第69話 ヴァルゼンベルク 6/6
帝都に戻ることを告げると、トジンが一番寂しがった。
旅立つ前日まで、ずっと俺にくっついてきた。最後の夜には、一緒に寝たい、とまで言ってきてふき出した。
でも、その夜には――明け方までいろいろな話をした。
俺の生い立ちの話。
昔の戦いの話。これからやろうと思っていること。そのすべてをトジンに語った。
トジンからも話をたくさん聞いた。
意外といろいろな悩みがあったことをこの時初めて知って、もっと話をすれば良かったと後悔した。
集落を出ると、帝都まで森の中をひたすら進んだ。
「本当に良かったか?」
傍らで歩を進めるトルナに何度聞いたことだろう。そのたびに、トルナは「当然だよ」と笑った。
帝都に戻ると、ヴァルゼンベルク家に戦いを仕掛け、俺とトルナで戦いに戦った。
そして勝利し、当主に返り咲いた。
それからはまず、領内の腐った政治を変えた。砂紋民への差別と奴隷制を廃止し、砂紋民の傭兵化も禁じた。
批判の声も多かったが、押し切った。
数少ないが俺の考えを指示する有能な家臣にも恵まれ、白銀鉄の生産に注力したことにより領地は富み、国王に意見できる有力貴族に1年も立たないうちにのし上がった。
「あなた、政治の才能もあったのね」
王の宮殿から屋敷へと戻ると、トルナが出迎えた。「見たよ」と新聞を差し出す。
そこには、今後砂紋民に不当な攻撃をした場合、罰せられるようになったことが書かれていた。
トルナが満面の笑みを浮かべた。
「本当にやったんだね。すごいよ」
隣では、腹心のネルヴァが涙を浮かべている。この男はまだ若く、腕もたつのになぜかとても涙もろい。
「まだ第一歩だ。だが……これで少しはみなも穏やかに暮らせるだろう」
トルタニスやトジンの顔が頭に浮かんだ。
それからしばらくの間は平穏な時間が過ぎた。
トルナとの間にできた息子のデイトンが3歳を迎えるころ、寝室でトルナが嬉しそうに告げた。
「トルタニスとトルシカの間に子どもができたって」
「本当か!?」
すっかり帝国風のドレスが似合うようになったトルナを傍らに抱き寄せる。
トジンとトリヤとの間に女児が誕生したことは聞いていたが、トルタニスにも子ができたとは。
トルナは「本当だよ」と笑うと、紋様のような図形が書かれた紙を懐から取り出した。これで秘密裏に文通しているのだという。
「男の子。トルーシスっていうんだって。トルタニスがずっと離さなくてしょうがないってトルシカが書いてる」
思わず笑ってしまった。トルタニスは愛が深い男だった。
「トルタニスがあなたにいつも感謝してるって。あなたがいなければ、こんな幸せな時間は訪れなかったって」
「……そうか。俺に負けないくらいお前も幸せになれ、と書いてくれ」
「分かった」
くすりと笑ってトルナが筆を走らせた。
トルナが手紙を懐へ入れると、俺は言いづらいことを言わなくてはならなかった。
「トルナ。愚かな王が黒紋民を手に入れるために騎士団を動かした」
「え?」
トルナが目を見開く。
逆に俺は目を伏せた。
「止められなかった。情けない。騎士団1000が森へ分け入り、黒紋民を捜索する」
断固反対したが、聞き入れてもらえなかった。
王は、黒紋民を手にすれば帝国に莫大な利益が生まれるとそそのかされ、それを信じた。
「騎士団……」
トルナの声が小さく震えるのが分かった。
ただの寄せ集めの傭兵集団とは違う。この帝国の最高峰の剣を持つ歴戦の兵が森へと攻め込むのだ。
「我がヴァルゼンベルクは砂紋民側に付き、戦い抜く」
そういうと、トルナははじかれたように俺の顔を見て、そしてじっと考えてから首を振った。
「あなたはここにいて。生きて、繋いで」
その目にうつる覚悟の色に、どうしようもなく胸が苦しくなった。
「君は行くつもりなんだろう」
トルナが今でも欠かさず槍の修練をしていることは知っていた。
「はい。どうかお許しを」
トルナは頭を下げた。
「俺も戦いたい。トジンと、君と――」
それが最善策ではないことは、よくわかっていた。だが、心がついていかなかった。
「もし、きみを失ったら、俺は何をよりどころにして生きていけばいい?」
「大丈夫。あなたは強い」
トルナは微笑んだ。そして、ヴァルゼンベルクの腕輪を外し、そっと俺に返した。
久しぶりに現れる砂紋民の紋様。
俺の紋様が入った左腕。思わずつかんだ。
「トルタニスの傍がいいのか」
馬鹿なことを聞いてしまったと悔やんだ。
「そんな訳ない」
トルナは怒ったように言った。「あなたの傍がいいに決まってる。でも、これは黒紋民の運命なの。私にも、まがりなりに黒紋民として生きてきた矜持がある」
俺はトルナを止められなかった。
ただできたことは、「デイトンをお願いね」と呟くトルナを、ただただ強く抱きしめたことだけだった。
それからはすざまじい戦いになった。
木立の中に紛れて俺はその戦いを見た。
トルナとトルタニスの技術は、最高峰に達していた。
白銀鉄の剣を持つ騎士団をものともせず、撹乱するトルナ。
息を合わせ、全く気配なく敵を次々に倒していくトルタニス。
そして、トジンは――若き日のトルナのように槍を振るう”乱”へと成長していた。
トジンと組みになっている”刃”は知らない若者だったが、彼もまた、若き日のトルタニスのように剣を振るった。
トジンの組みの勢いはすさまじかった。
視界におさめることはできなかったが、他にも何個かの”組み”が戦っている気配がした。
俺はずっと、集落から遠く離れた、戦いから取り残された木立の中で、石のように立ち尽くして何日間も戦いの光景を見つめ――騎士団の勝ちどきが聞こえると膝から崩れ落ちた。
世界がバラバラに砕けちりそうだった。
「ヴァルゼンベルク様!」
隣でずっと支えてくれていたネルヴァが止めてくれなければ、そのまま自害していただろう。
数日間その場でぼんやりとして――ふいにあたりが静かなことに気づいた。
そういえば、戦利品を、と言って森へと入っていった騎士たちが戻ってきていない。
「……?」
森の中へ足を進めると、戦闘で倒れた兵たちがいた。
みな一様に首筋に致命傷をうけて殺されている。”刃”がつける傷だ。
森の奥深くへと入っていっても、騎士団の死体は点々と続いていた。
……こんなに奥まで攻め込まれるなんて。
ふと、違和感を覚えた。
まるで何かの罠のようじゃないか。
数歩先に進むと、その答えが分かった。
騎士たちが勝利の祝宴をしていたと思われる場所があった。
そこで、大勢が死んでいた。
騎士だけではなく、騎馬も折り重なって倒れている。みな、一様に肌を紫色に染めて。
突き従っていたネルヴァが頭が痛そうに顔をしかめたので、早急に下がらせた。紫煙花の濃度が濃いのだ。
それから、さらに歩いたあと。
愛しい人を見つけ、俺は立ち尽くした。
皆を守るように立ったまま槍を抱きしめ、穏やかな表情で冷たくなっているトルナがいた。
自らの左腕も抱くような恰好だった。
その冷たい唇に口づけをした。
そこから少し離れて、集落の皆がいた。
みな一様に紫色の痣が出現していた。
集落の皆の肌には、自らの紋様を炎で炙った跡があった。
さらに進むと、トルタニスが倒れていた。
手を伸ばした状態で力尽きている。地面を這った跡があった。
開いたままのその目の瞼を静かに閉じてやり、背に背負う。
――トルタニスが行きたかった場所。そこは。
かすかに赤子の泣き声が聞こえた。
足を速める。
洞窟から赤子の泣き声がしていた。
入口は、岩で塞がれている。
苦労してどけると、赤々とした炎が洞窟の中で爆ぜていて、そこに赤子がいた。
一目で、トルタニスとトルシカの子だと分かった。
トルシカの茶色と、トルタニスの巻き毛を受け継いだ髪。
トルタニスの面影を残す瞳。トルシカのような透き通る白い肌。
その赤子は私に気づくと、ぴたりと泣き止んだ。
「こいつはお前の父親だぞ。お前のことを心から愛していた」
もうなんの意味もないのに、トルタニスを壁に持たれかけさせ、赤子を抱かせてやった。
トルタニスが伸ばしていた右手に収まるように。
「誰……?」
洞窟の入口から今にも消え入りそうな声がした。
その人影を見て、息が止まるかと思った。
トルシカだった。まだ生きていた。
顔に、掌に、服から見える肌全部に、紫色の痣が出現している。
トルシカは俺を見て、目を見開くと、ふらつきながらこちらに駆け寄ってきた。
「ありがとう。……ありがとう」
何度も繰り返し言って、赤子を見て「生きていたのね」と涙した。
「私はもう死ぬわ」
トルシカは紫色に染まった唇で途切れ途切れに話した。
「この子は本当は殺さなければならなかった。これは私のわがまま。……だけどお願い。この子をどこかの砂紋民の村へ――捨てて。きっとつらい迫害を受けるでしょうけど、少しでも生きる可能性があるなら」
「捨てるなどしない。俺が自分の子として育てる」
覚悟を込めて言ったのに、トルシカは首を振った。
「この子は多分、顔にまで黒い紋様がでるわ。帝都は王に近すぎる。だから砂紋民の村に捨てて」
トルシカは懇願した。
「……分かった」
頷くと、トルシカは心から安堵したように微笑んだ。
「ありがとう。最後の頼みだけど……もしよかったら、私たちを、ここから少し先にある、紫の丘に埋葬して。行けば分かるわ」
「もちろんだ。他の者から手厚く埋葬してくる」
立ち上がるとトルシカは俺に微笑みかけた。
「トルナは、頑として紋様を焼かなかった。あなたとの思い出を失いたくないって。最終的にトルナが茶褐色の紋様だってこともあって、みんな認めたの」
そして、トルシカは最後の力を振り絞ってトルタニスと赤子の元へと進んだ。
俺が洞窟を出るとき、「やっと会えたね……」とか細く呟く声が聞こえた。
皆を埋め終わり、洞窟へと戻ると、トルシカはトルタニスと赤子を抱きしめて息を引き取っていた。
二人を丘に埋め、赤子を抱きかかえ、比較的治安の良さそうな村を探し回り、金貨と共に、捨て子を拾ったと言って育てるのを依頼した。
村長は、「子のいない家に育てさせよう」と快く受け取ってくれたが、黒い紋様が現れたらどんな反応をするか分からない。
茶紋民の集落には、黒紋民に対する差別がまかり通っている。
だが、その村には、レイルという紋様研究をしている変わった帝国民がいた。
その男が守ってくれるかもしれない、という淡い期待があった。
「……トルーシス」
村を出るとき、その赤子の名前を呟いて、心から願った。「元気でな」
それなのに、それから先の日々を、俺はどこか抜け殻になったような感覚で無為に過ごした。
壊滅した騎士団は再興したものの、風紀は乱れ、傍若無人な王が暴政を行う。
もう俺の力では止めることが出来なかった。いや、正直に言えば、そうしようとする気力をすっかり失ってしまった。
あきらめてしまったのだ。
心を閉ざし、トルーシス、という名を聞いてもどうせ同じ名前の誰かだろう、と確かめることをしなかった。
それがあの日。
王宮の重臣達を殺しに来た男を見て、息が止まるかと思った。
父のトルタニスにそっくりな頬の黒い紋様。
母のトルシカのような美しい顔立ち。
そして、あの動き。あの動作。
荒々しくて、洗練はされていない。足の運びもめちゃくちゃだ。どこか”乱”にも見えるくらいに。
だが、彼はまごうことなき”刃”だった。
怒り狂う”刃”だった。
トルーシスに命を狙われたとき、俺はトルタニスに――そしてトルナに怒られたのだと思った。
どうして希望を失ってしまったのかと。過去に留まり前を向かないのだと。
トルーシスの手に握る銅剣が喉笛に迫ったとき、思わず左腕を振り上げて庇った。
それは、運命のいたずらだろうか。
その刃はちょうどヴァルゼンベルクの腕輪を叩き割り、俺の左腕の紋様が露わになった。
トルーシスは転がるヴァルゼンベルクの紋章と、左腕の紋様を見て、一瞬動きを止め、それから何も言わず立ち去った。
そのほかの重臣たちはことごとく殺された。
それから俺は、自分が生かされた意味を必死で考えることになった――
ヴァルゼンベルク編 完
ヴァルゼンベルク編、お読みいただきありがとうございました!
次話は、ヴァルゼンベルクの息子、デイトンとアリヤのエピソード(全2回)です。




