第70話 幕間 アリヤとデイトン 1/2
18の頃。デイトン・ヴァルゼンベルクと出会った。
そう、あれは西ノ帝国の王宮で開かれた舞踏会でのことだった。
「やぁ。すっかり女の子らしくなったんだね」
西ノ帝国と聞いて、嫌な予感はしていたが、その声を聞いて的中した。
父の道場で抜群の才能を発揮していた、ニックが騎士になり目の前に立っていた。
「よく似合っているよ。美しく結い上げた白銀の髪、エメラルドのような瞳、そして頬には漆黒の紋様! まるで歩く絵画のようだ」
「……黙れ」
ニックのつま先を踏んづけようとすると、なんなくかわされた。
「前にも言ったけど、あなた、騎士になってから性格変わりすぎよ? 髪と目の色も、このままずっと通すの?」
「まぁ、雰囲気変えたいときも人にはあるのさ。それよりも、アリヤ姫。僕と一曲踊ってくれませんか?」
気取った調子で、ニックが手を差し出す。下手な男に絡まれるより、良い暇つぶしになるだろう。そう思って私はその手を取った。
これは。
音楽に合わせて踊りながら、私はニックの一挙手一投足を信じられない思いで見つめていた。
「そんなに熱い瞳で見つめられると、困ってしまうな」
今度は踵を蹴れると思ったのに、寸前でかわされた。
「あなた、どれくらい修練したの?」
ニックは少しだけ嬉しそうにしてにこりと笑った。
「死ぬほどさ」
その足の運び。手の動かし方。全てが父が教えた動きだった。
”刃”と”乱”の型。それが踊りの所作の中に溶け込んでいる。
「これについてこれるなんて、きみも無意味な花嫁修業に明け暮れているだけじゃないんだね」
昔はずいぶんニックの方が背が高かったが、私も背が伸びたし、今日は踵の高い靴を履いているから目線が近い。
金髪に碧眼の飄々とした騎士は微笑みかけた。
「上手くなったじゃないか。君の父上も喜んでいるさ」
この人は不意に真面目なことを言う。どう反応すればいいか分からない。
「……まあ、修練は欠かさず行っているわ」
「へぇ。じゃあ、あとはいい結婚相手でも見つかれば、安心できるんだが」
ニックが父――正確には育ての父の――ラザルの口真似をした。意外と似ているのが癪に障る。
「どう? いい男見つかった?」
ニヤニヤしながら聞いてくる。この間も動きの型をくずさないのがすごいところだ。
「くだらない男ばかり」
ため息交じりに答えると、ニックはにこりと笑みを浮かべた。
「じゃ、僕の同期のデイトンはどう? 歴史ある銘家、ヴァルゼンベルク家だよ」
目顔で示された先には、騎士の隊服に身を包んだ若者がいた。
思慮深そうな顔つきに、前髪を上げ、整髪料で非の打ちどころなく整えられた髪。育ちの良さがにじみ出ている。なのに、なぜか誰とも交わらず、静かにただ壁際で突っ立っている。瞳と髪の色は、灰色だった。
「……へぇ」
珍しく興味をひかれたのは、きっと前にラザルが『ヴァルゼンベルク』という名を、過去の話をするときに口にしていたのを思いだしたからだ。
「老け込んで見えるけど、きみより2つ年上なだけだよ。誠実だし年も近い。ちょっと馬鹿なのが珠に傷だけど。いいんじゃない?」
ニックが謎のセールストークをしてくる。
「あなたの同期じゃないの?」
正確な数は分からないが、ニックと私は4つは歳が離れているはずだ。
「僕の入隊が遅かったんだよ。道草食ってたからね」
――まあ、たしかに。
気づけば曲は終わりに差し掛かっている。私は思い切って尋ねた。
「ねぇ。あなたはいい相手見つかったの?」
「僕?」
ニックは一瞬、驚いたように目を見開くと、にこりと口の端を上げた。
「僕は、結婚なんてしないよ。分かっているだろう?」
そこで曲が終わり、ニックは優雅に一礼をして去っていった。
◇
「デイトン様。そんな不機嫌そうな顔をしていたら、見目麗しいご息女たちが寄ってきませんよ」
いつものように声をかけてくるのは世話役のネルヴァだ。投げやりに返す。
「もとから誰も寄って来ないに決まっている」
「そんなことはないですよ。今日は王家が開催する舞踏会ですから、他国からもいろいろな貴族が集まります」
「……へぇ。俺がちゃんとヴァルゼンベルク家の跡目をつぐ長男に見えるって訳か」
ネルヴァは困ったように眉を寄せると、一礼し去っていった。
未熟な自分に嫌気がさす。どうしてもネルヴァの前だと本心が出る。
舞踏会が始まったが、とくにやることもない。
広間の隅で、壁に背を預けながら時間をつぶす。
母上は、弟こそが次期当主に相応しいと社交界で吹聴して回っている。実の子である弟を溺愛しているのだ。
そのため、こういう場で俺に関わってこようとする者は――
「やあ。相変わらずつまらなさそうな顔だね」
ニックがいつも通りの笑みを浮かべてふらりとやってきた。
この舞踏会には、貴族と共に、少佐以上の騎士も出席を求められている。俺もヴァルゼンベルク家の人間としてではなく、騎士として参加していた。
「そんなところで壁と友達になってないでさ。気になる娘でも探して、声かけてみれば?」
たとえば、とニックは奥の方を指さした。
「あの娘、砂紋民なんだよ。さっき踊ってきたけど、いい子だったよ」
そんなことが。
驚いてそちらをみると、確かに黒い紋様をその肌に刻んだ娘が部屋の奥に佇んでいた。銀糸のような髪を頭の後ろで結いあげている。色白の肌と色素の薄い髪に、黒い紋様がよく映えていた。
見ると、貴族の男たちに盛んに言い寄られている。
娘はそれに屈託のない笑顔で答えていた。
ニックが続けた。
「東ノ国の王に使え、その類まれな武術で名を轟かせた砂紋民、”ラザル”の娘さ。ラザルの死後、東ノ国の王が養子に迎えたんだって。名は、アリヤ姫さ」
ニックの説明が、正直全然頭に入らなかった。
それほどまでに目を奪われた。
――美しい。そう思った。
自分の中に沸き上がったそんな想いを認めたくなくて、すぐに目をそらした。
ニックが目ざとくニヤリと笑った。
「行ってこいよ。お前なら身分も釣り合う」
「……いや。いい」
ヴァルゼンベルク家といえど、俺は庶子の子。末席だ。騎士としても疎まれている。
聞こうとしなくても、俺を指さしてひそひそと話す騎士たちの声が聞こえてくる。
「みろよ。ヴァルゼンベルク家の長男だ。あいつ、貴族なのに騎士気取りだぜ」
「まったくな。貴族は黙って踊ってりゃいいんだよ」
「どうせ当主殺しの家の、妾の子だろ」
聞きなれた嘲笑。
この国では、貴族と騎士の関係は良くない。
つまり俺は、貴族社会にも騎士社会にもなじめていない。
「あんな言葉、無視するにかぎるさ」とニックが珍しく語気を強めたが、やはり傷つくには傷つく。
ため息を吐き出し、「外の空気をすってくる」と歩きだしたとき、黒い紋様の娘――アリヤ姫が男たちにからまれているのが見えた。
◇
少し休もうと思ったら、30代くらいの騎士たちに囲まれた。
面倒だな、と思いつつ、表情筋を上手く使って、いつも通りの意味のない会話に耐える。
「きみがアリヤ姫? 確かに噂通りの美しさだね」
もの珍しそうに私の顔を、腕を、そして全身をじろじろと眺める。
「へぇ。紋様ってこんな風になってるんだ。触ってもいい?」
まあ、許可をとろうとするだけマシな方か。
「もちろん」
微笑みを返すと、男たちは我先にと手を伸ばして私の頬から左腕にかけてをべたべたと触った。
「へぇ。ドレスの中はどうなってるの? 胸とか脚にも入ってるの? 紋様」
一人の男がニヤリと笑って尋ねた。連れの男たちもニヤニヤとした笑みを浮かべている。
だんだん雲行きが怪しい展開になってきた。
表情筋、表情筋。
「ご想像にお任せしますわ」
にっこりと微笑んでみせた。
「へぇ。じゃあ実際に確かめてみよう」
男がニヤリと笑って、ドレスの裾をつまもうとする。
返答を間違ったか、と内心で唇を噛む。
それにしても騎士だというのに、品格がないものだ。
――蹴とばすか?
一瞬、そんな考えがよぎったが、東ノ国の国王の姿が視界に入り、すぐにその考えを吹き飛ばした。
王には恩義がある。恥をかかせるわけにはいかない。
はぁ。
せいぜい可愛いらしい声でもあげて抵抗するか。
諦観の念が心を満たした時、「おい」と男たちの後ろから声がした。
息をのんだ。
デイトン・ヴァルゼンベルク。
思慮深そうだったその灰色の瞳が、燃える様な怒りの色で染まっていた。
◇
「……ねぇ。なんでやり返さなかったの? あなたならあんなやつら、すぐやっつけられたでしょ?」
後ろからデイトン・ヴァルゼンベルクに声をかけると、彼は驚いたようにこちらを振り向いた。
驚くのも当然である。
彼が腰を下ろしているのは、王宮の薔薇園の茂みだ。死角になっていて、簡単には見つからない。私も木に登らなければ、見つけ出せなかっただろう。
デイトンは私から少し視線をそらして、静かに言った。顔に残る殴られた跡が痛々しい。
「あれが俺の限界値。あれ以上やれば隊の中で居場所を失う」
僅かに灰色の目を細め、拳を握りしめる。
誰もが傍観している中、彼は私にちょっかいを出してきた騎士たちを諫めた。逆上して拳を振り上げられても、デイトンは表情を変えず、ニックが慣れた様子で仲裁に入るまで、甘んじてその拳を受けいれた。
「なら、最初から黙っていれば……良かったのに」
デイトンが少し微笑んで、真っ直ぐにこちらを見た。
「そうすれば俺の心は死ぬ。それは生きていないことと同じだ」
燃える様な意思の宿るその瞳。
なぜか、不思議と吸い寄せられた。
隣に腰を下ろそうとすると、「――汚れるよ」とデイトンは騎士の上着を脱き、私が座ろうとした芝生の上に置いた。
深く考えずに「ありがとう」とそこに座りかけ、ぎょっとした。
「ダメだわ。隊服の上に座るなんて」
相手の国を冒涜する行為に等しい。
「別に構わないさ。騎士なんてろくなもんじゃないんだから」
どこか投げやりな返答が返ってくる。
「でも、あなたは守りたかったんでしょ? 騎士の矜持を」
隊服を拾い上げて畳み、差し出した。デイトンはそれを黙って受け取り、「確かにな」と少し笑った。
話せば話すほど、デイトン・ヴァルゼンベルクに興味を惹かれた。
聞けば、デイトンの母は砂紋民だったらしい。彼が3つの時に姿を消し、6つの時に連れ子と共に継母が来たという。継母との折り合いは悪いらしい。
「なんであなたは騎士になったの?」
だいぶ踏み込んだ質問をすると、デイトンは苦笑した。
「この国では砂紋民が卑しい民族だとされている。そんな国を変えたいと思った。けれど理想とは程遠い。笑うしかないよ」
数秒の沈黙のあと、デイトンは苦笑をひっこめると、私を真っ直ぐに見つめた。
「君が紋様を見せて堂々と立っている姿――とても美しかった。俺も君のように美しく生きようと、決意した」
揺らぐことのない、わずかに青みがかった灰色の瞳に息をのんだ。
あぁ。人はどこかで分別を身につける。長い物に巻かれて生きる方が楽だ。
そうしないのは、馬鹿というものだ。
だが、そんな姿は、狂おしいほど美しい。
「へ、へんな話をして申し訳なかった、アリヤ姫」
ハッとしたように口を抑え、立ち上がろうとするデイトンの袖を、とっさに掴んだ。
この人だ。
この人を、私の王子様にしよう。
そして、あの人への叶わない思いを忘れよう。
「これからはアリヤって呼んで」
そう言って私は――瞬時に顔を寄せた。
この機を逃してはならない。そう思った。
「……」
重ねた唇を離すと、信じられないような顔で私を見つめるデイトンがいた。
「ろくでもない男に唇を奪われる前に、自分から求めに行くのが私なりの流儀なの」
そう言うと、デイトンはふっと笑って、「じゃあ応じない訳にはいかないな」と顔を寄せた。
座っている場所が、死角の茂みで良かったと思った。
それからどう帰ったのかは、あまり覚えていない。
ただ、デイトンが「手紙を書いてもいいかな」と最後にはにかんで言った表情だけ、やけに脳裏に焼き付いていた。
◇
デイトンとアリヤが薔薇園の茂みから帰った後。
二人が座っていた茂みの上の木に、1人の青年がいた。
「困ったな……うまく行き過ぎてしまった」
金髪に碧眼の青年――ニックはそこでしばらく頭を抱えていたが、ひとつ息を吐くと「まあ、これが幸せだろう」と呟いた。
その言葉だけは、いつものくだけた調子ではなかった。
ニックは音もなく木から降りると、すっかり皆が帰って静まり返った王宮を去っていった。
◇◇◇
「デイトン様。アリヤ様から文が来ております」
「そ、そうか」
騎士の勤めから帰宅された後にそうお伝えすると、デイトン様は何食わぬ顔をしながら、素早くこちらに来て私から文を受け取った。
手紙を見つめる視線が熱を帯びていることは隠せていない。
「もう文通して2年になりますね」
思わず笑みがこぼれ、余計なことを言ってしまった。
「ネルヴァ。もし俺が東ノ国に行くとしたら、お前は反対するか?」
真剣なまなざしが私を捉える。さっと頭を下げ、本心からの言葉を言った。
「反対するはずがありません。私はどこまでも世話役としてデイトン様のおそばに」
「感謝する、ネルヴァ」
万感の想いのこもった言葉だった。
私もアリヤ様の執事のフツロギ殿と文のやり取りをしている。
その文には、アリヤ様はもうすぐ成人すると書いてあった。もし私たちさえよければ、デイトン様を迎えにいきたいとアリヤ様が考えていることも。
翌日。
デイトン様の帰りは少し遅かった。
帰宅後、私に文を差し出す。心なしか頬が赤く染まっている。
「ネルヴァ。これを、アリヤに送ってくれ」
文と一緒に、小さな小包もある。
「分かりました。いつも通り丁重にお送りします」
この中にはいったい何が入っているのだろう……! 思わず開けてしまいたいという衝動にかられる。
「あぁ。頼む」
デイトン様はさっと部屋に上がっていき、中身を聞くタイミングを逃してしまった。
◇
そのころ。
東ノ国のアリヤの領地では。
質素だが堅牢な城で、新しい領主の任命式が行われていた。
「アリヤ、そなたを領主として任命する」
東ノ国の国王が直々に、アリヤに領主の証である剣を手渡した。
それを受け取るのは騎士の姿をしたアリヤだ。
アリヤがうやうやしく臣下の礼をすると、民衆がどっと歓声を上げた。
「……まったく。どの領主よりも勇ましくなりおって」
国王は苦笑した。2年前からアリヤは、ひっきりなしに来ていた婚姻の話をすべて断り、育ての父のラザルの残した領地を富ませることに心血を注いだ。
その結果、領地をこの国で一番の豊かな土地へと変貌させたのである。普通の姫に収まる器ではないと思っていたが、国王の想像をはるかに上回る業績だった。
「アリヤ。そなたにこれをやろう。他の姫たちには内緒であるぞ」
国王は慈愛に満ちた目で、アリヤの白い首に、王家の刻印が刻まれている首飾りをかけた。アリヤの目が見開く。
「……これは。王家に代々伝わる秘宝ではありませんか。末席の私などがいただいてもよろしいのでしょうか?」
国王は声を落とした。
沸き立つ民衆には聞こえない。
「もちろんだ。わしが死んだらお前を王に任命したいと思っている。お前はこの国の王に最も相応しい」
あまりの言葉にアリヤは呆然とした。
「私は女ですし……砂紋民です」
「問題ない。お前はそれを塗り替えたじゃないか」
みてみろ、という様に国王は城の眼下の広場を顎でしゃくった。
大勢の民衆が詰めかけ、みなアリヤに向けて笑顔で祝福の言葉をおくっている。
「でもこの領地だけです。国全体を治めるなど」
「お前は領地を変えた。お前ならこの国も変えられる」
領地の者達は、当初アリヤに否定的だったが、それを2年でアリヤは塗り替えた。
今や他の領地の民衆からも人気があると聞いている。
「……ありがたいお言葉」
アリヤはさっと頭を下げた。一切の無駄のない動きだった。
貴族の令嬢が行う優美なものではない。国王は苦笑いした。アリヤと話しているとこの者が女であることを忘れてしまう。
「アリヤ。その……お前はそろそろ身を固めなけらばならない。次期国王ともなればなおさらだ。少し歳は離れているが、ノア卿など良いのではないか」
「……いえ。ノア卿は良いお方ですが」
はっきりとアリヤが首を横に振ったので、国王は驚いた。
アリヤは強いまなざしで言った。
「心を決めている人がいます」
国王は笑った。
「お前がそこまで惚れるとはどんな男か、会ってみたいな」
アリヤは静かに言った。
「西ノ帝国のデイトン・ヴァルゼンベルクです」
「ほう」 国王は顎に手をあて、にこりと微笑んだ。「西ノ帝国の歴史ある貴族か。いいかもしれないな。西ノ帝国とのさらなる関係の強化にもなる。その話も進めなさい。今がよいタイミングだろう」
「はい」
アリヤは深く頭を下げた。




