第57話 友
「はぁ。僕はこれから何を目的に生きていけばいいのだろう……」
キリルが頭をかかえている。
最近はずっとこの調子だ。黒い紋様が解けた今、生きがいを失っている。
「書いてある内容も、思ったよりもつまらなかったしなァ」
「つ、つまらなかっただと?」
思わず声が尖った。
記憶を頼りに再現したトルーシスの紋様からの推測だが、黒い紋様には白銀色の崩壊の方法が書かれている。
「もっと重大な秘密が書いてあると思ったんだよ」
あまりにも悲しそうな目に、言い返す気力が萎えてしまった。
「とにかく、いい加減目を覚ませ。もうこの塔も落ちるかもしれないんだ」
王の暗殺時、塔の入り口の鍵は紛失し、出入りができなくなっていた。
もうじき夜明けだ。今まで西ノ帝国はなんとか持ちこたえてきたが、楽観視はできない。
「そしたら僕はこの塔と一緒に死ぬよ。な、ミケも一緒に死のう」
いやがる飼い猫のミケをぎゅっと抱きしめる。キリルはミケと心中するつもりらしい。
……まったく。
「トル―シスの紋様を読むんだろ? そしたら何か分かるかもしれないだろう。だから死んじゃダメだろ?」
三段論法で攻めてみた。
「……そうだった」
キリルは呟いて、「トル―シス……。早くトル―シスに会いたい……」とまるで恋する娘のようにその名を繰り返しながら、ミケの背を撫でている。
キリルはとりあえず放っておいて、俺はずっと考え続けていることをまた思考した。
砂紋民の村では、黒い紋様は”世界に災厄を招く”として忌み嫌われていた。
白銀鉄の崩壊の情報が、なぜ”災厄を招く”のだろうか?
――もしかして。
思考が声に出ていたのだろか。
機嫌を取り戻したキリルが、「きっと、そうだよ」と呟いた。
「どんな金属よりも強いと謳われる白銀鉄を壊されては、西ノ帝国の威信がくずれる。だから黒い紋様を抹消しようとしたんだろう。”災厄を招く”なんて風に言ってさ」
思わずトル―シスのさびしい笑顔が頭に浮かんだ。
帝国の都合のいい作り話のせいで、トルーシスはどれだけ苦しい思いをしてきただろう。
そのとき、ガタガタと窓枠が震え、敏捷な身のこなしでするりと人影が入ってきた。
――え?
「助けに来たわよ、デイトン」
レオラだった。屈託のない笑みを浮かべている。
「どうやって来たんだ。まさか、ここまで外壁を登ったのか?」
「そうよ。傷が足場を残しておいてくれたから、助かったわ」
一体どういう神経をしているんだ。アリヤといい、レオラといい。
なぜ来たのか尋ねると、レオラは一転、眼光を鋭くした。
「明日、この塔を燃やすの。ここにいたら死ぬわ」
一瞬、理解が出来ずに尋ねた。
「あれほどこの塔を死守しようとしていたのに、燃やすのか」
この塔の周囲では、激しい攻防戦が展開されていた。多くの兵が命を散らしているのを俺は見ている。
レオラは深く頷いた。
「もうそれしかない。――見て。帝都が砂になってるわ」
指で示された窓の外を見て、言葉を失った。
塔と工場以外が、全て綺麗になくなっていた。
なぜ気づかなかったのだろう。
敵は城壁を崩した。同じ白銀鉄でできた街を崩さないとも限らなかった。
いや、あまりにも規模が大きすぎて考えられなかったのだ。
「明日、この塔と、工場を燃やすの。そうすれば、東ノ国がこの西ノ帝国を狙う理由はなくなるわ」
――すごい作戦だ。
「誰の発案だ?」
「トル―シスよ。反対意見も出たけど、最終的には若王の決断で決定したの」
やはり、あの若王は賢い。
「西ノ帝国はなくなるが、人と土地だけは残る、ということか」
「えぇ。それでいいと思うの」
レオラはまっすぐに言った。「また国を新しく、つくるのよ」
心から、その通りだと思った。
だが、レオラの顔色がどうにもさえない。
「トルーシスのことが心配なのか」
「えっ、ま、まぁ……」
図星をつかれたのか、レオラは少し口ごもって続けた。「明日、鋼主をおびき出して1人で戦うって言うの。私も一緒に戦うって言ったんだけど、断られた」
「まあ、そうだろうな」
トルーシスのことだ。大事な人をむざむざ危険な目に合わせたりはしないだろう。
二人が組みになって戦っているのを、上から見ていれば分かる。
トルーシスはレオラと一緒に戦いだしてから、わずかに楽しそうなのだ。
そして、レオラに危険が及ばないように細心の注意を払って戦っている。
「なんかトルーシス……死を望んでいるようにも思えるの」
レオラが顔を伏せた。こんな表情は、初めて見る。
心の中だけで驚きつつ、励ました。
「大丈夫だ。お前が楔になればいい」
レオラは「そうね」と頷き、ロープを柱に巻きつけた。
とたんに表情が引き締まり、鋭利な戦士の顔になる。
「あなたの同僚を呼んできて。ここから脱出するわ」
そういえば、最初に会った時もこんな顔をしていたな、とふと思った。
◇
「はぁ……死ぬかと思った…」
キリルが隣で嘆いている。
レオラの助けを借り、俺たちはロープをつたって塔を脱出し、地上へと降り立った。
「はいこれ」
レオラがキリルに書物の束を渡している。キリルはこの塔が燃えると知ると真っ青になって、すぐに10冊を選び抜いた。
「助けてくれてありがとう」
キリルが割と礼儀正しくレオラに礼を言った。
わがままを言って、ミケや文献を背負ってもらったのを感謝しているようだ。
どうも、とレオラは微笑んで、俺たちを若王の天幕に案内すると姿を消した。
天幕へと入ると、若王とニックがいた。
若王は俺を見るなり、深く頭を下げた。
「デイトン。城壁が壊れるというそなたの情報がなければ、この帝国は危なかった。礼を言う」
驚きつつも、正直に言った。
「それはキリルが黒い紋様を解読したおかげです」
「まことか? キリル、そなたにも礼を言う」
若王は丁寧に頭を下げたが、キリルはどこか上の空といった具合だ。
「……キリルは具合でも悪いのか?」
若王が心配そうに俺に尋ねてくる。
「あぁ、あれは黒い紋様が解けて放心しているのです。放っておいて下さい」
若王は神妙な顔をして頷くと、「ゆっくり休め」と言って去っていった。
若王が出て行くと、ニックが静かに口を開いた。
「デイトン。傷が地下牢で囚われている」
思わず息をのんだ。
地下牢。
複雑怪奇に入り組んだ地下洞を牢にしており、一度入ると二度と出ることは叶わない。
「助ける手だては、ない」
こんな苦痛に満ちたニックの表情は、初めて見た。
「……地下牢?」
キリルが声をあげた。「そこに君の大事な人が囚われてるの?」
「……」
「どうなのさ」
言葉に詰まると、キリルが詰め寄ってきた。
「そうだ。俺の大事な人だ。心から」
その言葉に、ニックが目を見開いたのが視界の端で見えた。
「ふーん。じゃあはい」
キリルは一つ頷くと、懐から紙を出した。
古びたそれは――地下牢の地図だった。
「捨てないで持っていた甲斐があったな」
キリルの声を聞きながら、その地図を受け取り、眺める。
驚いた。実によくできた地図だった。
複雑な地下洞の分岐が、全て網羅されているんじゃないだろうか。これがあれば傷を助けにいくことができる。
キリルに礼を言おうと口を開いて、ハタと気づいた。
これを持っている、ということは、キリルは昔、地下牢にいたのか?
そして、これを使って脱獄したのか?
「僕を捕らえる?」
キリルが挑戦的な口調で聞いた。
「そんなわけないじゃないか」
「どうして? 僕が紋様の解読に有用だから?」
強がった口調だったが、その目には、強い悲しみと寂しさが混じっていた。
「だって、お前は俺の――」
一瞬考えたが、それしか最適な言葉はないように思えた。「友だから」
「え?」
キリルが目を点にした。
「だから、友を捕らえるはずなんて、ないだろ」
繰り返し言うのは、なんだか照れくさかった。
「な、勝手に決めるなよ。友人関係というものはお互いの合意があってこそ始まるんだ」
キリルは早口でまくし立てると、くるりと背を向けてバタバタと天幕を出て行った。
「……変わった人だね」
ニックが静かに笑ってから、深く頭を下げた。「デイトン、頼む。傷を救い出してくれ」
「ニック、お前……」
もしかして、ずっと――
尋ねる勇気は、なかった。
「あぁ。任せろ」
ただ、そう深く頷いた。
◇
薄暗い地下牢の中で目を閉じ、私はここを出る方法をずっと考えていた。
ガレン達と一緒に捕まったとき、私はひとり地下牢へと収容された。
おそらく、王の側近の一人が、私の顔を知っていたのが原因だろう。
連れられてきた時、右に23回、左に52回曲がったことだけは覚えている。
この牢の中に居ても未来はない。だが、出たとて入り組んだ地下洞の中で迷ったら、それこそ終わりだ。
ずっとそんな思考を頭の中で繰り返し、逡巡している。
ふと、人の気配がして目を開けた。
目の前に、懐かしい顔があって驚いた。
……デイトン。
ここまで助けに来てくれたのか。
「行こう」と差し出された手は、とても温かかった。
デイトンに続いて外に出られた時、私は心底ほっとして頭を下げた。
「助かった。感謝する」
デイトンは昔と変わらずに暖かく微笑んだ。
「俺の友人が、良い地図を持っていたおかげだ」
何かを言おうとして、何を言えばいいのか分からなかった。
それは、デイトンも同じようだった。
しばらく黙ったまま、陣営までの道のりを歩いた。
デイトンが意を決したような表情で口を開いた時、ふと遠くに人の気配がした。
デイトンも気づいたらしい。
さっと手首をつかまれ、腕に指で文字を書かれた。
『君は、アリヤ姫か?』
一瞬、視線が交錯した。
縋るような目線が、返答を強く求めていることを語っている。
「その通りだ。戦争が終わったら、話をしよう」
灰色の目が見開いた。私は続けた。
「ネルは今、こちらの陣営に?」
「いや。まだ姿が見えないということだ」
……やはり。嫌な予感がしていた。
「今は、主に忠誠を尽くす。行かせてくれ」
デイトンは頷いて、私の腕に再び指先で文字を書いた。
『君らしいな。気を付けて』と。
かつての私の婚約者は、私と目を合わせると僅かに目元を緩めた。




