第7話 敵の正体
荒い息をついて、目の前に倒れ伏す敵兵を見た。
初めて人を殺した。
なぜだかリュシアの顔が思い浮かんだ。
もうあいつとは決定的に違う世界に足を踏み入れたような気がした。
そんな感傷を追いやり、敵兵を観察する。
俺たちの村を襲った時と同じ、漆黒のマントに覆面。
だが、腰に差している剣は、よく見れば帝国騎士のものと似ていた。
……こいつは誰だ?
ゆっくりと手を伸ばし、マントをめくる。
言葉を失った。
黒いマントの下から顔を出したのは、純白に光り輝く隊服だった。
胸に、金の刺繡で帝国のエンブレムが入っている。
腕には同じく刺繍で名前が入っていた。「ボーダン」と。
「ボーダンがへまをやらかしたな」
「まったく、世話の焼けるやつだ」
声が聞こえ、ハッと顔を上げた。
……しまった。囲まれた。
「残念だなぁ、坊や。秘密を知ったからには、生かしておけん」
5人の敵兵が俺を取り囲む。ボーダンと一緒に酒場に来ていた男たちの顔もあった。
「どうして、村を……。騎士だろ、お前たち」
言葉を絞り出すと、敵兵はうすく笑った。
「世の中には知らない方がいいこともあるのさ」
じりじりと間合いをつめてくる。
…………終わった。
せっかくひとり倒したのに。これもトルーシスが勝手にどこかに行くからだ。てか、どこに行ったんだよ、アイツ……
そこまで考えて、ハタと気づいた。
どうして今まで、こんなに簡単なことに気づかなかったんだろう。
いかにも馬鹿っぽくて嫌だが。
俺は腹の底から空気を吸い込み――叫んだ。
あいつの耳ならきっと聞こえるだろう。そう思いながら。
◇
隊は大混乱に陥っていた。
陣営の奥の奥。何人もの兵に守られた天幕で、中央に座っていた男が叫んだ。
「ええい、みな何をしている!」
「隊長、申し訳ありません! 最終陣営も破られました! お逃げください!」
「まったく、前の村でも苦戦したのに、今回も何たるていたらく!」
勲章をいくつも胸につけた男は苦々しげに吐き捨て、腰の剣を抜いた。
「で、敵は何人だ?」
「ひとりです」
兵が体を縮こまらせた。
「は? ……信じられぬ。ひとりに手こずっているというのか」
「申し訳ありません!」
兵が叫んだその瞬間。
天幕が無残に切り裂かれた。
崩れ落ちる布の合間をぬって、一直線に飛び込んできたのは、まだ年若い青年だった。
その顔を見て兵が絶叫する。
「やつです! 黒い紋様! やつのせいで我らの被害は甚大です!」
「ふん、一息に殺してやろう」
白く輝く、豪奢な剣が閃いた。
キィィン……!
剣と剣がこすれあう高い音。
青年はパッと後ろに跳び、距離をとった。
「……この剣を受けて折れないだと?」
その呟きが終わる前に、青年は跳んだ。
激しく打ち合い、一瞬の隙をついて、男の手から剣をとばす。
「……!」
男は息をのんだ。
その瞬間――
なぜか青年は動きを止めた。ハッと後ろを振り返る。
「……ネル。しまった」
そう一言呟いて、青ざめた顔で去っていった。
来た時より一層人間離れした速さで。
「……やつは何者だ。東ノ国の手の者か?」
男は呆然と呟いた。
「隊長、またやつが来ないとも限りません」
兵の言葉に、男はしばし目をつむった。
「そうだな。……皆に伝えよ。撤退だ」
◇
俺は、全力で剣をよけていた。
トルーシスの姿は見えない。
あぁ……
もはや毒づく余裕もない。かわるがわる振り下ろされる剣をよけるので精一杯だ。
「頑張るねぇ。まあ、そろそろ終わりだ」
敵兵がうすら笑いを浮かべたとき、足音が聞こえた。
やっと来たか!!
勢いよく顔を向けると、黒づくめの兵がこちらにひとり、駆けてくるのが見えた。
……。
叫んだら敵兵が来ることもあるか。
「さぁ、死ね!」
敵兵が大きく剣を振りかぶった。
――ここで、終わりか。
そう思った時。
敵兵が膝から崩れ落ちた。
え?
瞬きをする間に、5人の敵兵は次々と地に倒れていった。
「……とどめをさした方がいい。俺には殺せないから」
駆けつけてきた敵兵は、言った。
その声に、覆面からのぞくまっすぐな瞳に、愕然とした。
「……デイトン? おい、デイトンだろ? 酒場で会った、正義の騎士……」
声がかすれた。
その黒づくめの兵は、黙ったまま頷き、絞り出すように言った。
「俺は君の村の襲撃にも参加した。殺したければ、殺せ」
剣を放り投げる。美しい騎士の剣は、カラン、と情けない音を立てて地面に転がった。
「……もう、何が正義か分からないんだ」
心底、苦しげな声だった。
言葉が出なかった。
憎い敵が丸腰でいるはずなのに、体が凍り付いたように動かなかった。
空気が揺れた。
矢のように何者かが飛び込んでくる。
返り血で服と顔の紋様を赤く染めたのは――トルーシスだった。
獣のようにデイトンにとびかかり、瞬時に組み伏せる。
トルーシスがためらいなく首に刃をはしらせようとした、その時。
「やめろ!」
思わず叫んだ。
トルーシスの剣がぴたりと止まる。
「デイトンなんだ。俺を助けてくれた」
トルーシスの顔が驚愕に染まり、組み伏せた敵に視線を向けた。
デイトンは、静かに目を閉じている。
「なぜ……」
トルーシスはあたりを見渡した。
周りには、倒れている5人の黒づくめの兵。
そして、純白の騎士の隊服をむき出しにして死んでいる男。
「……俺たちを襲っていたのは騎士だったんだ」
呻くように俺が言うと、トルーシスはおもむろに倒れている敵兵の服をざっくりと切っていった。
5つの純白の隊服が露わになった。
トルーシスは、彼らにとどめをさしていった。皆、悲鳴をあげることもなく静かに死んだ。
無言で俺のもとに歩いてきて、既に倒れて死んでいる男を一瞥する。
「……酒場にいた男か」
頷いた俺の頭に、トルーシスの手がおかれた。温かい手だった。「よく耐えた。一人にしてすまなかった」
そして、トルーシスは、この場に生きている最後の敵兵を見た。
彼は自分から黒いマントを脱ぎ、覆面を外した。
純白の隊服を身にまとう彼は、間違いなく、このまえ酒場で酒を酌み交わした騎士だった。
トル―シスはいつもと変わらない静かな表情で彼を見た。
「……なぜ?」
非難の響きはなかった。
「……東ノ国に砂紋民を奪われる前に、奴隷にして帝都に送る必要があると言われた。それ以上は分からない」
デイトンは、消え入りそうな声で続けた。
「俺は沢山のお前たちの同胞を見殺しにした。殺してくれ――」
「……どうする」
トルーシスが眉根を寄せて俺を見た。
うなだれたまま答える。「……分からない」
何を信じればいいのか、もう分からなかった。
トルーシスは目を細めて何かを考えたあと、静かに言った。
「僕は、僕が見たものだけを信じる」
デイトンが瞬きをした。トルーシスはまっすぐにデイトンを見つめた。
「僕にとっての君は正義の騎士だ。殺さない」
デイトンの目が大きく見開き、揺らいだ。
「……違う」血がにじむほど下唇を噛みしめる。
「罪のない者を見殺しにしている。この騎士団にいるくらいなら――ここで君に殺されたい」
デイトンは膝をつき、頭を下げた。
「頼む。一息に殺してくれ」
なぜか、この高潔な騎士を心から気の毒に思った。
トルーシスはわずかに目を見開き、沈黙した。
しばらくして、ゆっくりと口を開く。
「僕は、君に、死なないでいてほしい」
いつもはぼんやりとしているその瞳に、不思議な光が宿っていた。
「僕が騎士団から砂紋民の村を守る。騎士団の動きを阻止する。だから死なないでくれ」
「……え?」 「は?」
デイトンと俺の声がかぶった。
「……お前、それ、騎士と戦うってこと? 命がいくらあっても足りないぞ」
トルーシスは首をかしげた。
「何が問題なんだ? もともと、僕の人生は10歳で終わるはずだったんだから」
……うすうす気づいてたけど。
やっぱこいつ、ちょっと頭のネジいっちゃってるわ。
ひきつった笑いを浮かべた俺に構わず、トルーシスははにかんだ。
「それに……その目的があれば、僕がこの世界にいていい意味がひとつ、増える様な気がして」
思わず黙った俺を見て、トルーシスは何を思ったのか、デイトンに微笑みかけた。
「ネルも一緒に戦ってくれるって」
「どこをどう解釈すればそうなる!」
俺は猛烈な抗議をする。
デイトンがふっと笑って、苦しそうに呟いた。「……真実を知られたら殺されると思っていた」
「君だと分かれば殺さない。これからも」
トルーシスが片手を差し出した。デイトンがはじかれたようにその手を見て――遠慮がちに握った。
「……ありがとう。君は、変わらないんだな」
デイトンの声は震えていた。
「あぁ。君はずっと変わらず、僕の友人だよ」
二人はしばらくそうやってお互いの手を握っていた。
◇
トルーシスとネルが去っていった後も、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
「まったく、派手にやらかしてくれたなぁ」
ふいに聞こえた声に驚き、振り返ると、ニックがいた。
「せめて服を斬らなければ、もう少し誤魔化しようがあったのに」
ため息まじりに呟きながら、倒れている仲間を手際よくひとところに集め、何のためらいもなく火をつける。
「……ニック」
目を見開くと、あきれ顔がかえってきた。
「自分の心配をしたら? 隊服を隠しなよ」
ハッとして、脱ぎ捨ててあったマントに手を伸ばした。
炎に包まれる仲間たちを見つめながら、ニックが呟いた。
「撤退命令が出た。隊は壊滅状態だ」
「……そうか」
ニックは俺の表情をちらりと見て、続けた。
「死者の数が気になる? 砂紋民の死者は推定で村の半分。こっちは、今燃えてるこの6人だけ」
「え?」
壊滅状態じゃなかったのか。
「彼は殺さなかったんだよ。全員、正確な殴打で気絶させていったんだ。……この6人以外、ね」
ニックはうっすらと笑っているようにも見えた。「とんでもないことだね」
ずっと聞いてみたかったことを、聞いた。
「ニック。お前はなぜ騎士団にいる? ……この騎士団にいれる?」
砂紋民の返り血で漆黒のマントを染めた友人は、ふっと目を細めた。
「さあね。成り行きかな」
「ニック。頼む」
食い下がると、ニックはこれ見よがしにため息をついてみせ、そっぽを向いた。
「この大陸で、上り詰めたいからさ」
「……そうか」
俺は? 俺はどうすればいい?
堰を切って溢れ出そうな感情をこらえ、ニックに告げる。
「彼が、お前にも礼を言っていた。もしかしてお前は……ここに兵が来ないように誘導してくれたのか?」
「さぁ?」
いつも通りの、つかみどころのない笑みがかえってきた。
深く頭を下げる。
「いつも、すまない」
ニックが再びため息をついた気配がした。
「まったく、もっと楽に生きればいいのに」
◇
「ルカ、見ろよ。敵が去っていく……」
村の仲間が呆然と呟いた。
「勝ったぞ! ついに東ノ国に!!」
「俺たちはやったんだ!!」
皆が拳を突き上げて喜ぶ。
「そういえば、すごく強い男が加勢に来てくれたな」
「あいつが流れを変えてくれたんだ」
「礼を言わないとな!」
「酒を用意しろ!」
「ま、待ってくれ」
立ち上がろうとしたが、戦いで負った傷が痛み、呻いた。「怪我人は寝てろ」と押し戻される。
いやな予感がした。
生き残っている者たちは、前線にはおらず、あのときの村長の広間にもいなかった。
トルーシスの黒い紋様を見ていない。
村の者たちは、村を救った英雄を探し始めた。
◇
「待ってくれ! どう謝ったらいいか……」
俺は村を去る二人を追いかけた。
トルーシスが馬を止め、微笑んだ。
「君が謝る話ではない」
顔の黒い紋様を見た途端、村の者たちは掌を返したように罵倒した。
気味が悪い。呪われたやつめ。お前が敵を手引きしてたんじゃないのか――と。
今、トルーシスの顔には傷がついている。
敵兵ではなく、村の者たちにつけられたものだ。
簡単に反撃できたはずなのに、トルーシスは何もしなかった。
穏やかな表情がこちらを向いた。
「それより、君は休んだ方がいい。動くと傷にさわる。僕は、慣れているから大丈夫だ」
「気にすんなってさ」
ネルが笑い、二人は背を向けて馬を進めた。
遠ざかる背中に、たまらず叫ぶ。
「おーい! 俺がいい噂を広めておくよ――! 誰も信じなくても! お前は呪われてなんかいない、村を救った英雄だと――」
トルーシスが右手を上げた。ネルが振り返り、笑顔で大きく手を振った。
二人の姿が見えなくなるまで、俺は手を振りつづけていた。




