第74話 アイゼン 3/4
トリヤの部屋に行き、その扉を開けて驚いた。
トリヤが亡くなってから一切使っていなかったが、そこは綺麗に掃除されており、埃も積もっていなかった。開け放された窓から風が通り、日の光と、心地よい風が入ってくる。
あの女にはこの場所を教えなかった。
ラジャトがここを手入れしてくれたのだろうか。
生前、トリヤがよく座っていた机を見て、またも驚いた。
たくさんの日記が並んでいた。ラジャトが診療所で読んでいたものは、本ではなくこの日記だったのだ、と今更分かった。
一番古そうな日記を、そっと手に取った。
最初のページには、押し花があった。
紫煙花の押し花だった。その下には、小さい文字で”全部は収まりきらないから、一輪だけ”と書かれていた。
まさか。
次のページには小さく絵が書いてあった。いつか俺が渡した――森で取ってきた果物の絵だ。
その次には、翡翠が少しだけ入っている石ころの絵。
その次には、押し花。
信じられない思いで、ページをめくった。
これは、全部。
全部俺が渡したものじゃないか。
花は全て押し花になっていた。
ところどころに文字も書いてあった。
”翡翠入りの石はこれで3回目”
”この花は5回目。自分でも分かってるみたいで謝ってた”
そして、銅剣の絵があった。
”これは、引き出しに。作れるなんてすごい。長い時間をかけたのが分かって、嬉しくて、感謝を伝えたかったのに、ダメだった”
息が詰まる思いで、机の引き出しをあけた。
俺が渡した銅剣がそこにあった。とっくに錆びていておかしくないのに、ピカピカに磨かれていた。
不覚に、目頭が熱くなった。
日記は続いた。
”もう贈り物を保管する場所がなくて困った。棚を作ってほしい、と頼みたいけどなんて言おう”
……そうだ。
いつかの日に、珍しくトリヤが自分から言いに来たんだ。
「棚を作ってほしい」と。「大事なものをしまうから長く使えて引き出しのあるものを作ってほしい」と。
その時は特に深く考えずに承知して、言われるままに作ったが。
おそるおそる、部屋の壁一面に広がる棚の、一つの引き出しを開けてみた。
……10数個あまりの翡翠入りの石が、ごろごろと入っていた。
日記は次第に文字の量を増やし、贈り物の絵とともに、トリヤの心情が綴られるようになった。
”トジン”への想いがたくさん書かれていた。そして、僅かに俺への想いも。
読むのを止めることが、出来なかった。
”墓を贈られるとは、思わなかったな。でも、本当に嬉しかった。トジンといつでも話していいなんて”
”結婚したのにまだ贈ってくれるなんて、懲りない人”
そこにある全ての日記を読み、部屋の棚のすべての引き出しをあけた俺は、放心していた。
銅剣を抱きしめて嗚咽をこらえていると、小さな足音がした。
ラジャトだった。
目が遭った。
情けない姿を見られた。笑われるだろう、と思ったが、ラジャトは静かに歩いてくると、「最後の日記だ」と言って脇に携えていた本を置いて、出て行った。
数行の記述のあと、自分の死期を悟っていたトリヤの、ラジャトに宛てた手紙と俺に宛てた手紙が最後に挟まっていた。
ラジャト宛はもう封が切られていた。自分宛の手紙の封を切る。
全部読むと、家の外のトリヤの墓の前で年甲斐なくボロボロと涙をこぼし、謝罪した。
そして、誓った。これからはトリヤに顔向けできる生き方をすると。
隣のトジンの墓にも謝った。トリヤを幸せにすると誓ったのに、申し訳なかった、と。
家に戻ると、女がいなくなって広々とした一階の食卓で、10歳の息子が一人で静かに夕食を食べていた。
俺が席に着こうとすると、避けるように立ち上がる。
「待ってくれ」
思わず引き留め、絞り出すように言った。
「俺は大馬鹿者だ。トリヤの想いに応えることなく、お前を放置し、ここまで生きてきた。ここからやり直す。見ててくれ」
「あっそ」
ラジャトは淡白に応じると、部屋を出て行った。
それから俺は、トリヤが最期の手紙で俺に伝えた、白銀鉄の危険性を訴えた。
誰からも相手にされず、変わり者扱いだったが、構わなかった。
トリヤが言うからには必ずそうなのだろう。
そして、白銀鉄に変わる新たな金属を作ることに命をかけた。
これはトリヤの遺言ではなかったが、何か夢中で取り組めるものに縋りたかったのだ。
もう少しで白銀鉄と同じくらいの硬度の金属が完成しそうな時。
足音がした。ラジャトの足音ではない、男の足音。
このころ、12になったラジャトは第1商会へ働きに行っていた。ラジャトはトリヤに似て頭脳明晰で優秀だった。
――ついにきたか。
俺は護身用の剣を手に取り、寝室に忍び込んできた男に声をかけた。
「久しぶりだな、ヘブライ。今度はお前が俺を殺しに来たんだろう?」
その男はぎょっとしたように動きをとめ、やがて目深にかぶっていたフードをあげた。
やつれた顔が姿を現す。
「さすがだな、アイゼン。本当に君と友になりたかった」
◇
「ヘブライ。きみは海の向こうの国から来たんだろう?」
お互いに剣を構えた姿勢のまま、俺が尋ねると、ヘブライは大きく目を見開いた。
「……なぜ分かる」
「俺の前の妻は”黒紋民”だった。彼らが語りつぐ伝承を、妻は教えてくれた」
ヘブライは食い入るようにこちらを見つめている。俺は続けた。
「”ラジャト”を燃やすと、海の向こうの国が攻めてくる」
ヘブライの動きが止まった。
「そして”ラジャト”とは、厳密には――白銀鉄を砕いた粉のことだ」
ヘブライが俺を泣きそうな顔でみて、唇を噛みしめた。その反応で、推測が正しかったことを知った。
◆
”アイゼン。あなたに最後に伝えたいことがあるの”
トリヤは、俺に宛てた最後の手紙の中で、俺には分不相応の感謝と賞賛の言葉を伝えたあと、こう記していた。
”あなたは腕の良い職人だから――きっと白銀鉄を作れるようになるでしょうけど、作らないで。お願い。白銀鉄は危険なの。戒律でここまでしか言えないんだけど、信じて”
――白銀鉄が危険?
にわかには信じがたい話だったが、記憶に残るトリヤの言動を一つ一つ思い返してみると、少しだけ腑に落ちることがあった。
子どもを身ごもってから、トリヤは物憂げな視線をお腹に向けた。
「この子には紋様が現れるのかしら」
大きくなったお腹を撫でながらそう言うトリヤに、毎回悩みながら言葉を返していたが、その日は多分いつもと違う返答をした。
「じゃあ、思いつく限りの心配なことをあげてくれ」
トリヤの右手を握った。「一緒に一つ一つ対策を考えよう。俺の考えつく範囲で」
トリヤはびっくりしたように目をしばたかせたが、ふっと微笑むと「ありがとう」と言って、とつとつと語りだした。
「紋様のせいで差別される可能性。……黒い紋様だったらなおさら」
「俺が守る。紋様は常に隠して見えないようにしておけばいい」
「もし紋様が見つかったら西ノ帝国に売られて奴隷になるかもしれない」
「俺が守る。剣の腕を磨く」
トリヤはふき出した。「次も”俺が守る”しか言わないでしょ」とおかしそうに笑い、愛おしそうに俺の額に口づけをしてから言った。
「じゃあもしこの子が、世界を滅ぼす秘密を握っているといって、大陸中から狙われたら?」
思わず眉をあげた。
「た、大陸中? そんな……」
うろたえると、トリヤは屈託なく笑った。「冗談よ。紋様は隠せばいいわね。きっとあなたとなら大丈夫」
今から思うと、あれは冗談などではなかったのかもしれない。
第一商会に閉じ込められている砂紋民達を見て分かった。砂紋民の紋様は、文字なのだと。
ならば、もしトリヤの話が冗談ではなかったら、黒い紋様には、”世界を滅ぼす秘密”が書いてあるはずだ。
トリヤの最後の手紙。
”白銀鉄は危険”
なぜ危険なのか。
俺は来る日も来る日も自分の作ってきた金属と向き合った。
また一から白銀鉄を作ってみたりもした。正直、もう白銀鉄のことは考えたくなかったが、贖罪だと思ってひたすら打ち込んだ。
俺は”忍耐”がとりえなのだから。
雷が鳴り響く嵐が過ぎ去った朝のこと。
作業場に放置していた白銀鉄が跡形もなく消え、その場所に白い砂がたまっていた。
それを見てひとつの仮説を得た。
白銀鉄は、何らかの要因によって簡単に崩壊する。
もしこの秘密が悪用されれば、白銀鉄でできた東ノ国の帝都は一瞬で砂となる。
そこまで考えた時、ハタと気づいた。
このさらさらとした白い砂。
それはひい爺さんから受け継いだ、”紫色の痣を消す薬”と同じに見えた。
試しに燃やしてみて、その燃え方を見て確信を得た。
そして、思いだした。
トリヤがその薬のことを妙に気にしていたことを。
そこまで語ると、ヘブライは顔をゆがめて呟いた。
「……なぜ、それだけの断片で海の向こうの国が攻めてくると分かったんだ」
「いや。トリヤが残したさらなる手がかりがあったからだ。そして、これをお前に託したいんだ」
俺はヘブライに小さな紫色の袋を渡した。
「これは……」
ヘブライが中身を見て驚く。
それは、紫煙花の種だった。
「これはトリヤが俺に託したものだ。俺はそれを、お前に託したい」
「なぜ……」
ヘブライは黒い楕円状の種を呆然と見つめた。その手を両手で包み、言い募る。
「ヘブライ。これを植えて、この大陸を守ってくれ。この紫煙花は守り神なんだ」




