第65話 ヴァルゼンベルク 2/6
トルナと暮らし始めてから3か月が経った。
トルタニスとよばれる仮面の男はちょくちょく現れては家の補強をしたり、必要物資を届けてくれたりと俺たちの様子を気にしてくれている。
どうやら、仮面の男とトルナは、一緒によく狩りをしていたらしい。そして、仮面の男の妻は、トルナの姉らしい。
自分についての話となると、途端に口数が少なくなるトルナから聞けた話はそれだけだった。
この日も俺たちの前に現れた仮面の男は、「こい」と言って俺だけを森の中へと誘い出した。
二人で森の中を歩く。男は何かを考えているようだった。
「追われていた経緯を話せ」
静かだが、なんとも言えない気迫がある。
素直に口を開いた。
「俺の父上は、ヴァルゼンベルク家の正統な当主だった。だが、叔父上にその座を奪われた。……父上は叔父上に戦いを挑んだが敗れ、反逆罪の汚名をきせられ、殺された」
今でもその時のことは脳裏にこびりついている。
男はわずかに息をのみ、俺に続きを促した。
「父上に逃がされた俺は、ひっそりと武の道だけを極めて生きるつもりだった。だがある日、家臣達が尋ねてきた。『叔父上が憎くはないか』と」
男は足を止め、こちらをじっと見つめた。
「それで戦いを挑み、負けた、ということか」
「まあそんなところだな」
曖昧に言葉を濁した。あまり思い出したい記憶ではない。
「今もまだ、ヴァルゼンベルク家の当主になりたいか?」
束の間考え、口を開いた。
「分からない。確かに富や名声は手に入る。だがそれが真に価値のあるものとは思えない」
「君が考える真に価値のあるものとは?」
男の仮面が、夕日を反射して赤く光っている。
しばらく考えると、これだ、というものが分かった。
「秩序だ。帝都は混沌としている。ここに来て、初めて心が休まる時を得た」
「そうか」
男は一つ頷くとまた歩き出した。どこか満足したような様子でもあった。
「なぁ、どうしてここまで良くしてくれるんだ? その、戒律違反なんだろ? 俺に関わったりするのは」
男は俺の言葉に驚いたようにこちらを振り返った。
「分かっていたのか」と呟いたあと、「君を認めたからだ」と静かに言い、仮面をゆっくりと外した。
思ったよりも年若い青年の顔がそこにはあった。
黒い巻き毛の髪に白い肌。
そして、黒い紋様が左の頬に入っていた。
「この紋様に驚いたか」
「いや。ただ美しいとおもった」
正直な気持ちを伝えると、青年はおかしそうに笑った。
「古い昔、黒紋民が全滅寸前に追い込まれたことがあった。その時にヴァルゼンベルク家の者が逃がしてくれたのだ。生き延びたのは数人だったが、そこから数を増やし、生きながらえた」
「そうだったのか」
俺すらも知らない、ヴァルゼンベルク家の歴史だった。
青年は自らを”トルタニス”だと名乗ると、
「トルナは悲しい境遇にある」と静かに語った。
「黒紋民の中に生まれた、茶褐色の紋様を持つ者だ。何度も下界の村に行ったが、馴染めずに戻ってきた」
……そうだったのか。
確かにトルナの顔には紋様が入っていない。
見たことはないが、おそらくその腕に茶褐色の紋様があるのだろう。
トルタニスは俺の顔をちらりと見て、続けた。
「俺も茶紋民の村ではじかれ者にされていた。俺がこの森に来て居場所を見つけられたように、トルナにも居場所が見つかってほしい」
「そう……だな」
曖昧に頷くと、「他人事だな」とトルタニスは苦笑した。
夕食は3人で鍋を囲んだ。
トルナはトルタニスが仮面を外したことに最初は驚いた様子だったが、「ご飯が食べやすくなって良かったね」と屈託なく笑った。
その夜。
トルナはすぐに眠った。いつもトルナは眠るのが早い。
俺は不慣れな狩猟の道具の手入れをだらだらとしてから眠りにつく。
父上が亡くなってからというもの、ずっと寄る辺のない思いをしていた。
――トルナもそんな思いをしていたのだろうか。
日中はそんな様子はつゆほども見せないが。
その黒い紋様のない寝顔を見ながら思った。
◇
「じゃあ、今日も一緒に行かせてもらうからな」
ヴァルゼンベルクは、なぜか私の狩りにつきまとうようになった。
おとなしく家の近くで木の実の収穫でもしてもらったほうが助かるんだけど、と内心、思ったりもしている。
でも、最近は私が一切手加減せずに森の中を突っ走ってもついてこれるようになった。
そこは評価している。
「好きにすれば」
そう返して駆けだすと、早々、草むらにウサギの足跡を見つけた。
まだ新しい。
「お」
ヴァルゼンベルクもそれを見つけたようだ。
まあまあ見つけづらかったのに、なかなかやるじゃない。
私はすぐさま全方位を見渡した。
南南東の木々の向こうに、ウサギの鼻先を見つけたと同時に、矢を射た。
ウサギの首に命中する。
「すごいな。お見事!」
ヴァルゼンベルクが感嘆したように手をたたく。
なんなのよ。
「じゃあ勝負よ。どっちがたくさん獲物を取れるか」
「……! 分かった」
ヴァルゼンベルクはきらきらとした目で頷いた。
「……ありがとう」
今にもヴァルゼンベルクの喉笛をかみ切ろうとしていた虎を一撃で倒すと、彼は気まずそうに目を伏せた。
「もう。果敢に立ち向かうのはいいけど、自分の実力をわきまえないと、死ぬわよ」
一応励ますつもりで言ったのだが、ヴァルゼンベルクはさらにがっくりと肩を落とした。
「見てたのか」
「たまたまあなたの足音が近くから聞こえたからね」
とは言ったが、実はこの森の虎に襲われないか心配でそっと後をつけていたのだ。私の心配は見事的中したことになる。
まだ虎に襲われた恐怖が抜けきらないのだろう。
体が震えている。
「あなた、変わってるわね。なんでそこまで?」
ただおとなしく私が取ってくる食料を食べてりゃいいのに。
「……きみに認めてほしくて」
ヴァルゼンベルクは少し照れくさそうに言った。
「それだけ?」
思わず声の調子が強くなった。
「みんな私を内心馬鹿にしてるし、嫌ってる。だから私が認めても何の価値もない」
ヴァルゼンベルクは束の間黙ってから、「俺は馬鹿にしてもないし、嫌ってもないぞ」とやや強い調子で言った。
「そんな訳ない。自分より強い女なんて男は好まない」
袖をまくり上げて、茶褐色の紋様を見せた。
「それに、私ははじかれ者なの。まあ、あなたは帝国民だから関係ないかもしれないけど」
「あぁ、それは大丈夫だ。最近気づいたんだが」
そういってヴァルゼンベルクは袖をまくり上げた。思いのほかたくましい二の腕がむき出しになる。
思わず息をのんだ。
いつも腕輪をつけていたその場所には、茶褐色の紋様があった。
「きみとお揃いだよ」
ヴァルゼンベルクはにこりと笑った。
もう不要だと思って、代々伝わる腕輪を外したら、初めて自分に紋様があったことに気づいたらしい。
その割には紫煙花の毒に弱かったよね、とつっこむとヴァルゼンベルクはやられた、というように笑ってから、「それに」と続けた。
「強さは武器だ。大事にしろ。俺は強くなりたい」
そんなこと、言わるなんて思ってもみなかった。その真っ直ぐすぎる視線に、思わず目をそらした。
◇
森に住み始めて1年たつと、トルタニスが美しい女性を伴って現れた。
透き通るような白い肌に、真っ直ぐで長い、明るい茶色の髪。
化粧だろうか。唇と目元に色をのせている。
その人は、にっこりと俺に微笑みかけ、「トルシカです」と名乗った。
凍てつく氷さえとかすような笑顔に、艶やかで品のある声。
衝撃を受けた。帝都の女とは格が違う。
「どっ、どうも」
口ごもりながら答えると、トルタニスが表情を変えないまま、トルシカの肩を抱き、僅かに自らの方に引き寄せた。
トルナが少し口を尖らせて、さりげない動作で俺の足元に細身の投げ針を放った。つま先ギリギリの地面に突き刺さる。
……どちらも怖い。
トルタニスとトルナが狩りに出ていってしまうと、俺とトルシカは二人残された。
「お互い、想い人が別のやつと一緒に狩りにいくのは、面白くないね」
思わずそんなことを言うと、トルシカは少し驚いたように瞬きをしてから、「本当にね」と花が咲いたように笑った。
白い肌に、長く艶やかな茶色の髪が揺れる。
「ずっとうらやましかったのよ、私。トルナがね。私もあんな風に動いて――トルタニスと一緒に狩りに行きたいって」
「そうだよな」
共感することこの上ない。
どうやらトルシカは体が弱いたちらしい。といっても、トルタニスの手を借りながら自分の足でこの奥深い森まで来たというのだ。
いったい黒紋民の体力事情はどうなっているのだ。
「でも仕方ないわね。信じるしかないわ。そして、私にできることをするの」
トルシカの瞳に、決意の光がちらほらと見え隠れしていた。それで、この人はやはりトルナの姉なんだと実感した。
「その通りだ。……でもなぁ。まったく、トルナはトルタニスの話ばかりするんだ」
思わずそんな愚痴を言ってから、しまったと思った。
トルシカが一瞬すごく悲しそうな顔をしたのだ。そして、無理に微笑んだ。
「……私が引けばよかったのかな、と思ったりもするの。私ばかり幸せになっていいのかなって。トルタニスもトルナの話をすることが多いし」
「馬鹿を言うな」
思わず低い声がでた。トルシカが「え?」と俺を見る。
「トルタニスは俺と二人の時、君の話ばっかりだぞ。それに、君がトルタニスと結婚してなかったら、俺がトルナとトルタニスの間につけいる隙は全くなかった」
トルシカは数回瞬きをした。やがてその意味を理解して、「そうね」と心からおかしそうに笑った。
「姉さんに見とれてたよね」
二人が帰ったあと、トルナが唐突に言った。表に出ないようにしているつもりだろうが、不満げな表情が隠せていない。
「まあ、な。美人だった」
トルナが少しだけ唇を噛みしめたのが分かって、愛おしくなった。
「でも俺はきみの方がいいよ」
「え?」
トルナがはじかれたように顔をあげる。
「きみの姉さんは確かに美人だが、彫刻を見ているようだ。君の寂しそうな笑顔の方がいい」
トルナがパチパチと瞬きをして、口を開いて、また閉じた。
いつも強気な彼女のそんな様子がおかしかった。
「それに、君は強いし」
「よく分からない」
トルナはうつむいて巻き毛の髪をくしゃっと握った。
数歩、距離を詰め、後ろからそっと抱きしめた。
「これで、分かった?」
ささやくように尋ねると、トルナが息をのんだ気配がした。
「……分からない」
トルナは頭を抱えたまま首を横に振り、ぱっと腕の中から逃げていってしまった。
翌朝。
「お、おはよう」
なぜか大量の獲物を抱えたトルナが帰ってきた。
「これ、さばいといて。ちょっと寝るわ」
トルナはぶっきらぼうに言って小屋の奥へと進む。
「なぁ、昨日の夜、」
言いかけると、トルナがぴたっと足を止めた。
「嫌だったか? 申し訳なかった」
「……なんであなたが謝るのよ」
そう言ってトルナはくるりと背を向けて眠ってしまった。
よく分からない。
よく分からないことは考えない方がいい。
獲物をさばき続け、日が空に高く登った頃、トルタニスが姿を現した。
「最近よく来るじゃないか。トルシカが悲しむぞ」
この頃にはすっかり軽口を叩ける間柄になっていた。
「トルシカは昨日、君の話ばかりしていた」
少し恨みがましく俺を見てくる。普段の冷静な彼とは違って面白い。
「トルシカの気持ちが分かって良かったじゃないか。トルシカは、君がトルナの話ばかりすると言ってさみしがっていたぞ」
「な」
トルタニスは愕然とした表情をした。「妹の話をしたらトルシカも喜ぶと思って」
「そんなわけないだろう。トルナのお前への想い、知ってるのか」
トルタニスは首をかしげて、少し困惑したように言った。
「優れた狩りの相棒、とかか?」
……なんなんだ、こいつは。
少しだけ沸いた殺意を押し殺して、冷静に尋ねる。
「実際のところ、お前はトルナのことを、どう思ってるんだよ」
トルタニスは、そうだな、と呟いて真剣に考え始めた。
「唯一無二の”乱”だ。敵を見事に撹乱し――俺が狩りをしやすいように合わせてくれる」
そこでトルタニスは言葉をきって、続けた。
「トルナはきっと分かってるはずだ。俺が次にどう動き、どう刃を振るうか。俺の考え方や動きの癖まで。そのうえで足りないところを補ってくれる。同様に、俺もトルナの動きや思考の全てを理解している」
……つけいる隙などもうないのではないか。
思わずひきつった笑いが漏れた。
「なぁ。俺にもその”狩り”とやら教えてくれないか?」
前、トルナとトルタニスが二人で狩りに出かけて行ったとき、後をつけたことがある。
トルナは、一人で狩りを行うときとは全然違う動きをしていた。
最初に俺を救った時に見せたような、風が舞い上がるほど見事で流麗な槍さばきだ。
トルタニスの姿は見えなかったが、どこかにいる気配がした。二人はそれで虎の群れを撃破していた。
トルタニスは目を細めてしばらく黙り、その申し出について考えているようだったが、「いいぞ」と静かに言って森の中へと入っていった。
ついてこい、ということなのだろう。
「……教えてくれてありがとう」
ぐったりしながらトルタニスに礼を言うと、「正直、ついてこれるとは思わなかったよ」とトルタニスは笑った。
「毎日少しでも稽古をつけに来るよ」
トルタニスはにっこりと微笑み、去っていった。
「ねぇ、何してたの? トルタニスが来てたみたいだけど」
すっかりいつもの調子に戻ったトルナが、地面にのびている俺を見て不思議そうに尋ねた。
「秘密の特訓だ」




