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第71話 幕間 アリヤとデイトン 2/2

夜。

静かになった城内で、この城の領主となったアリヤ様は静かに佇(たたず)んでいた。

アリヤ様にお仕えしてはや4年。これほど感無量の時はない。


「皆(みな)が帰って静かになりましたね」

そう声をかけると、「そうだな、フツロギ」と柔(やわ)らかい笑顔が返ってきた。

先ほどまで、新しい領主の誕生を祝って、領民が集まってどんちゃん騒(さわ)ぎが行われていた。


「アリヤ様。こんなときになんですが、今日ちょうどデイトン様からの文が届きました。小包みもあります」


「デイトンから? ……ありがとう」

デイトン様の話をするときだけ、アリヤ様は少しだけ年齢(ねんれい)通りの娘(むすめ)らしくなる。

そっとその横顔を伺(うかが)う。動くときに邪魔(じゃま)にならないように固く結った髪(かみ)。鍛(きた)え抜(ぬ)かれた体。言葉づかいからも貴族の女性らしさは消えてしまった。


「何が入っているんですかね?」


「……」

アリヤ様は私の言葉には答えずに、背を向けた。

文を開く音がする。


どんな内容が書かれているのやら。

でも、毎回デイトン様から文が届くたびに、アリヤ様は元気になるのだ。

難航する領地経営をやり遂(と)げられたのは、この文のおかげだと私は思っている。


「よしよし、じゃあ私もおじさんからの文を黙(だま)って読みますよ」

あえて冗談(じょうだん)めかして言った言葉にアリヤ様がクスッと笑った。


「仲がいいね」


「文面から滲(にじ)みでてくるんですよ。ネルヴァ様の飾(かざ)らないお人柄(ひとがら)が。不思議と実際に会った気になれるんですよねぇ」

デイトン様の文と一緒(いっしょ)に、執事(しつじ)のネルヴァ様からの文も私宛(あて)に来る。簡潔だが的確に、向こうの情報を伝えてくださり、助かっている。


「それ、分かる気がする」

アリヤ様は頷(うなず)いて、文に集中した。




「……フツロギ」

呼ばれてハッと顔をあげると、アリヤ様が近くにいた。

アリヤ様の気配の消し方が最近上手くなりすぎて怖(こわ)い。いや、私が単に老いたのか。


「みて。これ、デイトンから」

頬(ほお)が赤く染まっていた。


小包みの中に指輪が入っていた。とても華奢(きゃしゃ)で美しく銀色に輝(かがや)いている。

「おぉ……! 白銀鉄(はくぎんてつ)で作られているのではないですか?」

おそらくかなり値がはったものだろう。


そういえば。西ノ帝国(にしのていこく)の貴族の間では、結婚(けっこん)を願う相手に指輪を渡(わた)すという風習があると聞く。

これは。もしや。


「フツロギ。私、もうしばらくして領地が安定したら、デイトンに話をしに行く」


うわ~、嬉(うれ)しい!! なんだか分からないがこれほど嬉(うれ)しいとは! グッとアリヤ様の掌(てのひら)を握(にぎ)った。

「ぜひ迎(むか)えに行きましょう! アリヤ様が留守の間は、家臣どもに領地を任せればよいでしょう。それにしても楽しみですね。大急ぎでドレスを仕立てます」


「……ドレス?」

アリヤ様がぎょっとした声を出した。


「そうです。デイトン様を驚(おどろ)かせてやりましょう! アリヤ様、あなたは本当に美しくなられた。一緒(いっしょ)に婚姻(こんいん)の式用のドレスも仕立てますよ」


「気が早いよ、フツロギ」

アリヤ様は苦笑した後、呟(つぶや)くように言った。「私は……ドレスなんて似合わない。今の服の方がいい」


「そ、その騎士の恰好(かっこ)でデイトン様を迎(むか)えに行こうと思っていたのですか」

思わず声が上ずる。紋様(もんよう)が大きく露出(ろしゅつ)されるドレスに抵抗(ていこう)があるのは分かるが。


「……ダメかな」

アリヤ様が珍(めずら)しく、しゅんとした。


「でも、デイトン様は、ドレスを来たアリヤ様をお見初めになって声をかけたのでしょう? あの舞踏会(ぶとうかい)の夜に」


アリヤ様が驚(おどろ)いた顔をした。

しまった。覗(のぞ)いていたことがバレてしまった。


「確かに。これはデイトンに聞いてみよう」

アリヤ様はすらすらと紙に返事を書き始めた。それから手を止め、じっくりと内容を考え込み、結局明け方近くになって私に文を手渡(てわた)した。

「はいこれ、よろしくね」

睡魔(すいま)に抗(あらが)えず、眠(ねむ)りこけていた私は、寝(ね)ぼけ眼でそれを受け取った。


「分かりました。至急、送りますよ」

そういうと、はにかんだ笑顔がかえってきた。






    ◇






アリヤ様からの返事を奪(うば)うように受け取って、自室にこもったデイトン様は、夜中になって食卓(しょくたく)へとやってきた。すかさず尋(たず)ねる。

「どうでしたか? 小包みの反応は?」


「……上々(じょうじょう)だ」

形の良い耳が赤い。アリヤ様の執事(しつじ)のフツロギ殿(どの)の文には、もうしばらくしたらアリヤ様が話をしにこちらに来る、と書かれていた。すぐにではないが、婚約(こんやく)の話がまとまれば、婿(むこ)として東ノ国へと旅立つことになるだろう。


「この屋敷(やしき)の荷物も、整理しておきますね」


「あぁ、頼(たの)む」

照れたように言うデイトン様は、今までに見たことのないような幸福そうな表情をしていた。

今までのデイトン様が重ねてきた苦労を思い、目頭が熱くなった。


しがらみのない東ノ国で、幸せな家庭を築いていただきたい。アリヤ様と共に!!

すぐにデイトン様が一番格好よく見える仕立てのいい服を用意しなくては。

そう決意したその時。


屋敷(やしき)の扉(とびら)を叩(たた)く音が聞こえた。

「伝令! 伝令! 急ぎお伝えする! すぐさま隊に集まられよ!」


デイトン様も私も、ハッと扉(とびら)の方を振(ふ)り向いた。


「何事か」と私がまず扉(とびら)を開けた。

このように急な招集がくることはめったにない。北ノ国が急襲(きゅうしゅう)したか。それとも海の向こうの大陸から敵でも攻(せ)めてくる兆候でも現れたか。


「詳(くわ)しくは、騎士の皆(みな)さまが集まってから、陛下直々(じきじき)に話されるとのことです」

伝令は跪《ひざまづ》いて、そう簡潔に報告した。それからその姿勢のまま、小さい声で補足した。「……おそらく東ノ国に攻(せ)め入る予定です」


思わず己の耳を疑った。

「なに……? なぜ東ノ国に攻(せ)め入る理由がある? ずっと友好国だっただろうが!」


「帝都(ていと)に民を惑(まど)わす砂紋民(ヌルム)がいまして。その者が吐(は)いたのです。東ノ国の指金だと」


「そ、それだけの理由で攻(せ)め入るのか」

私はあっけにとられて尋(たず)ねた。私の旧友でもある伝令は苦々(にがにが)しい顔で頷(うなず)いた。

「全て陛下の一存でございます」


帝国王(ていこくおう)は最近ご乱心だ。女にうつつを抜(ぬ)かし、逆らう者がいればすぐに捉(とら)え、追放するか殺す。

結果として意見する者は一人としていなくなってしまった。


「急ぎの招集です。時間がありませぬ。……デイトン様」

伝令の声に、青ざめた顔のデイトン様はそれでも隊服と剣をすぐに身に纏(まと)い始めた。


「本当に戦うのか、東ノ国と……?」

デイトン様は呆然(ぼうぜん)と呟(つぶや)いた。そしてハッとしたように小さく言う。「……そしたら君とも戦うことになるのか」


”君”が誰(だれ)を指すのかが痛いほどよくわかった。

「ネルヴァ。アリヤに文を出してくれ。俺の名前で出せ。内通罪となろうと構わない」


「かしこまりました」

それからデイトン様は驚(おどろ)くほど悲しい声で言った。「騎士の姿も、ドレスの姿も見たかった、と最後にそう書いてくれ」






それからデイトン様は丸1年間、帰ってこなかった。

西ノ帝国(にしのていこく)は東ノ国に攻(せ)め入り、蹂躙(じゅうりん)し、そして完膚(かんぷ)なきまでに叩(たた)きのめした。

東ノ国は焼き野原となった。



返ってきた時、デイトン様はやつれ果てた姿だった。

「……探したがアリヤとフツロギは見つからなかった」

最初に言った言葉はそれだった。


崩(くず)れ落ちるように椅子(いす)に座って頭を抱(かか)える。

「罪のない人を何人も傷(きず)つけた。正義の名のもとに……」


私は黙(だま)って、手紙を差し出した。

「半年前まで、文が」

アリヤ様とフツロギ殿(どの)とは私が代わってやり取りをしていた。それが半年前を境にぱったりと途絶(とだ)えた。


デイトン様は食い入るようにそれを読んだ。

一番最後の文を読み終わって、目を閉じて沈黙(ちんもく)する。


そこには、最後まで抵抗(ていこう)するつもりだということ、デイトン様の身を案じていること、こちらは大丈夫(だいじょうぶ)だから心配しないでほしい、という内容が書かれていた。


「この屋敷(やしき)に亡命しないかとも伝えましたが、領民をおいてはいけないと断られました」


「アリヤはそういうだろう」 デイトン様は嘆息(たんそく)した。そしてぽつりぽつりと語った。

「当初、この戦争はすぐ終わると誰(だれ)もが思っていた。だが1年かかった。それは東ノ国の一人の領主が目覚ましい反撃(はんげき)を見せたからだ。彼は――、いや、皆(みな)が”彼”だと思っているが、彼女(かのじょ)は――」


デイトン様は目を閉じた。「アリヤだ。私はその姿を見れなかったが……。アリヤの国の人々(ひとびと)を私は斬(き)ってしまった。上官に逆らえなかった」


今にも自害しそうな雰囲気(ふんいき)に、私は励(はげ)ますように言った。


「アリヤ様がまだ生きている可能性は十二分にあります」

西ノ帝国(にしのていこく)は打ち取った東ノ国の国王やその他の家臣の首をさらした。

が、アリヤ様の首はそこにはなかった。


「そうだな。アリヤを探してくれ。……だが、もう私たちの関係は昔のようには行かないだろう。俺は東ノ国に攻(せ)め入ってしまったのだから」

そう言い捨て、デイトン様は何も食べず部屋に戻(もど)っていった。





そこからデイトン様は暗い顔で任務に赴(おもむ)き、また暗い顔で返ってくるようになった。

そんな日々(ひび)が1年ほど続いていたが、徐々(じょじょ)に元気を取り戻(もど)すようになった。


「最近は食事をよくお召(め)し上がりになって嬉(うれ)しいです」

私が声をかけると、デイトン様は頬(ほお)を緩(ゆる)ませた。


「……お前には迷惑(めいわく)をかけてばかりだな。ネルヴァ」


「とんでもないです。何か良いことがあったのですか?」


デイトン様は少し微笑(ほほえ)みながら頷(うなず)いた。

「あぁ。アリヤと似たような黒い紋様(もんよう)を持った砂紋民(ヌルム)の青年に会ったんだ」


その言葉だけだったが、デイトン様はその青年と心が通い合っているように思えた。

「良い出会いがあったのですね」


私の言葉に頷(うなず)き、スープを一口すすってから、言った。

「ネルヴァ。アリヤとフツロギの消息に何か手がかりはあったか?」

その質問を受けるのは久しぶりだった。


「……いえ。1年前から懸命(けんめい)に探しておりますが、掴(つか)めません。ですが探し続けます」


デイトン様は頷(うなず)いた。そして静かに言った。

「頼(たの)む。俺も、もう少しあがいてみようと思う。……俺なりの正義のために」


「さすがでございます。それこそがあなた様です」

そう返すと、「照れるな」とはにかんだ微笑(ほほえ)みが返ってきた。







    ◇






……フツロギとノア卿(きょう)は今どこにいるのだろう。

不覚だった。あれほど二人が懸命(けんめい)に私を逃(に)がしてくれたというのに。


どこで情報が漏(も)れたのだろう。デイトンの名をかたる商人に騙(だま)された。

手枷(てかせ)をつけられ、荷車に閉じ込められ、私は今、どこかに運ばれている。


ガタゴトと荒(あ)れ地を走る音。おそらく方向からして、東ノ国の王都へ向かうのだろう。


体につけられているのは、”金”の札。

商人は私の紋様(もんよう)をじっくりと見てから、その札をつけた。


育ての父、ラザルの遺言を実行にうつすのは、今この時だと思った。




商人は私が紋様(もんよう)を焼いたのを見て、あんぐりと口を開けていたが、やがて金の札の上に、茶の札をつけた。

それからは楼閣(ろうかく)のような場所に入れられ、男をあてがわれたが、全員撃退(げきたい)し、さらにはそこを脱出(だっしゅつ)した。



そのあと、私は流れ者になった。

王家の生き残りであるがゆえに、絶えず命を狙(ねら)われた。

生活に困窮(こんきゅう)し、どうにもならなくなることも何度もあった。

だが、そんな時は決まって、野宿の凍(こご)える朝に目を覚ますと、近くの地面に矢が一本、刺(さ)さっていた。


その矢には、生活の足しになるようなまとまった金が括(くく)りつけられており、私の本当の父、トジンの紋様(もんよう)も刻まれていた。


……デイトン?

と思ったが、彼にはトジンの紋様(もんよう)は分からないはずだ。


その不思議な矢に何度心からの礼を言ったか分からない。







東ノ国と西ノ帝国(にしのていこく)の国境付近を転々(てんてん)とした後、私は北ノ国へと流れた。

そこは一面の荒野(あらの)だった。

貧しい家屋に兵士たちが身を寄せ合っている。


聞けば、国を追われ、東ノ国へと攻(せ)め込むことを強制されたという。

ここで死ぬか。戦って死ぬか。どちらかなんだ、と希望を失った瞳(ひとみ)で口々(くちぐち)に言った。


「私も共に戦う」

そう言うと、皆(みな)が驚(おどろ)いた顔をした。


北ノ国の兵たちに、育ての父のラザルから受け継(つ)いだ“乱”と“刃(やいば)”の型を叩(たた)き込み、弓術も教えた。

勝利は出来なかったが、この年は初めて、東ノ国との戦いで北ノ国の兵は全滅(ぜんめつ)しなかった。

私と生き残りたちは、「来年は絶対に勝つ」と士気を高めていた。


だが、数週間後。

朝、目を覚ました私は言葉を失った。


みなが、胸から血を流して倒(たお)れていた。

一番仲の良かった仲間の元へと駆(か)け寄り、抱(だ)き起こした。


「……これは何?」

心臓のある胸のあたりに、金属片が刺(さ)さっていた。


「どこから狙(ねら)われた? 誰(だれ)にやられた?」

矢継(やつ)ぎ早に尋(たず)ねる。――まったく気配がしなかった。なぜ気づけなかった?


「言えねぇんだよ」

彼は笑ってから、少しだけ思い直した顔をして「うし」と気合を入れると、金属片を胸から引き抜(ぬ)いた。鮮血(せんけつ)で体を染めながら、私に微笑(ほほえ)みかけ、口を動かす。

聞こえるか聞こえないかの声だったが、私にはその唇(くちびる)の動きがはっきりと見えた。


「……海の向こうの国」

そう言っていた。


彼の呼吸が止まってからも、その場で一日中、いや何日間かは分からないが――放心していると、「おい」と声をかけられた。

東ノ国の軍服。首筋と頭に彫(ほ)り込んでいる紋様(もんよう)。

戦いでさんざん私たちを苦しめた相手だった。


思わず斬(き)りこむと、ひらりとかわされ「仲間にならないか」と持ちかけられた。

――それが、ネルだった。

なぜそんな選択(せんたく)をしたのか分からないが、仲間になった。


基本的に話好きな性格なのか、山深い北ノ国から東ノ国へと向かう道中、ずっとぺらぺらとよくしゃべった。


「よく話題が尽(つ)きないな」と言うと、「お前みたいに無口なやつと旅をしていた時があるんだよ」と懐(なつ)かしむような、少し悲しそうな表情をした。


「死んだのか」と尋(たず)ねると、ネルは頷(うなず)いた。

黒い紋様(もんよう)を持つ、とんでもなく腕(うで)の立つ男だという。

会ってみたかったな、と思った。





東ノ国の近くまで来ると、ネルは『第5商会にリュシアという信頼(しんらい)できる女がいるから、身を寄せろ』と言った。

それから、しばらく第5商会で過ごした。第5商会には、ラジャトという変わった若者もおり、リュシアとラジャトと暮らした日々(ひび)はなかなか楽しかった。


その後、ネルと一緒(いっしょ)に西ノ帝国(にしのていこく)に入り、王の暗殺を完遂(かんすい)した。

私が知っている西ノ帝国(にしのていこく)とはあまりにも異なり、貧しくなっていて驚(おどろ)いた。



そして、深夜の虚華亭(きょかてい)にて。

密談部屋の中へ、書庫守(しょこもり)であることを示す緑色の長衣に身を包んで入ってきた人物に、私は時を忘れて魅入(みい)った。


デイトン・ヴァルゼンベルクだ。


目が、遭(あ)った。

デイトンは一瞬(いっしゅん)、目を見開いて――こちらをよく見ようと一歩前に出た。

とっさに柱の陰(かげ)に隠(かく)れた。


騎士の隊服を来たニックが口の端(はし)をあげるのが見えた。







「やぁ、久しぶり。すっかり感情をなくした殺人兵のようだったのに、途端(とたん)に恋(こい)する女の子の顔だったよね」

若王を安全な場所に隠し、西ノ帝国(にしのていこく)での滞在先(たいざいさき)のニックの家に戻(もど)ると、ニックが声をかけてきた。ネルとシェムリは、少し離(はな)れたところで気心の知れた会話を二人でかわしている。


ずいぶん久しぶりに言葉をかわすが、相変わらず口の減らない男だ。


「あいにく、そんな甘(あま)い感情はとうの昔に捨てた」


ニックは「強がっちゃってぇ」と笑いながら、意味ありげに言った。「巷(ちまた)ではデイトンは耳と舌を奪(うば)われているって話だけど、それは表向きの話さ。よかったね。まだ愛を囁《ささや》きあうことができるよ」

つま先を踏(ふ)んづけようとしたが、かわされた。


「安心して? デイトンには妻はいないよ。レオラは単に協力者なだけで恋人(こいびと)じゃないしね」


そうなのか。


「あ、今ほっとしたでしょ? でも残念。書庫守(しょこもり)だから妻帯できないんだよ」

笑うニックを睨(にら)むと、ニックはふと、まじめな顔になった。


「ま、来てくれてありがとね。頼(たよ)りにしてるよ。……アリヤ」

最後は囁《ささや》くような声だった。


「その名を呼ぶなと言っただろう」


ニックがわざとらしく肩(かた)をすくめた。

「あ~あ、そんな言葉遣(ことばづか)いじゃ100年の恋(こい)も1瞬(しゅん)で冷めるよ?」


「もう無理だ。こんな顔じゃ」

思わず頬(ほお)を押(お)さえる。酷(ひど)い火傷の跡(あと)だ。顔だけではなく、首筋から左腕(ひだりうで)にかけて広がっている。


「大丈夫(だいじょうぶ)だ。自信を持て」

ニックは私の頭に手のひらをポン、と置いた。真剣(しんけん)な調子の言葉だった。

ふと、昔を思いだした。


「ありゃ」

ニックの声に私が目線をあげると、ニックが珍(めずら)しく困ったような笑みを浮かべていた。


絶句したような顔でネルが私たちを見比べている。

面倒(めんどう)なことになった。見られたか。


ネルがこちらを指さして言った。

「こ、恋仲(こいなか)!?」


「ち、違(ちが)う!!」

「そんなわけないだろう!」 

ニックと私の声が同時に響(ひび)いた。




とりあえずその場は、ネルは「ふうん」と言ったっきり、それ以上詮索(せんさく)してこなかったので収まった。

踏(ふ)み込まないでいてくれるのだ。借りが一つできた。


「ごめんごめん。これからは気軽に声をかけないようにするよ。つい、懐(なつ)かしくてね」

とニックは笑い、それ以来私たちは他人になった。



そして私は思いだした。

思いだしてしまった。

――デイトンに惹(ひ)かれるはるか昔、この人に恋焦(こいこ)がれていたことを。


その気持ちに気づかないふりをして、私は若王の元へ戻り、それからの任務に奔走(ほんそう)した。




幕間:アリヤとデイトン編 完



『幕間:アリヤとデイトン』 お読みいただきありがとうございました!

次回からは、ラジャトの父、アイゼンのお話(全4回)です。

良ければ以下、おまけもお楽しみください。




※おまけエピソード

傷とニックの会話のあとの、ネルとシェムリの会話(ネル視点です)


「へぇ~あの二人、なかなかいい感じじゃない」

シェムリが今しがた部屋を出て行ったニックと傷の背を眺め、意味深に微笑む。


「そうか? まあ、確かに仲は良さそうだったけど。恋仲じゃないって言うし」

俺は頭の後ろで腕を組む。


「あなた何を見てたの?」

シェムリが心底飽きれたような声を出す。


「逆にお前は何を根拠にそう言うんだよ」


ニヤリとした笑みが返ってきた。

「あなたが恋仲かどうか尋ねたとき、ニックは違うって強く否定したじゃない。たぶんいつもの彼なら、余裕たっぷりに微笑んで、『どう? そう見える?』とかって聞くんじゃない?」


……確かに。


「でも傷は他に、心に引っかかっている人がいるみたいね。あ、これは二人の会話を聞いてたからちゃんと根拠があるわ」


……盗み聞きしてたのかよ。ずっと俺と普通に会話してたじゃないか。


「お前、すげぇな」


シェムリはふふんと鼻をならした。

「私にかかればなんでもお見通しよ。はぁ~、それにしてもこれから関係性がどう動いていくのかしら」

最後はうっとりと呟くと、にこりとこちらに視線を向ける。「あなたも、恋愛相談には何でものってあげるよ? リュシアちゃんと、上手くいっていないんでしょう?」


「……なんで分かる」


シェムリはくっくっと喉を鳴らした。

「今のその反応で」


その時俺は、もし本当に困ったときには、シェムリに恋愛相談を依頼しようと思った。


 (おわり)

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