第56話 羨望
レオラとトルーシスが二人で牢にいる頃。
東ノ国の本隊では。
「なぜ退却した?」
私が低く問うと、兵たちは深く頭を下げた。
「申し訳ありません、鋼主様。黒い紋様の男に刃が立たず――」
「もうそれは聞き飽きた」
そろそろ頃合いだろう。
「この本隊ももうじき西ノ帝国へと到着する。着き次第、街を壊す」
兵たちはぎょっとしたように目を剥いた。
「工場や塔までも壊れるのではないですか」
「大丈夫だ。調整できる」
断言すると、兵達は頷き、去っていった。
一人残されると、僅かな焦燥と苛立ちが燻るのを感じた。
黒い紋様の男1人に、なぜそれほど手間取る。
そいつは誰なんだ。もしかして――
思考は、ふと話しかけられた兵の声に遮られた。
「……鋼主様。恐れながらお伺いいたします」
若い兵、数人だった。
平服しながら、恐る恐る、といった感じで話しかけてくる。
「最近、ネル大佐のお姿が見えないのですが、どちらにいらっしゃるのですか?」
「私の下で秘密裏にいろいろと働いてくれている。優秀だからな」
そう言うと、若い兵たちは安心したように顔をほころばせ、「大変失礼しました」と律儀に頭を下げて去っていった。
ネルは、人望があった。
日ごろの戦闘訓練では圧倒的な強さをみせ、若い兵の面倒をよく見た。
女にだらしがない、という完璧ではない一面も、親近感を抱かせる。
……故に、実に惜しい。
だが仕方ない。人は裏切るものなのだから。
陣営から外れた天幕に入る。
厳重にかけられた鍵をあけ、音が漏れないように何重にもした布をかき分けると、血の匂いが鼻をくすぐった。
「吐いたか」
「……いえ」
部下は静かに首を振って、さっと横に移動した。
そこには見るも無残なネルの姿があった。
殴打の跡で腫れた顔面に、剥がれた爪。体中にも痣や炙られた跡がそこかしこにある。
私の足音に、ネルが顔をあげた。
挑むようにこちらを見つめてくる。
なおも光を失わない、その目が憎かった。
衝動的に腕が動き、鈍い音が響いた。
「”黒い紋様の男”について知っていることを言え。西ノ帝国はどこまで秘密にたどりついた? 言えば楽になる。元通りの地位も約束するぞ」
しばらく拷問を続けたが、ネルは唇を引き結んで一言もしゃべらない。
「クソッ! なぜ吐かない。なぜ何も話さない。嘘でもいいから何か言え!!」
私は、ほとんど絶叫していた。
もう一週間もひどい拷問を続けているのだ。鎖で全身を拘束されていて、よけることも逃げることもできないというのに。
――私は、3日と持たなかった。
血を吐きながら、ネルが薄く笑った気がした。
「じゃあ……一個だけ本当のことを教えてやるよ」
低くかすれた声で、ヒューヒューと息をして、口を開く。
「昔……トルーシスと旅をしてた頃、あいつはお前を本当の兄のように慕ってたぜ。お前の話をすると、あいつの顔が輝くんだ。そうだろ? ――ファクトル」
不敵な笑みがこちらに向いた瞬間、体中の血が沸き立った。
なぜ私の名を知っている? その昔の名を――
「ダメだよ」
聞きなれた娘の声と共に、白い柔らかな手が私の腕を掴んだ。
「もう死んじゃうよ」
私はハッとしてネルを見つめた。ほとんど息をしていなかった。
肩で息をついて、自分の拳が血で赤黒く染まっていることに気づき、己を酷く嫌悪した。
「シェムリ。なんでこんなところに来た。……こんなところを見た」
怒りと恥辱で顔がゆがむ。後ろを振り向くのが怖かった。
「あなたのことが好きだから」
揺らぎのない口調に、自分の耳を疑った。
シェムリは背後からぎゅっと抱きついてきた。それは、私の体の動きを封じるようでもあった。
「馬鹿か、お前」
かろうじてそれだけを返した。
「言ったでしょ? わたし、闇多めの男が好きなんだよね」
弾んでいる声とは裏腹に、その細い体が震えているのが分かった。
目を閉じて一つ、長いため息をついた。
「トルーシスがうらやましい……」
思わず漏れた低い呟きは、夜の闇に消えていった。
◇
「もうこいつに構っても無駄だ。このまま打ち捨てておく」
そう言うと、拷問を続けていた部下は、驚いたように瞬きをした。
「しかし――」
言いかけた部下を、剣で静かにあの世へと送る。
シェムリは天幕の外に出していたが、聡いあの娘には、今何が行われたのか、分かっただろう。
ネルの体を拘束していた鎖を外すと、ボロきれのようになった大佐が、僅かに目を開き、何かを言おうとした気配がした。
聞きたくもない。どうせ恨みの言葉だろう。
「……制服、」
え?
思わず私は足を止めた。
ネルが少しだけ微笑んだ気がした。
「……嬉しかったんだ、お前がくれた、あの制服」かすれた声で続ける。
「裏切ってごめんな」
まるで友人に話しかけるような調子だった。
聞きたくなかった。
己の心を乱す、そんな言葉など。
聞こえなかったふりをして、その天幕を後にした。
もうついてこないようにシェムリに固く言いつけると、私は本隊を前進させた。
◇◇◇
そのころ。西ノ帝国の若王の陣営では。
「明日もトルーシスとレオラを中心に、塔と工場の守りを固める。それしかなさそうだな」
私の言葉に、軍議にそろっていた皆が頷いた。
敵の狙いは、この帝国の心臓でもある白銀鉄の工場と、塔だ。
激しい攻防戦は、トルーシスとレオラの驚異的な戦闘力によって支えられている。
だが、それも鋼主のいる本隊が来ればどうなるか分からない。
「ネル、という者が寝返る話だっただろう。まだ来ないのか」
「はい。連絡もありません。おそらく内通が発覚したのでしょう」
淡々としたニックの言葉に、思わず目を剥いた。東ノ国の軍を率いる”鋼主”という男は、非常に冷徹と聞く。どのような仕打ちに会っているか分からない。
父を暗殺したネルに、憎しみは感じなかった。むしろ、信頼さえ抱いていた。
「ネルを助けに行ける者は……」
聞きながら、そんな余裕はこの軍にないことを思いだす。
ニックは目を伏せた。
「傷、というものが適任でしたが、今は地下牢に」
「地下牢か……」
思わず天を仰いだ。地下牢は重い罪を犯した者が入る牢だ。一度入ったら出ることはできないと言われている。
その時、見張りの兵士が血相を変えて飛び込んできた。
「若王様! ご報告申し上げます」
息を切らしながら告げられた言葉に、私は愕然とした。
「帝都が、白い砂と化しています」
◇
その頃――
帝都の外縁に、二つの影があった。
東ノ国を発ち、西ノ帝国に到着したリュシアとラジャトである。
二人は目を見張った。
「驚いた。ここでも白銀鉄が崩壊しているのか」
ラジャトが呆然と呟く。あれだけ栄華を誇った帝都が城壁とともに見る影もなくなっていた。
……何かがひっかかる。
リュシアはそう思った。
「リュシア。ひとまず中に入ろう。東ノ国の軍勢に見つかったらまずい」
ラジャトの言葉にリュシアは頷き、二人は暗闇の中、西ノ帝国へと入った。
白銀鉄の工場と塔だけが、崩れずに残っているのが見えた。
◇
「残っていたのは、塔と白銀鉄の工場だけか……」
帝都の様子を把握した私は天幕に戻るなり、力なく呟いた。
王としてこれではいけない、と唇を噛む。
「若王様! 東ノ国の本隊がこちらに向かっています。旗が見えました」
物見に行っていたルカが顔を青くして報告した。
「なに……」
ダグラス達が言葉を失う。
今までは帝都の入り組んだ路地に紛れて、ゲリラ戦で耐えてきた。だが、全て崩され、本隊も来てしまっては防ぎようがない。
しばらく明日の作戦を議論したが、良い案は出なかった。目を閉じ、私は言った。
「トルーシスとレオラを牢から出してここへ呼べ。一切の批判は私が受ける」
「若王様。連れてまいりました」
衛兵の声がして、二人を天幕の中へと引き入れた。
トルーシスはみすぼらしい身なりだった。
首枷と手枷、さらには足枷までつけられたトルーシスは、一番末席に静かに座った。
その隣に並んで座ったレオラにも、手枷がつけられている。
「なにか良い策はあるか」
尋ねると、トルーシスはしばらく目を閉じ、沈黙してから、口を開いた。
「ひとつだけ、あります」
「な、なんだ?」
私を含め、皆が身を乗り出した。
「塔と工場を破壊することです」
……え?




