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第72話 アイゼン 1/4

ラジャト。

その女から聞いた金属の名を、生まれたばかりの息子につけてしまうほどには、狂(くる)わされていた。


女は異国から来たと言っていた。

くるくるとよく動く豊かな表情。

惜(お)しげもなく見せる白い肌(はだ)。そこに刻まれた茶褐色(ちゃかっしょく)の紋様(もんよう)。


全てが妻とは違(ちが)っていて、妻を失った悲しみから立ち直れずにいた俺は、次第にその女に傾倒(けいとう)するようになった。


女はよく言った。

「魔法(まほう)の金属があるの」と。

強く、錆(さ)びず、岩をも打ち砕(くだ)く白く輝(かがや)く金属。それが”ラジャト”だと。


「西ノ帝国(にしのていこく)で有名な、白銀鉄(はくぎんてつ)のことか?」と尋(たず)ねると、何それ?と首をひねった。

説明すると、「多分それと似てる!」と手を叩(たた)いた後、ぱっちりとした大きな瞳(ひとみ)で俺を見つめた。


「でもラジャトはもっとすごいの。すごく固いのに一瞬(いっしゅん)で崩(くず)れて粉にもなったりする。そして、その粉は多くの人を救えるの」


そして俺の耳元でささやく。

「きっとあなたならこの国で一番に作れるわ」


俺は街はずれにある、森近くの粗末(そまつ)な小屋で、しがない製銅屋を細々(ほそぼそ)とやっていた。

誰(だれ)も才能なんて認めてくれなかった。女は乾(かわ)いた俺の心に入り込み、占領(せんりょう)した。


「……どうかな?」

どんなにラジャトとは程遠い金属を見せても、女はいつも「すごい!」と目をキラキラさせて喜んだ。


「全く作れる気がしない」

弱気なことを言うと、いつも明るく励(はげ)ましてくれた。


「あなたは私が見込(みこ)んだ男だもん。絶対作れるよ」

もう30に差し掛(か)かった男に、18,19くらいに見える女の若さはまぶしくうつった。妻の忘れ形見の、生まれたばかりの息子――ラジャトの世話もよくしてくれた。


「だんだん近づいてきてるね」

少しづつラジャトに近い金属ができてくると女は花が咲(さ)いたように喜び、その度にささやかなお祝いをしてくれた。


行き詰(づま)った時は、「今、どうやって作ってるの?」と明け方まで傍(そば)にいて、俺の面白くない金属の話を熱心に聞いてくれた。



「私、お金がなくても今すぐにでもあなたのお嫁(よめ)さんになりたいんだけど」

女はそう言ってよく俺の腕(うで)に自分の腕(うで)を絡(から)ませた。女の体から甘(あま)い香りがした。

結婚(けっこん)するには金がいる。ラジャトを作って十分な金を得る必要があった。


俺は、借金をして金属の開発に傾倒(けいとう)するようになった。





「……アイゼン。わたし、今この世界で一番幸せだよ」

重ねた唇(くちびる)を離(はな)すと、式場で白いドレスに身を包んだ女は、うっとりとした表情でささやいた。


「俺もだ。全てお前のおかげだ」

もう一度口づけをすると、観衆から拍手喝采(はくしゅかっさい)が沸(わ)き起こった。


そう。俺はラジャトを開発し、この東ノ国で一番の鍛冶屋(かじや)になったのだ。



しばらくすると、一人の男が尋(たず)ねてきた。

「ここに噂(うわさ)の鍛冶職人(かじしょくにん)がいると聞きまして」

男は笑顔を浮かべ、鋼主(こうしゅ)に仕えている発明家、ヘブライだと名乗った。


今や妻となった女が、「すごい方じゃない!」と目を丸くして、歓迎(かんげい)し家の中に引き入れた。


女がもてなす中、ヘブライは「東ノ国の発展のために、あなたにこれを作ってほしいのです」と紙を差し出してきた。

それは精巧(せいこう)にできた設計図で、今までに見たことのないものが書かれていた。


次の日、またやってきたヘブライに、設計図通りに作ったものを差し出すと、彼は「素晴らしい!」と目を輝(かがや)かせ、大金を俺に握(にぎ)らせた。


その翌日には、「ぜひ次のものもお願いしたい」と別の設計図を持ってきた。

ヘブライとは不思議と話が合い、俺たちはすぐに良き友人になった。



「最近、とても楽しそうだね。私もうれしい」

夜。寝室(しんしつ)で、いつも女はそう言って微笑(ほほえ)み、口づけをねだった。


その通りで、とても充実(じゅうじつ)した毎日だった。


親友のヘブライが持ってくる設計図。

毎日、未知の物を作る喜び。自分が確かに必要とされている感覚。

そして、俺を愛してくれる美しい妻。


他に、何を望もうというのだろう?

だが、幸せとは――薄氷(はくひょう)の上に成り立っているものだ。





「父さんの作ってるものが、何に使われているか、知ってる?」

ある日、暗い目をして息子のラジャトが聞いた。


この時、ラジャトは10歳(さい)だったと思う。このころ、よくラジャトはこういう暗く冷めた目でこちらを見つめた。


「剣や建物、それに身近な製品だろう。この国の発展のために”ラジャト”は使われている」


俺が作っている金属は、西ノ帝国(にしのていこく)より少しだけ純度の高い白銀鉄(はくぎんてつ)に変わりはなかったし、実際、”白銀鉄(はくぎんてつ)”という名称(めいしょう)で売っていた。

だが、普段(ふだん)は女の影響(えいきょう)もあって”ラジャト”と呼んでいた。そう呼ぶことで自分が何か特別なものを作っているような気分になれた。


「違(ちが)うよ。殺人の道具さ」

ラジャトは吐(は)き捨てると、どこから拾ってきたのか、服屋によく置かれている人型の人形の首に何かをパチンとはめた。


それは、首輪だった。

ヘブライの設計図をもとに俺がこの前から作っている、白銀鉄(はくぎんてつ)でできた美しい首輪。


ラジャトは矢継(やつ)ぎ早に単語を言った。

「鋼主(こうしゅ)。砂紋民(ヌルム)。紋様(もんよう)。白銀鉄(はくぎんてつ)。情報」

ガタガタと音を立てて首輪が恐(おそ)ろしいほど振動(しんどう)し――そしてグッと収縮した。


人形の首がポキン、と折れた。


「え……」

言葉を失うと、ラジャトが俺を横目で見て、「ふん、気づいてなかったのかよ」と低い声で言って去っていった。


「ただの子どもの遊びよ。気にすることないわ」

女がとりなすように言ったが、胸にくすぶった不安を抑(おさ)えるにはいたらなかった。







「おい。正直に言え。俺の作っているものは何に使われているんだ」

次の日。ヘブライの住まいを訪ねて問うと、ヘブライは沈黙(ちんもく)してから目を伏(ふ)せ、静かに言った。


「君と本当の友になりたかった」


「……よく意味が分からない。ずっと友人だったじゃないか」

声が震(ふる)えた。

嫌(いや)な予感がした。次にヘブライが言う言葉に予想がついた。


「いや。ただの取引相手《ビジネスパートナー》さ。今日でこの関係は解消だ」





初めて、街をよく見て歩いた。

街は様変わりしていた。白銀鉄(はくぎんてつ)で作られた数多もの建物。質の良い衣類を身に着けた通行人たち。


”第一商会”

大きな看板のかかったその豪華(ごうか)な建物の中で、ずらりと並べられている剣を見て、驚(おどろ)いた。


――俺が作っている”ラジャト”の何倍も質がいい。


なぜ。

ふらふらとその建物の2階に上がって、もっと驚(おどろ)いた。


――砂紋民(ヌルム)?

鎖(くさり)につながれ、上半身をむき出しにしてこちらに紋様(もんよう)を見せている砂紋民(ヌルム)たちは、まるで標本か何かのように動かなかった。

そして、感情のない、人形のような目をしていた。


唐突(とうとつ)に前の妻を、思いだした。


気分が悪くなりながらも、3階、4階へと歩を進めるのを止められなかった。

砂紋民(ヌルム)達は色ごとに分けられて、小さなガラスの部屋へと押(お)し込められていた。

1つ1つのガラスの部屋の前には、まるで博物館の展示物のように説明書きがあった。


彼らの紋様(もんよう)の翻訳(ほんやく)だった。一目で”ラジャト”の作り方の断片だと分かった。


……そんな馬鹿な。


第一商会から出ると、すっかり夜が更(ふ)けていた。

ちょうど商人達が、裏口から砂紋民(ヌルム)を第一商会の中へと引き入れるところだった。


疲(つか)れた表情をした、剣を手に持った護衛たちがその傍(かたわら)にいた。

護衛たちは、祈(いの)りながら仲間の死体を川に流していた。


その首には、首輪の締(し)まった跡(あと)があった。

俺が作った首輪だ。


一気に現実が襲(おそ)ってきた。


能天気に幸せを享受(きょうじゅ)していた自分自身を呪(のろ)った。

俺が作り出した”ラジャト”。それは魔法(まほう)の金属なんかじゃなかった。


その発展のために、砂紋民(ヌルム)が使われた。

俺は”ラジャト”を加工して人を苦しめる道具を作った。


おそらく、俺の編み出した”ラジャト”……いや、白銀鉄(はくぎんてつ)の作り方は、東ノ国全体に流出し発展を遂げた。

そして、ヘブライから離(はな)れ、”加工”という役割を失った俺は、もう市場でやっていけないだろう。




夜中。

帰ると妻が出迎(でむか)えて、俺の暗い顔を見て、「どうしたの?」と心配そうに尋(たず)ねた。

疑いたくない。疑いたくないが――。どうしても疑念が生じてしまう。


俺が帝都(ていと)に住処を移そうとしたとき。

「思い出のあるここがいいよ」と屈託(くったく)なく笑って、森の中のこの家に引き留めた。


ラジャトを開発したとき。

「私にも教えて?」と熱心に作り方を聞いてきた。


それは全て愛ゆえだと思っていたが。

もしそうでないとしたら?


――いや。よそう。今までこんなに良くしてくれた妻を疑うなんて。


「少し疲(つか)れたんだ。今日はもう休むよ」

2階の寝室(しんしつ)へと上がる。

頭が重かった。早く眠(ねむ)りにつきたかった。


寝間着(ねまぎ)に着替(きが)え、寝台(しんだい)へと滑(すべ)り込む。

上質な絹をふんだんに使った寝間着(ねまぎ)と広い寝台(しんだい)。分不相応だ。


そう、分不相応だったんだ。


「ひどいなぁ。私を置き去りにするなんて」

妻が寝室(しんしつ)に入ってきた。長く輝(かがや)く美しい髪(かみ)。大胆(だいたん)に露出(ろしゅつ)した白い肌(はだ)と茶褐色(ちゃかっしょく)の紋様(もんよう)。


「いつも眠(ねむ)る前にしてくれる口づけは省略?」

そういって寝台(しんだい)へと入ろうとする。


なぜか前の妻を思い出した。

笑わない女だった。決して安易に自分から口づけを求めることも、ましてや手を触(ふ)れることすらもしなかった。





   ◆





「おい、大丈夫(だいじょうぶ)か!」

街に馴染(なじ)めず、森の近くで細々(ほそぼそ)と林業を営んでいた頃(ころ)、森の中で行き倒(だお)れている娘(むすめ)を見つけた。

歳(とし)は、20くらいだろうか。色素の薄(うす)い白い髪(かみ)が印象的だった。


まだかすかに息がある。

顔に紫色(むらさきいろ)の痣(あざ)が広がっていてぎょっとしたが、ひとまず介抱(かいほう)しないといけないと思い、抱(だ)きかかえて家へと運んだ。

初見は紫色(むらさきいろ)のマントで体を覆(おお)っていて気づかなかったが、左腕(ひだりうで)がなかった。



「死ななかったのか……」

目を覚ますと娘(むすめ)は絶望的な声で、そう呟(つぶや)いた。


枕元(まくらもと)で燃えている赤々(あかあか)とした炎(ほのお)を見て、「これは?」とぎょっとしたように尋(たず)ねる。


「俺のひい爺(じい)さんからもらった粉を入れた。紫色(むらさきいろ)の痣(あざ)がでたら、こうすれば治るって」

ひい爺(じい)さんは、友人を助けた際に、お礼に不老不死の薬だとしてもらったらしい。迷信だとひい爺さんは笑い、息子である俺の爺さんに渡しという。代々受け継がれてきた、白っぽい粉が入っていた巾着袋(きんちゃくふくろ)を見せると、娘(むすめ)は中身が空であることに気づき、静かに尋(たず)ねた。


「そんな貴重な粉を、全部入れてよかったの?」

俺はもちろん、と頷(うなず)いた。


「ひい爺(じい)さんの代から誰(だれ)も使わなかったんだ。使うのは、当然今だ」


「あなたはその粉の作り方を知ってるの?」

娘(むすめ)がこちらを伺(うかが)いながら尋(たず)ねた。


「いや、知らない。でも気にするな。不老不死になりたいとは思わない」


「……そう。よかった」

と娘(むすめ)は言った。ジジ……と炎(ほのお)が揺(ゆ)らめいて、その粉が入った炎(ほのお)は燃え尽(つ)きた。


娘(むすめ)は礼を言い、「すぐにここを出る」とふらふらと立ち上がった。引き留めると「死んだ夫に悪い。自分も死ぬ」と言って拒絶(きょぜつ)した。


痣(あざ)は消えたはいいものの、どう考えても体も心も不安定な娘(むすめ)を一人にすることはできなかった。東ノ国はそのころ治安も悪かったのだ。

「変なことはしないと誓(ちか)うから」となんとかなだめすかし、療養(りょうよう)させた。


最初は痣(あざ)の影響(えいきょう)か、体中にしびれがあったようだが、半年もすると良くなり、家事を手伝ってくれるようになった。

だが、心に傷(きず)を負ったのか、1年たっても笑わず、初日に炎(ほのお)の話をした以外は、ろくに言葉もしゃべらなかった。


俺も口下手な方だから、あまり言葉もかけられなかった。


あれは確か、1年半くらいたった時の頃(ころ)だろうか。

花束を渡(わた)した。金がなかったから、森で見つけた紫色(むらさきいろ)の美しい花を沢山(たくさん)摘(つ)んで、紐(ひも)で縛(しば)り、見よう見まねで束にしたものだった。


それを渡(わた)した時、娘(むすめ)は目を見開いて沈黙(ちんもく)し――その沈黙(ちんもく)の時間は永遠にも思えた――そして、ボロボロと泣き出したのだ。


「ど、どうした。すまない」

何か、心の傷(きず)をえぐるようなことをしてしまったのだろうか。

うろたえると、娘(むすめ)は静かに首を振(ふ)り、花束を抱(だ)きしめて蚊(か)の鳴くような声で呟(つぶや)いた。


「彼もこれをくれたの」


彼、というのが死んだ夫のことだと察した。

この頃(ごろ)にはもう、俺は娘(むすめ)に恋心(こいごころ)を抱(だ)くようになっていた。少し心が痛んだが、会話をかわせたことをよしとした。


俺はそれから日常に変化をつけることを意識した。

花束を渡(わた)して初めてしゃべってくれたのだから。


なんでもいいから1日にひとつ、娘(むすめ)に贈(おく)り物をした。

森でとれた素朴(そぼく)な花々(はなばな)や、果物、石(綺麗(きれい)に見えるものだけを選んだ)などが中心だったが。


俺の生活は基本的に同じことの繰(く)り返しだった。

朝、日の出とともに森に出かけ、夕暮れ時に家に戻(もど)り、粗末(そまつ)なパンと干し肉を食べて眠(ねむ)る。そして、月に一度、街へ材木や炭を売りに行く。

この単調な生活では、娘(むすめ)の心を死んだまま風化させてしまうと思った。


次第に、夕食の食卓(しょくたく)の上に、贈(おく)り物をのせておくのが習慣になっていった。

だが、娘(むすめ)はいつも申し訳なさそうな顔をして贈(おく)り物を眺(なが)め、食事が終わるとそっと手に取って2階の自分の部屋に上がるだけで、言葉を発することはなかった。

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