第79話 トジン+ジグルステン 4/6
「で、どうやって食料を手に入れるんだ?」
トジンが期待の表情でこちらを見た。
「日が暮れたら、あの中で待つ」
この高台の奥にある、小さな森を指さす。森、というには小さすぎるかもしれないが、そこにはこの荒れ果てた南の大地の中で、かろうじて緑が残っていた。
「なるほどな。狩りか」
トジンはニヤリと口の端を上げた。
夜。
森の茂みの中で、じっと待つ。
トジンも夜目が効くらしい。獣――たぶん、ハイエナだ――が来ると顔を輝かせ、腰を浮かせた。狩るつもりなのだろう。
その服の裾を掴み、引き止めた。
トジンは不思議そうな顔をしたが、素直に従い、音もなく元通り地面に座った。
ハイエナは獲物をくわえていた。俺たちが身を潜めている茂みの前を通り過ぎ、森の奥へと運ぶと、大木の影でそれを食い始める。
長い間、俺たちは茂みの中でハイエナの食事が終わるのをじっと待っていた。
やがてハイエナが姿を消すと、やっと俺は立ち上がった。
森の奥へと向かい、ハイエナが食いちらかした死体から骨を拾う。
森から出ると、火をおこした。
拾った骨を慎重に石で叩いて二つに割った後、軽く火で炙ってトジンに手渡す。
「骨髄だ。うまい」
啜ってみせながら言うと、トジンは恐る恐る食し、目を見開いた。
「骨が食えるとは知らなかった……」
食後、トジンは感嘆したように呟き、食べ終えた骨を手の中で転がした。
「あの獣を殺さない限り、これからも定期的に骨が手に入る」
「お前、すげぇな! 一番狩りがうまかったトーケンも顔負けだよ!」
トジンは俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。やめてほしいな、と思った。
「それにしても」とトジンは続けた。「この獣、フローレンス人は狙わないのか? あいつらなら簡単にとれるだろ。まあ、この高台まで崖を登れないのかもしれないが」
「それは――」
ずっと思っていたことを言った。
「たぶん、目の作りが違う。夜目がきかないし、昼間の見え方も俺らとは違う」
「やっぱり、気づいていたか。だからお前は王との戦いのときに目を狙ってたんだろう」
満足げに微笑むトジン。
ひとつ頷き、続けた。
「きっと、フローレンス人は狩りをする獣と同じ目を持っている。相手の動きと距離を一瞬で見切る。あの目は厄介だ」
トジンはにこりと笑みを浮かべた。
「その通りだ。だが、肉を食らう獣は、草を食べる獣とは違って一度に広い範囲を見渡すことができない。俺はフローレンス人の視野が俺達よりも狭いと思っている」
驚いた。
この人もそう言うのか。爺さんと同じだ。
トジンは続けた。
「あとは、目が良すぎるから――速すぎる動きが続くと、反応が鈍る。全部見えて頭ん中で処理しきれねぇんじゃないかな。俺の槍の舞、見ただろう?」
ニヤっと笑うトジンに頷いた。
「あぁ。明らかに王は、いつもよりも反応が遅かった」
「……ラザルがいれば確実に勝てたな」
トジンが僅かに呟いた。怪訝そうな視線に気づいたのか、「俺の前の相棒だよ。嫉妬するなよ」と頭をわしゃわしゃと撫でられた。
「ジグルステン、」
ふいにトジンの真剣な声が頭上から降ってきた。「俺はもう、二度と槍の舞を舞わないことにする」
「え」
あの槍をもう見れないなんて。ひそかに憧れていたのに。
「大事な時のために取っておくんだ」
その時のトジンの顔は忘れられない。何か決意のこもった、それでいて嬉しそうな顔。
「その大事な時、ってのはけっこう先の話?」
トジンは驚いたようにこちらを見て、そして呟くように言った。
「あぁ。きっと俺の子孫たちの代だ。そしてそれが使われないことを祈るさ」
翌朝。
またいつものように戦いを繰り返すフローレンス人を、トジンはじっと眺めていた。
「俺はここのフローレンス人を全員殺すことができる」
物騒なことをトジンはさらりと口にした。
でもトジンが言うならそうなのだろう、とも思った。
「俺は今すぐにでもそうしたいくらいだけど」
そうしたら”泥”の位から上がれるし、この南の地のフローレンス人を排除できる。
トジンが困ったように眉根を寄せた。
「お前なあ、物騒なことをさらりと口にするんじゃねぇよ」
「トジンもそう言ってた、さっき」
「ん――、どれくらい残すかを考えてたんだ。お前、ここら一帯に住めるフローレンス人はどれくらいだと思う?」
「ゼロ」
トジンはやや沈黙してから尋ねた。
「なぜだ? ……聞いてもいい話か?」
気遣われたことがなぜか苛立たしくて、つっけんどんな口調で続けた。
「俺の爺さんは、昔ここで暮らしていた。他にも、多くの人類種がいた。俺らよりももっと背の低い者たちや、絶えず木に登って暮らす者たち、走るのがずっと早い者たちも」
爺さんは、あの王都の暗い洞窟の中で、昔を懐かしむようにここでの暮らしのことを語った。
初恋の人は、走るのが早い種の人で、近寄ろうとするとすぐに逃げられて苦労したよ、と笑っていた。
ふいに、昔のことを痛烈に思いだした。
「ここは残された人類種たちの最後の砦だったんだ。でも、いきなりやってきたフローレンス人が全員殺した。……全員殺したんだ!」
抑えていた感情が堰をきったように溢れ出した。
「だから俺らもあいつらを全員殺すべきだ。ここはもともと、全部が豊かな森だったんだ。それをフローレンス人が食い散らかして、こんな荒れた大地にした。で、お互い殺し合い? 馬鹿すぎるよ。馬鹿は死ねばいい!」
「ジグルステン、」
低いトジンの声がして、大きな手が俺の肩に触れたかと思うと、強く抱きしめられた。
「……ッ! 離せよ!」
もがいてトジンの脛を蹴った。命中して多分痛かったはずだが、トジンは表情を変えずに――むしろ少し微笑んだようにも見えた――いっそう抱きしめる手に力を込めた。
「よく耐えた。よく生きてきた」
低い声が耳元で響いた。
「……黙れ」
返した声は思ったよりも小さくなった。
「お前も、ここに住んでいたんだろう?」
トジンの手のひらが、いつもよりも少しだけ遠慮がちに頭を撫でた。
答えずに、ただ強く唇を噛みしめた。
「父ちゃんと母ちゃんは?」
トジンの問いに、首を横に振った。
「物心ついた時にはいなかった。みんなが俺を育ててくれたんだ」
今まで記憶の奥底に押し込めていた、懐かしい顔の数々が思い浮かんだ。
そして、無残に殺された姿も。
肩を震わせる俺を、トジンはずっと抱きしめていてくれた。
◇
「はぁ~、どうしようかな」
泣き疲れて眠ってしまったジグルステンに、着ていた上着をかけてやりながら、トジンは独りごちた。
トルタニスから受け継いだ族長の上着だ。
「トルタニスさんなら上手くやるのかな」
今も色あせない、永遠の憧れの族長の姿がうかぶ。
その時ふと、ヴァルゼンベルクの声が脳裏によぎった。
「先代にあんなかっこいい族長がいたら、大変だよな」
共感するように呟いて、微笑みかけてくれた。
――そうだ。これはあいつが帝都に旅立つ前の夜の記憶だ。
寂しすぎて夜通し話していたっけ。
その少し前に、トルタニスさんから『お前を次期族長に考えている』と持ちかけられた。
正直、自分が族長になれるとは思わず、トリヤにたくさん話を聞いてもらっていたが、ヴァルゼンベルクにこの時初めて打ち明けたのだ。
「お前は強い。それによく皆の話を聞き、心を配ってる。皆を平等に見て偏見を持ったりもしない。トルタニスはそこを評価しているんだろう」
ヴァルゼンベルクは、俺の悩みを自分のことのように真剣に向き合って考えてくれた。
それにとても感動したし、嬉しかった。
「でもそれは、俺の処世術っていうか」
両親が禁忌を犯して村を追放された俺は、幼いころから、とにかく村の中で居場所を失ったら困ると思っていた。
ヴァルゼンベルクはにっこりと笑った。
「じゃあその処世術のおかげだな。俺からみたら、村の中で一番人望のある若者はトジン、お前に見えるぞ。文句なしの次期族長だ。自信を持て」
少し考えるようにしてから、ヴァルゼンベルクは続けた。「お前はお前の方法でみなをまとめればいいと思うぞ。それぞれ色があるもんだ」
そういって俺の背を叩いてくれたんだ。
――あ。
ヴァルゼンベルクのことを思いだしたら、その次の日のことも思いだした。
どうしてずっと忘れていたんだろう。
「行ってしまったね」
トリヤが呟いた。
遠くなっていくヴァルゼンベルクの大きな背。その傍らには、ヴァルゼンベルクに寄り添うように歩を進めるトルナさん。
尊敬してやまない二人は、集落を去っていった。
「トリヤ。話があるんだ。今日の夜、またお前ん家に行っていい?」
トリヤは「いいよ」と微笑んだ。
夕方、トリヤの家に行くともう食事の支度ができていた。
家の中央の土間で、鍋がぐつぐつと煮えている。ものすごくうまそうな匂いがする。
「はいこれ」とトリヤが空の椀と箸をくれた。「ありがと」と受け取り、トリヤと一緒に飯を食う。
幼い時からこれが習慣になっている。仲間からは「もう夫婦じゃないか」と揶揄されるが、この耐えがたい幸福だけは譲れない。
よくヴァルゼンベルクたちと囲んだ鍋だった。
トリヤはトルシカとたまに一緒に作っていたから再現できたのだろう。
最後の方は、トルタニスとトルシカに混じって、俺とトリヤもヴァルゼンベルクとトルナさんの家に行き、みんなで鍋を囲んだ。
集落ではあまり笑わないトルタニスさんが終始楽しそうにしているのを見て、驚いたことを覚えている。
ヴァルゼンベルクとトルナさんの思い出を語りながら、トリヤと飯を食った。
食事の後片付けを終えると、そっとトリヤに言った。
「また話、聞いてくれないか」
「いいよ」
トリヤは微笑んだ。
さっきまで飯を食っていた土間にごろりと寝転び、天井を見上げる。
トリヤも同じように寝ころび、天井を見上げている。
これも幼いころからの習慣だ。
もとは、村で仲間はずれになっていたトリヤを慰めるために、トリヤが眠るまで手を握り、話を聞いていた。だが、いつからか俺の話を聞いてもらうことの方が多くなった。この前まで手も握っていたのだが、最近は妙にそれができなくなった。
「トリヤ。俺は立派な族長を目指して努力する。本気で」
そう思いを告げた。
トリヤがはっと息をのんだ気配がした。
「心が決まったんだね」
「あぁ。ヴァルゼンベルクと話した。たぶんトルタニスさんのようには行かないけど、俺なりの方法を模索する」
「私はそれが叶うまで隣で支え続けるよ」
トリヤのゆるぎない声。思わず胸が熱くなる。
「多分またいろいろ悩んで話聞いてもらうと思うけど、見放さないでくれ」
そんな少しだけ弱気なことを言って甘えたくなった。
「見放すわけないよ」トリヤが笑ってこちらを見た。
「一緒に考えよう。トジンが思う”立派な族長”って何?」
トリヤは話を聞くのがうまかった。トリヤの前だと不思議と正直に心の内を話せた。夜が人を正直にさせたのもあるかもしれないが。
「そうだな。立派な族長は――」
続きを言うと、トリヤがにこりと笑って深く頷いた。美しい白い髪が揺れた。
ずっと忘れていた記憶だった。
思いだした。俺はなんと答えたかを。
それは、多分アーシェンヴァーンに言ったことと同じだった。
海を渡り、この大陸に足を踏み入れてから、しばらく各地を転々として王都に入った。
国王、アーシェンヴァーンと戦うためにコツコツと金をため、ついに戦ったその夜のこと。
アーシェンヴァーンはなぜか「話がしたい」と俺を王の私室に呼び出すと、深く頭を下げた。
「トジン。お前は海の向こうの大陸で、王だったのだろう。お前に敬意を表する」
王ってわけじゃなかったんだけど、と口を開く前に、アーシェンヴァーンが真剣な眼差しでこちらを見つめた。
「なあトジン。良い王とは何だと思うか」
しばらく考え、答えた。
「それは――まあ、民を信じることだな。信じられなくなる時はあるけどよ。まずこっちが信じてやらねぇと」
俺の言葉に、アーシェンヴァーンは目を見開き、「その通りだ」と頷くと、「お前は良い王だったのだな」と尊敬するような眼差しを向けた。
その顔になんとも悲壮な雰囲気があり、思わず口を開いた。
「お前もいい王に見えるけど。強いし、俺みたいな異国人やお前の首を狙うあのガキも殺さなかった」
アーシェンヴァーンは僅かに目を細めて、俺に問うた。
「お前は3年間この国を回ったと聞いた。……我が国をどう思った」
思わず口ごもると、「正直に答えてくれ」とアーシェンヴァーンは言った。
ならば、と口を開いた。
「乱れているな」
「そうだろう」
アーシェンヴァーンは深く頷いて、それから自嘲気味に笑った。
「私は悪い王だ。もうこの国の民を信頼できない。暴走したように戦いに明け暮れる自国の民を」
「まあ元気出せよ」と励まし、首にかけていた虎の牙の首飾りから、一本の牙を抜き取り、そこに紐を通して作った首飾りをアーシェンヴァ―ンの太い首にかけてやった。
「……これは?」と不思議そうに首飾りを触るその様子が少しおかしかった。
「友情の印だよ。お前を守ってくれるさ」
アーシェンヴァーンはしばらく唇を噛みしめて、その首飾りを見つめると、俺に南に言ったことがあるかと尋ねた。
ない、と答えると、様子を見てきてほしい、と深く頭を下げた。
ジグルステンにターレンシェーンの家に連れて行ってもらったとき、アーシェンヴァーン王についてそれとなく尋ねた。
ターレンシェーンは、王は、何度もこの国の争いをなくそうと尽力していること、だが成功していないことを語った。
なんとなくその時の雰囲気で、ターレンシェーンと王はかつて一緒に戦った仲間なのだと感じた。
「トリヤ。すごいところに来てしまったぜ」
思わずつぶやいて、異国の森の洞窟の中に寝転がる。
野蛮で獰猛な民族が暮らす国だとしか思っていなかった。
だが、王と会い、ターレンシェーンと会い、そしてジグルステンと会ってからはその印象が変わった。
思ったよりも複雑な事情を抱えている国のようだ。
「ま、やってみるか。ラザル。それから、アリヤ。お前らも頑張ってるだろうしな。見ててくれよな」
傍で眠っているまだ幼い少年の髪を撫でながら、先ほど絞り出すようにジグルステンが言った言葉を思いだす。
――俺たちスタルトゥス人は、力も弱く、脅威にならない。だから、俺と爺さんの二人だけが殺されずに国都に売られた。俺たちは死ぬまでやつらに利用されるしかないんだ。
そう言って強く唇を噛みしめた。
ジグルステンはいつもそうやって唇を噛みしめている。
「お前、そんな風に憎しみに身を焦がすなよ」
眠っているジグルステンにそう語りかけてから、幼い彼にはそれも酷な話だよな、と思い直した。
トリヤだったらうまく話を聞けたんだろうなぁ、と頭をかき、眠りについた。
*****
※こぼれ話(長文です……)
<設定メモ>
・トリヤ
あまり描写されていませんが、トリヤは、実は片腕がありません。
トリヤは、茶紋民の村で暮らしていましたが、6歳の頃、左腕に黒い紋様が現れました。それを見た両親は、自分の家が周りから白い目で見られることを恐れ、トリヤの左腕を切り落とします……
ですが、次第に肩や首筋にまでトリヤに黒い紋様が広がり始めると、さすがにどうしようもできなくなりました(8~9歳の頃)。そして掟に従い、10歳で森に捨てられます。
トリヤの村の族長は、少しは話が分かる人で、トリヤを憐み、森に捨てるときに、トリヤに黒紋民の伝承を教えてくれました。森の奥深くには、黒紋民が住んでいる。そこに居場所があるかもしれないと――。そして大まかな場所を絵にして、トリヤに持たせてくれました(この時期は、まだ黒紋民たちが森の奥深くに住んでいて、そのことを一部の茶紋民は知っていたのです)
トリヤはひたすら歩き、集落の近くの森で倒れているところをトルナに発見され、保護されました。最初は心が傷ついたのか、まったく笑わず、村の者たちからも遠巻きにされ、仲間外れにされていたのですが、トジンが話しかけたりするうちに、心が回復していきます。
ちなみに、村での生活では、木製の義手をつけています。簡易的なものでしたが、物をおさえたりすることはできて、トリヤはうまく日常生活をおくっていました。
アイゼンとの生活では、アイゼンが金属製の義手をトリヤにプレゼントしています。
歯車仕掛けが内蔵されており、実際に指を動かせる精巧なものでした。
余談ですが、第一部に登場した親方の義手は、トリヤの死後、アイゼンがこの義手をさらに改良したものです。アイゼンの死後、ヘブライによって親方に渡されました。




