第85話 レオラ 2/8
「やぁ。弱いね、きみ」
目を覚ますと、笑みを浮かべるニックと目が合って、げんなりした。
体を起こした。寝台で寝ていたようだ。
飾り気はないが、寝具はふかふかとしていて心地よい。
「ここ、どこ?」
宿か何かだろうか。寝台のほかには、机と椅子しかない。ひどく無機質な空間である。
騎士の隊服ではなく、庶民がよく着るような平服に着替えたニックは、さらりと言った。
「僕の部屋さ」
……意外。もっと派手な部屋に住んでいてもおかしくない。女だって数人囲っていそうな雰囲気なのに。
体中の痛みが、遅れてやってきた。
その痛みが、自分の弱さを痛感させる。
「私は弱くなんてない。これから強くなるの」
「へぇ。まだ諦めないのか。あれほど僕にボロボロにされたのに?」
ニックが口の端をあげる。その目には、私に対する興味が色濃く光っているように思えた。
「ねぇ。私をあなたの養女にして。花嫁修業じゃなくて、剣を教えて」
ニックは少し驚いたようだったが、にこりと微笑むと、「いいだろう」と笑った。
それから私はその騎士――ニックと一緒に住み始め、鍛錬を始めた。
ニックの家の地下には、驚くことに板ばりの稽古場があった。
初日。
稽古場に足を踏み入れると、床には様々な武器が並べられていた。なんでもいいから選ぶよう言われた時、私は槍を手に取った。
これなら、上背が大きく劣る私でも勝機があると思ったのだ。
「へぇ。それを選ぶんだ」
ニックはにこりと笑って、他の武器を床からどかすと、修練用の木剣を手に取った。
「じゃあ始めよう」
ニックは言うなり、音もなく動いた。
瞬時、考えた。
間合いに入られたら、確実に負ける。それほどニックとの技量の差は大きい。
ならば、間合いに入らせなければいい。
私はめちゃくちゃにその槍を振り回した。
……5秒と持たなかった。
「君は、ラン向きだな」
背後をとられ、木剣で背を殴打されて崩れ落ちると、ぼそりと声が降ってきた。
「……ランってなんなのよ」
稽古場の天井を見ながら尋ねる。声を出すと背が酷く傷んだ。
「まあ、とある武芸の型かな。ちょうどいい。君は槍を極めろ。その槍はこれから君のものだ」
ニックが私の横に転がる槍を指さした。
「え、剣じゃないの」
騎士は剣を持って戦うのが常道だ。
ニックは笑った。
「自分から槍を握っておいて不満かい? 槍を極めれば、剣で戦うそこらへんの騎士よりも高みに行けるよ」
「でも槍を持つ騎士なんて聞いたことないわ」
なんだか騙されてはいないだろうか。怪訝な目で見やると、その反応を想定済みとでもいうように、ニックは流れるように語った。
「槍を習得できたら、剣なんて簡単に扱えるようになる。んで、普段は剣で戦って、ほんとに大事な時に槍を使うんだ。いっとくけど、大半の騎士はくだらない。そんな騎士たちと足並みをそろえる必要がどこにあるのさ?」
ニックは一段、声を低くした。
「ほんとに正義の騎士になりたいのなら、時には仲間の騎士を殺す必要があるときだって出てくるだろう。なら一層、特出した何かが必要だ」
なかなか過激な内容だが、正論であると思った。
「分かった。じゃあ、明日からもよろしく」
目を閉じれば、いつでもあの血にまみれた腐った世界が浮かんでくる。
ニックは少し目を見開くと、おかしそうに笑って片目をつぶった。
「あぁ。覚悟しておいてね」
◇
「驚いた。こんなに早く僕の槍を追えるようになるとは。才能あるな、きみ」
……本当かよ。
心の中で毒づくが、もうその言葉を口に出す気力すらない。
私はまたニックに叩きのめされ、稽古場の天井を眺めていた。
「今日はこれで終わり。早く起き上がらないと夕食はないよ」
ニックはスタスタと去っていく。
もうっ!
ぐったりと疲れはてていたが、夕食を抜かされてはたまったもんじゃない。
私は地下の稽古場から1階の食卓へと向かった。
ニックが作った、質素だが精のつく料理をむさぼる。
食べないとこのキツイ訓練には耐えられない。
ニックが私の様子を見てふふ、と笑った。
「もう1か月が経つけど、どう? 僕との暮らし」
「悪くはないわね。あの閉じ込められていた時に比べれば」
スープをかきこみながら言うと、「へぇ」とニックが口の端をあげた。
「きみ、変わってるね。こんな人らしくない生活が好きだなんて」
「あなたがそうさせているんでしょう」
むっとして口を尖らせる。
日中、ニックが騎士の任務で家をあけているときはひたすら自主練習。
ニックが帰宅後は、修練。
翌日は日が出る前に叩き起こされ、また修練だ。
この修練がとにかくきつかった。
ニックが永遠と繰り出す、鬼のような速さの槍の穂先を突き返す。
ただそれだけなのだが、それは想像を絶するほど困難だった。
それに、突き返すことができないと、その槍が容赦なく体を襲う。
実際、修練用の木の穂先の槍なので、殺傷力はなく殴打されるだけなのだが、息がとまるほどの衝撃だった。
そして、痛みで顔をゆがめている隙があろうものなら、次の突きが襲ってくる。
最初のうちは数秒とたたずに悶絶していた。
今は何とか数分はやりあうことができるようになったが、それでも数分である。
「それにしても、あなたはどうやってこんな動きを身につけたの?」
私の質問に、ニックは目をしばたたかせてから、「まあ、ある人に教わったのさ」と微笑んだ。
ニックと住み始めて3ヶ月ほどが経ったある日の夕暮れ時。
そろそろニックが帰宅する頃かと、稽古に備え、居間で丹念に槍の手入れをしていると、戸口に人の気配がした。
扉に顔をよせ、覗き穴から外を伺う。
身なりの良い若者がたたずんでいた。
「ニック、俺だ。デイトンだ。……いないのか?」
懐から合鍵を取り出し、ガチャリと扉を開けたので私は仰天した。
至近距離で、私と若者は奇妙に出くわした。
「……え、誰?」
若者はまじまじと私を見ると、ぎょっとしたように顔を凍り付かせ、さっと私の腕をとった。
「痣だらけじゃないか。それに、切り傷も」
稽古でさんざん叩きのめされ、打撲痕や傷跡が全身にあった。
「あぁ、それはニックに――」
言いかけると、若者の顔色が変わった。
「……女癖が悪いと思っていたがここまでとは」
私を覗き込み、語気を強める。
「決して悪いようにはしないから、正直に言ってくれ。あいつに何をされている?」
言われた通り、正直に言った。
「稽古をつけてもらってるの」
「は?」
若者の目が点になった。
◇
「まったく、人を勝手に犯罪者にしないでほしいな」
ニックは笑い、若者――名をデイトンというようだ――の杯に葡萄酒を注いだ。私の杯には水入れから水を注ごうとする。
「なんで私は水なの」
軽く睨んだ。食卓には、ニックの作った、いつもより手の込んだ料理が並んでいる。
「ダメだよ。まだ成人してないでしょ」
「もう16よ。襲撃のあったあの日に16になったの」
「へぇ? ならいいか」
ニックは私の杯に葡萄酒を注ぎ、渡してくれた。芳香な香りが鼻腔をくすぐった。
デイトンは私とニックのやりとりを信じられないような目で見つめ、深く頭を下げた。
「すまなかった。いろいろと勘違いした」
ニックはふきだした。
「分かってくれたら別にいいよ。武術の稽古をしているだけで清廉潔白な関係さ。最近僕の養女になったんだよ」
デイトンがニックに小声で尋ねた。
「娘だぞ。正気か」
咎める様な調子の言葉に、ニックはぐいと酒をあおり、平然と答えた。
「正気だし本気だ。見込みがある」
驚いた。
同時に、心が震えた。
なぜこの憎らしい男の言葉を、こんなに嬉しく感じるのだろう?
「ほんと?」
間髪入れずに聞いた。
ニックは静かに頷き、珍しく真面目な口調で言った。
「本当だ。この国で1番の槍の使い手になるだろう。ただしそのためには条件がある」
「その条件ってなに?」
身を乗り出す私に、ニックは微笑んだ。
「死ぬほど修練をすることさ」
「分かった。やってやるわよ」
私はぐいっと酒を呷った。全身が熱く燃え上がるような感覚だった。
「……そうか。そこまで本気なら、止めることはできないな」
デイトンがなんとも言えない顔で私を見た。それからデイトンとニックは二人で話し込んだ。どうやら、デイトンは辺境の地へと赴くらしい。すっかり酔ってしまった私は早々に自分の部屋に戻った。
◇
「1年でここまで来たか。上々だ」
永遠と繰り出される、鬼のような速さの槍の穂先を突き返すこと数時間。
額に汗をにじませたニックは、槍を収め、静かに問うた。
「まだ正義の騎士になりたいという覚悟はある?」
「もちろん」
端的な返答にニックは深く頷くと、「では男になれ」とひとつにまとめてあった私の髪をさっと手に取り、バツンと切った。
◇
「どうよ、騎士団は。新入りの一般兵レオくん」
宿舎にやってきたニックは私に聞いた。驚いたことにニックは騎士団で大佐の位を得ていた。
「なかなか刺激的です。ニック大佐」
精一杯の皮肉を込めていうと、「そうだね」とニックは笑った。
私は入隊試験を経て騎士団員となった。実技は申し分なかったが、筆記は直前に必死で詰め込んだ。
だが、やはりというべきか、入ってみると騎士団は退廃していた。
規律がなく兵の質はすこぶる悪かった。
「北ノ国との戦に志願したそうじゃないか。励んでくれよ」
ニックはそう言って私の肩を叩いた。
帝都に戻らず、ひたすら北ノ国との戦いばかりに明け暮れていた。
破格の勢いで昇進し、3年間で中佐にまでなった。最年少だという。
戦闘がひと段落し、北ノ国との国境沿いから、久しぶりに帝都の軍本部へと戻った。
案内されたのは、第5師団長になったニックの部屋だった。
帝国軍は、第1~5師団まであり、それぞれに師団長がいる。この3年でニックもかなり昇進したのだ。
扉を開くと、師団長の腕章をつけたニックが重厚な机の前に座り、何かの報告文書を読んでいた。
金髪に碧眼。やや細身だが、鍛え抜かれた体躯。数年ぶりに会うこの男は、もう30を回っているはずなのに、まったく昔と変わらなかった。いっそう凄みを増したような気さえする。
ニックは、「やあ」といつものくだけた調子で顔をあげた。
「見ない間にすっかり凛々しい顔になったじゃないか。槍を温存して中佐になるなんて大したものだね」
答えず、騎士団を辞めたいという意を記した封書を、静かに机に置いた。
ニックは表情を変えずに、それを読んだ。
まるでこうなることを予想していたかのように。
「兵の動かし方と軍略については一通り習得したかい?」
「はい」
「まあ君の功績からしたら当然そうだよね。でもまだ槍での実戦経験はないだろう?」
ニックはにこりと笑って続けた。
「僕の第5師団は選りすぐりさ。まともな連中ばかりだよ。そこでもう少しだけ、続けてみない?」
◇
第5師団修練場にて。
……これのどこがまともな連中なんだ。
内心でニックを呪いながら、そこに集う奇怪な集団を眺めた。
剣を持たず、矢を射続ける青年。その矢を一心不乱に飛び道具で両断する男。
不思議な道具を片手に無言で空を見つめる少年に、本当に戦えるのか不安なよぼよぼの老兵。
なぜか薬草の調合を行っている図体の良い男。
隅には、眠りこけている男に、分厚い兵法書を読みふけっている男がいる。
視界に入るのはそれだけだったが、それ以外にも複数の気配があった。
突然、背後の気配が強くなった。
「よっ!」
威勢のいい声と共に、豪速で剣が振り下ろされた。
「うわっ!」
転がってその刃をよけてかわすと、「すげぇ!!」と興奮したような声が降ってきた。
見上げれば、茶色の長髪を後ろで一つに括り、札のような大ぶりの耳飾りをつけた男がいた。
騎士の白い隊服は裁断され、他のカラフルな色の服と縫い合わされている。そして、それを大きく着崩している。
長髪が軍規違反であることがかすむほどの、相当ないでたちの伊達男だ。
「一番フツーそうな見てくれなのに、一番余裕をもって俺の刃をかわしたぜ、こいつ」
「……だな。強い」
伊達男の後ろから姿を現した男は、じっと私を見て、ただ一言、そう呟いた。
獣の毛皮と革でできた服を身にまとっている。もはや隊服の「た」の字すらない。肩にとまっている鷹か何かの猛禽類まで私をじっと見つめている。
「おいお前ら。せっかくの新入りなのに驚かせるな。また逃げられたら困るだろう」
白い隊服のボタンを一番上まで止めた、穏やかそうな顔の男が現れた。
――やっとまともそうな人がきた!
と、突然その背から赤子の泣き声がした。
「大丈夫だ。怖い人ではないぞ。安心しろ」
背負った赤子を穏やにあやすその姿に、私の頬がひきつった。
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※こぼれ話
ニックは実は料理が上手です。海の向こうの国で、トジンやゼーレンバーニ達と暮らしていた時、料理は主に彼の担当でした。フローレンス人たちは、あんまり手先が器用ではないので、料理は苦手なのです(ただ肉や野菜を切って焼くだけ……)。
トジンは料理がまったくできなかったので(トリヤの手料理で生きてきた)、必然的にジグルステンの役割になりました。
この大陸に来て、ラザルやアリヤからも料理を習い、レパートリーを広げています。




