第92話 幕間 アリヤとニック① 肉団子と砂糖菓子
「まったく。せっかく私が案内してやったのに、お礼の一つもないなんて!」
私はつい先日道場に入門した、ニックという青年に腹を立てていた。
「アリヤ。そう憤るな。きっと彼は過酷な人生を送ってきたのだろう」
ラザルが、奥の炊事場で私の好物の鳥の丸焼きを作っている良い香りがする。この育ての父がつくるものは、王都の食事処の料理よりもおいしいと私は思っている。
「もうっ。自分の人生と重ねてるの?」
少しは私の気持ちに寄り添ってほしいものだ。
ラザルは驚いたように顔をあげた。
「よく分かったな。さすがアリヤだ」
ラザルの腕まくりしている上腕には、かすかに朱色の焼き印の跡がある。
奴隷の印だ。
ラザルは、剣奴として囚われていた闘技場を逃げ出し、私の本当の父――トジンがいる村へとたどり着いたのだという。
「俺はトジンに救われたんだ」というのがラザルの口癖だった。
ラザルは昔を懐かしむように呟いた。
「俺にはトジンがいたが、ニックには誰もいないな」
「そんなことないでしょ。あなたがいるじゃない」
ラザルは苦笑した。 「俺は歳が離れすぎているからな。あれくらいの時期には、同じ歳くらいの友が必要なんだ。……不憫でならない」
なぜだか少しムッとした。
「なら私がその友、とやらになってやるわよ!」
ラザルがとても嬉しそうに顔を輝かせた。
「そうか! 頼んだぞ!」
なんだかうまく手のひらで転がされたようにも思えるが、一度やると決めてしまった以上、あとには引けないのが性分だ。
◇
翌日、道場にて。
「ほら、これあげるから元気出しなよ」
ラザルにこてんぱんに叩きのめされ、道場の床にのびているニックに竹筒を差し出す。
ニックは目をしばたたかせて不思議そうにそれを眺めた。
他の青年たちが3日ともたずに辞めていく道場を、彼は2週間以上も通い続けている。内心で私はニックを見直していた。
「こうやって飲むんだよ。おいしいよ」
私はその竹筒を傾けて飲んで見せた。ニックがそれを真似て飲み、「……うまい」と心底驚いたように目を丸くした。
その反応が面白くてついくすりと笑ってしまった。
「水に、少しだけ砂糖と塩を溶いてあるんだよ。これは果汁もいれてあるから、特別版だよ」
「そんな貴重なものを……」
ニックはまじまじと竹筒を見つめたかと思うと、「感謝する。もう十分だ」と私に突き返した。
驚いた。まだほんの一口しか飲んでいない。
「え、全部飲んでいいんだよ。それに、あなたが口をつけたものを、私飲みたくないし」
後半は酷い言いようになってしまったかと思ったが、ニックは前半部分にひどく驚いたようだった。
「これを、全部……?」
信じられないように呟く。
「……何が目的だ?」
かと思うと急に剣呑な目つきになって聞いてきた。
「目的も何もないよ! もうっ、人の善意を素直に受け取れないわけ?」
むぅっと頬を膨らませると、ニックはまた驚いたように瞬きをした後、「すまなかった。大事に飲む」と静かに言い、竹筒を持って道場をスタスタと去っていった。
翌日。
槍の修練を道場で一人していると、ふと人の気配がした。
振り返ると、ニックだった。
「脅かさないでよ。いつからそこにいたの?」
「まあ、さっきから」と曖昧に言葉を濁して、ニックは竹筒を差し出した。
受け取ると空になっていて、綺麗に洗ってあった。
「うまかった。感謝する」
ニックはぺこりと頭を下げて、ラザルの方へと歩いていった。
……い、意外とかわいいところあるじゃない!!
数時間後。
またラザルにこてんぱんに叩きのめされて、道場の床にうずくまるニックに、私は満面の笑みで竹筒を差し出した。
今日のは、果汁の味を変えてあるし、砂糖も多めにしてやった。
「え……」
ニックが呆然と私と竹筒を見比べて、「なぜ……?」と信じられないように言った後、「もらえない」と呟いた。
その顔に影がおちる。
この世界のすべてを拒絶するような表情で、ニックは立ち上がろうとした。
「待って」
瞬時にその足を払った。
不意を突かれたニックは、もんどりを打って道場の床に倒れ込んだ。
……うまく入りすぎたかも。
打ち所が悪かったらしく、苦痛に顔をゆがめている。
「ごめん」
私はニックの背をさすりながら、言い募った。
「毒をいれたりとか、あなたを操ろうとか、思ってないよ。普通にあなたをすごいと思ったの。だって、みんな父上の道場すぐ辞めちゃうし。だから、ほら、これ飲んで元気出して、また明日も来て」
ニックがふっと笑った。
「辞めさせないように、操ってるじゃないか」
「まあ、それはそうだけど、もう口に出したからチャラよ!」
開き直って叫ぶと、ニックはおかしそうに笑いだした。
初めてニックが心から笑った顔を見た。
いつものどこか影のある表情とは真逆の表情に、どきりとした。
1年後。
ニックの矢がうなりをあげて一直線に暗闇の中に飛んでいった。
少し後に、バサリと何かが落ちた音。
「仕留めた」
隣で、静かに喜びを噛みしめているニック。
「え、全然わからなかった」
というか、暗くて何も見えない。
ニックがこちらをちらりと見た気配だけ、なぜだか分かった。
「お前も物好きだな。お前くらいの年頃の女は、服や宝石に夢中だろうに」
「私に友達がいない理由、理解した?」
ニックはふふっとおかしそうに笑って、森の中へしとめた獲物を取りに行った。
「ほら。あなたが仕留めた獲物だよ。遠慮なく食べなよ」
このころには、ニックは時折、私たちと一緒に夕食の食卓を囲むようになっていた。
やや居心地が悪そうに食卓に座っているニックが面白い。
ラザルが「好きなだけ食うんだぞ」と丸焼きにした鳥を食卓の中央に運んだ。
パクパクと食べ始めた私をちらりと見て、ニックも手をつけた。
「えーと、なんであなた骨ばかりしゃぶってるの?」
驚いたことに、ニックは肉にまったく手を付けなかった。器用に肉をそぎ、なぜか骨ばかりを自分のもとに集めている。
そして、巧みにナイフを使って骨を割り、骨の中のどろりとした液体を啜っている。
「肉、嫌いなの?」
私が首をひねると、ニックが少しだけ目を眇めて「あぁ」と呟いた。
ラザルが何かを察したように目を伏せた。
翌日の夕食。
私は稽古が休みの日だったから、夕食を作って稽古終わりのラザルとニックを出迎えた。
「今日は鍋にしてみたよ。……見て。とっておきだよ」
二人が席に着くと、私は満面の笑みで食卓の中央に置いた鍋の蓋を開けた。
「動物の形をしているのが嫌なのかな、と思って。すりつぶして肉団子にしたんだ」
その時のニックの顔を私は忘れない。
本当に、心の底から苦しそうな顔をしたのだ。
「や、やっぱりダメだったら、辞めよう」
慌てて鍋を食卓からどかそうとすると、「待ってくれ」とニックが私の腕をつかんだ。
「何の肉だ?」
必死の形相で尋ねてくる。
「と、鶏肉だよ。昨日あなたがしとめた鶏肉の余り」
「それ以外は入ってないか?」
「入ってないよ。あ、団子にするときに小麦の粉を混ぜたけど」
「本当か?」
やけに確認するなぁ、と思ったがニックがあまりにも真剣に聞いてくるので、私も真面目に答えて、安心させるように大きく頷いた。
ニックが震える手で匙で肉団子をすくい、口に運ぶ。
額から汗が滴っている。
「そ、そんなに無理することないよ!」
何か肉にトラウマでもあるのだろうか。あまりにも痛々しくて見ていられなかった。
「あなたの好きな骨もたくさん煮てあるんだよ。それを――」
「アリヤ」
立ち上がろうとする私の肩に、ラザルが手を置いた。
黙ってみていろ、ということなのだろうか。
そしてニックは、肉団子を口に入れて咀嚼し、ゴクンと飲み込んだ。
「……うまい」
目からボロボロと涙が流れていた。
何か見てはいけないものを見てしまった気分だった。なんて声をかけていいのか分からなかった。
「アリヤ。少し外していろ」とラザルが言ったのが、正直有難く、素直に頷いて自分の部屋へと逃げるように行った。
ラザルが愛おしむように、ニックの頭にそっと手をおいて、「よく頑張ったな」とねぎらっている姿が見えた。
それからラザルとニックはしばらく話し込んでいるようだった。
ラザルの大きな足音が、2階のラザルの部屋に入っていったのが聞こえると、私はそろりと自分の部屋を出て1階に降りた。
そっと食卓の方を覗き見る。
ニックがめずらしくぼんやりとしていた。でも、もう落ち着いてはいるようだ。
「お腹が減って仕方がないから、私、ご飯食べるね」
声をかけると、ニックは苦笑して、「迷惑をかけた」と殊勝に頭を下げ、そこを辞そうとした。
「あなた、あれ以外に今日口に入れてないでしょ。食べていきなよ」
「……」
躊躇うニックに、私はダメ押しの一撃をくわえた。
「せっかく骨をたくさん煮たのになあ。私の苦労を無駄にするわけ?」
「……ここにナイフを入れると骨髄がある。栄養がある」
うまくできない私を見かねて、ニックは実に器用に骨を割って私にくれた。
中の汁を啜ると、確かに濃厚な味がした。
「私って恵まれてるのね」
静かに呟くと、ニックが意外そうな顔をした。
「あなたにとってはこれが一番のごちそうだったんでしょ? でも私、もっとおいしいものたくさん食べてきた。だから私は恵まれているなって」
ニックは少し黙った後、何かを考えるように口を開いた。
「俺の国にも、うまいものはたくさんあった。だが、ずっと自分でとった動物の骨しか食えなかった」
ニックは手の中の骨を転がした。「俺の国には、人肉を食う習慣があった。フローレンス人の作ったものには、全て人肉が入っている気がして吐き気がした」
フローレンス人とは、敵対する一族だろうか。
トジンの民族が帝国に滅ぼされたように、ニックの一族も滅ぼされたのだろうか。
私は一つの可能性に気づいて戦慄した。でもそれを聞かずにはいられなかった。
「……あなたも、食べられそうになったことがあるの?」
ニックは目を細めて、沈黙した後、「ずっと幼いころにな」と頷いた。
愕然とする思いだった。
この人は、一体どんな国から来たのだろう。
でも、今はっきりと分かることは、この国は平和で安全だということだ。
「あなたにとっておきのものあげる。全部あげるよ」
私はラザルにバレないように作っておいた隠し戸棚から、ガサッと籠を取り出した。
街に出たときに仕入れたお菓子が入っている。
「特にこれ。甘くておいしいよ」
ニックの手のひらを奪って、砂糖菓子を乗せた。
高価なもので、ラザルにねだってやっと買ってもらったものだが、今、ニックに食べてほしいと心から思った。
「……高いだろう」
最近、日中に街で働き出したニックはさすがに菓子の相場を知っていた。
高価な砂糖菓子を私に戻し、安価な飴の包みを一つ、そっと手に取った。
「ダメだよ。一番最初に一番いいやつを食べないと、味がわかんなくなるよ」
私はニックが飴を食べる前に、必死で砂糖菓子を半分に割った。綺麗に半分に割りたかったのに、うまく行かず、大きい方と小さい方に別れた。
ニックがふっと微笑んだ。
かと思うとさっと手を伸ばして砂糖菓子の小さい方――ではなく、周りにとんだほんの小さい欠片を口に入れた。
そして実に満足そうに呟いた。
「甘くてうまい」
「……大きいのを食べて!」
私がつかむよりも早く、ニックはその欠片を掴み、「あっ」と言って開いた私の口に入れた。
「君がよく言っていた。一緒に食べた方がおいしいって」
「なら、あなたも食べてよ!」
ニックは頷くと、小さい欠片をつかんだ。よし!と思ってたら、それもパッと私の口の中に放り込まれた。
「むぅ! ひどい!」
抗議の声をあげると、「ほら、味わえって」と笑われた。
◆
「傷、どうしたの?」
急にレオラの声がしてはっとした。
「ほら、傷の分の砂糖菓子。トルーシスからもらったの。東ノ国との戦いもひと段落したし、食べてもバチはあたらないわよ」
隣に腰をおろすレオラが砂糖菓子を手のひらにのせて差し出してくる。
「あ、あぁ。ありがとう」
そっとつまんで口にいれた。
柔らかな甘みが口の中に広がり、思わず口もとがほころぶ。
「……美味しい」
途端、レオラが破顔した。
このレオラという女は、東ノ国と戦うにあたって手を結んだ仲間だ。
さっぱりとした性格で一緒にいて心地よい。
「へぇ! あなたが笑うところ、初めてみた。いいじゃない!」
頬杖をつきながら寝ころがってリュシアの金属片で遊んでいたシェムリがガバッと身を起こした。
大きい目をさらにぱっちりと見開いて、私の顔を覗き込む。
「そう、傷は笑うと可愛いんだよ」
放り投げられた金属片を回収して、リュシアは少し自慢げに言った。それから、シェムリの髪についた葉っぱをとってあげている。
そう、私たちは女4人で森の中に休憩にきていた。
誘ってくれたのはレオラだ。
レオラはこのところ、鋼主との戦いでひどい火傷を負ったトルーシスにつきっきりだった。
毎日暗い表情をしていたが、昨日トルーシスがやっと目を覚まし、胸のつかえがとれたようだ。
トルーシスから看病のお礼として、砂糖菓子をもらったとのことで、みんなで食べようと言ってくれたのだ。
「それにしても、あなたがトルーシスからもらった砂糖菓子でしょ? トルーシスからしたら、あなたに全部食べてほしかったんじゃない?」
シェムリが至極まっとうな質問をレオラに投げかけた。
「そんなのもったいないよ。みんなで食べた方が絶対楽しいじゃん!」
レオラが一つの砂糖菓子のかけらを口に放り込んだ。
見ているこちらまでおいしくなるほど、嬉しそうに味わっている。
菓子は小指の爪くらいの小さな粒で、口に入れると舌の上でスッととけていく。
昔、東ノ国で食べたものより見た目も美しく、甘かった。良い材料を使っているのだろう。
「でも気になるのがさ、」
レオラの声が少し小さくなる。「トルーシスはこの砂糖菓子、別の女からもらったみたい」
「は?」
シェムリの目が大きく見開いた。長いまつげを数度しばたたかせたあと、ドスの聞いた声で続ける。
「……それは許せない。許せないわ」
ギリギリと拳を握りしめるシェムリを横目で見て、リュシアが冷静に言った。
「たぶん、トルーシスはエミリー令嬢からもらったんだと思う。今までのお詫びにって、エミリー令嬢がトルーシスに渡しに行くところを見た」
「それをレオラに渡すって、どういう神経よ。ありえない!! あの色男!」
シェムリが立ち上がって叫んだ。間髪いれず、リュシアが口をはさむ。
「多分、トルーシスは何も考えてないと思う。ただレオラに食べてほしかったんだと思う」
リュシアの言葉はフォローになっているのか、いないのか。
「エミリー令嬢かぁ……」
レオラは二人の言葉を聞くでもなく、膝を抱えて少しうつむくと、1人の世界に入って呟きだした。「トルーシスだもんね。美しい人が似合うよね。私みたいな人は、ただの共に戦う仲間だもんね」
「自分を卑下したらダメよ! あなたは絶対いけるから! もっと自分からグイグイいけばいいのよ! トルーシスは絶対押しに弱いから。そうだ、自分から口づけくらいサクッとしちゃいなさいよ!」
シェムリが目をキラキラさせてまくし立る。
「く、口づけ?」
レオラの声が裏返る。
「レオラ、シェムリの話はだいぶ過激だから聞かなくていいよ」
前のめりのシェムリの肩を後ろにぐいぐいとぴっぱりながら、リュシアがとりなすと、シェムリは口を尖らせた。
「なによ、あなたも私のアドバイスを熱心に聞いてたじゃない」
「……」
リュシアは途端に沈黙して赤面した。そしてぱっと私に視線を向けた。「……傷は? 傷は誰か想う人とかいないの?」
「え?」
リュシアから思いがけない矢が飛んできた。
「あなたの話、聞きたいわ!! ものすごく興味ある!」
シェムリの顔が輝いた。
「傷! そうだ、傷の話なら何か参考になるかもしれない!」
レオラが急に生き返ったように元気になった。
「いや、私は……」
曖昧に言葉を濁してから、束の間考え、言った。
「昔、想っていた人が、少し。でも今は多くを望まない」
「分かる」 「ふむふむ」 「望みなさいよ!」
3人の声が同時に響いた。
おかしくて、どこかくすぐったい気持ちになり、思わずふき出してしまった。
笑いがこみ上げて、声を上げて私は笑った。
久しぶりにこんな風に――昔のように無邪気に笑えた感覚だった。
そういえば、とふと思う。
ニックは――今、こんな風に心から笑うことができているのだろうか。
あれからちゃんと、砂糖菓子を丸々1個、気兼ねなく食べられるようになったのだろうか。
そんな風に考えている自分に気づいて、思わず苦笑いした。
*****
※こぼれ話
シェムリは、ずっとネルからリュシアの話を聞いてきたので、リュシアに会ってみたくてたまらなかったようです。二人が対面を果たすのは、戦いで怪我を負った鋼主の看病を、シェムリがしていたとき。治療する番人の手伝いとしてやってきたリュシアと、シェムリは初めて出会いました。
かつての恋敵、またお互いの恋人が敵対関係にあったわけですが、わりと二人とも過去を気にするタイプではなかったのが幸いしたのか、仲良くなりました。不思議と馬もあうようです。
作中ではあまり一緒にいないので、この女子4人のトークは書いていて楽しかったです^^




