第96話 正体
東ノ国との戦いが終わった後、すっかり何もなくなった西ノ帝国の跡地を眺め、1人佇む男がいた。
そっと眼鏡をかけなおすと、歩みより、尋ねた。
「なぁ、お前がジグルステンか?」
男はさっとこちらを見た。
あまたもの勲章がついた白い隊服。
金髪に碧眼のくだけた雰囲気の男はニコッと笑った。
「よく分かったね。アイゼンの息子、ラジャトくん」
間髪入れずに懐から小型の”弾”を取り出し、狙いを定めた。
今まさに胸を打ちぬかれるかもしれないのに、ニックは目を見開いて嬉しそうに言った。
「これは驚いた。ついにできたんだね」
その言葉に取り合わず、狙いを定めたまま、低い声で問う。
「何が狙いだ。なぜ海の向こうの国の侵略を招くと分かっていて、”ラジャト”を燃やすのを止めなかった」
ニックは微笑んだ。
「僕の生きているうちに、侵略者を招いて、撃退したかったからさ」
……本心は分からない。だが。
こいつがたまに見せる、やけに真っ直ぐな瞳には、応じる価値があるように思えた。
「もともとお前と協力をしていたからな。引き続きだ」
手を差し出すと、ニックは一瞬驚いたような表情をしてから――にこりと微笑み、力強く握った。
「いつ頃、侵略者はこの大陸に攻めてくるんだ?」
尋ねると、一転、碧い目を鋭くさせた。
「分からない。だが、もうじきだ。準備をしておいた方がいい」
「分かった。”弾”の調整をしておく。お前は?」
ニックは数秒考えると、いつものくだけた表情に戻って言った。
「今この大陸には、王が不在だ。嵐が来る前に、なんとかしないとね」
◇◇◇
「デイトン、戴冠式をやる。来てくれ」
父上の過去の話を聞き終わり、半ば呆然としていた俺は、ニックから声をかけられて我に返った。
父上が行ってこいとでもいうように目くばせする。
深く頭を下げ、その場を辞した。
ニックと二人、砂になった帝都を歩く。
「戴冠式か。ついに新しい国が始まるな。若王は良い王になるだろう」
そう言うと、ニックがにこりと笑ってかぶりをふった。
「いや、若王は王にならないよ」
よく意味が分からなかった。
「他に王に適した者なんているか? あ、分かった」
ニックに笑い返した。
「お前だろ? 支えるさ、ニック殿下」
冗談のように言ったが、心の中では割と真剣だった。
こいつは何か大きな目的のために騎士団で心を殺し、上り詰めていたように思えていた。
「……いや。僕は王には向かないよ」
そう言ったニックの表情がなんとも言えず憂いを帯びていて、一瞬、言葉を失った。
だが、ニックはすぐにもとの調子に戻って、言った。
「君だよ」
「……え?」
ニックの笑みが深くなった。
「だから、君だよ、デイトン。王になるのは」
「…………」
あまり驚きすぎることがあると、人間は言葉を失うらしい。
ニックはそんな俺を見て、くすりと笑った。
「昔から僕は君が王にふさわしいと思っていたのさ。さあ、行こう」
ニックに続いて歩きながら、昔のことを思い出していた。
◆
「なあデイトン。もし君が王だったら」
ニックからそんなことを聞かれたことがある。あれはいつだっただろうか。たぶん、ずっと昔――まだ俺が騎士団にいたころ。俺の部屋にニックがよく遊びにきていた時代だ。
笑って答えた。
「俺が王になるなんてこと、あるわけないじゃないか」
「まあ、あくまでも仮定でさ」
ニックも笑っていたが、続く言葉は真剣そのものだった。
「もし、弾圧されている異国民が、住む場所を求めてやってきたとしたら、どうする?」
しばし、よく考えてから口を開いた。
「受け入れる。国の人口が少ない時なら、国の発展の礎になるだろう。国が豊かで富んでいれば、彼らに食料もめぐんでやれるかもしれない」
その答えにニックは少し微笑んだようにも思えた。
「……じゃあ、もし君の国の人口よりも多い人数の異国民が流れてきたらどうする? 受け入れる?」
「なるほど。それは難しい問題だな」
異国民が自国の民よりも多くなってしまえば、国というまとまりが崩壊しかねない。
「俺が王だったら、でいいんだよな」
確認すると、「そうさ。反対勢力も全部ねじ伏せられる権限を持ってるよ」とニックは片目をつぶった。
「ならばやはり受け入れる。ただ、国で流民を養えるだけの食料がある限り、にさせてもらうが」
「……へぇ。初めてだな、その回答は。どうやるの? 反対されるよ?」
ニックが瞬きして尋ねた。
「国の概念を再構成する。国とは、所詮人々が作り出した幻想にすぎない。今ある”国”という概念を壊し、新たな国の概念を民に信じ込ませる。”我々と流民の国だ”と」
ニックは「国は、幻想……」と呟いたきり、しばらく無言だったが、やがて絞り出すように言った。
「なぜ、そこまでする? 流民など、見て見ぬふりをしてもいいだろう」
ニックの声が真剣さを帯びる。
「いや」
即座に首を振った。その質問については、すぐに答えることができた。
「それは俺の思う正義ではない。流民に正義を貫けないような王は、自国の民にも正義を貫けないだろう」
「すごいな、デイトンは……」
ニックは一瞬、羨望のような眼差しを向けた。なんだかむずがゆくなり、照れ隠しのように言葉を続けた。
「それに、国があるから民がその”国民”になるのではなく、民があるから国ができる、と俺は思う。民を国に合わせるのではなく、国を民に合わせるのが本来は正しい」
その言葉を聞いて、ニックは笑いだした。
心の底からの笑いだった。
「デイトン。きみは、騎士なんかじゃなくて王に向いてると思うよ」
そんな言葉を言われるとは思ってもみず、心底驚いた。
「そんなことあるか。騎士に向いてるって言ってくれよ」
この頃には、自分の剣の腕がもうどれほど修練してもニックや他の騎士には追いつかないことは分かっていた。
ニックは興味深そうに尋ねた。
「さっきみたいな考えをどうやって身につけたんだ。書か?」
「まあ、そうだな」
ニックに書斎を案内すると「これを全部読んだのか……」と目を剥いた。本棚をなめるように見て、呟くように言う。
「まあ、腐らずやれよ。なれるかもよ、王。本当に。それまで――ずっと己の力を磨き続けるんだ」
その時のやけに熱い眼差しを、よく覚えている。だが俺はそんな大それたことを想像できず、「はぁ」と曖昧に返した。
「まったく。ぜんぜん野心的じゃないんだから。まあ、それが君らしいのかもね」
おかしそうにニックは笑った。
◆
「これからこの国の王は、デイトン・ザッカーバーグだ。みな忠誠を尽くせ」
ニックの揺るぎのない口調が王宮の跡地にこだますと、生き残った騎士たちはいっせいに頭を下げた。
レオラやトルーシスを筆頭とした、革命組織の面々も次々と膝を折り、忠誠を誓った。民衆もまた同じだった。
「デイトン」
穏やかな声とともに、若王がこちらに近づいてくる。
頭を垂れると、王冠が頭の上に静かに乗った。ずっしりと重かった。
「頼むぞ」
若王の声。
「はっ」
深く礼をした。若王は嬉しそうに微笑み、先ほどまで着ていた王の象徴である、赤いマントを俺の肩にかけた。
割れんばかりの拍手がこだました。
「ニック!」
皆が帰り、がらんどうになった王宮の跡地で、俺は聞いた。
「本当はお前が一番王に近かった。重臣は消え去り、今もっとも権力を持つのは騎士団長のお前だ。……なぜ?」
「僕じゃ若王の信頼は得られないよ」
ニックはいつもの調子で笑いながら答えた。
「だが、民衆からの支持は目に見えてあったはずだ」
レオラやダグラスなどと同じくらい、騎士団長のニックは人気があった。
「それはさ」ニックが片目をつぶった。「君の方が王に向いていると思うからだよ」
その笑顔は、少しだけ寂しそうだった。思わず言葉が口をついて出た。
「お前が補佐をしてくれ。ともにこの国をよいものにしよう」
「残念ながら、それはできないんだ」
ニックは背を向けて去っていった。
なぜ、と尋ねる俺に、「いずれわかるよ」と微笑みながら。
◇◇◇
あたりでパチパチと炎がはぜる音が耳に入った。
懐かしい。前にもこの炎の音を聞いた気がする。そう、あれは東ノ国の山の中の洞窟で――
そんなことを思ったとき、俺は目を覚ました。
自分を見つめる藍色の瞳と目があった。
……え?
思わず起き上がろうとして、全身に激痛を感じ、思わず顔をしかめた。
自分が拷問を受けていたことを思いだす。最後に自分を解放した鋼主の姿も。
……生きている。
「俺、今ひどい顔?」
明るく言おうと思ったのに、思ったよりもかすれた声になった。
リュシアは少しだけ微笑んで懐から鏡を取り出すと、俺の顔の前に掲げてくれた。
「うん。酷い顔だよ」
……うわぁ。
鏡の中の自分と目があって、思わず心の底からため息をついた。
殴られた顔は腫れあがり、紫色に変色していた。歯も何本か抜かれたから口の周りも腫れあがっている。
リュシアにこんな姿を見られたくない。鋼主のように覆面をつけたい気分だ。思わず背を向けたかったが、激痛で体が動かない。
「もう見慣れたから大丈夫だよ」
リュシアはなかなか心をえぐるようなことを言ってくる。
「幻滅した?」
颯爽と西ノ帝国に勝利をもたらす。そうなることは叶わなかった。
「するわけないよ」
リュシアは言い切って、そっと俺の首筋に彫り込んである、リュシアの紋様にふれた。ところどころ煙管を押し付けられた跡があり、焼け焦げている。
「この紋様を彫り込んだ日から、私の心はずっとあなたのもの」
…………うわ。
その時、洞窟の入口で、ふわりと空気がゆらぐ気配がした。
……む。
「トルーシス。覗き見とは趣味が悪いぞ」
入口に向かって声をかけた。
「ご、ごめん。タイミングを考えていたら、どんどん分からなくなってしまって」
実に申し訳なさそうな顔をしながら、トルーシスが入ってきた。
「なんでお前が赤面してるんだよ」
トルーシスは耳まで真っ赤だった。昔からそうだが、まき毛の黒髪に、実に美しい顔をしている。と、その顔を見て驚いた。
あの黒い紋様が焼けて跡形もない。
「……よかった。ネル、意識を取り戻して。本当に」
トルーシスは気にする様子もなく、心からの安堵の言葉をもらした。
「お前と一緒に戦えなかったな」
ため息と一緒に言葉が出た。
……でも、トルーシスがここにいるってことは、戦争はきっと終わった。西ノ帝国が勝ったんだ。
トルーシスは、少しだけ微笑んだ。
「きっと、それでよかった」
「お前……」
俺が何かを言う前に、トルーシスは明るい声で告げた。
「デイトンが王になった。西ノ帝国は生まれ変わる」
「……そうか。デイトンが」
軽い驚きを感じながらも、デイトンが王であることに異論はなかった。虚華亭のあの密談部屋で、デイトンは明らかに昔とは違った。王としての風格があると思ったのは俺だけではないらしい。
「あぁ。きっとよい世界になるだろう」
トルーシスはさっと身をひるがえし、洞窟から出ようとした。
その小柄な背が、どうにも寂しく見えた。
昔、一緒に砂紋民の村を旅していた時――たまに見せていたような、この世をはかなむような雰囲気。それをまとっている。
「おい、お前はこれからどうするんだ」
思わず強めの口調になった。
「僕は――」
トルーシスはそっと顔の紋様のあとに手をあて、低く呟いた。「分からない」
そのまま洞窟を去っていくトルーシスに、言葉をかけることができなかった。
「トルーシスは多分ずっと、生きる意味を探している」
しばらくして、リュシアがそうぽつりといった。
それから、戦いの中で何が起こったかを教えてくれた。
若王の奴隷として非難されながらも戦ったこと、塔や工場を燃やしたこと、鋼主との戦いで瀕死の火傷を負ったが回復したこと――
「――いや。もしかしたらトルーシスはずっと、死ぬ意味を探しているのかもしれない」
リュシアが最後にそっと呟いた。
「……確かにな」
今まで、そう思う瞬間はなんどもあった。
「はぁ~、どうするかな」
思わずそんなぼやきがこぼれた。洞窟の天井を見上げる。
「俺は幸運だったな。どんなにキツくても、お前のことをおもえば、生きようと思えた」
「え」
藍色の――いや、綺麗な紫色の瞳と目が遭った。
頬に血がのぼるのを感じた。
「いや、だからその、毎回死にそうになるたびに、お前の顔を一目見て死にたいって思ってるだけだから。それだけだから! それ以上の意味でもそれ以下の意味でもないから!」
早口でまくし立てる。が、なんだかかえって訳の分からないことを言ってしまったような気もする。
「それはつまり?」
リュシアが冷静すぎるほど冷静な声でつめてくる。
「それはつまり……そのっ……」
目線をそらし、言いよどむ。「……お前は特別な存在なんだよ」
リュシアが息をのんだ気配がした。
見開かれたその瞳と、一瞬、視線が交錯した。
心臓が飛び跳ね、瞬時にそらす。
「じゃ、じゃあな。俺は休むから」
すぐさま寝ころび、背を向けると、リュシアは「う、うん」とぎくしゃくとした声で頷き、立ち上がった。
リュシアが洞窟を出て行き、はやる鼓動が落ち着いたあと、俺はのそりと体を起こした。
ふと、リュシアが忘れていったのか、先ほどの手鏡があった。
そこにうつる自分の顔と目が合う。
――この顔で、話してたのか。
がっくりと肩を落としつつ、リュシアが去り際においていってくれた包みをひらいた。中には、果物やら干し肉やらがぎっしりとつまっていた。
急に自分が飢えていることに気づく。
……まずは食って体を直さないとな。
思わず苦笑して、むさぼるようにそれを食べ始めた。
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※こぼれ話
ネルが意識を取り戻したのは、トルーシスよりもあとです。が、脈がちゃんとあったため、ピアスをつけた番人は「ネルは絶対に目覚めるから安心しな」とリュシアに言っていました。
一見、かなり落ち着いているように見えるリュシアですが、内心気が気ではなく、毎日数時間はぴったりとネルにはりついて看病しています。
ネルのことを一心に見つめていたので、その顔を見慣れてしまったのでしょう(笑)。
最終章、ついに突入いたしました。
今までの人物をまとめた、相関図も今作成中で、近日中に公開できるかと思います。
どうぞよろしくお願いします!




