第59話 炎
早朝。
西ノ帝国に総攻撃を仕掛けようとしていた鋼主は絶句し、静かに呟いた。
「……大胆に燃やすとは」
あれだけ手に入れたいと望んだ塔に、今にも炎が燃え移ろうとしている。
周りでは部下が蒼白となっている。
どちらかというと彼らには、工場が燃えていることの方が衝撃が大きかったようだが。
すぐさま馬にまたがった。部下が血相を変える。
「鋼主様! 危険です!!」
「私が戻ってこなかったら、死んだとみなして退却せよ」
止めようとする皆を振り切り、燃え盛る帝都の中へ馬を走らせた。
……おかしい。炎がこない。まるで誘導されているかのようだ。
白い砂の街と化した帝都。砂は炎の起爆剤となり、あたり一帯が業火に包まれている。
それなのに、まるで一本の道ができているかのように塔へと進むことができる。
風をきって塔へとたどり着くと、塔に背をあずけて佇む人影がいた。
思わず口の端をあげた。
「トルーシス、やはりお前か」
「はい。あなたでしたね、兄さん」
人影は2,3歩前に出た。
記憶に残る、どことなく弱々しかった昔の面影とは見違えるようだ。
私は馬から降りた。まだ塔には炎が到達していないが、周囲は炎に包まれ始めている。
トルーシスは構えもせず、自然体で尋ねてきた。
「あなたは、なぜこの塔が必要なんですか? それに、なぜ戦争を仕掛けたんですか?」
束の間、考えてから口を開いた。
「このくだらない世界を壊すと誓ったのだ」
「……」
トルーシスはすっと目を細め、腰の銅剣に手を当てた。闘気がゆらりと立ち上がる。
誰にも見えないことをいいことに、私は覆面の下で薄く笑った。
一抹の寂しさを、どこかに追いやるように。
「お前には分かるまい、トル―シス」
剣を引き抜いた。
応じてトルーシスも剣を抜いた。決死の覚悟がその瞳に宿っている。
「お前が止めるなら、力づくで押し入るまで」
お互い、一瞬で間合いをつめ、剣が激しく火花を散らした。
◇
目を覚ますと、僕は手枷で拘束され、壁際に縛られていた。
……刃が立たなかった。
全ての動きは兄さんにことごとく見切られた。
一瞬の隙をついて肩に傷を負わせたのはいいものの、同時に顎に打撃をくらって倒れた。
本当に人の力かと思うほどの強打だった。
あたりをそっと伺う。
真っ白な白銀鉄の壁と床に、本棚がぎっしりと置かれている場所だった。
塔の最上階の部屋だろうか。
兄さんは椅子に腰かけ、静かに書を読んでいた。
それは黒い紋様が書かれた帳簿のようだった。
「腕をあげたな、トルーシス。久しぶりに楽しかったぞ」
兄さんが顔をあげずに言った。
「あなたには、やはりかないません。昔の記憶よりも、うんと強かった」
周りは夏の盛りのように熱い。この塔にも炎が燃え移ろうとしているのだろう。
「あれからずいぶんと修練をしたからな」
兄さんは笑うと、本を閉じ、静かに呟いた。
「私もお前も、この黒い紋様のせいでさんざん苦しめられた。世界に災いをもたらす呪いだと罵られた……」
しばらく沈黙してから、口を開く。
「不思議なものだ。これほど紋様の通り壊してみても、世界など滅びないではないか」
昔憧れた、はつらつとした明るさは失われ、その顔には暗い影が落ちているようだった。
「この塔に、さらなる秘密があると思っていたのに、何もなかった」
覆面で表情が分からない顔がこちらを向いた。
「最後に残るのはお前の紋様だけだ、トルーシス」
――読まれてはいけない。
直感的に思った。
だが、拘束されていて逃げることができない。
上着がはぎ取られる。
「そう暴れるな、トル―シス」
視線が体を這う。
「燃やす……? そうか、燃やすのか! 東ノ国も燃やさねば」
興奮をにじませたあと、兄さんは冷徹に続けた。
「ではな。トルーシス。そこでおとなしく縛られていろ。運が良ければ、命知らずなお前の仲間が助けに来てくれるだろう」
立ち上がる間際、黒い手袋をはめた手が、僕の頬にふれた。
「美しい紋様だ……」
その言葉を聞いて、過去にも兄さんがそういってくれたことを思いだした。
その時は、心の底から嬉しかったことを覚えている。
でも、今は全てを壊さないといけない。
そんな気がした。
柱に括りつけられた状態のまま、渾身の力を込めて、手枷を思い切り塔の壁へと打ち付けた。
銅の手枷だ。
キィン!
純白の壁が甲高くうなった。
その音は塔全体に反響し――足元が静かに振動しだした。
「……ッ! やめろ!」
兄さんが叫ぶより早く、再び手枷を壁に打ち付けた。
キィィン!
白銀鉄の壁がうなりをあげ、さらに塔が揺れ出した。
――もっとだ。もっと高い音を。
兄さんがよろめき、何か叫んだが、反響する金属の音で何も聞こえなかった。
僕は、もう一度手枷を打ちつけた。
衝撃で手枷がはじけ飛び、骨に軋むような衝撃を感じたが、構わなかった。
狙った通りの、金属の断末魔のような金切り音が塔の中にこだまし――塔全体が地割れの前のように激しく振動し出した。
「一緒に死にましょう、兄さん。この世界が美しくあるために」
聞こえたか聞こえないか分からないが、兄さんが目を見開いた。
塔全体がぐっと縮んだかと思うと、途端にはじけ、白い粉となって雪崩のような勢いで地上へと崩れ落ちた。
塔の最上階からの落下。
頬が風を切る。
不思議と怖さは感じなかった。
目線を下げると、少し先に落ちていく兄さんが見えた。
――地面は白い砂だ。衝撃は吸収するが、着地が難しいはずだ。
思った通り、一足前に着地した兄さんが、大きくバランスを崩したのが見えた。
着地した瞬間、僕は兄さんを斬った。
炎はもう、間近に迫っていた。
白い砂の上に、赤い鮮血がとんでいる。
その場所で、斬られた腹に手をやった兄さんは苦笑した。
落下の時に飛ばされたのか、覆面が外れたその顔には、確かに昔の面影があった。
「……強くなったな、トルーシス」
呟いた兄さんに、炎がうつった。
兄さんが膝から崩れ落ちた瞬間。
炎ごと兄さんを抱きしめた。
僕らは、炎の中で二人きりだった。
「あなたのおかげで僕は生きてこれました」
「馬鹿だな」
寂しい笑みがその顔にはりついている。
「僕も、兄さんと一緒に――」
言いかけた時、激しい馬の足音がした。そして聞きなれた声も。
「勝手に死んだら、許さないんだから」
炎を切り裂いて、不満げな黒髪の戦士が姿を現したかと思うと、顎に衝撃をくらい――意識が途切れた。




