第84話 レオラ 1/8
物心ついたときから、私にとって世界は紫色だった。
四角い、狭いガラス張りの部屋にただ一人、私は裸で閉じ込められていた。
もっともその時は、服という概念が分からなかったから、裸という概念もなかったのだけれど。
その部屋の床には、一面に紫色の花が咲き乱れていた。
私は一日に一回、部屋の壁から出てくる食べ物を食べてそこで暮らした。
とても退屈な毎日だった。
次第に花々は増え、その背丈を伸ばし、さらにはツタを壁に這わせて咲き乱れるようになった。
何回か高熱を出した気がする。
苦しくて苦しくてたまらなかったけど、どこからかやけに色鮮やかな肌の色の不思議な生物たちが現れて(のちに私は、それを”服を来た男”で私は”女”であることを知る)、私に何かを飲ませた。
途端に体が楽になった。
熱が下がったら、またいつもの日々が始まった。
体に紫色の痣ができていたことが唯一異なる点だった。
紫色の花が増え、熱を出し、体に紫色の痣が増える。
その繰り返しだった。
部屋が紫色の花々でびっしりになり、私が動く隙間もなくなったころ、その部屋の外に出された。
服を着た男がいて、今度は私を別のガラス張りの部屋へと案内した。
がらんとしていて、中央に台のようなものしかない部屋だった。
私はその台の上に乗せられ、左肩にチクリと何かを刺された。
眠って起きると、驚いた。
肩のあたりに黒い痣ができている。
それは紫色の痣とは違って、しっかりとした輪郭があり、弧を描いていて、何かの形のようだった。
しばらくして、黒い痣がより濃く、はっきりとしたものに変わっていった頃、私はその部屋から出された。
男たちは口々に何かを口にし、さかんに私の肩をたたいた。
何かを祝われていることだけは伝わった。
それから、小さい四角い箱に閉じ込められ、運ばれた。ある時、男の声と箱を叩く音がして、私は一人、外に出された。
驚いた。
そこは見慣れた紫色の花の他に、多くの見たことのない色とりどりの花や植物が咲いていた。
肌に当たる日の光が焼けるように痛かったことを覚えている。
「なんだ? 服もきずに。こんなところで水浴びか?」
急に、今までとは別の男の声がした。男は私の体をじろじろと見た。
特に、黒い痣のあたりを丹念に。
「……黒い紋様か。金になる」
私にはその言葉の意味が分からなかった。
黙りこくっている私にはお構いなしに、男は私の両手首を縄で縛った。
そして、私はまた部屋に閉じ込められた。
今回の部屋が前の部屋と違ったのは、沢山の本があったことだ。
男が不憫に思って揃えたらしい。
私は文字の読み方を習得し本を読んだ。
様々な概念を学んだ。知らないことを知るのは面白かった。
それしかやることもなかったし。
中でもお気に入りは、騎士についての物語だ。
白馬に乗った正義の騎士が、悪者を倒し、囚われた姫を助け、結ばれる。
そんなストーリーに心を躍らせた。
部屋に閉じ込められている自分を物語に投影していたのかもしれない。
本を読み疲れ、特にやることもない時、私は夢想した。
この部屋の外には、いったいどんな世界が広がっているんだろう。
――私も、いつかは出会えるのかな。
白馬に乗った正義の騎士様に。
外の世界と、正義の騎士を夢見ていた。
この時は、まだ。
私が16を迎える前日。
久しぶりに入ってきたお父様――私を捕らえた男は、そう呼ぶよう命じている――に、私は明るく尋ねた。
「ねぇお父様! 私、さすがに明日の成人ノ儀には出られるよね?」
「……紋様を見せてみろ」
お父様は私の問いには答えず、ただそれだけを言った。
私が服を少しはだけさせると、お父様は満足そうに唇の片端をあげて、
私の手を取り――
ガチャン。
金属でできた手枷をはめた。
呆然としてお父様を見ると、「お前を東ノ国へ売り渡す」と言った。
後ろから商人風の男が顔をのぞかせ、「素晴らしい。”金”の札ですぞ」と満面の笑みを浮かべた。
「さぁ、こい」
乱暴に私を引っ張る。
抵抗しようとしたが、虚しく引きずられるだけだった。
「……誰か、助けて!」
そう叫んだ時、急に私を引っ張る力が弱くなった。
怪訝に思ったその時。
お父様が膝から崩れ落ちた。
商人風の男も、床へ倒れる。
二人とも、胸を深々と刺されていた。
次の瞬間、現れたのは、白い隊服を着た騎士だった。胸に帝国のエンブレムが入っている。
目を見開いた。
……なぜ騎士様が?
でも、騎士様が救ってくれたのだ。まるで物語のようだ!
慌てて礼を言い、頭を下げた。
顔をあげたその時、騎士と目があった。
途端に、心が冷えた。
騎士は好色めいた目で私の体をなめるように眺めると、後ろを振り返って叫んだ。
「おーい、隠し部屋に娘がいたぞ。なかなかいい娘だ」
太い指で私の胸ぐらをつかみ、服をさらにはだけさせた。
「やっぱり。紋様の変わり種だ。帝都の闇市に持っていけば高く売れるぞ」
ほら、と騎士は私のはだけた胸元を他の騎士にも見せた。
「よし、俺らで楽しんだ後、首都の歓楽街に持っていこうぜ」
「こい、娘。……これは邪魔だな」
騎士たちは私の手枷を外すと、ぐいと肩をつかんだ。
とっさに、お気に入りの騎士の物語の本を手にとった。
「……へぇ? まあ所持品としてそれくらいは許してやる」
騎士はそう面倒くさそうに言った。
家の中では、女と、幼い少年が倒れていた。ずっと部屋に閉じ込められていたから会ったことはないが、恐らく男の妻と息子だろう。
血を流しており、ぴくりとも動かない。多分、もう死んでいるのだ。
誰に殺されたか考える間もないまま、騎士は私を寝台に押し倒した。
乱雑に私の衣を破く。
白馬に乗った騎士はいないのだ――冷え冷えとした心でそんなことを思ったとき。
ふと、その騎士の動きが止まった。
もしかして。
本当にピンチの時にこそ、救いの手は現れるものだ!
期待を込めて顔をあげた次の瞬間、頬に生ぬるいものがかかった。
思わず手でぬぐった。掌が赤い。――血だ。
首から激しく血を流した騎士が私の上に倒れた。重い体が痙攣し、そして力を失った。
――死んだのだ。
騎士の痙攣が、まだ私の体に残っている。仲間の騎士も死んでいた。首筋から激しく血を流して。
私は騎士たちを倒した男を、呆然と見つめた。
男もまた、騎士だった。白い隊服は赤く血で染まっている。
ドアがバタン、と閉まった。
部屋には私と、その血まみれの騎士だけ。
「そんなに警戒しないでくれよ。せっかくの綺麗な顔が台無しだ」
その騎士は近づいてくると、視線を私の体に這わせ、何かを確かめるように紋様と痣を指先でなぞった。
「……やっぱり”鍵”か。痣もこんなにあるんだ」
そして、言った。「きみは海の向こうから来たの?」
なぜ分かったのだろう。
そんな思いが顔に出ていたに違いない。
騎士はふっと笑った。
「記憶があるなんて、珍しいね」
服を整えなよ、と言い、私の傍らにあった、正義の騎士の物語を見ておかしそうに笑った。
「残念だね。白馬に乗った騎士なんて、待っていてもやってこないのさ」
死んだ騎士の腰に刺さっていた剣を鞘ごと抜き、差し出す。
「剣をとれ、娘。運命なんて、自分で切り開くものだ」
歯を食いしばった。剣は死んだ男の血でぬめぬめとしており、物語にでてくるようなかっこいいものとはずいぶんと違った。半ば強引に握らされた、初めて持った剣はずっしりと重かった。
「その調子だよ。……生きるも死ぬもきみ次第。がんばって」
じゃあね、と言ってその騎士は出て行った。
こんなにも血なまぐさいものか。騎士様は。
呆然とそう思った。
しばらくしてから、また別の男たちの足音が聞こえた。
こちらに向かってくる。
剣を握りしめた。
……やるか。
そう思ったことに、自分が一番びっくりした。
初めて人を殺した。
吐き気をこらえながら外に出ると、そこは凄惨な世界だった。
何人もの村人たちが血を流して倒れている。
騎士たちにやられたのだと、直感した。
……ここから逃げなければ。
それだけを強く思った。
途中、あの血まみれの騎士とは別の騎士になぜか庇われ、奇跡的に命をつないだ私は、他の数人の村人と共になんとか逃げのびた。そして、村を襲った騎士団に対抗する勢力である、砂紋民の軍へとたどり着いた。
「やつらは残虐非道です。……倒してください。お願いします」
他の村人と一緒に頭をさげると、軍の中心にいた人物は丁寧に礼を言った。
「あなた方が知らせてくれたおかげで、敵の様子が分かった。勇気ある行動に感謝する」
穏やかで優しい口調に、思わず顔をあげた。
思ったよりも若い青年の顔に束の間、見とれた。
その頬には、黒い紋様があった。
私のよりも、もっと複雑で綺麗だった。
「敵は必ず倒す」
静かな、だが闘志がみなぎる青年の声に、周りの男たちが一斉に沸きあがった。
◇
「ねぇ。いつまでそこにいるの?」
気さくな調子の声が聞こえた。村が襲撃されたときに私を救ってくれた、血なまぐさい騎士だ。
気づかれていたのか、と身を固くし、潜んでいた茂みの中で剣を握ったが――もう何もかもどうでもよくなった。
ただ、あの美しい青年が憎い敵を倒しているところを見たかったのに。
その戦場で起こったことを全て見た。
騎士団が、計略により青年を捕らえ、砂紋民を虐殺した一部始終を。
「いいの? 恋焦がれている騎士様を、無視しちゃってさ」
金髪に碧眼。まさに物語に登場しそうな男は、くだけた様子で私の方へと近づいてきた。
「……クソ野郎!」
剣をぐっと握りしめ、渾身の勢いでその騎士に斬りかかったが、なんなくかわされた。
「あはは、勇ましい娘だなぁ。それに、なんてひどい言葉遣いなんだ」
おかしそうに笑う。
「さっき覚えたの」
「……ネルが悪い影響を与えてしまった」
騎士は天を仰いだ。
「私を殺すの?」
「どうしようかなぁ。でも、全部見てたんなら僕がそこまで悪人じゃないことは分かっただろ?」
「……」
思わずうつむいた。この騎士は数人の砂紋民を逃がしていた。
多分、わざと殺さないようにも戦っていた。
すっかり夜は更け、肌寒くなっていた。
騎士は適当な木々を拾い、手際よく焚火を作ると、私の隣に腰を下ろした。
「きみ、行くところあるの? 僕はニック。いきなりなんだけど、僕の養女にならない?」
……え?
眉をひそめた私を見て、自慢げに自分の白い隊服と、胸についているバッジをつまんで見せた。
「僕は少佐だよ。けっこー頑張ったんだ。これからものぼりつめるよ。だから養女になればいい暮らしができる」
そして目ざとく私が懐に入れていた本を見て取ると、指さした。あの正義の騎士の物語の本を、村から唯一の所持品として持ってきていたのだ。
「きみはこの本に出てくるお姫様みたいな生活ができるよ。素敵な旦那さんに、豪華なお屋敷、服は買いたい放題さ!」
歌うように言って、ささやく。「……僕の養女になれば全て手に入るよ」
冷えた声で返した。
「どうせあなたの出世のための政略結婚でしょ」
「ははは!」ニックはおかしそうに笑った。「大体合ってるよ。ご名答」
ニヤリと笑って続ける。「なかなか現実が見えているじゃない。そんな本、大事に抱えている割には」
嘲るような口調に、思わずキッとニックを睨みつけた。
無言で焚火の中に、騎士の物語の本を放り込んだ。本はみるみるうちに炎に包まれ、焼けこげていく。
「あれあれ、燃やしちゃっていいんだ。きみの大事なものだったんでしょ?」
ニックが小首をかしげて口の端をあげた。
「……もういらない。こんな綺麗な世界なんてどこにもないんだから」
強く奥歯をかみしめて燃える本を見つめた。
目の前には砂紋民の血の海が広がっている。
あんなにも焦がれた外の世界は、残酷で欺瞞に満ちていて血なまぐさかった。
「同感だね。……この世界は往々にして腐っているよ」
ニックは頷いた後、炎を見つめて言った。
「でも、綺麗な世界を夢見て、行動している者もわずかにいる」
「なんでそんなこと私に言うの?」
尖った口調の私に、ニックは笑みを深くした。「さあね」
焚火がはぜる音だけがしばらく続いた。
本が完全に燃え、跡形もなくなってから、静かに言った。
「私はもう、無能なお姫様には憧れないわ。私が騎士になるの。正義の騎士に」
「ほう。勇ましい」
ニックが口の端をあげたのが見えた。「でもきみには無理だな」
煽るようなニックの口調に、私は眉をつりあげた。「なんで断言するのよ」
ニックがスッと体を滑らせた。
「え?」
何が自分に起こっているか分からないまま、みぞおちに激しい衝撃をくらった。
息がつまり、耐えきれずに膝を折る。
「ダメだよ、これくらい簡単にかわせるようにならなきゃ。騎士になるなんて到底無理だよ」
笑いを含んだ声が頭上から振ってきた。
……この野郎。
私は拳をギリギリと握りしめた。




