第62話 腕輪
デイトンが気を遣ってくれたのもあって、私とトルーシスは二人、丘を気ままに歩いていた。
戦いばかりだったから、こんなに穏やかな時間はなかった。嬉しくない、と言えば嘘になる。
しゃがんで、硬化した紫色の花を一つ指先でつまんだ。とても美しい。
樹脂に閉じ込められた夏の盛りの紫煙花は、鮮烈な紫色をそのまま残していた。
「あなたがここを守っていたの?」
「……どうして分かったんだ」
あたりを眺めていたトルーシスが驚いたように振り返った。
「なんとなく。毎年手入れしなきゃこんなに綺麗にならないよ」
私は堆積した花々の中に腕を潜り込ませた。ガサガサと乾いた音がする。掴んで引き抜いた下の方の花は、少し色あせていた。
トルーシスは少し瞬きをしてから、ふっと微笑んだ。
「そうだな。少なくとも年に1回はここに来ていた」
……帝都から、はるばるこんなところまで来ていたというわけか。
思わずトルーシスの横顔を見つめた。
端正なその顔は、きらびやかな帝都にぴったりなように思うが、実は森の方が性に合うのかもしれない。
トルーシスは、ここに実の両親が埋葬されているとは、思いもしなかったという。
ただ不思議と落ち着く場所だったため、好んで来ていたらしい。
今、内心で何を思っているのだろう。いつも通りの静かな表情からは、何も読み取れなかった。
丘を眺め終わると、トルーシスは「行こう」と森の中へと足を進めた。
どこに連れていかれるのかと思っていたら、一面の紫煙花の花畑についた。
今度は生きている紫煙花だ。
思わず歓声をあげ、その風景に見とれた。
花を綺麗だと思うことなんて、ずっと忘れていた。
でも、この時、心から綺麗だと思った。
「……良かった。喜んでもらえて」
ふらりとどこかに消えたと思っていたトルーシスが、いつの間にか隣で微笑んでいて、思いがけずドキッとした。
トルーシスは、「レオラに、これを」と背中に隠していたものを差し出した。
かご一杯の山葡萄だった。
「近くで生えてるのを取ってきたんだ」
トルーシスは少し照れたように、視線を伏せて言った。
……なんか、すごいな! 森に慣れてる!
「うれしい! ありがとう!」
思わず歓声をあげ、山葡萄を一粒つまみ、口の中に放り込んだ。
みずみずしい果汁が口の中ではじけ、戦い続きで疲労していた体にしみわたる。
トルーシスがふっと笑った。
「……君は表情が豊かだな」
「あなたは、もっと感情を表に出しなさいよ」
「いや、僕は……」
言いかけるトルーシスの口に、山葡萄を一粒押し込んだ。
「む」
初めて聞くささやかな抗議の声がおかしくて、思わず笑ってしまった。
二人で食べると、山葡萄はすぐになくなった。
「おいしかったわねぇ。名残惜しいわ」
ひとりごちる私を横目でみて、トルーシスはそばに生えていた紫煙花をそっと茎から摘み取った。
樹脂に閉じ込められていない、生きている紫煙花だ。
「……食うか」
遠慮ぎみにその花を差し出す。
え? 紫煙花って食べられるの?
一瞬驚いたが、受け取って口の中に放り込んだ。
まあ、ものは試しって言うしね。
トルーシスの目が見開く。
花を噛むと、甘い蜜がじわっと出てきた。口の中に清涼感が広がる。
「おいしい!」
思わず歓声をあげると、トルーシスは泣きそうな顔になった。
そっとまた紫煙花を摘み取ると、私に差し出す。
「もう一つ、食うか」
「うん!」
受け取り、またその花を口に入れた。
蜜がおいしいわねぇ。やみつきになりそう。
口元がほころぶ。
私は手を伸ばすと、そこらへんに生えている紫煙花を摘み取り、次々に口に運んでいった。
なぜか呆然と私を見つめているトルーシスに、花をひとつ差し出す。
「ほら、あなたも。一緒に食べよう?」
「……あぁ」
トルーシスは静かにその花を食べた。
「……うまい」
噛みしめるような口調だった。
「レオラ、体は大丈夫か」
トルーシスが伺うように私を見る。
「ん?」
瞬きすると、トルーシスは言いづらそうに口を開いた。
「前、ネルがこの花を食べたときに、気を失って倒れたことがあった」
「なんでそんな危険な花を私にくれるのよ」
睨むと、「……レオラなら大丈夫な気がしたから」と気まずそうな口調で答えが返ってきた。
「まあ、そうね。全然なんともないわよ」
「良かった」
トルーシスは微笑むと、「それに、」と付け加えた。
「もしレオラが、僕がおいしいと思う花をおいしいと言ってくれたら、僕がこの世界にいてもいい意味が一つ、増えるような気がして」
な、なにそれ。
しばし沈黙してから口を開いた。
「そんな条件付きじゃなくても、いていいのよ。てか、いて」
少し怒ったような口調になってしまったのを反省して、そっと尋ねた。
「……あなた以外、誰も食べることができなかったの?」
「そうだ。だから、食べてくれてありがとう」
そういって頭を下げる。
「まったく、変なお礼ね」
苦笑すると、トルーシスは照れたように微笑んだ。
◇
「すごいな……」
ラジャトは、まじまじと丘に埋められていた亡骸を見つめている。
不謹慎だが、俺も目を離さずにはいられなかった。
さすがにトルーシスの母親の墓を掘り起こすのは抵抗があったから、その近くにあった墓を掘り起こしてみると、まだ年若い娘が埋まっていた。まるで生きているかのように美しく、肌や髪の質感を保っている。
「不思議だ。まるで腐敗が進んでいない。この紫煙花が何かの作用を持つのか?」
俺の言葉に「おそらくな」とラジャトは頷くと、そっと死者の頬を触った。
「紋様が焼けている。自ら焼いたのか?」
腕から顔にかけて、火傷の跡がある。
ちょうどトルーシスの黒い紋様が現れているあたりだ。
ラジャトは娘の石碑に目をやり、沈んだ声で呟いた。
「トルシャ。16。帝国兵によって死亡、か……」
「おーい。ほとんどみんな、帝国兵に殺されてるよ」
石碑を見回って解読していたキリルが、俺たちに向かって大声をあげた。
……不謹慎な。せめて、ちょっとは言い方に気をつけろ。
「やるしかないな」
ラジャトが拳を握りしめた。
「……え?」
首をかしげると、ラジャトは強いまなざしでこちらを見た。
「できるだけの亡骸を掘り起こして、情報を集めよう」
◇
その後、体力のある俺が主に担当し、掘り起こせるだけの亡骸を確認した。
墓を掘り起こすなんて罰当たりだとは思ったが、興味が勝ってしまった。
埋まっていた者たちのほとんどが、火傷で紋様を焼失していた。
おそらく、この辺りに黒い紋様の砂紋民の集落があったのだろう。ここは共同の墓地、といったところか。
作業が終わったあと、汗をぬぐいながら一息つき、思わず呟いた。
「……彼らはどうしてこんな暮らしづらい森の中で生活していたのだろう。それに紋様を焼いてしまうなんて」
まるで世界に災いをもたらすことを恐れているかのようだ。
「あぁ。絶対に外に紋様を出したくない、という執念を感じるな」
同意してラジャトが頷いた。
それにしても、石碑を作り、みなを最後に埋葬した人は誰なんだろう。
そんなことを考えていると、ラジャトは俺の左腕を指した。
「それ、似ているな」
「……え?」
暑くて上着を脱いでいたため、むき出しの腕にヴァルゼンベルク家に代々伝わる腕輪が見えていた。
家督をついだ弟ではなく、俺だけがつけているその腕輪。
ラジャトはそれをじっと真剣な眼で見つめた。
「紋様の形に似ている」
言われて初めて気づいた。
物心ついた時から腕にあり、体の一部のようになっていたから、今までまじまじと見たことはなかった。
だが、そこには確かに砂紋民の紋様のような模様が入っていた。
「あれ? ほんとだ。変形されてるけど、黒い砂紋民の紋様だね。読めるよ」
紋様の解読に耽っていたキリルが、俺たちの会話を聞きつけてやってきた。
ふたりは腕輪の文字を読んで、動きを止めた。
――白銀鉄は決して割ってはならない。詳しく知りたければこの腕輪を割れ。
そう書いてあった。
間髪入れずに腰から剣を引き抜き、腕輪に打ち付けた。
パリン!
金属が砕ける音が響き、腕輪が粉々に割れる。
「まったく、思い切りが良すぎるよね。君の腕まで真っ二つになる心配は――」
肩をすくめたキリルは、俺のむき出しになった二の腕を見て、言葉を飲み込んだ。
ラジャトが眉をひょいとあげ、面白そうに口の端をあげる。
腕輪でずっと隠されていたその左腕に、あったのだ。
茶褐色の紋様が。
「……なるほど」
やっと一言、声に出した。
ずっと感じていた疎外感の理由が分かった気がした。
「もっと仰天したりしないの?」
あきれたようなキリル。
「お前こそ、全然驚いたようには見えないが」
そう言い返すとキリルは笑った。
「僕は君が砂紋民だろうが何だろうがどうでもいい。それよりも腕輪の裏に書かれている内容の方が気になるね」
散乱した腕輪を拾い集めて並べ、真剣な表情を浮かべていたラジャトの後ろに回り込む。
腕輪の裏にも、紋様が書かれていたのだ。
「ラジャト、なんて書いてある?」
ラジャトは低い声で言った。
「白銀鉄を割り、その粉を燃やすと海の向こうの国が攻めてくる」
※こぼれ話
トルーシスは摘み取った山葡萄を入れたカゴもありあわせのもので作っています。




