第73話 アイゼン 2/4
娘と暮らして2年がたったとき。
そのころには、すっかり夕食の食卓の上に、贈り物をのせておくのが日常になっていた。
「……これは」
いつもは申し訳なさそうな顔で、贈り物を眺めるのが常だった娘が、紫色の花束の次に関心を示して声を発したのは、銅剣だった。
「あ、爺さんから作り方を教えてもらったことがあって。思いだしながら作ったから、全然、その……」
1か月くらいかけてコツコツ作ったが、結局、鞘と剣の寸法をうまく合わせられず、鞘に刃が収まりきっていない不格好な剣となった。
「いや」娘は首を横に振ると、その銅剣の鞘をすっと指先でなぞった。「よくできてる。……あなたは剣とか槍、使えるの?」
内心、褒めてもらえたことに驚いた。
「いや。武芸はからきしダメなんだ」
「そう。……その方がいいわ」
寂しそうに銅剣を見つめる娘の視線に、前の夫はきっと剣か槍を使うのがうまかったんだろうな、と思った。
3年くらい経つと、娘とは普通に話すようになった。
といっても、天気の話などの日常的な会話がメインだ。個人的なことを話すことはほとんどなかった。
このころ、俺は林業とあわせて銅の生産と加工も少しづつ行うようになっていた。
ゆえに、少しだけ生活の余裕が生まれていた。いくばくかの金額を娘に渡すと、娘は驚いた顔をした。
「街で何か必要なものを買うといい。服とか、あとは身近なものとか」
娘が粗末な服しか来ておらず、ほとんど所持品がないことは知っていた。
「街には一緒に行けるし、もし外に出るのが嫌だったら俺が代わりに買ってくる」
我ながらいい提案だと思ったが、娘は泣きそうな顔で首を振り、「彼に悪い」と言って硬貨を返した。
”彼に悪い”
それが娘の口癖だった。
そして、口には出さなくても、ことある度にそう思っていることも分かった。
”彼”が忘れられない前の夫だということも。
「なぁ、墓を作らないか」
ある良く晴れた夏の日だっただろうか。俺は外で洗濯物を干してくれていた娘に声をかけた。
娘は首をかしげてこちらをみた。
「その……きみのよく言う、”彼”の墓だ」
娘の目が見開いた。
墓を、家の近くのひらけた場所に立てた。
爺さんの墓を作った時と同じように石を削って加工した。墓らしくなるように彫り込みを入れようとして、その名を知らないことに気づいた。
「”彼”の名は?」
「……トジン」
教えてくれるか不安だったが、娘は小声で、でもはっきりと教えてくれた。
”トジン。その魂、安らかに眠れ”
彫り込みを入れ終わり、娘の方を向くと、その頬を涙が伝っていた。
「君の名前は?」
ずっと聞く機会を伺っていた。今しかないと思った。
「……トリヤ」
うつむきながら答えてくれたその名をしっかりと脳裏に刻み込み、微笑みかけた。
「ここで君は好きなだけトジンと会話をすればいい。1日に何回でも来たっていい」
娘が驚いたような表情で俺を見た。
言葉には出さなかったが、「いいのか」と言っている気がした。
「大丈夫だ。俺は、そんな君の姿を見つめながら――”忍耐”を学ぶ」
その時、トリヤが困ったように、でもほんの少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
それが、初めて笑ったのを見た時だった。
それから3年くらいたった夜のこと。
狭い寝台の上で眠りにつこうとすると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
……今日は来てくれる日なのかと、心の底から沸き立つように嬉しかった。
トリヤはたまに話したいことがあると、俺の寝室に来た。遠慮がちに一緒にいてもいいかと尋ね、寝台に滑り込むと少し距離を取りつつも俺の手を握り、天井を見つめてポツポツと語るのだ。
それは、森に住んでいた昔のころの話が多かった。
俺は口下手だから、満足な聞き手ではなかったと思うが、トリヤは話し終わると「ありがとう」と少し照れくさそうに微笑み、去っていった。長くても15分に満たないこの時間を、次第に何よりも待ち遠しく思うようになった。
今日はトリヤの手を握る力が、いつもよりもほんの少し強いな、と思った。
「私の前の夫の話、聞いてくれる?」
心臓がひとつ、大きな音をたてた。横を向くと、トリヤはいつも通り天井を見つめていた。静かな横顔だ。心を落ち着けて口を開いた。
「あぁ。なんでも話してくれ」
トリヤは目を閉じ一度静かに呼吸をすると、吐く息とともに言った。
「こうやってよく話したの。手を握って。悲しいときも苦しいときも楽しいときも」
「そうか」
きっと幼いころから一緒にそうやって歳を重ねてきたのだろう。
「強い人だった。格好良かった。永遠の人なの。でもね、唯一あなたに勝てないところがあるとしたら――」
トリヤがこちらを向いて、ふっと微笑んだ。
「”忍耐”ね。きっと彼はこんなに待てないわ。……もう彼も許してくれるでしょう」
そして、そっと体を起こして、初めて不器用に口づけを落としてくれた。愛おしくてたまらなかった。
それなのに、ラジャトを産んですぐに亡くなってしまった。
◆
「どうしたの、ボーッとして」
女の声がどこか遠くで聞こえる。
どうして、今まで忘れていたのだろう。トリヤのことを。
トリヤを失った悲しみで、あの幸福な思い出まで忘れていたのだろう。
トリヤが身ごもったこともあり、金を作るために帝都で商売でも始めたい、と告げたとき、トリヤは静かに首を振った。
――あなたは商売には向かない、と。
愚直に、誠実にこの森の中でこれまで通り生きていけばいいのだ、と。
「そうだな」と頷いたが、自分の能力を否定されたようで心の中で少しだけ反発した。
だが言う通りだった。きっとトリヤは見抜いていたのだ。俺の弱さを。
「ねぇ」
女がするりと俺の腕に自分の腕を絡ませた。「いったいどうしちゃったのよ」
慣れた仕草で、俺の唇に、その赤く柔らかい唇をのせる。
いつもならそのまま口づけを続けるのに、今日は、たまらなく虚しかった。
女が甘えた声を出した。
「どうして? 寂しいよ」
沈黙が俺と女の間を貫いた。
「……今日はよそう」
わずかに女から身を引いた。
「やだ。離さない」
女が抱きついた。肌の甘い匂いが、酷く鼻についた。
――あぁ。
いったいこの女とどれだけの夜を重ねた?
いくつの唇をかわした?
……なのにどうして。
どうしてだろう。
目を閉じた時に思い出すのは、
初めて笑ってくれた日の、
トリヤのあのぎこちない笑顔だけだ。
女の肩にそっと手を置き、その体を静かに離した。目を合わせて言った。
「ごめん」
途端、女の目がすぅっと細くなった。
「……そう」
女の手元に、キラリと何かが光った気がした。
「じゃあさようなら」
次の瞬間には、女が握る、鋭利な短剣が喉元に迫っていた。
――え。
その時、寝室のドアが勢いよく開いた。
「この、薄汚れた女がァァ!」
絶叫とともに何者かがとぶように入ってくる。
ラジャトだった。
手に剣を握っていた。
「……チッ。ガキが」
女は短剣をすらりと持ちかえると、ラジャトに一切の躊躇もなく振り下ろした。
ラジャトはどこでそんな動きを身につけたのか、パッと後ろにとんでかわした。
「すぐ見切りをつけるんだな。こんなに早いとは思わなかった」
ラジャトがぎらぎらと光る眼で女を見上げる。
女はうっすらと笑って答えた。
「当然じゃない。お互い、愛がなくなってしまったんだもの」
「お前は最初からねぇだろ!」
ラジャトは叫ぶなり斬りかかった。女は不敵に笑い剣を構えた。
数回、お互いの剣が交錯したあと、ラジャトはぱっと後ろに跳んで女との距離をとった。
わずかにうつむき、目をおさえている。女の短剣が目のあたりをかすったのだ。
「……ラジャト!」
思わず叫んだ時、女が私に向かって斬りかかってきた。
護身用の剣が、枕元にあった。
自分にどうしてそんな動きができたのか分からないが――瞬時に剣を掴み、力任せに女の剣をはじいた。
その反動で女がどさりと倒れた。
「殺せ!」
ラジャトが俺に向かって叫んだ。
頭の中が洪水のように渦を巻いて混乱していた。
「なぜ……」
女に剣を突きつけもせずに、それだけ聞いた。
「鉄くさい男はもとから嫌いなの」
そう言い捨て、分が悪いと判断したのか、女は驚くほどの身のこなしで寝室の窓から外へと逃げていった。
「馬鹿な男だな」
ラジャトは冷えた眼で俺を見つめると、静かに立ち上がった。
瞼のあたりに斬られた傷があり、血が流れている。
「欲に目がくらみ、女にうつつを抜かす。今のお前を見たら、母さんはなんて思うんだろうな」
そういい捨て、部屋を去ろうとする。
「待ってくれ、ラジャト。目の手当てを――」
手を伸ばすと、「触るなッ!」と振り払われた。
ラジャトは肩で大きく息をしながら、激しい怒りをこめてこちらを睨みつけた。
女を見ていた時と同じ眼だった。
「あの女を抱いた手で僕に触るな。それから」
ラジャトはくるりと背を向け、吐き捨てるように言葉を続けた。「その金属の名前で、二度と僕のことを呼ばないでくれ」
バタン、と部屋のドアが閉まる音だけがいやに耳についた。
俺は言葉を失ったまましばらくその場に立ちつくした。
幼い息子は、見ないうちに、子どもを通り越してすっかり大人の顔をするようになってしまった。
それから、家の外で両目を抑えてうずくまっていたラジャトを見つけ、急いで医者の元へと連れて行った。
頬には、乾いた涙の痕があった。
視力が極端に弱くなったこと、しばらく療養が必要なことを医者に告げられた。俺は、医者のすすめもあって、大金をはたいてラジャトの視力を良くする器具――”眼鏡”――を買った。
金がなくなろうが、なんだろうがどうでもよかった。
見舞いに行くと、診療所の簡素な寝台の上で体を起こしていたラジャトは、眼鏡をかけて、何かの本を読んでいた。
「ラジャ……」言いかけてその名を呼ぶことを拒絶されたことを思いだしだ。
「眼鏡はどうだ。よく見えるか」
「まあね」
ラジャトは面白くなさそうに答えて、ふいと顔をそむけた。
それから俺は毎日病院へと通った。
「眼鏡はどうだ。……慣れてきたか」
「ねぇ。ずっとそれだよね。他に話題ないの」
ラジャトは本から顔をあげないまま、つっけんどんな口調で言った。
このところずっと同じ本を読んでいる。
「ごめん。話が下手で」
うつむくと、ラジャトはふん、と鼻を鳴らして、手にしていた本をパタンと閉じ、膝の上に投げ出した。そのままそっぽを向く。
「……母さんの言う通りだ」
トリヤによく似た静謐な横顔をして、ラジャトは俺から視線を外したまま、続けた。
「母さんの部屋に行けよ。どうせ母さんが死んでから一度も行ってないんだろ」




