第81話 トジン+ジグルステン 6/6
「さぁ、ジグルステン。よく見ていろ」
トジンの手が肩に置かれた。その顔が、ほんの少し強張っている。
「では始める。ゼーレンバーニ。ノーレスリャーン」
トジンが合図をすると、二人のフローレンス人は頷き、せき止めていた川の堰を抜いた。
川の水が向きを変え、濁流のように崖の上から眼下へと流れ落ちる。
トジンはキリキリと火矢を絞ると、眼下へと放った。
川に入れていた油に、炎が着火し、ボワッとあたり一面に広がった。
炎は瞬く間に眼下の大地を飲み込んだ。
逃げ惑うフローレンス人の姿が見えた。
彼らはみな炎に飲まれていった。
「一度ゼロに戻す。またゼロから始めるんだ。俺を軽蔑するか?」
トジンの低い声が聞こえた。
首を振った。
「いや。これは最も勇気のいることだ。そして、誰もやらなかったことだ。むしろ――心配だ。お前、フローレンス人の亡霊におびえないか?」
トジンは2,3度瞬きをして、「すごいな、ジグルステン」と静かに微笑んだ。
それから、焼け跡を歩いた。
あまたものフローレンス人の死体があった。
それをみな土に埋めた。
「八つ裂きにしなくていいのか?」
トジンが聞いた。それは冗談のようにも本気のようにも聞こえた。
「……いい。本当はそうしたくてたまらないけど」
そういうと、トジンが頭をわしゃわしゃと撫でた。
トジンが俺から離れると、土に埋めた同胞の前で祈っている、ゼーレンバーニとノーレスリャーンに声をかけた。
「お前ら、良かったのかよ。同じ人類種だろ」
ノーレスリャーンがふっと微笑んだ。
「何が正解かは分かりませんが……私はこれを正解にします」
ゼーレンバーニもノーレスリャーンの言葉に深く頷いた。
「他に手段はないかと、何度も話し合ったことだ。これが最適解だった」
ゼーレンバーニは静かに言った。
「ここを異人種が共存する場所にしよう。その先駆けとなるんだ」
◇
3年後。
「トジン。お前を”天”の位に任命する。南部を立て直した褒章だ」
アーシェンヴァーン王はトジンに、この国での最高位、”天”の位の象徴である赤い羽織をかけた。金糸で縁取りが入っている。
「もったいないお言葉です」と深く頭を垂れるトジンに、「堅苦しい言葉はやめてくれ」と王は笑った。
「お前のおかげで私は光が見えたのだ。フローレンス人とスタルトゥス人がともに暮らす土地など、私は考えることができなかった」
トジンに頭を下げた王に、観衆がどよめいた。
あの血で血を洗う南部の土地は、見違えるようにこの3年で変わり、栄えた。
入植者を募り、フローレンス人とスタルトゥス人が互いに協力し、それぞれの強みを生かして働いた。その結果、復興は驚くほどの速さで進んだ。両民族の共存こそが、発展の礎であることが示されたのである。
「さて。ジグルステン、ゼーレンバーニ、ノーレスリャーン。トジンを手伝い、南部の立て直しに大きく貢献したお主らにも”天”の位を」
目を見開く3人に、アーシェンヴァーン王は笑いかけた。
「最初は”天”の一つ下の”空”の位にしようと思っていたのだ。だが、トジンがきかなくてな」
「だって一人だけ”天”の位なんて寂しいじゃないか」
トジンの言葉に皆が笑ったが、そこにいたトジンを良く知る者は分かっていた。
トジンはもう先が長くないと。
その1年半後、トジンは死んだ。
死因は病だった。この大陸によくある、さして重くない病だったが、トジンは免疫を持っておらず、その体は徐々に蝕まれていったのである。
「しっかりしろ、ジグルステン。今が一番大事な時だと分かっているだろう」
アーシェンヴァーン王の腹心として補佐官を務めるターレンシェーンが、ジグルステンの部屋に入ってきて、めずらしく語気の強い口調で言った。
「トジンの死因は病だ。関連を疑っているのかもしれないが、断じてお前が剣で刺した時の傷が原因ではない」
「…………」
ジグルステンはうつむいたまま動かない。
普段なら猛烈に仕事をこなすこの若者は、トジンが死んだあと、別人のように廃人になってしまった。
「もう3か月が立った。切り替えろ。こんなざまではトジンがなんと思うか。トジンもお前と同じように、一族同胞を滅ぼされた中、この海を渡り、お前を育て、南部を立て直すという偉業をなしとげたのだぞ」
「……え」
小さく呟き、初めてジグルステンが顔をあげた。
「知らなかったのか。……語らなかったのか、トジンはお前に」
ターレンシェーンが目を見開いた。「すまない。余計なことを話した」早口で言い、ターレンシェーンは足早に部屋を出て行った。
「……トジン」
ジグルステンは呟き、”天”の位の象徴である金糸の入った赤い羽織をガバッと脱ぎ、自分の左腕を抱きしめた。
トジンに彫り込んでもらった、紋様の入れ墨がそこに入っている。
『ははは。男に墨入れをしてほしいとねだられるなんてな』
そう豪快に笑って、自らの紋様の入れ墨をしてした。それから、トジンはずっと着ていた濃紺色の民族衣装と、虎の牙の首飾りをジグルステンにかけ、『似合うな』と満足そうに微笑んでから、光る眼でしっかりとジグルステンを見つめた。
『お前にやる。受け継いでくれ、ジグルステン。我が息子よ』
「……そんな! 俺はあなたに遠く及ばない!」
やけに素直になったなぁ、とトジンは笑い、ジグルステンの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「大丈夫だ。俺も先代の族長からこれをもらった時は、同じ気分だった」
そして少し苦しそうに咳をした。それが、トジンがジグルステンの頭を撫でた最後になった。
トジンを思いだしながら左腕を抱きしめていると、遠慮がちなノックの音がした。
「ジグルステン、入っていいか」
「……あぁ。俺に失望してもいいなら」
「失望なんてしないさ」
人懐っこい笑顔を浮かべ、大柄で体格の良いフローレンス人の青年――ヒースターレンが入ってきた。
散らかり放題の部屋を見ても、表情を変えない。
ゼーレンバーニの養い子であるヒースターレンは、同じく養い子であるラールニーシャとともに、数少ないジグルステンの心の許せる相手となっていた。ふたりとも、トジンやジグルステンと同じ時期に南部の立て直しの功で、”空”の位を授かっている。
「なんでも話せ。お前の力になりたい。とは言っても話を聞くくらいしか能がないけどな」
はははと笑うヒースターレンに、ジグルステンは視線を落とすと、口もとをゆがめ、顔を両手で覆って言った。
「もう全てを捨てて、どこか遠くへ行きたい」
ヒースターレンは束の間、目を見開いたが、「いいと思う。少し旅でもしろ」とジグルステンの肩に手を置いた。
ジグルステンは唇を噛みしめた。
「でも、こんな政情が不安定な時期に……」
ヒースターレンはふっと微笑んで、温かいまなざしでジグルステンを見つめた。
「お前は少し頑張りすぎじゃないかと思ってたんだ。少し休憩が必要だ。……トジンも最期にそう言って案じていたよ」
「本当か?」
ジグルステンの声が揺れた。
ヒースターレンはにこやかに笑った。
「お前と話していると、お前の歳を忘れてしまう。まだ16だろ? こっちのことは俺たち年長者に任せておけ。反対派は必ずまとめ上げる」
「ありがとう、ヒースターレン」
深く頭を下げたあと、尋ねる。「ラールニーシャと、赤子は息災か」
「あぁ。変わらず元気だ。ラールニーシャは元気すぎて、いつも通り俺は尻に敷かれているよ」
ジグルステンより5つ年上のヒースターレンとラールニーシャは1年前に結婚し、子どもも生まれていた。
「お、やっと笑ったな」
ヒースターレンは嬉しそうにしてから、真剣な調子で言った。
「お前の妻と生まれたばかりの息子はどうするんだ?」
ジグルステンは顔を暗くした。
「妻とはもう関係が破綻している。息子のことは――悩んでいる」
ジグルステンは、家柄の良い年上のフローレンス人の女との間に、男児をもうけていた。
本来ならスタルトゥス人とフローレンス人の間の子はすぐに死ぬが、ノーレスリャーンの医術のおかげで健やかな状態を保っている。
政治的な利益のためだけの、この若すぎる婚姻にトジンは強く反対したが、ジグルステン自らが押し切って進めたのだった。
「俺らが育てることもできるぞ」とヒースターレンは、部屋の隅の小さな寝台で眠っている赤子の頬を撫でた。
赤子の肌はつやつやとしていて健康的だった。世話を放置しがちなジグルステンに代わり、頻繁にノーレスリャーンが来て面倒を見ているという。
押し黙ったまま答えないジグルステンに、ヒースターレンはぽつりと口にした。
「お前も誰か、本当に愛せる人を見つけろよ」
「……いや。いいかな」
ジグルステンはふっと笑った。そのあまりにも寂しそうな微笑みに、ヒースターレンはわずかに顔をゆがめ、遠慮がちに尋ねた。
「なぁ、ジグルステン。お前、幸せをあきらめてないか?」
「いや。そんなことはないさ」
その返答は、明るすぎるようにヒースターレンには聞こえた。
「俺とラールニーシャは、ずっとお前の味方だからな。忘れるなよ」
ヒースターレンはジグルステンの肩を叩くと、部屋を出て行った。
ヒースターレンの気配がなくなると、ジグルステンは目を閉じて呟いた。
「ありがとな、ヒースターレン。……でも、最初から幸せが何かなんて分からないんだ。あの人がいなくなってから、もっと分からなくなってしまった」
ジグルステンは大切にしまってあった、トジンの民族衣装と首飾りを取り出すと、それを抱きしめて静かに肩を震わせた。
◇
気づけば、朝になっていた。
トジンの形見を抱きしめながら、眠っていたらしかった。最近は朝か夜かも分からない暮らしをしている。
そのとき、ふっとトジンの声が脳裏に響いた。
「お前さ。もし何もかも疲れたらさ、俺の国にいけよ。海の向こうだ」
あれはいつだっただろうか。
病床のトジンを見舞いに行ったとき、そんなことを言っていた。
「こことは全く違う場所だ。そこで少し羽を伸ばせ。全部憎しみとかを忘れてさ」
トジンは俺の肩を叩いた。いつもより手つきが少し弱々しかった。
「お前、やっぱりこの国の民が憎いだろう?」
「……分かりますか」
曖昧に答えると、トジンは豪快に笑った。「普通のやつらにゃ分からねぇよ。人類種間の平和のために奔走するスタルトゥス人、ジグルステン! って周りには見えてるって」
「でもな」とトジンは慈しむようにジグルステンを見つめた。「俺には分かっちまうんだよ。……無理しなくていい。悲しみや憎しみは我慢すると腐り果ててバケモンみたいになっちまうんだ」
ただ、黙って唇を噛みしめると、トジンは苦笑した。
「そう自分を責めるな。いつか心から笑えるようになったら人のために尽くせ。それに、お前が海の向こうの大陸にいてくれたら俺にとっても都合がいいんだよ」
顔をあげると、トジンは真剣な目をしていた。
「万一、この国が海の向こうの大陸を攻めた時、お前が向こうにいてくれれば俺の子孫たちを守ってくれるだろ」
その言葉に、思わず目を見開いた。
この国が海の向こうの大陸を攻める?
そんなこと――
トジンは少しだけ顔を曇らせた。
「”議”は融和賛成派と反対派で2分している。南部は異人種との融合をすすめているが、中部と北部は抵抗感が根強い。アーシェンヴァーンたちが頑張っているんだけどな。もし反対派が暴走したら、あの大陸を狙いだすかもしれない」
「療養をしている時くらいは政治のことは忘れてください。俺らが頼りないかもですが」
「お前、その敬語やめろよ。距離感おかしくなってるぞ」
トジンがふき出してからニヤっと笑った。
「そうだ。もし海の向こうの大陸へ行ったら、俺の相棒を探してくれよ。ラザルっていうんだ。かっこいい男だぞ。あいつは体が丈夫だから、たぶん元気にやってるはずだ」
トジンは片目をつぶってみせた。
「お前とちょっとだけ似た境遇だな。奴隷だったんだよ。あいつの方が俺なんかより、よくお前を理解してくれるかもな」
「いや。あなたがいなければ俺はここまでやってこれませんでした」
頭を下げると、トジンは「そうか」と微笑んだ。それはそれは嬉しそうに。
そして照れくささを隠すようにぺらぺらとヴァルゼンベルクというもう一人の相棒のことを熱く語ってから、「あ!」と目を輝かせて、バシバシと俺の肩を叩いた。
「向こうにいったらさ、俺の娘を探してくれよ。きっとすっごくいい女になってるぞ」
娘の話はトジンから何度か聞いたことがあった。生き別れた娘がいると、ことあるごとに話して恋しがっていた。
「歳はそうだな。俺が17の時の子だから……」トジンは指折り数え始めて、愕然とした表情をした。
「うわ。お前今いくつだっけ?」
「15です」
「アリヤは今11歳だ。まずい。お似合いだぞ……!!」
トジンは頭を抱えた。「やっぱりアリヤに会うな。お前も俺の息子みたいなもんだし。いや、でも一周回ってありか?」
トジンはさんざん自問自答して、「まあ、会うのを許してやろう」となぜか上から目線に言うと、「俺の妻のトリヤも探してくれ。もしかしたら生きているかもしれないんだ。でも絶対に惚れるな」と眼光鋭く言った。
そして――最後に自身の槍を俺に渡した。
片時も放さずに持っていた槍だ。
「向こうに言ったら、”刃”と”乱”の動きをラザルから習って見につけろ。大陸を守る切り札になる」
深く礼を言い、部屋を出ようとすると、トジンが叫んだ。
「あ!! そうだ! もう一つ大事なことがあった!」
……まだ何かあるのか。
足を止めると、トジンは笑って俺を見た。
「もし向こうに渡ったら、お前は名を変えろ」
「……え」
そんなことを言われるとは思ってもみなかった。
「この国での自分を忘れて、一から新しい自分になるんだよ。それに、ずっと思ってたんだが」
トジンはそこで少しためを作ると、口を尖らせた。
「ジグルステン。いい名だが言いづらいのが難点だ。それに、向こうの国じゃそんな名前のやついないからな。異国人だって浮いてしまうぞ。そうだな……」
トジンはしばらく考えた後、名案を思いついたとばかりに満面の笑みを浮かべた。
「ニック! ニックがいいだろう! お前は海を越えたらそう名乗れ!」
「……一文字もかぶってないですが」
「まあ細かいことはいいんだよ」とトジンは屈託なく笑った。
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※こぼれ話
アリヤ、という名前は、トジンの、『今まで集落では、”ト”を名前につける慣習があった。それに縛られないような名前をつけたい!』という想いから、トリヤと一緒に一生懸命頭をひねって考えた名前だそうです。
そして、トジンの中では、「ジグルステン」=「ジグ」がなまってニックになったもようです^^




