいない。
自分と血がつながっているこの男が、死ぬほど嫌になった。
父上が部屋を去ると、私は母上の体をじっと観察し、死因を調べ始めた。
……母上は病など患っていなかった。
ならば、何故だ?
その時、ツンと鼻をくすぐる匂いがした。
――毒だ。
すぐに犯人に見当がつき、私は剣を握りしめた。
◇
「なに? 夜這い? まだ年端もいかないのに、積極的ねぇ」
シカラの部屋の扉をあけると、大胆に白い肌を見せた服を着こなすその女は、おかしそうに笑った。
間髪入れずに女の喉元に懐に隠し持っていた剣を突きつけた。
「……言え。母上を殺したのはお前か」
女はいきなり甲高い声で笑いだした。
ぎょっとした。
それが隙となった。
瞬時、女に組み伏せられ、今度は私が剣を突きつけられる番になった。
「そうよ。あなたの母上を殺したのは私。邪魔でしょうがなかったのよ。あなたもここで死んでもらうわ」
「なぜ」
自分の命がどうこうというより、この時はただそれだけが知りたかった。
「ふーん。ま、どうせ死ぬし少しだけなら教えてもいいかぁ」
女は赤い唇をなめると少し考え、言葉を続けた。「戦争を起こしてこの大陸を崩壊させたいの」
「……!」
驚く私に構わず、女は嬉しそうに微笑んだ。「そうしたらヴァーレントゥーガ様に愛してもらえる」
――この女、厄介だ。
己の強烈な欲のために動いている。
ならば、この国のためにやることは一つだけだ。
ここで確実に殺す!!
全身の力を振り絞って女の拘束から逃れようとしたが、あえなくいなされた。
「あらあら。あなたの動きは分かり切ってるのよ」
女はいたぶるように笑った。「力も弱いし。あなた、本当は女の子?」
バレていたのか。背筋が冷えた。
その瞬間、部屋の中に一陣の風が吹いた。
うなる槍の音。
ヴァルゼンベルク卿だ。
「チッ。あと少しだったのに」
女は身軽にその槍をかわし、さっと窓から外へと飛び降りた。
かなりの高さだったのに、一切の躊躇もない動きだった。
「……手練れだったか」
ヴァルゼンベルク卿は険しい顔をして槍を収めると、床に倒れ伏す私に手を差し出した。
「命のやりとりをしたか。怖かっただろう。よく耐えた」
いつも厳しい剣の師匠の、暖かい言葉だったのに、その手を取るのが躊躇われた。
おそらく、ヴァルゼンベルク卿はさっきの女の言葉を聞いた。
白くて柔い私の手。もうこの年齢にもなれば、男児ならもう少し逞しくあるべきだ。
「憐みなどいらぬ」
自分で立ち上がった私に、ヴァルゼンベルク卿はふっと笑って、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「墓場までこの秘密は持っていくから、心配するな」
それから何故だか分からぬが、父上に異を唱えるたびに、命を狙われるようになった。
私は次第に声をあげるのを諦めるようになった。
それはヴァルゼンベルク卿も同じであったが、卿は影ながらずっと私を支えてくれた。
それと同時に私にとって幸運だったことは、ぐんぐんと背が伸び、体格もよくなったということだ。この時以降、女だと言われることはなかった。
◆
「おそらくそのシカラ、という女は戦争で白銀鉄の粉を燃やさせたかったのだろうな」
デイトンは私の話を聞くなりそう言い、「もしかして鋼主も何者かに唆されたのか……?」とぶつぶつと呟き始める。
「……私が女であることに、もっと何か言わないのか」
この男はやけにあっさりとしている。女の名だと告げたときに、あっけにとられた顔をしただけだ。
「まあ、聡明で才覚のある陛下であることは変わりませんから」
驚いた。
何か同情の言葉をかけられたり、急に壊れ物にさわるような扱いになるのではと思っていた。
急に押し黙った私を不審に思ったのか、デイトンが「変なことを言ってしまったでしょうか」と聞いてきた。
「いや。嬉しいのだ。構うな。それよりももっと早く馬を駆れ」
「分かりました」
デイトンが馬の手綱を操る。
それをいいことに、さっきよりも少しだけ強くデイトンにしがみついた。




