第54話 罪人
夜風が、東ノ国の軍旗をはためかせていた。
天幕へと戻ると、報告の兵がいた。顔色が悪い。
……何が起こった?
「事実のみ端的に伝えよ」
そう告げると、兵は一瞬びくっと体を震わせ、平服して答えた。
「鋼主様にご報告申し上げます。崩壊寸前だった西ノ帝国の軍が、盛り返しています。その要因は――」
兵は唇を噛みしめてから一息に言った。
「やつら、我らの剣を割るのです。こちらの剣は、ことごとく使い物になりません」
――なるほど。
「詳しく話せ」
「はっ」
兵の話によれば、昨日から新しい王と見受けられる若者がたち、民衆たちと生き残りの騎士を束ねて戦っているという。
「ついてまいれ」
天幕から外へと出る。
「は……」
兵はあっけにとられつつも従った。
「ここだ」
野営地の後方に置かれた、一つの天幕の入口をさっと引いた。
そこには、大量の予備の剣があった。
「さすがは鋼主様。……備えておられたのですか」
呆然と兵が呟く。
「我らが城壁を壊して侵入したのだ。西ノ帝国が気づいている可能性も考えねば」
兵は感嘆したように賛辞を述べてから、整然と並べられている剣の一本に手を伸ばした。
最高峰と名高い、第5商会の剣。
「それはやめておいた方がいい」
兵は不思議そうに首をかしげた。
「なぜですか?」
「もっとも割れやすいからだ」
「え……?」
「次第に分かる。全軍に告げよ」
口をぽかんと開ける兵に、静かに言った。
「大量の剣の備えがある。割られてもひるむな。何本も剣を持ち、戦い抜け。塔と工場を手に入れるのだ」
兵は大きく頷き、一礼をして去っていった。
西ノ帝国も気づいたか。
面白い。
だが――、一体、どこまで情報を握っているのだ?
◇
「若王。全軍押し込まれています。塔と工場が落ちるのは時間の問題かと」
ニックが淡々と報告をした。
銅剣を手に戦い始めてから3日。
初日こそ、こちらが優勢だったが、次第に東ノ国が盛り返し始めた。
敵はこの帝国の中枢とも言うべき、塔と白銀鉄の工場をめがけて押し寄せてくる。
「あいつら、大量の剣を持ってやがる。割っても割ってもキリがねぇ」
ダグラスが忌々しげにつぶやいた。
目を閉じ、しばらく考えてから、私は言った。
「トルーシスを牢から出し、戦わせろ」
その場にいたトルーシスをよく知らない者たちの目が点になった。
「そ、そんなことをしたら、何をしでかすか――」
「構わぬ。全ての責任は私が引き受ける。首枷以外、はずしてトルーシスを自由に戦わせるのだ。……今はそれしか考えつかぬ」
◇
夢を見ていた。
村で”呪い”と呼ばれていたころの夢。
「……シス、トルーシス、起きろ」
何者かに揺り起こされ、浅い眠りから目覚めた時、正直ほっとした。
あまりにも、その夢は苦しい過去を鮮明に思いださせた。
「大丈夫か? うなされていたぞ」
心配そうな顔をした若王が目の前にいた。ブロンドの髪は後ろで結われている。
気づけば、朝日が僅かに牢の中にも差し込んでいた。
若王は深々と頭を下げた。
「申し訳ない。そなたをこのようなところに閉じ込め――」
「いいえ。頭を下げる必要はありません」
言葉を途中で遮ると、若王の顔に複雑な表情が浮かんだ。構わず続ける。
「何の用でしょうか」
若王は表情を引き締めた。王としての顔だった。
「敵の剣をとにかく割ってくれ。参るぞ。工場と塔を死守するのだ」
僕の手枷と足枷を外し、鉄格子を開けると、若王はためらいがちに告げた。
「……言っておくがそなたの首枷には爆薬が埋め込まれている。民衆の手前、首枷だけは外すことができぬ。許せ」
「いえ。当然のことでしょう」
牢から出た僕は若王に続いて歩き始めた。
◇
視界の端で、私の仲間が渾身の一撃を敵兵にくりだした。
キィィン!
耳を裂く金属音。
ちらりと敵兵が握る剣に、「3」という彫り込みが見えた。
――ダメだ。踏み込みが甘い。
思った通り、敵の剣は、砕けなかった。失敗したのだ。
「……!」
仲間が恐怖で顔を歪める。敵兵がニヤリと笑い、剣を振り下ろす。
瞬時に、その剣をはじいた。
敵の剣が白い砂と化し、砕け散る。
「レオラさん、ありがとうござ――」
仲間は、言葉を言いきれなかった。
背後から別の敵兵に斬り殺されたのだ。
思わず唇を噛んだ。
……戦場で礼など不要だ。
善い者ほど先に死ぬ。
怒りにまかせて一閃し、仲間の仇をとった。
だが、斬っても斬っても敵が押し寄せてくる。キリがない。
一旦退くか?
そんな考えがよぎった時。
馬のいななきが後方から聞こえた。
……こんな狭い帝都の路地で、馬?
怪訝に思った次の瞬間、黒毛の馬に乗り、風のように飛び込んできた人物に、私は絶句した。
――トルーシス。
黒光りする首枷。服装は粗末な麻のズボンをはいただけだ。
頬とむき出しの上半身には、黒々とした紋様。
馬から飛び降りざまに、トルーシスは跳躍した。
空中で腰から銅剣を抜き放つ。
剣が半円の弧を描いた。その瞬間。
一瞬のうちに、5,6人の敵兵の剣が砕け散った。
舞い落ちる白い砂塵。
敵が呆然としている間、もう一度剣がひらめいた。
瞬き数回の間に、周りにいた敵兵は、ことごとく足に怪我を負い、地面に転がってうめき声をあげていた。
致命傷ではない。が、今後しばらくは戦闘不可能だ。
風のように敵兵を無力化していくトルーシス。
まるで神技だ……!
高揚した心は、仲間の言葉によって急激に冷えた。
「みろよ。罪人が戦ってるぜ」
「知ってるぜ。災いをもたらす呪われた男だろ」
「関わると呪われるぞ。薄気味悪い紋様だぜ」
兵たちは、トルーシスを見ながらひそひそと言いあっていた。
……なぜ。窮地を救われたのに。
仲間を問い詰めようとした時、頭上にポン、と手が置かれた。
見上げると、トルーシスだった。
「レオラ、いい。気にしていない」
僅かに微笑んでいるようにも見える表情。「頭を冷やせ。今仲間内で言い争いをしてもいいことはないだろう」
「む……」
反論できないでいると、トルーシスは馬の向きを変えた。
「まって。どこに行くの?」
慌ててその背に声をかけると、静かな、だが確かな熱を感じる言葉が返ってきた。
「隣の陣地へ。戦う場所が山ほどある」
複雑な帝都の路地を苦もなく駆けるその姿に、私はつかの間みとれ――そしてまた敵兵と対峙した。
夕暮れ時。
東ノ国の兵は退いていった。
……何とか今日も持ちこたえた。
緊張の糸が切れると、どっと疲れが襲ってきた。
生き残った兵たちを励まし、前線から陣営へと帰る。剣が砕けた白い砂が、ところどころ道に溜まっていた。
「レオラ様! 本当にありがとうございました!」
窮地を救った何人もの兵たちが、律儀に礼を言いに来た。「とんでもない」と笑って返すと兵たちは感嘆のまなざしを浮かべた。
「まさに英雄、とはレオラ様のことですね」
陣営へと戻る道のりで、他にも私を英雄視する声が幾度となくあった。
胸にざらりとした感情が広がった。
――私では、ない。
トルーシスこそが真に英雄となるべきだ。
が、今はそんな感傷に浸る場合でない。
同じく陣営へと戻る、ダグラスとガレンと合流する。
「レオラ。どうだった」
ダグラスが聞いてきた。体中傷だらけだ。
「トルーシスに何度も助けられた。彼がいなければ突破されてたわ」
「俺も大体そんなところだ」「俺もだ」
ダグラスとガレンが同時に頷いた。私たち3人はそれぞれ兵を率い、前線を守っている。
ダグラスは苦悩を声に滲ませた。
「なのに兵たちはトルーシスを腫れ物にさわるような目で見るんだ」
ガレンが静かに目を伏せて、言った。
「おそらく、すごすぎるんだ。人は自分と異質なものを平気で差別する」
ふと、遠目に1人ポツンと歩いているトルーシスが見えた。
「私、トルーシスと一緒に行くわ。先に行ってて」
そう言うと、二人は頷いた。
「トルーシス。今日はありがとう」
声をかけると、トルーシスは控え目に「一緒にいない方がいい。君まで貶されるぞ」とささやいた。
「上等よ」
そう返すと、苦笑が返ってきた。
歩を進めると、傷ついた兵士たちが多くなった。
一つの天幕から、年かさの兵が這い出てきて、息も絶え絶えに懇願した。
「レオラ様。ぜひ中のやつらを励ましてやってください」
天幕には、黒い十字のマーク。
ここは、もう助かる見込みのない者を収容する場所だ。
「分かったわ」
頷いて足を踏み入れようとして、一瞬、躊躇した。
トルーシスが、ちらりと私を横目で見て、私の前に出ると、天幕の入口に手をかけた。
「……ちょっと! 罪人がなぜ入る」
年かさの兵が睨みつけたが、トルーシスは何も言わずに受け流し、私に言った。
「レオラ。君は来ない方がいい。きっと、酷い惨状だから」
「……いや。兵の気持ちに答えなくては」
「そうか」
それだけ言うと、トルーシスは中に足を踏み入れた。
好きにしろ、ということなのだろう。
天幕の中に入ると、異臭が鼻をついた。
強い血の匂い。
激しく体を損傷している者たちが小屋の中に所狭しと並んでいる。
脳裏に焼き付いて離れない、
あの血で染まった赤い大地が、
フラッシュバックした。
激しい動悸。
そして、眩暈。
思わずふらついたとき、肩を支えられた。
トルーシスの手。
華奢に見えるのに、ずいぶん力強さのあるその手を、今始めて知った。
トルーシスは私の前に一歩踏み出した。
兵たちは怪訝そうに、軽蔑の視線を投げる。
トルーシスはうっすらと笑みを浮かべ、わずかに小首をかしげて1人の兵に聞いた。
「なぁ。死ぬ前ってどんな感じの気分?」
ぎょっとした。なんてことを聞くのか。
「……」
その兵は、激しい怒りの目でトルーシスを睨み、唇を振るわせた。
「なんてこと聞きやがるんだよ!」
横から他の兵が叫ぶ。
トルーシスは驚いたように目をしばたかせた。
「いやいや、そんなに怒らなくても」
少しだけ物憂げな表情で呟く。「だって君たちは天国に行けるじゃん。僕は無理」
天幕の中が一気に静かになった。
「……そうだ! 俺たちはあの世で美味い酒を飲む! ……地獄行きのお前とは違うからな!」
1人の兵が、息も絶え絶えに叫ぶと、みなが「そうだそうだ!」と口々に叫んだ。さっきまで苦痛と東ノ国への恨みで満ちていた兵たちの顔は、今や晴れやかだった。
トルーシスは身をひるがえすと静かに小屋を出た。
入口で、先ほど私たちを呼び止めた、年かさの兵が頬を涙で濡らしながら、かすれた弱々しい声を出した。
「申し訳なかった。みな、ここに入るのを躊躇うし、私におびえるのに、あなたは――」
「慣れているだけだ。たくさんの人を殺してきたから」
いつもの調子に戻ったトルーシスは、年かさの兵の手を、祈る形に組ませてやった。
「おかしいな。悪逆非道の罪人が、私には天使に見える」
兵が乾いた声で笑った。次第に、目の光が薄くなっていく。トルーシスはその兵の肩を抱き、耳元で言った。
「あなたが声をかけなければ、皆は救われなかった。その勇気と優しさに感謝する」
「あぁ……あんたの服が汚れちまうよ」
わずかに口元をあげ、息を引き取った。
その兵は腰から下の体を失っていた。
兵がいた地面は、大量の血液で赤黒く染まっていた。
「……トルーシス」
いつもと変わらず静かに前を歩く彼に、胸が苦しくなった。
「なんだ?」
研ぎ澄まされたような横顔がこちらを向き、私の顔を見てわずかに苦笑した。
「花街で働いていたから、少しだけ演技がうまくなった」
「でも……あなたの心は苦しくないの?」
トルーシスはふっと笑った。全てを諦めたかのような笑みだった。
「もう慣れたさ。すべてに」
それからは黙って歩き、私たちは若王のいる天幕へと入った。
「よく、来た」
若王は私とトルーシスをみとめると、口の端をあげた。
ブロンドの髪はやや傷んでいるし、顔色も悪い。でも、その目だけは強い光をたたえている。
この軟弱に思えた若王は、確かに王の威厳を持つようになっていた。
天幕の中には、ニック、ガレン、ダグラスなどの主要メンバーが揃っていた。
「トルーシス。今日は本当によくやってくれた」
若王はトルーシスの前まで歩いてくると、ひざまずいて頭を下げた。
「申し訳ないが、牢に入ってくれ。……このまま軍議に加わってほしいのだが、民の目があってな」
若王の顔に苦悩が浮かんだ。そして、トルーシスの手首に手枷をはめる。
トルーシスは僅かに微笑んだように見えた。
「顔をあげてください。僕は罪人ですから」
◇
「また牢に行くの?」
なけなしの食料を懐に入れ、牢へと足音をひそめて向かおうとすると、ニックに呼び止められた。
「……」
罪人、トルーシスへの接触は禁じられている。答えずにいると、ニックはため息を漏らした。
「全く、逢瀬の場が牢じゃ雰囲気でないねぇ」
はい、と牢の入口の鍵を渡された。
「いいの?」
思わず瞬きをして鍵とニックを交互に見る。
「毎回君に開けられちゃ、鍵穴がいたむからさ」
ニックは片目をつぶり、食料の包みを差し出した。「ガレンからだよ。君が全然食べてないんじゃないかって」
……いろいろと皆に心配をかけさせてしまっている。
心の中で申し訳なく思いながら、私は牢へと向かった。




