第64話 ヴァルゼンベルク 1/6
右肩を矢が貫いた。
激痛に耐えながら、落ちないように何とか馬にしがみつく。
後ろを振り返ると、数百もの騎馬が俺一人を追いかけてくる。首を取りたいのだ。
……何のために生きてきたのか分からない人生だった。
一人、馬上で苦笑いした。
ヴァルゼンベルク家の次男として生まれ、家の派閥争いに巻き込まれ――そして22で人生の終焉を迎える。
自分の首が、あのくだらない家臣どもの前に晒されるのだけは嫌だった。
ふと、森の近くまで来ていることに気づいた。
夏の強い日差しに照らされて、森の木々はやけに鮮やかに目にうつった。そのあちこちに、紫色の花々が点在していることも。
躊躇なく馬を森に乗り入れた。
束の間、頭がくらっとした。
それは、流し過ぎた血のせいか、それとも、この紫煙花の毒のせいか。
どちらでも構わなかった。
ただ、馬を森の奥へと走らせた。
勢いよく森の中を疾走していた馬は、急に止まったかと思うと、全身を痙攣させて倒れた。
馬から放り出されて、したたかに体を打つ。
ささったまま抜いていなかった矢が、さらに肩に食い込み、思わず叫びそうになったのを、拳を握りしめて抑えた。
馬の全身には紫色の痣が現れていた。
ふと見ると、俺の掌にもうっすらとその痣はあった。
……まずい。
「むこうだ!」
「探せ! かなり弱ってるはずだぞ!」
やつらはこんな毒の森の中でも懲りずに追ってくる。
金を積まれているのだろう。
少しでも先へ――。
やつらが追ってこれないところまで。
体を引きずりながら、森の奥へ奥へと、入っていった。
◇
「……誰かが来た」
狩りの最中、目を閉じて気配を探っていたトルタニスが目を開いた。
”刃”の彼が言うならそうなのだろう。
少しして、私にも侵入者の気配が分かった。
「本当だ。いつもと違うな。誰かを追っているみたい」
動き出そうとしたトルタニスを制する。「あなたが出るまでもない。私が全部倒す」
トルタニスは「君の強さは認めるが」と微笑むと、「”乱”と”刃”は組みだ。俺も行く」と言った。
「もう夕暮れだよ。早く戻らないとトルシカが寂しがるよ?」
彼は、私の姉のトルシカと最近結婚した。
付け入る隙なんて無い。二人は相思相愛なのだ。
冗談のつもりだったのに、トルタニスは真顔で呟いた。
「……最近狩りで家をあけすぎたか。精のつくものを食べさせてやりたくて」
腰の剣を確かめ、「早く終わらそう」と森の中へと消えていく。
……まったく。
彼が10歳でこの森へとやってきてから、ずっとトルシカのことを見ているのを知っている。
二人はお似合いだ。黒紋民同士だし。
それに比べて私は――。
大抵の男よりも強く、異質な私を誰が好むというのだろう?
くだらない思考は終わりだ。
戦っているときは全て忘れられる。
槍を握りしめると、森の中を駆けた。
……なんて凡庸なんだろう。
私は茂みからその手負いの青年を眺めて、内心がっかりした。
大勢に追われているから、腕の立つ者かと少しは期待したのに。
青年は、金の装飾が施された鎧に身をつつんでいた。
肩には矢が突き刺さっており、体を引きずるようにして懸命に逃げている。
馬鹿なのかなぁ。
矢はすぐに抜くべきだし、重たい鎧なんて邪魔になるだけだから脱いだほうがいい。
まあ、首筋にも紫煙花の痣が出ているから、すぐ死ぬだろう。
「いたぞ!」
追手たちが青年を見つけたようだ。
既に紫煙花の濃度が高いはずなのに元気だ。あらかた、帝国民に傭兵として雇われた茶紋民というところだろう。
……全員、部落に近づく前に殺しておいた方が得策だな。
青年は最後の力を振り絞り、肩に刺さった矢を抜くと、その矢をつがえて弓を射た。
だが、その矢は追手の数歩前の地面に虚しく刺さっただけだった。
下手くそ。
そう思ったとき、青年の腕輪が目に入った。
……へぇ。ヴァルゼンベルクか。
ほんの些細な好奇心だった。
私は懐から仮面をとりだして顔につけ、茂みから足を踏み出した。
◇
渾身の力を込めて放った矢は、あっけなく外れ、追手はニヤリと笑った。
「くたばれ!」
怒声と共に振り下ろされる刃を、腰の剣を抜きはらい、なんとか受け止める。
が、もう手に力が入らない。紫煙花の毒のせいだろう。
ここまでか。
心の中を寂しさにも似た感情が襲った。
追手が俺の剣をとばした。刃がひらめく。
あぁ、この追手は山ほどの恩賞をもらうのだろう。
そして、俺の首は――
さんざん足蹴にされた後、晒され嘲笑の的になるのだろう。
父上の首のように。
脳裏に、どす黒い記憶が蘇った。
嫌な最期だ――
その瞬間、槍が空を舞った。
同時に追手が倒れる。
呆然とその槍の持ち主を見やると、薄い金属製の仮面をつけていた。
仮面の頬には渦巻く風を表現したかのような繊細な彫り込みがなされている。
深緑色の外套が、その体をすっぽりと覆っていた。
「あんたさぁ、なんでこんなに追われてるわけ?」
その声が、そこに立っている仮面の者の声だと気づくまで数秒かかった。
低めな声だが、男の声ではなかった。
……女に助けられたのか。
朦朧とする頭でそんなことを思いながら、答えた。
「やつらは自分よりも強い俺を生かしておきたくないんだ」
女はおかしそうに笑った。
「よく言うよ。そのていたらくで」
そのとき、追手が「見つけたぞ!」と叫ぶ声がした。
「たくさんだなぁ」
女は軽快に笑い、槍を構えた。
数十人の追手が茂みを突き破って姿を現した瞬間、突風がふいた。
いや、それは女が振るった槍が巻き起こす風だった。
その槍は縦横無尽に動き、追手を瞬く間に倒していった。
俺のほかに動く者がいなくなり、あたりが静まりかえるまで、数分とかからなかった。
遠くから、かすかに追手の声が聞こえる。
「まだ来るよ。あんた、じゃま。とりあえず逃げたら?」
……よくわからない。だが。
「感謝する」
俺は歯を食いしばると、女が戦っている音を背後に聞きながら、森の中へと這って進んだ。
>> ここまで。
「で、なんであんなに追われてたわけ?」
目を開けると、女の声が聞こえた。
途端、我にかえった。
背には冷たい岩の感触。視界には、ごつごつとした岩肌。
――ここは洞窟の中か。
どうやら、意識を失っていたようだ。
赤々とした炎が洞窟の隅で燃えている。
視線を動かすと、炎の傍であぐらをかき、頬づえをついている女と目があった。
まだ娘、といっていい年齢かもしれない。19,20くらいか。
明るい鳶色の巻き毛の髪は顎のあたりで切りそろえられている。
瞳の色は、帝都では珍しい灰色だった。
今度は別の返答をしてよね、と女は言った。
「……罪人の息子だから」
言葉を話すだけで頭が割れるように痛かった。
「ふーん。でもそれだけであんなに追われるかな」
面白そうに口の端をあげて立ち上がると、俺の近くまで来てしゃがむ。
「ほら。吸いなよ」
煙管が差し出された。よく裏町で流行っているものとは違う。白い粉が先端に詰まってる。
僅かに躊躇うと、「吸わないと死ぬよ」とこちらに押し付けてくる。
思い切って受け取り、吸うと、頭痛がすっと引いていくのが分かった。
女も上手そうに自分の煙を吸っている。
「俺も父と同じ罪を犯した」
炎が時折爆ぜる以外は静寂な洞窟の中で、俺たちは煙管を吸いながら、探り探りで言葉をかわし始めた。
「何の罪?」
好奇心の宿る瞳がこちらを向く。
「……反逆罪だ」
「へぇ。誰かに仕組まれたってところか」
その言葉に心底驚いた。
なぜ、出会って間もないのに分かったのだろう?
俺の表情を見て、女は屈託なく笑った。
「だって、罪人でも英雄でもなさそうな顔をしているから」
思わず苦笑したその時、低い男の声がした。
「トルナ、正気か。戒律違反だぞ」
体格の良い男が洞窟の前に立っていた。顔には金属製の仮面をつけている。
女の仮面と違って、風の模様ではなく、鋭い剣が彫り込まれている。
恐ろしいほど、全く気配がしなかった。
「だってこのままだと死んじゃうし。それにほら」
女は俺の腕を指さした。「ヴァルゼンベルクだよ。昔の恩がある」
男は目を少し細めた。
「口うるさい長老たちはもうお前を探し始めたぞ」
「へえ。思ったよりも遅かったな。ありがとね、トルタニス」
トルナ、と呼ばれた女は手をひらひらとさせると、洞窟の奥に立てかけてあった槍を手に取った。
「こいつをどうする」
男が鋭い眼光で俺を一瞥した。
「しばらく寝かせておけばいい。もう回復するよ。痣が消え始めた」
トルナはにこりと笑った。はっとして自分の手を見ると、あれだけ濃く現れていた痣がうっすらとしか見えなくなっていた。
「なぜこんな……全てを捨てるような真似をした」
男の責めるような、悲しむような声に、トルナは笑った。
「元から私の居場所なんてないから」
寂しそうな笑いだった。
なぜかその顔に魅入られた。
「君は優れた”乱”だ。君がいなければ俺は戦えない」
男は絞り出すように言った。
「すぐにトジンに追いつかれるよ。じゃあ」
トルナは握った槍を器用にくるりと回すと、洞窟の外へと向かった。
「……おい」
男が俺に声をかけた。「トルナに助けを乞え。ここにいてもお前の未来はない」
よくわからなかったが、言う通りにするしかなかった。
数時間後。
「ここならひと安心だよ」
「……」
俺はトルナの背の上でぐったりとしていた。
心底この女をすごいと思った。
森の中の岩場を軽々と越え、落ちたら一貫の終わりの断崖絶壁をいとも簡単に登り、ずぶ濡れになりながら川を泳ぎ、滝壺さえ抜けて平然と歩く。
途中から、いや、もはや最初のあたりからだったが、彼女に背負ってもらわなければ、俺はここまでくることはできなかった。
「日が落ちるとすぐに暗くなる。その前に火を起こす。あなたは煙管を吸って休憩してなよ」
トルナはそういうと、俺を背から下ろし、てきぱきと作業をし始めた。
夜。
疲労困憊しつつも、焚火の前でトルナが山で取ってきた獣の肉を食らいながら尋ねた。
「……なぜ?」
俺の言葉に、トルナが怪訝そうに顔をあげた。
「なぜ俺を助けた。そのせいでお前の立場が危うくなったのだろう」
トルナはふふっと笑った。
「なんでだろうな。ただの気まぐれだよ」
その横顔はなんだか寂しそうで、どんな言葉をかければいいか悩んでいるうちに、「明日も早い。寝るよ」とトルナは明るく言った。
「明日は何を?」
恐る恐る聞くと、トルナは一瞬きょとんとしてから屈託なく笑った。
「また森の奥へ進む。絶対に誰にもこれない場所があるんだ」
俺は心の中で天を仰いだ。
「ここまで来ればもう大丈夫!」
トルナが嬉しそうな声を出した。
「そうか……」
俺は力なく呟いて、膝に手をついた。もう歩かなくていいことが何よりも嬉しかった。
トルナがそんな俺を見てニヤリと笑う。
「なんだよ、元気出しなよ。今日は全部歩けたじゃん。見直したよ」
「……お前は全然疲れてないんだな」
トルナはまったく息が上がった様子も疲れた様子も見せない。
「まあね、この辺りは自分の庭のようなもんだし」
「に、にわ……」
思わず言葉を失うと、男の笑い声がした。
そちらをみると、洞窟の中で見た、仮面をつけた男がいた。
「あ、トルタニス」
トルナが驚いたような声を出した。
「さすがだね、トルタニス。感謝してもしきれないよ。ほんとによかったの?」
トルナがそこに立つ小さな小屋を見て歓声をあげた。
トルタニス、とよばれた体格の良い男は深く頷いた。
「あぁ。問題ない。村の他の者には気取られていない。君は逃亡して村の外へと逃げたことになっている」
相変わらず銀色に光る仮面はつけたままで、その顔は見えない。
「では」
そう言って男は音もなく去っていった。
「この小屋を、あの男が建てたというのか……」
いつそんな時間があったのだろう。
「まあ、トルタニスなら森の中を突っ切れるから半日もあればここまで来れるよ」
なんということだ。おそろしい。
トルナは小屋を愛おしむように触ると、こちらを振り返った。
「で、どうする? この森をずっと先に1か月くらい進むと、帝都につながってる。戻る?」
「そんな体力はないな」
そして、帝都に俺の居場所はない。
俺たちは流れでその小屋に一緒に住み始めた。




