第82話 ジグルステン 1/2
海の向こうの国に渡り、一番に驚いたことは、皆がスタルトゥス人だということだ。
今までは周りにフローレンス人の方が多い状況だったから、それが異質に思えた。
繁栄している西ノ帝国を通り、緑豊かな東ノ国へと入った。
なんの気なしに王宮で開かれていた御前試合を見て、息が止まるほど驚いた。
トジンのあの槍の舞だ。
一目でそう思った。トジンがアーシェンヴァーン王と戦った時に見せた、あの流れる様な槍の動き。
その動きで戦う男がいた。
男は30代中頃くらいで、短く刈り込んだ髪に、武人特有の鋭い眼光と闘気を身にまとっていた。
戦う時のトジンと同じような雰囲気をしている。
その男は、剣も使った。
槍で相手を撹乱させ、その後に大きく跳び、剣で背後から敵を倒す。
もしかしてこれが、トジンの言っていた、”刃”と”乱”の動きなのか?
「すごいよな。あの剣技。初めて見たかい?」
男に魅入っていると、隣にいた見物人から気さくに話しかけられた。
この東ノ国は治安が良い。人々は絶えず穏やかな表情を浮かべて礼儀正しく暮らしている。
海の向こうの国では考えられないことだった。
「えぇ。……素晴らしいです」
頷くと、見物人は笑った。
「ラザルの二刀流って言うんだ。この辺じゃ有名なんだよ」
「……! ラザルというのがあの男の名前なんですか」
思わず食い気味に尋ねると、見物人は目をしばたかせたあと、にこりと微笑んだ。
「そうだよ。剣術道場もやってるらしい。すごい厳しいって噂だけどよ」
見物人は、「頑張れよ、兄ちゃん」と肩を叩いて去っていった。
――ラザル。トジンの相棒だ。
雷に打たれたようにその場に立ち尽くしていると、近くでぐすん、と鼻をすする音が聞こえた。
そちらを見ると、少女が一人、涙をぬぐっていた。
さっきから食い入るようにラザルの剣技を見ていた少女だった。
今までの生活から、その場にいる人々全員の挙動を視界の端で把握する能力を身につけていた。
もう御前試合は終わっていて、残った見物人は俺とその少女しかいなかった。
無関心を装ってもいいと思ったが、昔、ラールニーシャが獣に襲われかけて泣いていた時に、ヒースターレンと俺がぼさっと突っ立っていたら、「馬鹿か! 女が泣いてたら声をかけるか、そっと手ぬぐいを渡すかしろ!」とトジンに言われたことを思いだした。
「あの……大丈夫?」
すこし遠慮がちに声をかけた。
少女ははっとしたように顔をあげた。
涙に濡れた瞳は深緑色で、少女にしては短く切りそろえられた髪は白のような、銀のような色だった。
理知的な顔立ちだと思った。
「大丈夫! ちょっと感動しただけ。毎回感動しちゃうの」
少女は照れくさそうに笑った。
――トジン。
トジンの面影がふいに浮かんだ。
「……君の名前は? あ、ごめんいきなり聞いて」
「別にいいよ、名前くらい」
面白そうにしてから、「アリヤっていうの」とにこりと微笑んだ。
全身を貫くような衝撃が走った。
この娘がトジンの忘れ形見、アリヤか。
「あなたは?」
「ジ……」言いかけて、もうここではその名を使わないことを思いだした。
「……ニックだ」
「そう」
アリヤは頷くと、満面の笑みを浮かべた。
「あなたも父上の試合、じっと見てたよね! すごかったよね!」
……え?
トジンの娘じゃないのか?
「ほら。ここが道場だよ」
アリヤが自慢げにその平屋の建物を指さした。
”ラザルの二刀流”と建物の前に看板が掲げられている。
「入りたいんでしょ? 父上に言ってあげるよ」
アリヤはパチリと片目をつぶると、「父上ー!」と叫びながらバタバタと中へと入っていった。
……引っ張られ、流れでここまで来たが、どうすればいいのだろうか。
そう思っていると、声が降ってきた。
「厳しいぞ。それでも入りたいか」
見上げると、先ほど御前試合をしていた男がそこにいた。
驚いた。
気配が全くなかった。
「はい。覚悟の上です」
即答した。
「いいだろう」
男は満足げに笑うと「ついて来い」と言ってすたすたと歩き出した。
奥へと入ると、道着に着替え、槍を振っているアリヤがいた。
まだほんの幼いのに、動きがさまになっている。
視線に気づいたのか、男は口もとをほころばせた。
「最近まともになってきた。これからだな」
アリヤは俺たちに気づくと、さっと脇へとどいた。
男はラザルだと名乗り、「お前の素質をみたい。なんでもいいから好きな武器を持て」と机を指さした。
長剣から短剣、槍、鉾、弓……様々なものがあった。
向こうの国で、いつも使い慣れていた剣に近い大きさのものを選び、構えた。
「よし」とラザルは頷くと、「かかってこい」と言った。
目を開くと、道場の天井があった。
はっとして反射的に飛び上がる。
……束の間意識を失っていた。さっきラザルに投げ飛ばされたはずだ。
「すばらしい」
手を叩いて満足そうにこちらを見るラザルと目が遭った。「あとは根性だ。明日も来い」
そう言ってすたすたと去っていく。
「あなた、すごいよ!」
アリヤが興奮したように近づいてきた。「わたし、あんな動きをする人、父上以外で初めて見た! それに、父上が褒めるのも初めて見た!」
◇
「お前、どこでどんな生活をしてきた」
道場に通い続けて1年が経った頃。ある日の修練の後に、ラザルが尋ねた。この頃には、だいぶラザルに近い形で槍を振れ、跳べるようになっていた。
一瞬、なんと答えるべきか迷った。
この頃には、俺は仕事――例えば荷運びや料理屋の給仕などをして生活の足しにしていた。親や生まれについての質問をされることも多かったが、そんな時は決まって、「幼い頃に両親と生き別れた。生まれは西ノ帝国だ」と言うと問題なかった。
だか、トジンの相棒で、厳しいが無骨で一本気なこの人には、そんな偽りは通用しないと思った。それに、少しだけ話してもいいと思えた。
「6歳の頃から、仇を取ろうと剣の腕を磨いてきた」
「そうか」
想像とは違い、ラザルは、あまり驚いた様子は見せなかった。
「仇は取れたか」
そんな質問をされるとは思わなかった。
「いや。もういいことにしたいと思っている」
「そうか」
ラザルは俺の方に手を伸ばし――頭にポン、と手を置いた。
「もう少しでお前は、技術の全てを獲得する。その時にまた話そう」
数か月後。
”乱”と”刃”の動きをどちらもラザルから習得した夜、誰もいない道場に呼ばれた。
「なあ、ニック。お前、この道場を継がぬか?」
思いもがけない言葉だった。
「お前はこの短期間で、2つとも習得した。素晴らしいことだ。この動きを守り、後世に伝えていってほしい」
ラザルの骨ばった手が俺の手をつつんだ。「それに、お前がアリヤを守っていってくれるなら、安心できる」
……え。
ラザルは呟くように言った。
「アリヤは黒紋民だからな。常に好奇の目で見られるだろう。親友から預かった大切な子だ。下手な男には渡せない……」
「アリヤはあなたの娘ではないのですか」
思わず尋ねると、ラザルは瞬きをして、「違うんだな、これが」といたずらっぽく笑った。なぜだか昔の青年時代の面影が見えた。
そしてラザルは語りだした。
昔の森での生活を。
トジンとの思い出を。
「トジンは……トジンの一族は……西ノ帝国に滅ぼされたのですか」
そんな悲惨な出来事があったなんてそぶり、トジンは全く俺には見せなかった。
ラザルは静かに頷いた。
「私だけ生き残ってしまった。毎日、皆に申し訳ないと思いながら生きている」
その言葉に俺は唇を噛みしめた。そして、静かに上着を脱ぐと左腕を見せた。
トジンが彫り込んでくれた紋様の入れ墨を。
ラザルが息をのんだのが分かった。
「トジンは海の向こうの大陸へ渡り、生き抜きました。あなたのことも懐かしそうにたくさん話していました」
俺が語るトジンの話を、ラザルは食い入るように聞いた。
時に笑い、時に涙し、時に尊敬のまなざしを浮かべながら。
「そうか。君はトジンの……どうりでな」
全部話し終わると、ラザルは納得したように頷き、そして少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「君はこの道場を継ぐだけで終わるような器じゃないか。……行くんだろう?」
「はい。西ノ帝国の騎士になるつもりです。もっとこの大陸のことを知らなければ」
ラザルは頷いた。
「それがいい。西ノ帝国の騎士は、帝国領内だけではなく、ここ東ノ国にも、北ノ国にも活動範囲が及ぶからな」
そして、長年の鍛錬で鍛え上げられた手を差し出した。
「楽しい2年間だった。もし東ノ国に来るときには、また会いに来てくれ。もう私も先が長くはないが」
「必ず」
しっかりと握手をかわした。真っ直ぐな魂を持つこの男に敬服していた。
最後に聞こうと思っていたことを口に出そうとして、口ごもると、ラザルは笑って静かに言った。
「アリヤは王の養子にしてもらおうと思ってる」
「王の養子……」
思わず呟く。
「王がアリヤのことを気に入っていてな。私の死後のことを相談すると快く養子に迎えよう、と言ってくれた」
ラザルは俺にぐっと近寄り、ささやくように言った。
「お前が攫っていってもいいんだぞ。――きっとアリヤもそう望んでいる」
息がつまるような思いがした。
「……いえ。きっと別の男と一緒になった方が幸せでしょう。俺は、海の向こうの国へいずれ帰るのですから」
ラザルはふっと笑って俺の肩に手を置いた。
「私も同じように思っていた時期はあったから、分からんでもない。……だが、最後に挨拶くらいはしていけよ」
*****
※こぼれ話
ラザルの剣術道場は、無償です。ラザルは王に仕えており、かつ贅沢を好まなかったので、お金には困らなかったのです。ですが、あんまりにも厳しすぎて次第に誰も門を叩かなくなり、閑古鳥が鳴いていたとか……
ちなみに、「女が泣いてたら声をかけるか、そっと手ぬぐいを渡すかしろ!」とトジンに言われたあと、手ぬぐいなんてもっていなかったジグルステンは、服のそでを小刀で切り取り、「ほら」とラールニーシャにぶっきらぼうに渡しました。トジンは頭を抱えました。ヒースターレンは、声をかけて話を聞いてあげたそうです。きっとジグルステンは学習したのでしょう。




