第77話 トジン+ジグルステン 2/6
――まるで美しい舞を見ているようだ。
そのスタルトゥス人の男の戦いを見て、そんなことを思った。
王が名を問うと、男はにこりと笑って「トジン」と答えた。
その間も、二人はすさまじい勢いで己の武器を振るっている。
「トジン、か。素晴らしい腕だ」
王が低くつぶやいた瞬間、トジンはパッと飛びのき、武器をおさめて跪いた。
「王。海の向こうの大陸では、我が民族が虐げてられています。どうかお力をお貸しください」
地面に頭をつけ、「そのためには何だって行いましょう」と低く言う。
王はトジンをしばしの間、その褐色の瞳で見つめてから口を開いた。
「では、のぼりつめて来い。本来であれば異国人は殺すか見世物小屋行きだが――”泥”の位を与える」
トジンは顔をあげて微笑んだ。
「ありがたき幸せ。必ずや王の傍に相応しい者になりましょう」
王も満足そうに頷き、傍仕えの者を呼び寄せて染料を用意させると、トジンに上着を脱ぐように促した。
良く鍛えあげられた肉体に驚いた。もちろん、その筋肉の量はフローレンス人には遠く及ばない。だが、ここまで筋骨隆々としたスタルトゥス人を初めて見た。
王はトジンの背に、茶色の線を一本、引いた。
”泥”――最も最下層の位の証だ。
この国は、7階層に身分が分かれている。
最下層が”泥”。
俺やトジンも”泥”だ。
続いて、”地”、”骨”、”獣”、”炎”、”空”、最後に”天”。
基本的に子は親の身分を引き継ぎ、富を成すか、王に貢献する働きをすれば上の身分へと移行することができた。
スタルトゥス人は皆”泥”の世襲だったが、今の王の時代から、身分の移行が解禁された。だが、実際に身分を移行した者はこれまでいない。
王は「来い」と言ってトジンを連れて王宮の中へと入っていった。
観衆たちはざわめきながら帰っていった。俺は立ち上がる気力もなく、ただ呆然とその場に居続けた。
◇
「おい、お前。いい動きしてたよな。大丈夫か?」
頭上から、明朗な声が降ってきた。
目を開けると、さっき王と互角にやりあっていた男――トジンがそこにいた。
蹴られた俺の背中に、トジンはそっと手を伸ばした。
思わずその手をはじいた。
触られることには慣れていない。
「何すんだよ。せっかく診てやろうとしてんのに」
ぶつくさと言いながらも、トジンは少し距離をとった。それから俺の体を眺め、目を合わせて瞳孔の動きを確認すると、「よし」と微笑む。
「体に別状はないようだな。やっぱりあの王はやり手だな」
「そんなわけない。ただの能なしだ」
トジンは「ふうん?」と笑うと、急に跪いて地面に手を付け、頭を下げた。
「頼みがある。どうかお前の家にしばらく泊めてくれ。もう金を全部使い果たして、泊まる場所がない」
「……」
さっき王とやりあっていたあの風格はどこにいったんだ。
そう思いながらも、その男をそこに置いておくことは出来なかった。
「すばらしい。……すばらしい!」
俺の家――といっても地下深くの洞窟だ――に案内すると、トジンはとても感動した様子だった。
住処にしている一番奥の洞窟を目指し、自然が作った複雑な洞窟道の中を一緒に歩くと、「故郷の森の静けさを思いだすぜ」とトジンは嬉しそうに何度も言った。
だからだろうか。
トジンに、”祭壇”も案内する気になった。
住処から祭壇までは、さらに歩かなくてはならなかったが、トジンはまるで疲れを知らないように上機嫌でついてきた。
「……ここは」
祭壇に到着して、そこに祀られている濃紺色の民族衣装と牙の首飾りを見て、トジンはしばらく絶句した。
かと思うと、こちらを真剣な表情で見つめる。
「お前、名前は?」
「ジグルステン」
「え。ジ、ジグル……いいづらいな」
トジンは眉を寄せて独りごちた後、しゃがんで俺と目線を合わせた。
「違うだろ。姓があるだろ。姓が」
こちらをじっと見つめる。
ふいに、爺さんの言葉が脳裏によみがえった。
――いいか。めったにこの名を口にするな。だが、この祭壇を見て何かに思い至る反応をする者がいたら、そしてその者が信頼に足ると思えたら、口にしろ。
トジンを見つめ返した。
そして、ゆっくりと爺さんから受け継いだ名を口に出した。
「……ヴァルゼンベルク。ジグルステン・ヴァルゼンベルク」
今まで誰にも言わなかった。
その名を聞いて、トジンはそれはそれは嬉しそうに、にっこりと歯を見せて微笑んだ。
「やっぱりな。ヴァルゼンベルクか」
「知っているの?」
「あぁ。俺らの恩人だ」
トジンは頷いた。
……そうだったのか。
俺はトジンの話を内心驚きながら聞いた。
ヴァルゼンベルクはもともと、トジンが来た場所――海の向こうの大陸に住んでいたという。
トジンの民族、黒紋民は大昔、敵対する民族――茶紋民というらしい――と大きな争いを行った。
その時に仲裁に入ったのが、”ヴァルゼンベルク”という者だったという。
ヴァルゼンベルクは黒紋民と茶紋民の争いを辞めさせ、さらにはその後、「もっと根本的にこの世界を平和にしたい」と海を渡り、この国に渡った。
それ以来、黒紋民たちは平和な暮らしを取り戻した。
故に、”ヴァルゼンベルクの恩を忘れるな”という言葉が黒紋民達の間に語り継がれているという――。
「お前はその末裔か! こんな縁もあるんだな」
嬉しそうに微笑むトジンに、真実を伝えることができなかった。
「……お前、本当に”泥”から上り詰めるつもりか」
かわりにそう尋ねると、トジンは光る瞳で「あぁ」と強く頷き、こちらを真っ直ぐに見つめた。
「お前、ちと若すぎるが俺の相棒になれ。センスがある。一緒に戦おうぜ」
「無理に決まってる。俺らはスタルトゥス人だ」
そういうと、「ジグルステン」とトジンは目を細めた。
「お前も分かってるんだろ。あの王にただやり場のない怒りをぶつけてるだけだって」
「……」
下を向いた。図星だった。
「お前、このままじゃ満足できないんだろ?」
「……あぁ」
わずかに頷くと、ジグルステンの掌が、頭の上に乗った。
「人には、生まれつき、星というものがある。お前、”戦い”って言葉をきくと血がたぎるだろ? もっと広い世界を見たいと思うだろ?」
唇を噛みしめて、静かに頷いた。
トジンがふっと笑った気配がした。
「やっぱりな。じゃあお前はそういう星のもとに生まれたんだ。俺についてこい。一緒にその景色を見よう」
思わずトジンの顔を見た。その顔は――あまりにも輝いていた。
トジンの掌が、俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「俺の”刃”になってくれ、ジグルステン」
◇
「どうするんだ? これから」
翌朝。藁の寝床から起き出して、気持ちよさそうに伸びをしているトジンに尋ねた。
身分をひっくり返すとしたら、武功を上げるのが一番手早い手段だ。
寝ぐせだらけの頭のまま、トジンは急に真剣な顔になって言い切った。
「南の戦場へ行こうと思っている」
「……正気か」
それだけ、絞り出すようにして返した。
南の戦場。
そこはフローレンス人同士が絶えず争いを繰り広げている荒れ果てた場所だ。
王はそこに手を焼き、平定したものには高い位を約束すると公言していた。
だが、誰も平定できず、放置されていた。
無理もない。
そこにいるフローレンス人は危険すぎるのだ。
「まあ、まずは情報収集だな」
余裕のある笑みを浮かべる。
「お前、仲のいいフローレンス人なんていないか? もしくは、信頼できるやつだな」
「そんなやつなんていない」
そう答えたとき、ふと、ターレンシェーンの顔が思い浮かんだ。
スタルトゥス人を楽園送りにする代わりに金をくれる、静かな男。
「いや、一人だけいるかも」
控え目に言うと、トジンは目を輝かせた。
建物の扉をいつものように叩くと、ターレンシェーンが顔をだした。
俺の横にいるトジンを見て、ぴたりと動きを止める。
それから、かなり長い沈黙のあと、低い声を発した。
「お前、ジグルステンの父親か?」
一瞬の間があったあと、トジンはパッと笑顔になり、嬉しそうに俺の頭をわしゃわしゃとなでた。
「そうさ! 最近ようやく息子に会えたんだ。嬉しくてたまらないよ」
この頭をなでる癖、なんとかならないかなぁ、と思っていると、ターレンシェーンは「まあ、どうぞ」とトジンと俺を中へと入れた。
まだ昼間なので、スタルトゥス人はいない。
明るい中で見るその建物は、思ったよりも小さかった。
いつも”作業”や取引を行う場所を通り抜けると、2階へと続く階段があった。
2階には、テーブルと椅子、寝台だけの簡素な部屋があった。ターレンシェーンの住まいらしい。
フローレンス人であるターレンシェーンは背が高い。俺の倍くらいはある。その身長に合わせて家具も大きいが、奥にある炊事場だけ妙にこじんまりとしていた。
ターレンシェーンは俺たちに椅子に座るように促し、茶を出すと、しばらく沈黙してから、トジンに向かって言いずらそうに口を開いた。
「息子さんに、人殺しをしてもらっています」
一瞬の間があったあと、トジンはにっこりと笑って、俺の肩を抱き寄せた。
「大丈夫だ。全部知ってる。息子はなんでも話してくれるんだ。俺ら、仲いいからな」
なんだか面倒なことになってきたなぁ、と心の中で天を仰いだ。




