第75話 アイゼン 4/4
紫煙花の種子を呆然と見つめているヘブライに再度、言った。
「ヘブライ。お前にしか頼めない。この種をいいところに植えて――この大陸を守ってくれ」
かつての記憶が鮮やかに蘇る。
そう、紫煙花は、守り神なんだ。トリヤはそう伝えてくれていた。
◆
あれは、トリヤがまだ笑ってはくれないが、少しだけ話すようになった頃のことだった。
夕食の食卓に置かれた花瓶に、紫煙花の花束を「また同じのでごめん」とさすと、トリヤはその花を見つめた。
あまりにもじっと見つめるので、思わず尋ねた。
「紫煙花、好きなのか?」
トリヤはしばらく黙ったあと、静かに言った。
「好きだった。でも嫌いになった。でも好きになりたい」
「……そうか」
不思議な言葉だったが、印象に残った。
トリヤが初めて自分から意思を口にしたからだろうか。
次の日の夕食。
「今日の贈り物は外にあるんだ」
そういうと、トリヤは少し不思議そうな顔で俺を見上げた。「来てくれないか」と言うと、トリヤは小さく頷いて俺についてきた。
「ほら。こうすれば枯れないと思って」
庭に、森に咲いていた紫煙花を根ごと持ってきて植えていたのだ。
「…………」
トリヤはしゃがみこんだ。長い間、沈黙してその花を見て「これでは根付かない」と無表情に小さく言った。
……少し、傷ついた。
顔には出さずに「そうか」と言い、俺たちはまた食卓へと戻り、いつも通り黙ったまま静かに食事をとり、それぞれの部屋に行って別々に寝た。
トリヤの言った通り、その花は根付かずにすぐに枯れてしまった。
それから数週間後のこと。
トリヤがこの間から、庭で何やら作業をしているのは知っていた。
今日も庭に座り込んでいる。
そっとしておいた方がいいのか悩んでいたが、トリヤがこちらをちらっと伺うそぶりを見せたので、思い切って近づいた。
しゃがんでいるトリヤの足元に、紫色の花があった。
「紫煙花か」
驚いた声で問うと、トリヤはコクン、と頷いた。
――庭に根付かないはずの紫煙花が咲いていた。
「すごいじゃないか! どうやったんだ!?」
思わず弾んだ大きな声がでた。トリヤはややびっくりしたような顔をして、懐から袋を出した。
紫色で染めてあり、紋様の刺繍が入っているその綺麗な袋を逆さにすると、パラパラと数粒、何かが落ちてきた。
「……これは」
手でつまむと、小さくて黒い楕円状の種子だった。
「種から作ったのか。見事だ」
しっかりと根付いている紫煙花を見ながら、この娘の森での生活に思いをはせた。もしかすると、花を育てたりしていたのだろうか。
「……良かった」
そのトリヤの声は聞こえるか聞こえないかくらいだったが、しっかりと耳に入った。
「え? ――俺のために?」
夢を見すぎかと思ったが、思わず尋ねてしまった。
するとトリヤはまたコクン、と頷いて「残念そうだったから」と小声でいうとパッと立ち上がって、どこかへ行ってしまった。
胸の奥がじんわりと温かくなった。
それから数か月もすると、トリヤは植えた紫煙花の種を集めて増やすことを繰り返し、庭を紫煙花で一杯にした。
「すごいじゃないか」
声をかけた瞬間、トリヤの横顔を見て、息が詰まるような思いになった。
その時のトリヤの顔は忘れられない。
何か――許しを請うような、懺悔の表情だった。
不自然に沈黙した俺を見かねたのか、トリヤが静かに言った。
「この花は毒でもあるし、守り神でもあるの」
「……そうなのか」
「うん」
トリヤは頷くと、ボワッと紫煙花の花畑に火をつけた。
「え……」
絶句している間に、紫煙花の花畑にどんどん火が広がっていく。
それをトリヤが微動だにせずに見つめている。人形のような無表情だった。
「ト、トリヤ! トリヤ!!」
叫んでも動かないので、申し訳ないが肩を掴んで強く引っ張ると、トリヤはぼんやりとした顔で、「ヴァルゼンベルク……?」と言って俺を見た。
誰だ、それ。と思いながらも「俺だ。アイゼンだ」と言うと、トリヤはハッとした顔で「まずい。家の中へ入って」と俺の背を押した。
「トリヤ、君も家の中へ」
一緒に連れて行こうとするも、「大丈夫。私は毒に強い」とトリヤは拒み、その場に佇んで炎が消えるまで見つめていた。
翌朝。
すっかり焼け果てた庭で、トリヤが作業していた。紫煙花の種を植えている。
……また紫煙花か。
変なことを思いださせてしまったのかな、と心配しながら仕事場の森へと出かけた。
数日後。
仕事の合間、トリヤが森で何かを探しているのが見えた。
……何をしているんだろう。
気になったが、森の歩き方は慣れているようだったし、そっとしておいてほしいのだろうと思ったから、特に声はかけなかった。
さらにまた数日後。
庭一面に紫煙花が咲き乱れた。
また燃やすのかな、と内心ヒヤヒヤしながら見つめていると、トリヤは今度はそっと紫煙花に手を伸ばし、その花を摘み取った。
……え。
驚いているうちに、トリヤは全部の花を摘み取った。
そして、大きい器に溜めていた何かの液体を塗りだした。それは蜜蠟だと分かった。
蜜蠟に閉じ込められた、綺麗な紫煙花が大量に出来上がっていく。
それを、庭の一角に積み上げて丘のようなものを作った。
「今度は大丈夫。守り神になった」
トリヤがこちらをちらっと見て、つぶやいた。
「はぁ」
……大丈夫かな。
それから、トリヤは、時折そこを訪れて祈るようになった。
トジンの墓を作ってからは、トジンの墓の周りをぐるっと囲うようにその紫煙花の丘を移動させた。
このころ、トリヤは不安定だったから、おかしなことをやっているなとしか思わなかった。
でも、これにもし何かの意味があるなら――
◆
「……トリヤは死ぬ前、この紫煙花の種を代々受け継いでいってほしい、と俺に託した。守り神だから、と。紫煙花が守り神なら――」
白銀鉄の粉を枕元で燃やし、トリヤを助けたことを思いだす。今から思えば、あれは紫煙花の中毒症状だった。
「紫煙花の毒を無効化する白銀鉄の砂は、滅びの砂だ」
それに、あの女が”ラジャト”を作ってくれ、と言った時、『”ラジャト”は大勢の人を救う』と言っていた。
女の言っていることは信用ならない。逆にとるならば、大勢の人を滅ぼす、ということだろう。
だからきっと、トリヤは最期の手紙で、
”白銀鉄は危険”だと書いたのだ。
ヘブライはじっと俺の話を聞いている。
「ヘブライ。お前、俺が白銀鉄の危険性を訴えるのを、暗に止めてくれてたよな。でも、トリヤに誓ったんだ。もう二度とトリヤを裏切る生き方はしないと」
ヘブライが苦しげに呟いた。
「なぜ私にそんなことを言う? ……お前を殺すために来たんだぞ」
「友だと思っているからだ。お前、本当はこんなことしたくないんだろう。誰かに命令されてやっているんだろう?」
ヘブライは押し黙った。
やがて、ひどく暗い声で言った。
「もう終わりだ。東ノ国を発展させすぎた。100年以内に技術は到達点を迎え、大戦争が起こり、この大陸は滅びる」
「大丈夫だ」
俺はヘブライの手に、紫煙花の袋を押し付けた。「守り神がある。お前の明晰な頭脳で、これをいい場所にたくさん植えてくれ」
「な、なぜ信じられる? 私は海の向こうの国から来たんだぞ。それに、お前を殺そうと……」
ヘブライの声がわずかに震えた。
思わずふっと笑った。
「そうだよな。普通はそうだ。息子に渡すべきだったんだが、和解ができなくてな」
頭をかく。
「でも、俺は馬鹿だから。どうしようもない馬鹿だからさ。こういうことしかできないんだよ」
その瞬間、ヘブライの顔が恐怖でひきつった。
同時に、剣を持つヘブライの右腕が、俺の首を狙って動き出した。
「……クソッ!」
ヘブライは懸命に左手で右腕を抑え、叫んだ。
「違う! お前は馬鹿なんかじゃない。最高の鍛冶職人だ! 本当だ。お前の銅細工を初めて見たとき、惚れこんだ。これを作るのはどんな男なんだろうと」
ヘブライの右腕は、抑え込むヘブライの左腕に抗い続ける。
「ははは、それ、どんな仕組みなんだ。海の向こうの国の技術はすごいな」
「能天気に笑うな」
物凄い形相で睨まれた。ヘブライは低い声で言った。「お前のもつ剣で、この右腕を斬り落とせ。そして逃げろ」
俺はふっと笑った。
「無駄だ。どうせまた海の向こうの国の誰かが俺の命を狙いに来るんだろ? で、やつらからは逃げられないんだろ? ならお前の腕が残った方がいいさ。その方が希望がある」
「だが……! だが!!」
必死の形相のヘブライに、俺は微笑んでみせ、紫煙花の毒が入っている瓶の蓋を開けた。
「トリヤのところに行って叱ってもらうさ。いや、その前に”トジン”に殴られるかな。あ、あと死因は借金取りに追われて自殺したことにしてほしい。実際、追われているからな」
「お前……死ぬ前だけ流暢にしゃべるな」
ヘブライが泣きそうな声で言った時、俺は紫煙花の毒をのんだ。
天地が反転して、すーっとした清涼感が頭に広がった。
……ここは。
一面の紫煙花の花畑だった。
青々とした空に、さんさんと降り注ぐ太陽。
そこに、トリヤが立っていた。
トリヤ……!
その名を呼ぼうとして、トリヤがふっと消えた。
胸が冷えた。同時に、ここは死後の世界なのだと悟った。
そうだ。俺はトリヤに会う資格がない。
別の女にうつつを抜かし、トリヤの遺した言葉を聞かなかったのだから――
目を閉じた。これは報いだ。このやけに美しい地獄で、一生罪を償おう。
「おいおい、もう諦めたのかよ。”忍耐”はどうしたんだよ、”忍耐”は!」
明朗な男の声が聞こえた。
見ると、濃紺色で、紋様の刺繍の入った民族衣装を着た、30くらいの精悍な男が腕を組んで俺を見下ろしていた。右手に槍を持っている。
……トジンだ。そう直感した。
「お前にずっと謝りたかった。申し訳ない」
土下座をすると、トジンは目を丸くした。
「な、なんだこいつ。おい、こんな男を好きになったのかよ、トリヤ」
「まあ、ちょっと粘り負け」
含み笑いの声。
まさか――と思って顔をあげると、トリヤがいた。
無表情ではなく、笑っていた。
そして、「頑張ったね」と俺の肩を指先でつついた。
信じられない思いで目を見開いた。
「トリヤ。俺は、きみにずっと謝りたくて――」
そこから先は言葉にならなかった。頬を熱いものが伝った。
トリヤは、「うん、うん。大丈夫だよ」と微笑んで頷いた。
「おい、泣くなよ。みっともない」
トジンが頭をガシガシとかいて、「おらよ」と紋様の刺繍の入った手ぬぐいをくれた。
「ちょっと私が死んでから、涙もろくなっちゃんだよ」
トリヤがトジンに笑いかけて、「ほら、言いなよ」とトジンの袖を引っ張った。
「あ――、えーっと」
トジンは口ごもりながら、槍の穂先を指先でいじいじと触ったあと、こちらをビシッと指さした。
「まあ、途中からしか見てないけど、トリヤの心が死んでたときの対応は、100点満点中、120点だな。俺の墓を作ったのが大きな加点だ。お前のおかげでトリヤは心を取り戻せたんだ」
……え?
思わず顔をあげると、トリヤが微笑んでいた。トジンの方を見ようとした瞬間、トジンはふいと目線をそらした。
「でも調子に乗るなよ! お前が他の女にうつつを抜かしていた時、トリヤがどれほど悲しんでいたと思うか!?」
……そうだ。結局ひどいことをしてしまったのは変わりはない。
「まったく悲しんでなかったぞ。ざまあみろ」
……え?
トジンは勝ち誇ったような笑みを浮かべてトリヤを抱き寄せた。
「そのときにはもう、俺がここに来てたからな。たくさん甘やかしてやったぞ」
呆然としていると、「いや、もうちょっとなんか反応しろよ」とまたガシガシと頭をかいてから、怒ったようにして言った。
「トリヤは女におぼれるお前を見て、一言、”やっぱりか”と言ったんだよ。想定ずみってわけ。お前の能力からして、海の向こうの国が放っておくわけないからな。トリヤの手紙を読まなかったのは最低だけど」
「……」
瞬きだけをしていると、「だんまりだな、こいつ」とトジンが不満げに言った。「こういう人だから慣れていかないと」とトリヤが笑った。
「まあ、それでも、そのあとよく持ち直した。それは褒めてやる。トリヤも嬉しそうにしてたぞ」
トジンはしっかりと俺の目を見て、そう言った。
ただただ、その言葉に救われた。だが、どう言葉を返せばいいのか、分からなかった。
「……それでも俺は俺の罪を許さない」
「……頭固いな、こいつ」
トジンが口を尖らせた。「で、お前に大事な話がある!」トジンはグッと俺の胸ぐらを引き寄せた。
「とりあえず、一週間のうち、6日はトリヤは俺と一緒に過ごす。1日だけお前。絶対手は出すな」
思わず目を見開いた。
「本当か!? もちろんだ。心から感謝する」
トジンは束の間、あっけに取られたあと、「チッ」と舌打ちをして「決闘すると思ってたのによ」と不満げに槍をしまった。
「ほら。”忍耐”の人でしょ」
トリヤがトジンに面白そうに言って、そして俺ににこりと微笑みかけた。
アイゼン編 完
アイゼン編、お読みいただきありがとうございました!
次は、トジンを中心としたエピソード(全6話)です。今後もお楽しみください!




