第61話 紫煙花の丘
「え――、二人の時間を邪魔するようで申し訳ないが、君の紋様のことについて、質問させてもらいたい」
ラジャトがゴホン、と咳ばらいをした。
「? ぜんぜん、構わないわよ」
レオラは不思議そうな顔をしているが、後ろでトルーシスはほんの少し顔を赤らめている。
俺たち三人は、帝都が一望できる丘の上で療養中のトルーシスと、レオラを訪ねていた。
レオラは、トルーシスの火傷の薬を塗りなおしてやっているところだった。横たわるトルーシスをレオラが看病している様子は、本人たちには自覚はないのかもしれないが、親密な空気がほのかに漂っていた。
キリルは、トルーシスの紋様が焼失したことに衝撃を受け、茫然自失になっている。
……傷つくと思ってキリルにはまだ伝えていなかったことを反省した。
「さっそくだが、」とラジャトは目をきらりとひからせて、レオラに向き合った。
「君の両親の紋様の形を覚えているか?」
”鍵”であることについて尋ねるのだろう。
レオラは虚を突かれたように数回瞬きをすると、困ったように微笑んだ。
「覚えてないわ。親の記憶自体もない」
後ろでトルーシスが目を見開いた。
「……嫌なことを聞いて申し訳なかった」
頭を下げるラジャトに、レオラは「別に大丈夫よ」と屈託なく笑う。
気を取り直してラジャトは尋ねる。
「君のその紋様は、幼いころからずっとその形なんだよな?」
「あ、これ?」
レオラは指先で襟元を少しはだけさせた。白い肌に、弧を描くような曲線が規則的に刻まれている。
レオラは何かを思いだすようにしてから、まるでなんてことのないように言った。
「もともとはなかったんだけど、なんか注射みたいなものを打たれたらできてたのよねぇ」
ラジャトとキリルが固まった。
後ろでトルーシスも固まっていた。
しばらくの沈黙を破ったのは、トルーシスだった。
「レオラ……君は、体中に紫煙花の痣があるだろう。それも同じようにできたのか?」
どうでもいいことだが。
二人の関係が意外と進展していることに驚いた。
もうお互いの肌を知りあう仲ということか。
トルーシスが俺の表情に気づいて、「違うんだ、デイトン」とでも言うように、全力で首を横に振った。
「ん――」レオラはそんなやり取りに気づかず、考え込んでから言った。
「それはガラスの部屋に入っていたときにできた」
「ガラスの部屋?」
ラジャトが首を傾げた。
レオラは少し困ったようにして、「曖昧だし、変な記憶だから今まで誰にも言ってなかったんだけど、」と前置きして話し始めた。
「物心ついたときから、紫色の花が咲き乱れたガラスの部屋の中にいたの。で、痣が全身に広がったら、部屋から出されて注射をうたれた。そしたらこの紋様ができて、暗い箱の中に閉じ込められて、この国についた」
しばらく、誰も何も言わなかった。
「で、紆余曲折あって、帝国のために奔走するようになったってわけ」
レオラはあっけらかんと言った。
もしこの話が本当なら――
何者かが、紫煙花に耐性のある人間を作り、紋様を刻んで送りこんでくるのか?
何のために?
ラジャトとトルーシスも同じことを思ったのだろう。険しい顔をしていた。
「他にも、紋様についてなにか知らないか? いや、僕とラジャトは紋様の全てを知りつくしているから、その僕らが知らないような情報がほしい」
キリルが無理難題をトルーシスとレオラにふっかける。
トルーシスは束の間、考えてから口を開いた。
「森の奥深くに、紫煙花の丘がある。そこに、紋様に似た文字が彫り込まれている石碑がいくつもあった」
おもむろに懐から一枚の紙を取り出す。
「前行った時に、少し、写していた。デイトンが喜ぶと思って」
差し出されたその紙を見て、思わず目を見開いた。
――これは。
黒い紋様に似ている。
すぐには読めないが、数日もあれば解けるだろう。
まじまじと眺めていると、キリルが話しかけてきた。
「なに、なんか世紀の大発見?」
後ろから覗き込んで、へぇ、と眉を動かす。「これは黒い紋様の簡略系だね。なになに……」
キリルが小刻みに指先でこめかみを叩く。思考を猛スピードで巡らせているときの癖だ。
「分かったぞ。『トルシカ。トルタニスの妻。子:トルーシス。帝国兵によって死亡』って書いてあるね」
俺の数日は、キリルの数分だった。
その驚きよりも、書かれている内容に衝撃を受けた。
キリルは顎に手を当てながら言う。
「ふーん。墓に刻まれた文字ってところか。てか、それよりも」
「あぁ。それよりも」
トルーシス。そこまで多くはない名だ。偶然の一致ではないだろう。
キリルは目を爛々と輝かせた。
「これは黒い紋様の解読パターンと同じだった。だから、この文字を持つ民族は、黒い紋様が読めたに違いない!!」
……そ、そこか。
いや、確かにそうなんだが。
キリルは気にせず、身を乗り出してトルーシスに尋ねた。
「君は黒い紋様が読めるのか?」
「いや」
トルーシスは首を振った。その顔には隠しきれない驚きがにじんでいる。
「じゃあ君の親で断絶したのかな」
キリルが顎に手を当てた。
「……なるほど」
ラジャトが横で呟いた。
「トルーシス。その紋様がある場所に行きたい。どこにある?」
俺が尋ねると、トルーシスは詳しく場所を教えてくれた後で、言いづらそうに口を開いた。
「だが、帝国民は行かない方がいい。そこに行くまでの森の中には、ひどく紫煙花が咲いているんだ」
◇
「……はぁ。なんだってこんなに森の奥深くにあるんだ」
ラジャトの額に汗がつたっている。
「しっかりしろ。もうすぐらしいからな」
そういう俺も、大量の汗をかいている。
「さっさとくたばっちまえ、デイトン」
しばらく前から、トルーシスに背負ってもらったキリルは、口だけは元気である。
「なんだか、こんな風にみんなでどこかに行くなんて、楽しいわねぇ」
レオラは全く関係ないことを言う。
「デイトン。松明は熱くないか。いつでも代われるから、言ってくれ」
トルーシスだけが唯一、俺を気遣ってくれる。
――それにしても、これほど奥深い森の中とは。
例の紋様がある場所を目指し、トルーシスの案内でみなで森へと入った。
紫煙花の毒にやられないように、白銀鉄の粉が入った大きな松明を用意し、俺が掲げている。リュシアに相談したら教えてくれたのだ。
おかげで、今のところ体には何の異常もない。しいて言えば、松明の熱さに汗だくになっているくらいだ。
森の中をひたすら歩くと、急に視界が開けた。
「ついた。ここだ」
トルーシスが静かに言った。
その場所を前に、俺たちは思わず立ち尽くした。
「……すごいな」
思わず声が漏れた。
ラジャトやレオラ、キリルでさえも言葉を失っている。
そこは、広大な紫煙花の丘だった。
蜜蠟だろうか、樹脂に閉じ込められた紫煙花の堆積が、丘をなしている。
人の手で作られたものだろう。
丘の下の方の紫煙花は、年月の経過だろうか、黒ずんでいる。
どれだけ長い年月と手間暇をかけて作ったのだろうか。
トルーシスは僅かに微笑んで、「僕の好きな場所なんだ」と丘を登り始めた。
そのあとに続く。丘のあちこちには石碑が立っていた。
丘の頂上までくると、トル―シスは一つの石碑を指さした。
「ここの文字を写したんだ」
キリルがさっとその石碑の前にしゃがみ、彫り込まれた文字を凝視し始めた。ラジャトも興味深げに眺めている。
トルーシスとレオラには、この辺りでも散歩していろ、と伝えた。
こんなに雰囲気のいい場所だ。せっかくだから、ゆっくりとふたりの時間を過ごしてもらいたい。
30の中頃に差し掛かった男のお節介に、ふたりは顔を見合わせ、笑って頷くと、並んで丘のなだらかな斜面を下っていった。
「じゃあ、さっそく調べよう」
ラジャトがどこからかスコップを出してきて丘の上に突き立てた。
「……な、何をするんだ」
大体予想はついたが、一応尋ねるとラジャトは腕まくりをしつつ、口の端をあげた。
「亡骸を掘り起こすのさ。トルーシスも了承済みだよ」




