第90話 レオラ 7/8
レオラが塔番の任につく少し前のこと。
闘技場の地下では。
耳にピアスをつけた番人は、来訪した金髪に碧眼の男を見るなり、げっそりとした顔をした。
「おいおい、マジかよ。もしかしてその鳥を治療しろっていうんじゃないだろうな」
「その通りだ。ジン、頼む。金はいくらでも出す」
無残に羽が折れた鷹を肩にのせたニックは頭を下げた。
「分かったよ。まあ、やれる範囲でやってやるよ」
ジンと呼ばれたピアスの番人が腕を伸ばすと、利口な鷹はその腕に乗り移った。
「こっちの羽はダメだな……」
じっくりと観察して呟き出すジンに、ニックがおもむろに口を開いた。
「しばらく旅に出る」
ジンはふっと微笑んだ。
「そろそろ、そう言う頃だろうと思ってたよ。待ってろよ」
立ち上がると、戸棚から器に入った黒い染料を持ってきた。
慣れた様子でニックはあぐらをかき、頭を前に倒した。ジンはその髪に染料を塗っていく。
「こっちの本来の色の方が、男前で俺は好きなんだけどな」
しばらくした後、染料を洗い流すと、髪は黒く染まっていた。
ニックが目から薄い膜をとると、瞳の色も濃茶へと戻った。
動物の角膜を極限まで薄く加工して色を付けた眼膜である。
「ジン。お前の技術のおかげで助かっている。感謝する」
ニックが頭を下げる。
「ったく苦労人だねぇ。また戻ったらよれよ」
その番人は屈託なく笑った。
◇
ニックが海の向こうの国に渡ったころ、レオラは王宮の広間にいた。
「諸君。よく集まってくれた。今から内議を始める」
けだるそうな声とともに、帝国王が姿を現した。
そこに集まった者たちはさっと頭を下げた。私もならう。
それにしても。
なんと冴えない男だろうか。この帝国の王は。
ちらりと目線をあげて盗み見る。
王は、重厚な玉座にもたれかかるようにして座り、頬杖をつきながら重臣が報告する言葉を虚ろな目で聞いている。
でっぷりと太り、顔色も悪く、付き人が差し出している、小鉢に盛られた干し肉をくちゃくちゃと噛んでいる。
わずかに、ちらりと紫色に染まった歯茎が見えた。
――あれは。
”薬”の言葉を思いだす。
『紫煙花の中毒の症状は、まずは歯茎に現れます。紫色に染まっていたら、確実に中毒でしょう』
紫煙花。
紫色のその美しい花は、摂り過ぎると中毒症状を起こす。
頭が陶酔したようになり、思考能力や身体能力が落ち、やがて死に至る。
”薬”は細心の注意を払いつつ、一時的に相手を麻痺させる毒として戦闘で用いていた。
帝国王が、なぜ紫煙花の中毒に?
宮廷医は何をしているのだ?
そっと周りを伺うが、王の歯茎に関心を示すものなどいない。
「では次の議題、騎士団の状況についてだ。今回はちと人数が少ないようだが」
重臣の声が響く。
話題が私に関連があるところになり、慌てて気を引き締めた。
第1師団長が立ち上がり、何者かの手によって第2師団と第5師団が壊滅したことを報告した。
いつもこの内議の場には、5人の師団長が集う。
だが、今回は3人しかいない。第2師団長は戦死、第5師団長のニックは喪に服しているからだ。まあ、実のところニックは旅に出ているのだが。
ニックの代理として参加した私は、ただ静かに平服し、頭を垂れていた。
「ふむ。早急に第2師団と第5師団を立て直さなくてはならないな」
重臣が顎をなでた。「誰か、それぞれの師団長に相応しいものはいるか」
第1師団長が即答した。
「ルイス大尉とバレド中尉がよいと思います。今も、我が右腕としてよく働いてくれます」
よく働いているだと? よく遊んでいるの間違いではないか。
内心で怒りがくすぶる。第1師団長、ザハトブルグは家柄のコネで師団長になっただけのくだらない男だ。
爽やかな声がすぐさま響いた。
「僭越ながら、私に第2師団も兼任として任せていただきたい。ルイスやバレドと比べて実績があります」
第3師団長がにこりと微笑みを浮かべる。
……第3師団長、ヒューレン。騎士団を乗っとるつもりか。
整った顔立ちで見目がよく、腕もたつヒューレンは、民衆からもすこぶる人気がある。
だが、やつの本質は、権力に目が眩んだ悪魔だ。王の外戚の娘との婚姻を進め、次の帝国王を狙っている。
「ふむ」
重臣たちがいいかもしれない、といった様子で頷いた。帝国王も僅かに頷く。
「ヒューレンめに騙されてはなりません。今まで兼任の事例など聞いたことはありません」
第1師団長、ザハトブルグが不満げな声を漏らした。
師団の人数は、第1師団500、第2師団400、第3師団300、第4師団200、そして第5師団は100人だ。 第1師団長ザハトブルグは、ヒューレンが第2・第3師団を兼任すれば、自分の勢力が脅かされると踏んだのだろう。
こんな風に騎士団内では、派閥闘争ばかりである。くだらない。
ちなみに、ニックは独自で兵を集めて隊を編成していたから、本来の第5師団の100人は均等に他の隊に配分されていた。
「ならば、こんなのはどうでしょう」
穏やかな低い声がした。第4師団長、ナヴァンだ。しゃべるなんて珍しい。
通称、”日和見の第4師団”。
派閥闘争にはわれ関せずで、戦いでも確実に勝てるときにしか戦わない。
その師団長を務めるのは、いつも微笑をたたえている腹の読めない男だ。
初めて会ったが、歳の頃、40くらいだろうか。
「謹慎中の第5師団長、ニック殿を空いた第3師団長にしては」
ナヴァンの言葉に、内心、驚いた。何の意図があるのだろうか。
「あの女好きの遊び人を?」
ザハトブルグが眉をひそめた。
女好きの遊び人はお前だよ、と言い返したくなるのをグッとこらえる。
表に出ているのは仮の姿だ。
本当のニックは、もっと仲間思いで強く、優しい。それでいて私利私欲がない。
ニックよりも師団長にふさわしい人物を私は知らない。
そこまで考えて、私はだいぶニックのことを尊敬していたのだと気づいた。
「……それは」
重臣たちが渋い顔をする。平民あがりのニックは重臣たちのうけがあまりよくない。
「やつは、今回の責任をとって除隊でいいでしょう」
ヒューレンがきっぱりと言い切ると、重臣たちは頷くかと思いきや、微妙な顔をした。
ニックの第5師団はかなり有用だったのだ。
特に、東ノ国の情報を入手し、よく報告していた。
その人材を手放すのは惜しいのだろう。生かしも殺しもせずに手の内におさめておきたいに違いない。
「では、我が第4師団の副官にしてもよろしいでしょうか。――第2師団には警備に赴かず、生き残った兵が100人ほどいますから、第3師団に加え、第2師団と改めましょう。ザハトブルグ殿の第1師団500、ヒューレン殿の第2師団400、私めの第4師団200。この他には編成しない。これでひとまず落ち着くでしょう」
第4師団長、ナヴァンの言葉に皆が頷き、内議は終了した。
「レオ中佐殿。どうかな? 一杯、私の部屋で茶でも」
内議が終わった後、第4師団長、ナヴァンに声をかけられた。
断る理由は何もないし、逆に断ったら波並が立つ。
頷き、静かにナヴァンのがっしりとした大きい背中についていった。
第4師団の兵舎では、兵たちが思い思いに過ごしていた。
意外としっかりと鍛錬をしていることに驚いた。
「どうぞ」とナヴァンがドアを開けた。
入ると、ナヴァンが静かに内側から鍵をかけた。
何故だか、嫌な予感がした。それを必死に表に出さないようにした。
「今日の内議、本当は言いたいことは山ほどあったんじゃないか? レオ中佐」
ナヴァンは朗らかに微笑んで、私に茶を出した。
「口は災いのもとと言いますから」
そつなく答える。本当はニックに、絶対に口を開くなと言われていたのだ。
ただ空気のようにその場にいればいいと。
「その通りだ」
ナヴァンは一息に茶を飲みほすと、静かに身を寄せ、私の耳元でささやいた。
「あなたのその少し高めの声に、何かを気づく者がいるかもしれませんからね」
……この男。
ただの日和見の中年ではないな。
平静を装う私の反応を面白がるようにして、ナヴァンは続けた。
「王の歯茎の色にも気づいてましたね? 注目しすぎですよ」
厚めの唇に笑みを浮かべ、声を落とす。
「理由は紫煙花の煙管ですよ。とある女が王を唆しましてね。以来、好んで吸われるようになった」
くすりと笑う。「そして、それを忠告する者もいない」
おだやかな笑みは変わらずだ。私はなんだか恐ろしくなった。
「あなたも、美しく着飾って、王の寝台にでも忍び込んだ方が、よっぽどこの帝国を動かせるんじゃないかな」
……確実に女だとバレている。
半ばやけくそで言い返した。
「そんなのは性にあわない。ならば、正々堂々と剣で刺し殺すまで」
その言葉を聞くと、ナヴァンは可笑しそうに喉の奥で低く笑い、ささやいた。
「第4師団にこないか? もちろん、君の秘密は守る」
驚いた。この男から誘いがくるなんて。
だが、やりたいことがあると丁重に断った。ナヴァンはその返答をあらかた予想していたように微笑んだ。
「それでは、一つだけ質問に答えて。君とニックの関係性は? 君はニックの新しい女なのかな?」
「……いえ、まったく。ただ訓練を施されただけです」
そうか、とナヴァンはまた笑った。
「じゃあ、私が拾っても問題はないな。よし、決めた。しばらく、私の家で暮らせ。レオ中佐はしばらく喪にふくすことにしよう」
「は?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
ナヴァンは、にこにこと笑って付け加えた。
「断ったら、ニックを第4師団の副官にするという話を反故にするよ」
そう言われたら断れるはずもなく、私はしぶしぶと頷いた。
*****
※こぼれ話
・ここに出てくる帝国王は、若王の父親です。
・ニックが鷹の治療を頼んだ、ピアスをつけた番人は、トルーシスやトルクたちに良くしてくれている、あの闘技場の番人と同一人物です。




