第83話 ジグルステン 2/2
「父上とはあんなに話し込んでいたのに、私には何もなし?」
夜中。ひっそりと道場を出て、その門に一礼をして去ろうとするとアリヤに呼び止められた。
「こんな夜更けに迷惑じゃないか」
「迷惑じゃないのに」
アリヤがむう、と口を尖らせた。そのしぐさもトジンそのものだ。
「で、どこに行くの?」
「西ノ帝国へ。騎士になろうと思ってる」
「そう。あなたならきっとなれるわね」
ラザルとアリヤはこの無謀な目標を決して否定しなかった。平民にも門戸が開かれているとはいえ、西ノ帝国の騎士になるのは裕福な家柄が主流で、平民がなったためしは今までにない。
「ねぇ」
アリヤがこちらにさっと回り込んだ。肩のあたりまで伸びた白銀の髪。真っ直ぐな視線を向ける、深緑色の瞳。
「私も一緒に連れて行って」
……そう来ると思っていた。
「ダメだ」
余計な感情が沸く前に、間髪入れずに否定した。
「なんで」
間髪入れずに言葉が返ってきた。
目を閉じ、呼吸を一つしてから答えた。
「俺がこれから行くのは修羅の道」
異なる人類種が争いを続ける凄惨な社会だ。この清らかな娘は似合わない。
「構わない。私、あなたと一緒にいたい。どんなところにもついていくよ。あなたの国にも」
しばらく、言葉に詰まった。それを見かねてアリヤが口を開いた。
「じゃあ、せめてあなたの本当の気持ちを教えてよ。そしたら私、納得する」
俺の本当の気持ちは――
アリヤの頭に、そっと手を置いた。
「ただ、幸せでいてほしい。……それだけだ」
「え……」
アリヤの目が見開く。深緑色の瞳がこちらを見つめる。
いいすぎた、と思った。
早口で言い募った。
「俺の人生に女は邪魔だ。それに年下は好みじゃない。諦めろ。誰かいい男でも見つけて、早いうちに結婚しろ」
――そうしてもらった方が、あきらめがつく。
そのまま逃げるようにアリヤのもとを去った。
それから西ノ帝国に入り、騎士になった。
処世術として周りと適当に足並みをそろえてやっていくことも覚えた。
海の向こうの国では、”天”に任命された後、政治的な駆け引きをする機会も多かったから、苦も無く順応できた。
同期はつまらないやつばかりだったが、デイトンというやつとは妙に気が合った。
ヴァルゼンベルク、という俺が爺さんから受け継いだ姓と同じ姓を持っていた。
誰よりも帝国と騎士団がよくなることを信じているこの男と出会えたことは、大きな心の支えになった。
ある日聞いたことがある。
「なあ、君はなんでそこまで信じられるんだ。騎士団は腐りきっているし、砂紋民と帝国民の分断も酷い。良い国を作るなんて無理だと思うのが普通じゃないか」
デイトンは、驚いたように俺の顔を見たあと、しばらく考えてから言った。
「信じなければ何も始まらない。誰が何を言おうと俺は信じる」
心の底から、こいつをすごいやつだと思った。
半ば呆然としていると、なぜかデイトンは頬を緩めた。
「なに?」と尋ねると、弾んだ声が返ってくる。
「そういう問いをするってことは、お前も似たことを考えているのかと思ってさ」
「まあね。君よりもうまくやるだろうけど」
茶化すように言うと、デイトンは笑ってから、やや真剣な調子で言った。
「なあ、ニック。俺の前では普段のお前でいろよ」
驚いた。鈍感なようにも思えるこの男は、周りに合わせるために俺が演じていることに気づいていたらしい。
同時に、この友人の前で本当の自分を出しすぎてしまった、と反省もした。
「いつも普段通りだけど」
そんな風に答えるとデイトンは「そうか」と微笑んだ。
戦いと戦いの間が空くと、騎士団員には休暇が与えられた。
俺は、海の向こうの国へと戻ろうかと考えた。
十分に休養はできたし、この大陸のことも知れた。もうこの地には帰らないつもりだった。
「いきなりどういうつもり」
最後にアリヤのもとを尋ねると、驚いた顔をされた。
「まぁ、ちょっと君の顔が見たくなってね。立派に領主をやっているじゃないか。その女らしくない服はどうかと思うけど」
アリヤはこのころ、デイトンと文通をしながら、ラザルから受け継いだ領地の運営に力を注いでいた。
ラザルの時代から領地は富んでいたが、アリヤは一層豊かにさせた。
「さっき領地を見てきたけど、素晴らしかったよ。民は平等で互いを憎まず、助け合っている。……僕にもそんな才能があればな」
アリヤは瞬きをした。
「昔のあなたに戻ったみたい。どうしたの?」
思わず苦笑した。
「いや、何でもないさ。元気でね」
そして、海の向こうの国へと渡った。
――そこは、俺がいない5年の間に様変わりしていた。
「ジグルステン!」
既に”天”の位に任命されていた友人、ヒースターレンは、金糸の入った赤い羽織をまとい、王都にいた。
「ヒースターレン。お前は南部の方にいたんじゃなかったのか」
スタルトゥス人とフローレンス人の両者に人望のある彼は、南部を取りまとめ、妻ラールニーシャと、子どもと一緒に暮らしていたはずだった。
「南部は妻に任せてきた。安定している。北部と中部がまずいんだ」
その顔に浮かんだ翳りが、事態の深刻さを物語っていた。
ヒースターレンに預けておいた”天”の位の赤い羽織を来て、共に王宮へと向かった。
王の間には、国王であるアーシェンヴァーン、その腹心ターレンシェーン、それからゼーレンバーニとノーレスリャーンがいた。皆、”天”の位である赤い羽織を着ている。
足を踏み入れると、皆が一斉にこちらを見た。
「来たか、ジグルステン。トジンの息子よ」
国王アーシェンヴァーンが静かに言った。
その瞬間、ターレンシェーンが動き、俺の頬を殴りとばした。
「たわけが! お前が海の向こうの国で遊んでいるこの5年間に、どれだけ血が流れたか!」
普段物静かで、めったに声を荒げなかったと記憶しているこの男の喝が、体中に響いた。
「もう王宮にお前の居場所なんてない。さっさと海の向こうの国へ戻れ!」
床に転がりながらターレンシェーンの怒声を聞き、その通りだと思った。
この王宮に来る途中でも、スタルトゥス人とフローレンス人の融和政策反対派が、暴動を起こしている光景を目にした。
王都の外の北部と中部では、反対派によるスタルトゥス人の虐殺も行われているらしい。ヒースターレンが言いずらそうに語ってくれたのだ。今、国内情勢が非常に難しい、と。
そんな期間に俺は、何もかも投げ出して海の向こうの大陸へ渡り――ラザルやアリヤ、デイトンと心休まるひと時を得た。皆が苦しんでいるこの間に。
「よせ。ターレンシェーン」
国王アーシェンヴァーンが、静かにその肩に手を置くと、ターレンシェーンは気まずそうに黙った。
「こいつはお前に期待しているのだ。許せ」
アーシェンヴァーンの言葉に、「当然の報いです」と床に手を付けて頭を下げると、この国の王はかすかな笑みを浮かべた。
「今の情勢はヒースターレンからおおよそ聞いたか」
「はい」
頷くと、アーシェンヴァーンは「そうか」とだけ言い、静かに窓の外へと視線を移した。
発展した王都が、眼下に広がっている。
「海の向こうの国では、足場を築いてきたのか」
「……王直属の騎士団には入りました。まだ位は少佐――こちらで言えば”獣”の位ですが」
「ふむ。頑張っているな。ジグルステン」
アーシェンヴァーンがこちらを向いた。鋭い眼光が光る。
「海の向こうの大陸で、王を目指せるか」
息をのんだ。同時にできるという確信も浮かんだ。
「はい。必ず」
また平服して答えると、国王はふっと笑った。
「ではお前は、やはり海の向こうの大陸へ戻れ。みなと話しておったのだ。お前はあの大陸にいた方がいい」
そして、俺の肩に手を置き、続けた。
「海の向こうの大陸を得ようとする急進派の動きが活発になっている。頼りにしているぞ、ジグルステン」
ノーレスリャーンがそっと近づき、俺の顔を見て微笑んだ。
「少しの間で、とてもいい顔になりましたね」
ゼーレンバーニも笑って頷いた。
「ほんとだよな。前まではこっちが心配になっちまうくらい、すさんだ目をしてたけどよ」
お互いに、この5年間の話をした。
情報を一通り得て、俺はまた海の向こうの大陸へと渡った。
海の向こうの大陸に戻って呆然とした。
東ノ国が荒れ果てていた。アリヤの領土もひどく焼けていた。
馬鹿な西ノ帝国の王が臣下達にのせられて攻め入ったらしい。
秘密裏にアリヤを探しあて、金などを支援した。
自分にできるのはそこまでだった。正直、自らの下に保護したかったが、敵国である東ノ国の王家の娘との接触が明らかになったら、隊の中での出世に響く。
デイトンにもそれとなくアリヤの居場所をほのめかしてみたが、すっかり意気消沈してしまったデイトンの耳には入らないようだった。
そこからはひたすら尽力した。
騎士団の中で上り詰めること。
そして、きたる急進派の襲来に備えて、この大陸を守る力を作ることだ。
何人かの才能がいた。
特筆すべきはトルーシスだった。あらいが類まれな”刃”の才能を持つ。
だが、”組”になりえる”乱”の使い手がいない。
筆頭はアリヤだった。
ラザルから受け継ぎ、”刃”と”乱”がどちらもできる。トジンの娘というのもあってか、”乱”の方が得意だった。
だが、ただの身勝手な願いだが、アリヤを戦いに加えたくはなかった。
アリヤをもし戦いの中で失ったら――もう立ち直れないだろう。
俺はひそかに”乱”の才能を探し始めた。
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※こぼれ話
ジグルステン(ニック)の本来の一人称は「俺」です。別人を演じている時は、「僕」になります。
そして、少し登場人物が増えてきたので……登場人物紹介をアップします。
明日から、レオラのエピソード(全8回)に入ります!
ニックもそこそこ登場します。激動のレオラ回をぜひお楽しみください^^




