第8話 美しく、生きてみよう
※デイトン視点です。
……食事が喉を通らない。
白銀鉄でできた、白く輝く食卓。
その上には、手の込んだ食事が並んでいる。
野営中の食事とは大違いだ。
むろん騎士は、野営中でも食事には恵まれているが。
向かいに座る弟が、優雅な所作で食事を口にはこんでいる。
その隣で葡萄酒のグラスを傾けたのは、母上だ。
二人とも、俺とは血がつながっていない。
母上がとげとげしい口調を俺に向けた。
「まったく。同期の騎士たちは次々と昇進していくのに、どうしてあなたはずっと最下級のままなのよ」
「……申し訳ありません。母上」
弟が母上と父上に分からないように、口の端で笑みを浮かべたのが見えた。
「また社交界で馬鹿にされるわ。これ以上うちの格を下げないで」
冷たい口調。もう一度、申し訳ありませんと感情を殺して繰り返した。
「まあ、家督はミカエルで決まりよね」
勝ち誇ったような母上の言葉に、金髪に青い瞳のいかにも貴族らしい風貌を持つ弟は、穏やかに微笑んだ。
「母上、父上。私はいつでも準備ができております」
弟の言葉は、いつも揺らぎのない自信をまとっている。
「まあ頼もしい」
母上はにっこりと微笑んで、父上の方を向いた。
「ヴァルゼンベルク様。もうよいのではなくて?」
「その話は、もうしばらく考えると言っただろう」
父上の力強い双眸が俺をとらえた。
「デイトン、よく戦地から戻った。ゆっくり休め」
瞳には温かい色が浮かんでいる。父上だけは俺の味方であるように思うが、いまひとつ俺には父上が何を考えているか分からない。
母上とミカエルが一瞬、無表情になって、それから憎らしげに俺を見た。
胸の奥が、すっと冷えていく。
父上に手短に礼を言うと、疲れたから、と言って足早にその場を辞した。
結局、食事には一つも手を付けられなかった。
迷路のような廊下の途中で、めまいがしてうずくまった。
握った拳が、わずかに震えている。
……まずい。
冷たい声が頭上から響いた。
「笑えるよ。そんなていたらくで、本当に騎士なわけ?」
弟のミカエルだ。整った顔を歪めて笑い、吐き捨てる。
「これ以上家名に泥を塗るなよ。卑しい混血めが」
静かに、頭を下げた。
「……心得ています、次期当主さま」
「ふん、分かればいいんだよ」
そう言い捨てて足早に去っていく。母上のところにいくのだろう。
急に心臓が激しく脈打ち――視界が白くなった。
目を覚ますと、心配そうに俺を見つめるネルヴァと目があった。
見慣れた天井に安堵する。ヴァルゼンベルク家の邸宅から少し離れたところにある、自宅の寝台の上にいた。
いつの間にか気を失っていたらしい。
「ネルヴァ。迷惑をかけた。ここまで運んでくれるなんて」
声をかけると、俺の世話役であるネルヴァは微笑した。
ネルヴァは古くからの家臣だ。父上と共に戦に出たこともあるらしい。
前線を退き、俺の世話役になった。そんな役目さえ負わなければ、もっと良い老後があっただろうに。
「実は、運んだのは私ではないのです」
ネルヴァは、さっと横にずれて一礼をした。
はじめて、ネルヴァの後ろにもう一人いることに気づいた。
「デイトン。いつも妻とミカエルがすまないな」
父上が俺の手を握った。温かく大きな手に包まれる。
「この前、医者に見てもらったんだろう? 発作の原因はなんだったのだ?」
目を伏せて答えた。
「原因はありません。……ただ己の心が弱いのです」
心に負荷がかかったときに突発的に現れる病だということだ。
「……そうか」
父上は目を閉じ、しばらく考えこんでから、静かに口を開いた。
「私のわがままでお前を追い込んでしまった。家督はミカエルに譲ろう」
「そうしてください。父上」
ほっとすると同時に、どこか言いようのない寂しさも感じた。
もうとっくに区切りをつけたはずなのに。
「デイトン、私はお前が真の後継者だと心から思っている。ミカエルは能力はあるが……これからの時代ではやっていけん」
父上は苦しそうな声で続けた。
「ノルク家が取りつぶしにあった」
「……なぜ」
信じられない思いだった。ノルク家と言えば、長年帝国王を支え続けた伝統ある家柄だ。
「対砂紋民政策に異を唱えたからだ」
「…………」
言葉が出なかった。正しい者ほど、死んでいく。
「我がヴァルゼンベルク家も睨まれている」
父上は上着を脱ぎ、左腕につけている、家紋が入った腕輪をそっとなぞった。
「……我らは昔から砂紋民と関係が深い」
ヴァルゼンベルク家の家紋は、砂紋民の紋様に似ている。
俺の左腕にもある、その腕輪。
代々嫡子がつけるそれを、確か6つの時に父上につけてもらった。心の底から誇らしかったことを覚えている。
服の上から腕輪にそっと触れ、呟いた。
「……父上。正義なんて貫かないでください。死んでしまいます」
美しく生きたからといって、なんだというのだろう。
「お前が一人で戦っているのに、そんなことができるか。……読んだぞ」
父は帝国報を指さした。ごく小さな欄に、ひとつ記事が乗っていた。
『シュラクの街に正義の騎士現れる。騎士育成基金、街に発足』
不覚にも目の前がにじんだ。
「こんなの偽善です。私は多くの砂紋民を――」
力強い手が肩に置かれた。
「いや、確かにお前の行動は意味がある。その信念を忘れるな」
「……はい。父上」
声が震えた。
「私の方がダメだな……」
物憂げな表情が一瞬、浮かんで消えた。
「何か困ったことがあったら言え。いつでも私はお前の味方だ」
「父上」
その優しさに縋り、思わず引き留めた。
「私の本当の母上が、砂紋民だというのは、まことですか?」
瞬時に父上がこちらを振り返った。
「……誰から聞いた?」
言いようのない圧に、思わず小声で返す。
「ミカエルです」
「……そうか」
父上は押し黙り、長い沈黙のあと、口を開いた。
「その通りだ。……強いひとだった」
その顔に、初めて見る表情が一瞬だけ浮かんだ。今の妻には決して向けることのないような情愛が。
俺が何か言葉を発する前に、父上は部屋を出ていった。
「ネルヴァ。俺の母上は――」
俺が3つの歳に死んだ、卑しい妾。
そう聞いていた。
「今の奥方がいる手前、ヴァルゼンベルク様は仰いませんが――」
ネルヴァはそっと目を伏せた。「妾ではなく、当時は正妻でした。ヴァルゼンベルク様は心から愛しておられましたよ」
「本当に病気で亡くなったのか」
ネルヴァは沈黙した後、口を開いた。
「戦死です。これ以上は父上からお聞きください」
ネルヴァはさて、と話を切り替えた。「デイトン様。文が届いています。アリヤ様からではありませんが……差出人は不明です」
ネルヴァが手紙を差し出した。
差出人の欄には、シュラクの街の酒場の絵があった。お世辞にも上手とは言えない絵だった。
……もしかして。
手早く封を開くと、そこにはトルーシスらしい綺麗な筆跡で近況や、ネルの面白いエピソードが書かれていた。そして、最後に『君を応援している』と。
――あぁ。
消えそうだった心に、火が灯ったようだ。
もう少し。もう少しだけあがいてみよう。
美しく、生きてみよう。




