第68話 ヴァルゼンベルク 5/6
翌日。
帝国兵の主力が森へと攻め入った。
トルタニスとトルナは、二人で森の中へと入っていった。
俺とトジンに、「見たければ見てもいい」と言い残して。
俺とトジンは、二人で一部始終を見た。
二人が、500にも及ぶ敵兵をなぎ倒すのを。
1日中、動くこともできずに森の中で見ていた。
500。
それはたった二人で倒すには不可能と思える数字だ。
だが二人は巧妙に戦った。
トルナが撹乱し、敵を分断する。
すぐさまトルタニスが剣を振るい、一網打尽にする。
それをひたすら繰り返すだけなのだが、トルナとトルタニスは神出鬼没で、また攻撃のパターンも多彩で敵からしたら数百もの兵が奇襲を繰り返しているように見えた。
敵が恐怖におびえ混乱に陥ると、さらに二人の攻撃は効果的だった。
トルナの撹乱はすごかった。
まず槍の動きが見えない。俺がトルナと組みになっても合わせられる自信がない。
トルタニスの剣もすさまじかった。
身をひねるように薙ぎ払われる剣は、一振りで十人あまりの敵を倒す。
「神技だ……」
すべてが終わって森が血の海になったあと、トジンが呟いた。
足元がおぼつかなくなったトルナの肩を、トルタニスがしっかりと抱き寄せたのが分かった。
嫉妬の感情は沸かなかった。
小柄な人影が静かに進み出てきた。
トルシカだ。
あまたもの死体が転がる森の中を静かに歩きながら何かをまいているようだった。
「何やってんだろ」
トジンが出て行こうとすると、「来たらダメよ」とトルシカがこちらを向いた。
柔らかな言い方なのに、とてつもない迫力があって、トジンは足を止めた。
そしてトルシカは地面に火をつけた。
あたりが炎の海に包まれる。不思議と森の木々は燃えず、死体だけが燃えていった。
トルタニスとトルナはその光景を見つめていた。震えるトルナの手を、遠慮がちにトルタニスが握っていた。
夕焼けで空が赤く染まったころ、炎が消えて、トルシカが「もういいわよ」と言った。
俺らは恐る恐る戦いの跡地へと出て行った。
死体と血は綺麗になくなっていた。
代わりに咲き乱れていたのは――
「紫煙花?」
トジンが驚いたような声を出した。
そこは、一面の紫煙花の花畑になっていた。
「全て、終わった。戻ろう」
返り血で深緑色の外套を赤く染めたトルタニスが低い声で言った。
トルナも全身を返り血で真っ赤に染め、目を伏せながら続く。
「食事を用意するわ」
トルシカが後に続く。
俺とトジンも続いた。みな、黙って集落へと戻った。
集落に戻ると、トルタニス、俺、トジンは、みなから多大な感謝と労いを受けた。
みなの輪から少し外れたところで、トルタニスが俺に尋ねた。
「……どう思った?」
民族衣装に着替え、首元に虎の牙の首飾りをつけた彼は、勇壮な黒紋民の族長そのものだった。
だが、その横顔には少し影が落ちているようだった。
「あれを、ずっとか。ずっとやってきたのか、お前は」
思わずため息が漏れた。
トルタニスが少し目を細めて、口もとを上げた。わずかに嬉しそうな表情だった。
「あぁ。15の頃からな。昔はこんなに戦いが激化してなかったが」
「お前のことを心から強い男だと思ったよ」
”組み”として戦うとは、皆のために殺戮をする修羅の道だった。
特に、”刃”はもろに敵の命を絶つ。その心の負荷は計り知れない。
敬意を込めてトルタニスを見つめると、「そうでもないさ。トルシカがいないと生きていけないんだ」と自嘲気味に笑った。
そして、僅かに目をそらして言った。
「分かり合える者が欲しかったんだ。すまない。きみを引き込んでしまった」
即座に首を横に振った。
「いや。俺は自ら望んでここに来たんだ。お前と同じ景色が見れて嬉しい」
”刃”には刃”の、”乱”には”乱”の苦悩がある。
「きみは強いな。トルナを支えてくれ」
トルタニスはまぶしそうに俺を見ると「食事にしよう」と言った。
食事の席は、集落の祝いの宴とは別に、集落から少し離れた屋敷のなかに設けられていた。
トルタニスがそれを好んだのだという。
正直、みなと騒ぐ気分ではなかったのでありがたい。
食欲はなかったが、食卓に並んでいるものを見たら急激に飢えていたことに気づいた。
そういえば昨日は戦いで疲れ果て、食事どころではなかったことを思いだす。
食べやすい汁物を中心に、体をいたわるような料理が並ぶ。
肉がないことになぜかほっとした。
「トルシカの手製だ」
トルタニスが微笑んで、椀に入った汁を実にうまそうにすすった。
「たくさん食べてね」
トルシカが給仕をしてくれた。その顔に心からのいたわりの表情が浮かんでいて、心がじんわりと温かくなった。
トジンは「うまい……」と涙をボロボロと零しながら食している。
「トルナは?」
集落に戻ってから姿を見ていない。人の輪は苦手だろうが、食事の席では姿を現すかと思っていた。
トルシカは悲しそうに眉を寄せた。
「戦いの後はしばらく、一人でいるの。多分、森の奥の洞窟にいるわ。あとで探しに行ってくれると嬉しい」
分かった、と頷くと、トルシカは安堵したような表情を浮かべて、「残り物は持って行っていいからね」と水入れやら保存箱やらを沢山持ってきた。
ほどなくして、トルタニスが立ち上がった。
「今日は休む。また明日」
俺たちに微笑みかけると、トルシカの方を見た。
料理の皿を片付けていたトルシカが立ち上がるよりも早く、「……行こう」と後ろから強く抱きしめて、さらうように部屋を出て行った。
「うわぁ……」
トジンがなんとも言えない顔をしている。
「お前はどうするんだ?」
尋ねると、トジンは苦笑した。
「情けないけど、またトリヤのところに行く」
果物やつまみなどの簡単に食えるものを保存箱に手際よく入れている。一緒に食べるのだろう。なんだか微笑ましくなった。
つい、俺の頬が緩んでいたのだろう。何を勘違いしたのか、トジンが弁解をするように言った。
「言っておくけど、何もやましいことはしてないからな? ただ話を聞いてもらってるだけだからな。 てっ、手は握ってもらってるけど」
◇
トジンと別れ、森に分け入り、トルナを探した。
どこにいるのかと思ったら、最初に俺を助けてくれた洞窟の奥で、トルナは暗闇の中、膝を抱えて座っていた。
松明をかざすと、まだ血まみれの服のままだった。
「その服、着替えた方がいい」
「着替えたら、人を殺したという事実がなくなってしまうような気がして」
トルナはうつむいた。
俺はゆっくりとトルナの隣に座った。
「村を守った、という正統な理由がある。きみは人殺しなんかじゃない」
トルナはポツンと言った。
「村を守りたい、なんて気持ちひとかけらもない」
……あぁ。そうか。そうだよな。
トルナは消え入りそうな声で続けた。
「槍を振るっている時は、全てを忘れられるの。過去の嫌なこととか、これからの不安とか、全部。その感覚を味わいたくて、槍を振るう。だから……私は人殺しなの」
「分かるよ」
呟くと、トルナが驚いたように顔をあげた。
「父上を殺されてから、ただ強くありたいと願い、修練に励んだ。仇である叔父上と戦った時は、とにかく剣を振るうのが楽しかった。無我夢中で大勢の人を殺して、仇討ちは成功した」
「成功したの?」
トルナが目を見開く。
「あぁ。ヴァルゼンベルクの当主になった。だが、恐ろしいほどなんの感慨も沸かなかった。その時、己の身を焦がしていたものが、父上への孝行心でもなく、腐った叔父上の政治を打倒したいという正義感でもなく、ましてや野心でもないことを悟った」
少し、間を置いてから言った。
「ただの、醜い恨みだったんだ。――ずっと過去に囚われていた。それを晴らすためだけに、関係のない大勢の人を殺した。当主の座を追い出され、敗走した時、思ったよ。なんて薄っぺらい人生だったんだろう、と」
はるか遠く、帝都がある方向を見つめる。
「帝国人は、戦いで負けたものの首を晒す風習があるんだ。揶揄され、罵倒される――そんな首の一つに俺もなるんだと、そして最適だと思った」
トルナが息をのんだのが分かった。
「でもきみに救われて、俺は別の理由で剣を握ることを覚えた」
「その理由はなに?」
トルナが小さく尋ねた。
自嘲気味に笑って答えた。
「くだらない理由だ。”希望”さ」
トルナは瞬きをした。
「剣が上手くなったら、君の隣で戦えるんじゃないかと思って。そのとき、初めて未来に焦がれたんだ」
呆然と俺を見つめているトルナに気づいた。
「ごめん。元気づけようと思ったのに、わけのわからない話をしてしまった」
「ううん」
トルナが首を振った。「それ、私にもちょっと分かるようになってきたよ、希望ってやつ。……あなたが集落のみんなをぶちのめしてくれた日から」
「本当か」
思わずトルナをまじまじと見つめた。
「うん」
トルナは屈託なく笑った。曇りのない笑顔だった。
そうだ。この笑顔をずっと探していたんだ。
「……トルナ」
思わず手を伸ばした。
トルナがわずかに息をのんだ気配がした。
「よ、汚れるよ」
焦ったように首を横に振る。
「構わないさ」
そのまま引き寄せた。べたりと、俺の服がトルナの服の血をすった。慣れきった血の匂いの中、トルナの肌の香りを求めた。
「……馬鹿、なの?」
その声がわずかに震えたかと思うと、トルナは至近距離でまっすぐに俺を見て言った。
「墨入れ、して」
この時、しっかり疑問を解決しておかなかったことを、心の底から後悔した。
朝、集落のトルタニスの住まいの扉を叩くと、もう森に出かけたと、トルシカは微笑んだ。
探すと、一面の紫煙花の花畑の中に、トルタニスが佇んでいた。
俺の気配に、振り向く。
「トルナは無事に見つけられたか」
穏やかな笑顔だった。
頷くと、「墨入れをしたのか」と尋ねられた。
「なんで分かるんだ」
「なんとなく」
トルタニスが笑った。「癖になるだろう」
「あぁ。まずいな」
俺の言葉にトルタニスがおかしそうにふき出した。
墨入れとは、想い人の紋様の上に、入れ墨として自分の紋様を彫り込む行為だった。黒紋民の中での愛情表現の一種らしい。
腕を出す民族衣装を着ている茶紋民や帝都の女たちとは違い、黒紋民たちは露出が少ない。
常に首元まで覆われた長袖を着ている。
それに慣れてしまったら、はだけた肩と白い二の腕だけでも、目に毒だった。
その滑らかな肌に、自分の紋様を彫り込む。絶対に痛いはずなのに、目を伏せて静かに耐えるトルナ。
そして、紋様を入れ終わった後の、満面の笑顔。
あれは悪魔的な慣習だ。
「自分に彫り込まれる方がもっとやばいぞ」
トルタニスが真面目な顔でいうもんだから思わず俺もふき出してしまった。
戦いの後、また俺とトルナは元通り森の奥深くの住処に戻った。
しばらくしてから、トルタニスとトルシカ、トジンが訪ねてきたときに俺は聞いた。
「なぁ、どうしてこんなに黒紋民は狙われてるんだ」
先の戦いでは、1000人弱の兵が押し寄せた。多くが寄せ集めの傭兵だったが、数人の帝国騎士もいた。
トルタニスは少し目を伏せてから言った。
「詳しいことはきみにも教えられない。申し訳ない。戒律で決まっているんだ」
とても苦しそうだった。
「ただ、一つ言えることは、この黒い紋様に関わることだ」
トルタニスは頬の黒い紋様を手のひらで覆った。
「俺たちはこの紋様を外に出すわけにはいかない。帝国軍が秘密を握っているとは限らないが……我々は侵略を拒み続ける」
トルシカがトルタニスの言葉に頷き、静かに続けた。
「そして、負けた時には、皆で死ぬの」
あまりの覚悟に息をのんだ。
トルタニスもトルナも、トジンですらもその言葉に深く頷いたことにも。
「し……死ななくても、生きることで開ける道もあるんじゃないか?」
思わず尋ねると、トルタニスは首を振った。
「いや。我らは世界に破滅をもたらすからな」
「な、なぜ……?」
尋ねるも、トルタニスはそれ以上は教えてくれなかった。
「すまない、教えられないんだ」と心の底から申し訳なさそうにしながら。
2年間、ひたすらに戦い続けた。
俺とトジンは腕をあげた。だが、それと同じくらい襲撃が激化していった。
トルタニスは、「きみがいなかったら対抗できなかった」とよく俺に言った。
”組み”が1組から2組になったことで、戦略の幅が広がるようになっていた。
俺がもたらした帝国兵や傭兵についてのありとあらゆる知識――兵の階級分けや、軍法、基本とする軍略なども大いに役にたった。
そして、若い人材も育っていった。
この短い間に、村の中から新たな”組み”候補も数人誕生していた。
ある晴れた日の午後、俺はトルタニスを森の中へと誘い出した。
「なぁ。もしも、もしもだ」
すっかり虎の牙の首飾りが板につくようになった彼に、俺は唇を噛みしめて尋ねた。
「もし俺がヴァルゼンベルクの当主に返り咲くと言ったら、お前はどう思う?」
トルタニスは足を止めて、驚いたようにこちらを見た。
巻き毛の黒髪が揺れて、そしてふっと微笑んだ。
「奇遇だな。ちょうど同じことを思っていた」
それが嘘なのか、本当なのかは分からなかった。思わず泣き出したくなるような衝動を抑えて俺は言った。
「ごめん。お前を残して……」
「いや。常に心は共にある」
トルタニスは微笑んだ。「トルナも連れていけ。もうトジンで不足はない」
トルタニスは俺の肩を抱いて、静かにそっとささやいた。
「ありがとう。きみが初めての理解者だったよ」
その言葉に「俺もだ」と返し、「帝都の澱みを清めてくる」と言うと、トルタニスは俺に向かって頭を下げ、低い声で言った。
「頼む。そうでなければ、この戦いは永遠に続く」
そのまっすぐな瞳に応じたのが、彼と言葉を交わした最後になった。




