第80話 トジン+ジグルステン 5/6
翌日。
目を覚ますとトジンは既に起き出し、この高台から眼下の戦場を見下ろしていた。変わらず、フローレンス人たちの戦う音が聞こえてくる。
その強い眼差しをした横顔に、わずかに息をのんだ。
「熱心だね」
昨日、トジンの腕の中で泣きじゃくった気恥ずかしさを隠すように声をかけた。
「まあ、まずは観察だよ」
トジンは口の端をあげて少し微笑んだ。
数週間がたった。
「何か分かった?」
来る日も来る日も戦場を見下ろすトジンに尋ねると、トジンは嬉しそうにして「お前もここに来い」と隣の地面を手で叩いた。
少し距離をとって座ると、「恥ずかしがり屋さんだな」と屈託なく笑い、戦場を指さした。
「例えば、あの男。少しやせていて、緑色の服を来た男がいるだろう」
トジンの指さす先を見ると、確かにそのフローレンス人がいた。
相手の斬撃を巧みによけ、逃げ続けている。
何をしているのかと思ったら、他のフローレンス人の死体から、剣や武具を拾い集めていた。
「多分あれを集めて金にするんだな。俺が見る限り、あいつは一度も同胞を傷つけていない」
「他にも、」とトジンは別のフローレンス人を指さした。大柄な男が斬りかかってくる相手を豪速の剣で倒していた。
「……こいつは殺してるじゃないか」
「あぁ。でも一日決まって1人だ。そして殺した相手に手を付けずにどこかへ運んでいく。で、興味深いのは」
トジンは真剣な表情でその男を見つめた。「同胞に食い散らかされたフローレンス人の死体を集めている。毎日決まって二人だ。何か意図があるな」
「……」
確かにその男が背負う布袋には、ぎゅうぎゅうに死体が入っているようだった。
「でもその二人だけだな。行ってくる。しばらく時間がかかると思う」
よし、と膝に手を当ててトジンは立ち上がった。
「どこへ?」
思わず尋ねると、トジンは「あの二人と話をしてくる」と笑って、「預かっておいてくれ」と俺に槍を預けた。
思ったよりもズシリと重い槍だった。
「馬鹿か。あいつらは野蛮人だ。話をする前に殺されるに決まってる」
槍をトジンに突き返すと、「大丈夫だ」とトジンは笑って、身軽に崖を下り、眼下の大地へと向かって行った。
数日間、トジンは帰ってこなかった。
気がかりな気分を紛らわすように、食料を集めて過ごした。
そして5日目たった夕暮れ時――
トジンは姿を現した。
信じられないことに、フローレンス人たちを連れていた。あの痩せた緑色の服の男と、大柄な男。他にも数人がいた。
楽しそうに談笑しながら歩いていた。
それを見た瞬間、全身の血が沸騰した。
――この裏切り者。
腰に下げていた、爺さんから受け継いだ銅剣をギリギリと握りしめた。
トジンは、屈託なく笑ってフローレンス人を紹介した。
「ジグルステン。この優男がノーレスリャーン。背が高いのがゼーレンバーニ。んでこの二人はゼーレンバーニの養い子のラールニーシャとヒースターレンだ」
ノーレスリャーンが微笑んで「よろしくお願いします」と律儀に頭を下げた。
ゼーレンバーニは「よろしく頼むぜ。俺の子たちとも仲良くしてやってくれ」と握手を求めた。
ラールニーシャ――フローレンス人の少女だった――は、「いろいろ教えてね」と笑いかけ、ラールニーシャと同い年くらいの少年、ヒースターレンは「君と仲良くなりたい」とはにかんだ。
全て、無視した。
トジンは困ったように眉根を寄せて、「まあ、ちょっとぶっきらぼうなやつなんだよ」と言った。
夜。
皆が焚火を囲んで、食事を取っている中、俺は一人外れて機を伺っていた。
「おい、お前も来いよ―! みんなお前に感謝してるぞー!」
そうトジンに何度も言われたが、無視して銅剣を研いでいた。
フローレンス人は、うまい、うまいと涙して骨髄を啜っていた。
俺が取ってきた骨髄だ。
トジンに食べてもらいたかったのに。
――信じなければ良かった。
研ぎ続けてピカピカに磨かれた銅剣を眺めながらそんなことを思った。
食事を食べ終わると、トジンはしゃぶり尽くした骨を焚火にくべた。
そして、手を合わせて祈った。
トジンのいつもの習慣だ。食べ物に感謝するのだという。
フローレンス人の皆もそれにならい、手を合わせた。
――この時を待っていた。
大きな隙が生まれる、この時を。
すかさず、地面を強く蹴り上げた。
空中で銅剣を振り上げる。
頬をきる風。
迫る敵の顔。
驚いた顔で俺を見るその目と、目が遭った。
躊躇わず突き刺した。
ぶすり、と剣が肉に突き刺さる音がした。
かはっ、と血を吐く音も。
――急所を外したか。せめて楽に死なせてやろうと思ったのに。
直前で身をひねってかわしたらしい。さすが王とやりあうだけのことはある。
「死ね。フローレンス人と手を組む裏切り者め」
先ほど刺した剣を引き抜き、もう一度振り下ろした。
敵と――トジンと目が遭った。
悲しそうな目をしていた。
一瞬、動きが乱れた。
その間に、フローレンス人――ゼーレンバーニがトジンを庇った。
剣はトジンには届かず、ゼーレンバーニの手の甲を貫く。
「やめろ」
憎い褐色の瞳が俺を見つめ、一言、そういった。
「クソッ!」
フローレンス人に動きを捕捉された。分が悪い。
すぐさま剣を引き、ゼーレンバーニから飛びのく。
こちらに攻撃を加える絶好の機会だったのに、やつはトジンを庇うようにして、身を低く構えるだけだった。
もう何もかもが腹立たしい。
「お前、フローレンス人のくせに今更いいやつ気取りかよ。じゃあなぜ……なぜ! 昔、俺の仲間が殺される時に庇ってくれなかった? めった刺しにされてなぶり殺されたんだぞ。お前らは野蛮で残忍で傲慢で自分勝手なフローレンス人だ」
ぎらぎらと睨みつけ、背を向けた。
「首を洗って待ってろ。下のフローレンス人を残らず消してから、最後にお前らを殺ってやるよ。仲間の死体が累々と積みあがる中、最後まで殺されずにいる地獄を、お前らも味わえばいい。……偽善者どもが」
眼下の大地へと走り出した瞬間、後ろから大きな温かい腕がガシっと俺の体を抱きとめた。
「お前の話を一番にもっと聞くべきだった。……ごめんな。ジグルステン」
奥歯を強く噛みしめ、そこから逃れようともがき、叫んだ。
「離せ! 俺の名前を気安く呼ぶなぁぁ!!!」
「……離さない」
トジンが一層強く抱きしめた。トジンの体からぬめぬめとした血の感触がするのは分かっていた。
でも、どうしても自分を止められなかった。
後ろから拘束するトジンに肘突きを入れ、脛に蹴りを入れ続けた。
トジンはずっと変わらない強さで抱きしめ続けた。
疲れ果て、もがくのを辞めて脱力するとトジンは「……いい子だ」と言って俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
その手にいつもの力強さがなかった。
「教えてくれ。俺の何がお前をあんな風にさせてしまった?」
トジンはかすれた声でささやくように言った。
「……トジン、手当を」
ゼーレンバーニの声にトジンは首を振った。「いいんだ。しっかり話を聞いてやらねぇと」
ゼーレンバーニは心配そうな顔をしながらも、頷いて静かにひいた。
しばらくして、トジンの腕の中で小さく呟いた。
「皆、フローレンス人にしっぽをふる。下僕になりさがる。だからフローレンス人が調子に乗る。お前もだ」
「俺がそう見えたか、ジグルステン」
トジンのかすれた声。
「……お前がフローレンス人をあの槍の舞で打ちのめすと思ったからついてきたのに」
「そうか。ごめんな。期待を裏切っちまった。でも期待してくれてたのか。嬉しいな」
トジンが微笑んだ。
そのいつもと変わらない柔らかな笑顔に、思わず本音がぽろりとこぼれた。
「毎日毎日、フローレンス人を殺すことばかり考えてる。そうでもしないとやっていけないんだ」
「お前の状況を考えれば、そうなるのも当然だ」
トジンの声が耳元で響く。
「でも、爺さんにやめろと言われたんだ。何度も。何度も。でもやめられないんだ」
「お前はやめたいと思ってるんだな」
また手のひらがわしゃわしゃと頭を撫でた。
「強くなれ。ジグルステン。お前なら憎しみを克服し、この世界を変えられるはずだ」
「そんなことは……」
言いかけたとき、トジンががっくりと力を失った。
思わずよろけたとき、俺とトジンは馬鹿でかい腕にしっかりと支えられた。
ゼーレンバーニだった。
「手当てをしよう。手遅れになる前に」
ゼーレンバーニはそう呟いて、俺とトジンのやり取りに涙目になっていたノーレスリャーンを呼んだ。
ノーレスリャーンはぐすん、と鼻をすすり、トジンの手当てを開始した。
◇
目をあけると、枕元にうずくまっていたジグルステンと目があった。
泣きはらしたような涙の跡がある。
「死ぬと思ったか?」
パッと目をそらした少年が愛おしくて、ついそんなことを聞いた。
「……うん」
素直に頷くジグルステンに、なんとも言えず心が温かい気持ちになった。
「安心しろ。お前に負い目を持たせて死なねぇよ」
抱きしめようとしたが、逃げていかれてしまった。
森の中に逃げるように駆けこんでいくその小さな背を眺めていると、ゼーレンバーニがぬっと姿を現した。
「トジン、大丈夫か。ひとまず食って怪我を直せ」
大きな体をかがめ、椀に入った汁を差し出してくる。ほかほかと湯気が立ち、食欲をそそる匂いが鼻をくすぐった。
森で採れた根菜と、何かの肉がごろごろ入っている。
……この肉は。
恐る恐るゼーレンバーニの顔を伺うと、ゼーレンバーニはふき出した。
「安心しろ。フローレンス人の肉じゃないぞ。鳥の肉だ。ジグルステンが俺らに狩りの方法を教えてくれたんだ」
「……驚いた」
着実にジグルステンは前に向かって進めている。
「すごく嫌そうな顔をして、しぶしぶって感じだってけどな」
ゼーレンバーニの言葉に、思わず声をあげて笑ってしまった。想像がつく。
「あんまり笑うと傷口に響くぞ」
言いながら、ゼーレンバーニも笑っていた。そのときやっと、その大きな手に包帯が巻いてあることに気づいた。
「申し訳なかったな。俺を庇ってお前も怪我をしただろう。手は問題なく動くか」
「問題ない。俺らにとってはかすり傷みたいなもんだ」
ゼーレンバーニはにっこりと微笑むと、包帯を取った。もう瘡蓋になっている。
「すごい回復力だな」
思わず嘆息する。「ノーレスリャーンの治療が良かったんだよ」とゼーレンバーニは笑った。
ノーレスリャーンはかつてノクトゥーラ人の師匠から医術をならっていたという。ノクトゥーラ人とは、スタルトゥス人よりもさらに小柄で、医術や薬学に精通していた人類種である。
また、ゼーレンバーニは西の方のフローレンス人の部族の長だったが、他の人類種に対して穏健の姿勢を示すと、部族の皆に反旗を翻され、ここに流れ着いたという。ラールニーシャとヒースターレンは、行き場がなくさまよっていたのを拾ったらしい。
「ジグルステンにも心配されたよ。すごく気まずそうな顔をして『大丈夫か』ってね」
ゼーレンバーニは笑顔を浮かべ、手に包帯を元通りまいていく。
「それも想像がつくな」
自然に笑みがこぼれる。
「なぜ決まってひとり殺して、死体を集めてたんだ、って聞かれたよ」
「……なんて答えたんだ?」
口もとを引き締め尋ねると、穏やかな答えが返ってきた。
「隠さずに答えたよ。殺したひとりは俺らの食料。集めた死体の一部は、灰にして土の肥し、残りは飢えた獣の餌にしてると。この土地を元の緑豊かな土地に戻したいことも言った」
「そしたら、あいつはなんて?」
身を乗り出すと、ゼーレンバーニはふっと笑った。
「『馬鹿か』って一言だけだった」
思わず声をあげて笑った。
「大丈夫さ。ジグルステンの『馬鹿か』には結構愛情がこもっているからね」
ゼーレンバーニは伺うように尋ねてきた。
「なぁ、トジン……お前は俺を軽蔑しないのか。ノーレスリャーンと違って俺は同胞を殺して食っていたし、ジグルステンの言う通り、フローレンス人がこの大地を強奪することに、見て見ぬふりをした」
「過去は問題じゃない。今何を思っているか、行動しているかが大事なんだ。ならばお前は生かすにふさわしい。間違いない」
真っ直ぐに見つめて言い切り、少し首をかしげてみせた。
「それを言うなら、これから大虐殺者になる俺に、お前はついてきていいのか?」
「もちろんだ。トジン」
ゼーレンバーニは俺の手をつかみ、しっかりと握った。
*****
※こぼれ話(引き続き長文です……)
<設定メモ>
・トジン
トジンの父と母は、代々集落で暮らしていた黒紋民でした。お互い、族長を多く輩出する家柄でもありました。トジンの父は、”乱ラン”や”刃ジン”の使い手ではなかったものの、優れた狩りの腕前を持つことで有名でした。
ただ、次期族長の座はトルタニスが有力候補でした。トジンの父とトルタニスの関係は悪くなく、トジンの父はそのことを受け入れていました。ですが、トジンの父の両親(トジンの祖父祖母にあたる)は自分の息子こそが族長に相応しいと強く反対し続けました。期待をかけすぎてしまったのです。
次第に、トジンの父はうつろな眼をし、ぶつぶつと何かを呟くようになります。
トジン11歳の頃。ある晩、トジンの父が狂乱しました。
喚きながら自身の父と母を殺してしまったのです。今でいう精神的な錯乱状態であったと思われます。トジンの母は、父のこの殺人に手を貸していました。
トジンの父と母は裁かれました。
黒紋民の部落では、殺人は大罪。追放刑――紋様を炙られ、集落から深い森の奥へと追い出される――に処されました。
トルタニスが厳命したことにより、トジンは集落から、のけ者にされることはありませんでしたが、それでもみな腫れ物に触るようになって、トジンに近寄らなくなりました。
そんな時に変わらない態度を貫いたのが、トリヤです。
トリヤは自分の粗末な家にトジンを招き、二人は一緒に暮らし始めました。
その後、トルタニスやトルナ、トルシカの支えもあり、トジンは明るい性格を取り戻していきます。”乱ラン”の技を身につけることでも、村で一目置かれる存在になっていきます。
ちなみに、トジンがヴァルゼンベルクに始めて会うのは、14の頃です。そのころ、トルタニスも前族長から族長の座を譲り渡されています。
余談ですが、トジンは13になると、ちょっと気恥ずかしくなって、トリヤの家を出て一人暮らしをしています。ですが、夕食はいつも一緒に食べています。あと、トジンとトリヤは同い年です。




