第76話 トジン+ジグルステン 1/6
眼下に燃える一面の紫煙花。
そこにいるトリヤ。
「トリヤ!!!」
助けにいこうとして、ガシっと太い腕に抱きとめられた。
「ダメだ。トジン。お前は死ぬぞ」
低い声。大きな体躯。トルタニスだ。
「死んでもいい! トリヤを」
もがくが、トルタニスの腕からは出ることができない。
「ダメだ。戒律で全滅が定められていることは、知っているだろう。だが」
トルタニスは回り込んで俺の肩をつかみ、まっすぐ目を見て言った。
「トジン。お前は逃げろ。海の向こうの国へ渡れ。生き残ってこの大陸を守ってくれ」
あまりのことに言葉が出ず、絞り出すように言った。
「そしたら、トルタニスさんは」
黒紋民の族長はふっと笑った。「俺はここでトルシカと一緒に死ぬ。トルシカがいないと生きていけないからな」
トルタニスは続けた。
「きっとトルシカはトリヤも逃がすだろう。運が良ければ生き延びる。良い伴侶に出会えば幸せに暮らすこともできよう」
「……別の男と一緒になるなんて耐えられない」
トルタニスは「いずれ分かる」と肩を叩き、「アリヤはラザルに託したのか」と尋ね、俺が頷くのを見ると満足そうに頷き、剣の刃先を森の奥深くへと向けた。
「いけ。真っ直ぐ1か月、全力で走れ。そうすれば”海”につく。その先に国があるはずだ」
トルタニスは族長の羽織を脱ぎ、俺の肩にバサリとかけると、虎の牙の首飾りまで俺の首にかけ、微笑んだ。
「良く似合う。トジン、受け継いでくれ」
「ダメだ。俺にはまだそんな資格は――」
言葉を遮り、トルタニスは俺の頭に手を置き、わしゃわしゃと撫でた。
「トジン。お前はずいぶん前からすでに立派な族長だった。もう後ろを向くな。前だけ見て、しっかり生きろ。頼んだぞ」
強く抱きしめられた。
「さあいけ」と背中を強く押されて、俺は走り出した。
◇◇◇
ただ、祈っていた。
スタルトゥス人がこれ以上貶められないことを。
そして――この命が燃え尽きるとき、それは火花を散らすようであってほしいと。
ろうそくの炎のように静かに消えたりはしない。爆薬のように盛大に周囲に己の存在を知らしめる。
そんな叶いもしないことを、毎日祈っていた。
祈り終えると、いつものように、爺さんの爺さんの、そのまた爺さんが残したという遺品を見る。
複雑な紋様の入った、濃紺色の民族衣装。動物の牙が幾重にも連なった首飾り。
この大陸のものではない不思議な遺品。
だが、妙に心を惹かれるのだ。
それらは、地下深くの洞窟の壁に飾られている。
他の誰一人として知らない、静寂な空間。
昔はここに多くの人が祈りに来たんだ、と既にこの世にいない爺さんは寂しそうに言っていた。
遺品の中の一つ――毎日手入れを欠かさない銅剣を他人から見えないように懐に入れる。
複雑で迷路のような地下を進み、外へと出た。
混沌とした魔窟へと。
「ハイ、今日もお願いね~」
目当ての場所につき、列にならぶと、フローレンス人の男が、上半身裸の俺らに、ペタ、ペタと札を貼っていく。
仕事の始まりだ。
ひたすらに家畜を殺し、さばき、肉にする。
今日は牛の日だった。せめて楽に殺してやる。
だが、一つ間違えれば、牛は暴れだし、手が付けられなくなる。
そうすれば、こちらが死ぬ。
今日も何人かが死んだ。
「助かったよ。お前、殺すのうまいな」
仕事を終えて外に出ようとすると、30代くらいの男が声をかけてきた。同じスタルトゥス人だ。
みなが精気のない目をして働いている中、やけに穏やかで悟った表情をしている。
「最後に楽できたぜ。他にも仕事場はあるのに、ここで働いているのか」
「まあな。金がいるんだ」
「まだ小さいのにたいしたやつだな。ありがとよ」
男は「頑張れよ」と俺の肩を叩くと、今日稼いだなけなしの金を俺の手に握らせた。
――あぁ。こういうやつは、たいてい決まっている。
仕事場からの出口は2つあり、選べるようになっている。
1つは、普通に外へとつながる出口だ。ひたすらにこの生活を続けるという地獄。
もう1つは、死という楽園。
男は楽園の方へと並んだ。
「おい」
声をかけると男はふっと笑った。
「お前はまだ幼いから夢を見れるだろうが……もうこの年になるとダメなんだよ」
男を止めることは出来なかった。
夜。
混沌の中を歩く。
あちこちでおこる喧嘩。客引きをする女。怪しい薬売り。
構っている暇はない。
目指す目的地についた。
扉を叩くと、巨大な体躯の男が顔を出した。
「待ってたぜ、ジグルステン。今日は多いぞ」
フローレンス人の寡黙な男――ターレンシェーンは低い声で言い、部屋の奥とこちらをわけている黒い幕を静かに引いた。
裸のスタルトゥス人十数名が静かに座っていた。男も女もいる。鎖でつながれていないが、騒いだりはしない。
みな、穏やかな表情で”楽園”へ行くのを待っているのだ。
「そうか」
家畜を殺す時と同じ刃を手に取った。
今日、仕事場で言葉をかわした男の顔があった。
全てを片付け、大きく息を吐くと、ターレンシェーンはそっと肩を叩き、金をくれた。
4、5人のフローレンス人たちがどやどやと入ってくる気配がした。
「何人だ?」 「16人か」 「質は……そこそこだな」
物騒な会話をかわし、ターレンシェーンと取引をし終えると、ドカッとテーブルの椅子に腰を下ろし、肉を食らいながら酒を飲み始めた。
部屋から出て行こうとすると、1人のフローレンス人の男が目の前に立ちふさがり、じろじろと俺を見下ろした。
「へぇ。ターレンシェーンが言ってたのはお前か? よくやるよな」
かすかに嘲りの色が混じる声。わざとらしく首をかしげてやつは続けた。
「金のためか? その年じゃ女に使うってわけでもないだろうに」
テーブルで酒を手にしていたフローレンス人たちが笑い声をあげた。
「おいおい、知らないのか、カーレスリェーン?」
無駄に流麗な響きのフローレンス人の名。「こいつは仇討ちのために金がいるんだよ」
俺に仕事をくれるターレンシェーンはこういう時には決まって黙り、会話に加わらない。
「仇討ち? 誰の仇だ? で、誰を狙ってるんだ?」
カーレスリェーンが面白そうに口の端をあげる。
「爺さんを殺されたらしい。で、狙いはなんと! この国の国王だ」
仲間の言葉に、やつらは一瞬目をしばたたかせたあと、ふき出した。
「む、無理に決まってるだろう! スタルトゥス人がフローレンス人を殺すなんて!」
腹をかかえて笑っている。
「……」
無言で戸口へと向かった。
金はもらった。ここにいる意味はない。
「また行くのか? 中央に」
静かなターレンシェーンの声に、「当然だ」と答えて歩を進めた。
◇
ひそひそとささやき声が聞こえる。
「来たぜ」 「またあのガキだ」 「懲りないよな」
ざわめきを無視して、ただこれからのことだけに意識を集中させる。
門番は手のひらを差し出した。
「金10枚、よろしくね」
「……」
無言で、懐から袋を取り出し、今まで貯めていた金を全部ぶちまけた。
「よし。いけ」
門番は金を数えてニヤリと笑うと、門を開けた。「お前も懲りないな。そんなに楽園へ行きたいのか」
「違う。王を地獄へと引きずり込む」
門番はふん、と鼻で笑った。「できるならやってみるんだな」
金10枚を集めたスタルトゥス人が他にもいた。
皆、ギラギラとした目で王を睨んでいる。
――冷静さを欠くと、負ける。
爺さんが言っていたことを思いだし、静かに深く息を吸って吐きだす。
周りの観衆――フローレンス人の観衆たちだ――から歓声が沸き上がった。
……きた。
フローレンス人の王。
アーシェンヴァーンだ。
俺の倍近くはあるかという身長。
長い手足。筋肉の盛り上がる、鍛え上げられた肉体。
銀色の髪に、光る褐色の瞳。
輝く金の王冠を戴き、緋色の荘厳な羽織を纏ったアーシェンヴァーンは、地面に俺の身長ほどの巨大な剣をドン、と突き立て、低い声で言った。
「さぁ、来い。我に歯向かう者たちよ」
周りのスタルトゥス人が顔をゆがませ、粗末な剣を握りしめると、いっせいに王に向かって突撃した。
「親の仇だ!」「俺たちの村を返せ!」「娘の苦しみを思いしれ!」
そんな声が聞こえた。
……まだだ。
邪魔が消えてからだ。
俺はその場でただ目を閉じてじっと立ち、スタルトゥス人が次々と斬り殺されていく音を聞いていた。
――しずかに、なった。
ゆっくりと瞼をあげ、銅剣の鞘を払った。
「あっけないものだ」
王は低い声で呟き、剣をブン、と大きく振って血を払った。
一歩、俺が近づくと王はこちらを振り向いた。
目が遭った。
ゆっくりと王が笑った。
「またお前か。懲りずに私の命を狙いに来たか」
答えず、全身のばねを使って飛びかかった。
迫る王の巨体。頬をきる空気。
落ち着け。全身の意識を集中させ――
目を狙え。
一閃した刃が王の褐色の瞳に届く。
そのすんでのところで、王の剣が俺の剣をはじき返した。
……チッ。
大きく体勢を変え、後ろに飛びのく。
初手をかわされると分が悪い。
「驚いた。前よりもうんと速い」
王の言葉に反応している暇はない。もう一度全力で跳ぶ。
王はなんなく体をひねってかわし、背後を取ると、俺の背を拳で殴った。
「……!」
息ができないほどの衝撃をくらい、地面に倒れ伏す。
観衆が喝采をあげている。
「ジグルステン。私が何をしたのだ。愚かな復讐に身を焦がすのはやめ、この国の発展に尽くせ」
ペッと血を吐き、王を睨んだ。褐色の瞳が静かにこちらを見返してくる。
「気安く名前を呼ぶな。このクソくだらねぇ世界を作った罰だよ」
息もたえだえに言うと、王は「そうか」と呟き、俺の背に再び蹴りを入れた。
かわそうとしたが間に合わず、脳天まで響く衝撃が体を貫いた。
……?
目を開けると、王の宮殿は、異様な空気に包まれていた。
歓声と悲鳴をあげつつ、食い入るように視線を向ける観衆。
剣を振るう王。
信じられないことに、口元にどこか楽しげな笑みを浮かべている。
え。
王と戦っている相手を見て驚いた。
小柄な体躯。細い体。スタルトゥス人だろう。
細長く、先端に刃物がついている不思議な武器を持っていた。
首には、虎の牙の首飾り。
着ているのは、濃紺色で染められた不思議な紋様の刺繍の入った服。
はっとした。
洞窟の遺品と似ている。
彼は、明らかにスタルトゥス人なのに――
フローレンス人と拮抗する戦いを繰り広げていた。




