第66話 ヴァルゼンベルク 3/6
半年してやっと、トルタニスと同じ足の運びで森の中を歩いたり跳んだりすることができるようになった。
といっても、全然まだまだだ。
トルタニスは、全く音を立てずに森の中を移動できるが、俺はまだ少し音を立ててしまう。全く、と少しの間には大きな差がある。先が見えない。
……そろそろ槍の握り方でも教えてくれないかなぁ。
数週間、トルタニスは姿を現していない。
ひたすら一人で足の運びを練習するのにも飽きたところだ。
剣の手入れをしながら、首を長くしてトルタニスの訪れを待っていると、ふっと気配がした。
……誰だ?
いつものトルタニスの気配と、あともう一人。
トルタニスより小柄だが、トルシカの気配とは少し違う。
トルナも同じことを思ったのか、家の中から表に出てきた。
「トルナさん! ほんとにトルナさんだ!! 俺に槍を教えてくれよ!」
13,4の少年がはじかれたように姿を現し、叫んだ。
次にトルタニスが微笑して姿を現す。
「トジン! どうして?」
トルナが驚いたように目を丸くして、トルタニスと少年を見比べる。
「教えきれなくなったんだ。”乱”のことは詳しく分からなくて」
トルタニスがトルナに微笑んだ。
「でも、いいの? もし見つかったらトジンもただではすまされない」
トルナが心配そうに言うと、トルタニスは「それは大丈夫だ」と力強く頷き、体をすっぽりと覆っていた深緑色の外套をはらった。
着ていたのは、見事な砂紋民の民族衣装だった。
濃紺色で染められた生地に、金糸で紋様の刺繍が入っている。
ふかふかとした白い獣の毛皮が肩にのり、虎の牙数十本で作られた首飾りをつけていた。
トルナが息をのむ。
トジンと名を呼ばれた少年が「かっけぇなぁ」とため息を漏らした。
「この前、族長になった。みなに、トルナと――そして君を集落の一員として認めさせた」
トルタニスの視線が俺を射貫く。
「俺も、か?」
思わず尋ねると、トルタニスは頷いた。
「君も砂紋民だろう?」
「そ、そうだが……」
反発は受けなかったのだろうか。
「最近、帝国民が頻繁に森に侵入してくる。戦力が必要だという主張に皆が納得したのが大きい」
トルタニスは説明した。
集落に一緒に住むことは了承は得られなかったが、祭事には参加できるし、皆との接触も禁じられなくなったという。
「俺も戦力になりえるのか?」
どこか信じられないような気持ちで尋ねる。帝都にいたときは、己の強さに疑いなど持たなかったが、ここに来てから自信をすっかり失っていた。
トルタニスは力強く頷いた。
「もちろんだ。君は集落の中で一、二を争うほど強くなる素養がある」
……まだ強いわけではないのか。
「ふうん。体格はいいんだな」
トジンが俺をなめるように見つめていた。「お前、トルナさんの何なんだよ」
ちらっとトルナを見ると、無関心を装っている。
「うーん、同居人?」
すこし首をかしげてそういうと、トジンがびっくりしたように目を見開いた。
「ってことは一緒に住んでんのかよ?」
「まあ。そこで」
小屋を指さす。
「せま」
呆然と呟いてから、俺に詰め寄る。
「墨入れはもうしたのか?」
「? 墨入れ? なんだそれ?」
「んなことも知らねぇのか」
トジンが苛立った声を出す。
「なぁ、トルナ。墨入れって――」
トルナの方を向くと、トルナは目線を合わさずにぱっと逃げた。
トルタニスはおかしそうに笑っている。
「んまあ、お手並み拝見といこう」
トジンは背に背負っていた槍をさっと引き抜くと、トン、と地面についた。
刹那。
トジンは飛ぶように斬りかかってきた。
次の瞬間には、槍の穂先が首元に迫っていた。
「……ッ!」
思わず腰から剣を引き抜いた。
帝都にいたころから使っている、父の形見の剣。
カン!
剣と槍が火花を散らし、俺とトジンは同時に後ろに跳んでお互いに距離を取った。
「へぇ……面白れぇ。トルタニスさんがいうだけあらぁ」
トジンが恰好の獲物を見つけた、というような目をする。
それから俺とトジンは激しくお互いの剣と槍をぶつけ合った。
トジンの動きに、軽い驚きを覚えていた。
――似ている。トルナの動きに。
槍は激しく、縦横無尽に舞い上がり、俺を切り裂こうとする。
途中からその動きをかわすのでやっとになった。
「足の動きが乱れているぞ。思いだせ」
トルタニスの声が聞こえてハッとした。
ここは森の中じゃない。何の意味があるかは分からないが、トルタニスに教えてもらったことだ。きっと何か意味があるのだろう。
特訓を思いだし、足元に意識を集中させる。
そうだ。気配をなくし、次の一歩をその次の一歩にひきつけるようにして――跳ぶんだ。
跳んだ瞬間、トジンがぎょっとした顔をした。
◆
「あの木の枝まで跳べるようになれ」
森の中の歩き方が一通り分かるようになると、トルタニスは高くそびえる太い木の、中腹にある枝を指さした。
……は?
俺の身長の倍くらいはある。
トルタニスは俺の反応を見て微笑むと、「見ていろ」と言って――軽々と跳躍し、その枝の上に立った。
え?
今何が起こった?
「お前、ほんとに俺と同じ人間? 実は猿か鳥か何かか?」
思わず口から出た言葉にトルタニスがふき出した。ひとしきり笑ったあと、少しだけ真面目な顔になってから言った。
「同じ人間だ。お前もここに来い」
◆
高く跳んだ時、トルタニスがにっこりと微笑むのが見えた。
そして、トルナが驚いたように目を見開くのも。
あぁ、そうか。
その時俺は理解した。
この反動を使って――剣を振り下ろすんだ。
ピキン!
甲高い音がして槍の穂先が粉々に砕けた。
「やべぇ。マジモンかよ」
トジンが呟き、槍の上下をくるりと入れ替えた。穂先とは逆の方にも刃物がついていて戦えるようになっている。
良く練られた武器だ。
集中し、トルタニスから教えてもらった足の運びで歩き、トジンの隙を狙う。
トジンは舞を舞うように槍を振るわなくなった。
俺の隙を狙っては槍を繰り出すが、先ほどのように流れる様な矢継ぎ早の攻撃ではない。
俺が跳ぶのを警戒しているのだろうか。
「クソッ。わかんねぇ」
舌打ちとともに、トジンの額から汗がたれる。
「常に槍を動かし続けるの。そうすれば分かる」
トルナの声に、トジンがはっとした顔をした。
……俺を応援してくれないのか、とやや複雑な気持ちになる。
トジンは槍を握りしめ、必死の形相で振るった。
縦横無尽に繰り出される攻撃。
なるほど。
トルタニスから教えてもらった足の運びを続けながらトジンの攻撃をかわしていると、何か不思議な気持ちになった。
槍をよけていると、跳びたくなる。
まるでここで跳んでください、といわんばかりなタイミングがやってくるのだ。
その誘惑に抗いきれずに、跳んだ。
瞬間、トジンがはっと俺を見上げた。
俺はトジンの槍を狙い――トジンは俺の剣を狙って――お互いの手に持つ武器を振るった。
今回は高い音はならなかったし、トジンの槍は壊れなかった。
ただ、鈍い音が響いた。
お互いがお互いの攻撃を打ち消したのだ。
「すごい……」
トルナが呟いて、トルタニスも「よし」と満足そうに頷いた。
俺とトジンはお互いの体力が尽きるまで剣と槍を繰り出し続けた。
◇
「いつの間に……」
トジンの槍を難なくかわし、跳躍して剣を振り下ろす。
トルタニスと何やら特訓していることは知っていたが、ヴァルゼンベルクにこんな動きができるとは思っていなかった。
「すごいだろう。彼の執念のたまものだ」
トルタニスが得意げに言った。
「どうして。……なんで」
食い入るようにヴァルゼンベルクを見つめている自分に気づき、慌てて目をそらす。
トルタニスがふっと笑ったのが視界の端で見えた。
◇
「くっ……」
何度目かの槍と剣の激突ののち、トジンが槍をとりおとした。
もう手に力が入らないのだ。その気持ちは十分、分かる。
だが、ここで必ず勝つ!
ぐっと足を踏み込んだとたん、体がぐらりと泳いだ。
あれ?
と思った時には、目の前に地面があった。
まさか、転ぶなんて初歩的なこと。
その時、手をパン、パンと打ち鳴らす音が聞こえた。
トルタニスだ。
「お疲れ様。素晴らしかったぞ、二人とも。皆の前で見せたかったくらいだ」
満面の笑顔を浮かべて、俺たち二人を交互に見つめた。
「相性抜群だ。二人はよい組みになるな」
トジンが目を剥いた。
「え、俺こんなやつとなんて絶対やだ! トルタニスさんが目標だったのに!!」
なかなかの言われようだ。
「ならば俺も別に組みたい相手がいる」
トルナを見つめると、トルナは困ったように視線をそらしてしまった。
「まあ、とにかく皆で食事にしよう」
トルタニスがトルシカの名を呼ぶと、家の中からトルシカが出てきて「もう準備はできてますよ」と微笑んだ。
久しぶりに会ったトルシカはやはり美しかった。
族長の妻になったからだろうか、首もとに翡翠の玉飾りをつけていた。
食事には酒も出された。
トルシカは酒を控えているらしいが、トルタニスとトルナは驚くほど酒を飲んだ。トジンはまだ成人してないから酒を飲めないらしい。
宴もたけなわになったころ、トジンが「こいよ」と言って俺を外に連れだした。
また戦いをふっかけられるのだろうか。
俺よりもだいぶ小柄なその背についていくと、「お前、”刃”になりたいの?」と尋ねられた。
「”刃”とは何だ?」
問い返すと、トジンがまるで幽霊でも見るような顔で俺を見た。
「あきれた。そんなこともわからないであの動きができんのかよ」
「トルタニスに教えてもらった」
「どれくらいやったんだ? 鍛錬」
「半年くらいだな。だが、ここに来る前をいれたら――」
脳裏に焼きつく父の首を思いだす。「物心ついたときから、ずっとだ」
「ふうん」
相槌をうちながら、トジンは俺の左腕に刻まれた茶褐色の紋様を見つめ、口を開いた。
「教えてやるよ。”刃”と”乱”は二人一組で敵を倒す。トルタニスさんとトルナさんはこの辺りで突出した組みだ」
”乱”は敵を撹乱し、”刃”は敵を確実に殺すという役割があるらしい。
「俺は”乱”になりたい。トルタニスさんと組みになりたいからな。それに、”刃”の才はなかったし」
トジンは生き生きと語ってくれた。優れた”刃”と”乱”になるには、生まれつきの才能が大きく関係するという。
「ならば俺はこのまま腕を磨き、”刃”となってトルナと組になりたい」
そういうとトジンはへぇ、と言って「じゃあ、お互い頑張ろうぜ」と笑うと去っていった。
よく分からないが、少しは仲良くなったといっていいのだろうか。
「なぁ。俺は”刃”になれるか?」
翌日。やってきたトルタニスに問うと、彼は少し驚いてから「トジンに聞いたか」と苦笑し、真剣な顔になった。
「覚悟がいるぞ。それに、実際の戦いと修練は大きく違う。本当になるつもりか?」
「あぁ」強く頷いて、尋ねた。「俺に才能はあるか?」
トルタニスはしばらく目を閉じて考え、口を開いた。
「分からない。最初は全く才能がないから無理だと思っていた。だが、君はその壁を突破した」
……無理だと思っていたのか。
口もとがひきつる。
「まだ道のりは長い。だから期待はさせない。だが、なれない、と否定もできない」
トルタニスは少し考え、呟いた。「今度、敵が攻めてきたら、お前も”組み”として出てみるか」
「えっ、トルナと?」
思わず口走ってしまい、失敗したと思った。
トルタニスはおかしそうに笑って、ポン、と俺の肩を叩いた。
「まずはトジンとだ」




