第53話 崩壊
「なんということだ……」
つい先刻まで高い建物がそびえ、人々でにぎわっていたというのに。
東ノ国の街は、まったく人の気配がしない、一面の白い砂の街になっていた。
ラジャトはリュシアと共に第5商会の屋根の上に登り、街を眺めた。
幸運にも資金の乏しい頃に建てた、この木造の建物は崩れなかった。
「みな、砂にのまれてしまったのか?」
3階建ての第5商会の、屋根の下くらいまで砂が来ている。
「……えぇ、きっと。この砂では助けることもできない」
リュシアの表情は暗い。
「やはり親父は間違っていなかった。白銀鉄は危険だ」
ラジャトは呟くと、目を光らせた。「西ノ帝国の仕業か?」
「分からない。でも、きっともう戦争が始まっている」
リュシアは静かに砂に埋もれた街を見つめた。
「軍が動いたなんて報はなかったが」
ラジャトは眉をひそめたあと、「まあ、情報統制しているはずか」と1人で納得したように呟いた。
「行こう。西ノ帝国へ」
リュシアの言葉にラジャトは頷き、二人は旅支度を始めた。
◇◇◇
茶褐色と黒。
両方の紋様を持つ大男は、背負っていた大きな剣を鞘から抜いた。
鈍く光る刃を首筋に近づけ、一度大きく息を吐く。
そして一息に――
「タロス」
静寂の中に、鋭い声が響いた。
振り返ると、部屋の入口に、純白の隊服に数多もの勲章をつけた男が立っていた。
ニックだ。
ヒスタロスの目が見開く。
「――――様?」
小さく呟かれた言葉はニックの足音でかき消された。
「何をしようとしていた」
ニックはヒスタロスが握っていた刃を奪い去った。
「もう終わらせるしかないと」
ヒスタロスは穏やかな表情で言った。
ニックはしばし沈黙し、静かに言った。
「東ノ国には、リュシアという話の分かる娘がいる。最後まであがけ。無駄死にするな」
懐から酒瓶を取り出し、ヒスタロスに渡した。「最高級の酒だ。お前にやる」
「……ありがとうございます」
ヒスタロスはそれを両手でおしいただき、泣きそうな顔で笑った。
◇◇◇
夜更け。
眠れずにリュシアが砂に埋もれた街を眺めていると、誰かが「おーい」と叫ぶ声が聞こえた。
――生き残りがいたのだろうか。
ラジャトは、西ノ帝国に持っていくものを選別するために地下の自室に引きこもっている。
あたりを伺うと、茶褐色と黒の紋様を体に刻んだ大男が砂の上に佇んでいた。
「……あなたは」
リュシアは大男を中に入れ、客間へと案内した。
大男は苦悩したような表情を浮かべて、どう切り出そうかと迷っている様子だった。
酒の匂いがひどくするな、と冷静に思いながら、リュシアは椅子を引いた。
「ひとまず、どうぞ」
酒とありあわせのつまみをテーブルの上に置くと、大男の目が見開いた。
「いいのか、こんな。高級なものじゃないか」
「もらいものが余っていたので」
「じゃあ有難くいただくよ」
大男は自分をヒスタロスだと名乗ると、酒を上手そうに飲んだ。
懐から煙管を取り出し、白い煙をくゆらせ始める。
「昔、妻に酒は辞めろって怒られたんだよな」
聞いてもいないのに懐かしむようにヒスタロスは呟いた。
「なぜ辞められなかったんですか?」
空になった杯に、リュシアは酒をつぎ足す。
「辞めたさ。妻と結婚してからは。でもよ、みんな死んじまって一人になったらダメだったなぁ。つい酒に手が伸びるんだ」
ヒスタロスはぐい、と酒を呷った。
「家族を失った、ということですか」
リュシアの控え目な問いに、ヒスタロスは頷いた。
「あぁ。現実を忘れるために酒を飲んでる」
僅かにその顔がゆがみ、また酒を呷る。
「その煙管は? 白い煙なんて珍しい」
リュシアはヒスタロスの煙管を指差して尋ねた。
とりあえず酒の話題から離れたいと思ったのだ。
「これか?」ヒスタロスは嬉しそうに自分の煙管を持ち上げた。
「これはな、生きるために吸ってる。でももう不要になった」
リュシアに煙管を差し出して微笑みかける。
「お前にやるよ。ちょっと変わってる煙管だけど」
その煙管には、紫煙花の粉は入っていなかった。
代わりに白銀鉄の粉が入っている。
「分かりました。大事にします」
素直に受け取ると、ヒスタロスは驚いたように瞬きをした。
「お前、さっきからいやに動じないじゃないか。普通の女は、こんな見ず知らずのデカイ男を部屋に入れないし、こんな怪しい物も、もらわないだろ」
その言葉がおかしくて思わず笑うと、大男も屈託なくガハハと笑った。
「ネルが話してたんです。トルーシスと一緒に不思議な紋様の男がいたって」
「へぇ。お前がうわさのネルの恋人? なら、なおさら良かったのかよ。怒られるぜ?」
大男はリュシアにニヤリと微笑みかけた。
「怒られちゃいますね。でもあなたからは死の香りがしたから」
その言葉に、ヒスタロスは僅かに目を見開いて沈黙した。
リュシアから視線を外して、ふっと微笑む。
「……さすがあの方が目にかけた娘なだけあるな」
ヒスタロスは立ちあがった。
「ごめんな。ネルには内緒だぜ」
申し訳なさそうに呟くと静かに近寄り、そっとリュシアの背に手を回して――
力強く抱きしめた。
……これは。
大男の腕の中でリュシアは、目を見開いた。
ヒスタロスは体格がよい。ちょうどヒスタロスの胸のあたりにリュシアの頬が密着した。
本来ならあたたかな体温が感じられるはずなのに、そこは一部分だけ妙にひんやりしていた。
何かが埋め込まれているような感触。
リュシアが確かめようと手を動かそうとすると、ヒスタロスはリュシアを抱く腕に力を込めた。
動くな、ということなのだろう。
「……金属か何かが埋まっているの?」
リュシアは小声で聞いた。
「白銀鉄だ」
ささやかれた言葉と共に、その胸に埋め込まれている金属がブーンと振動した。
リュシアの頬にも、その振動がはっきりと伝わった。
「俺はこれから出かけてくる。……頼む」
「え?」
リュシアは顔をあげてヒスタロスを見た。穏やかな顔がリュシアを見返す。
「もしよければ、この金属片を解除する方法を見つけてくれ」
リュシアが何か言う間もなく、ヒスタロスは部屋を去っていた。
大男の足は速かった。
リュシアが大男の足跡をたどり、その姿をみとめたころには、ヒスタロスは松明を持ち、砂で埋もれた街に佇んでいた。
赤く燃え盛る炎がゆらゆらと揺れ、ヒスタロスの顔に陰影を落としている。
ヒスタロスが動いた。
手元の松明を、積もった白銀鉄の粉に近づける。
リュシアは愕然とした。
白銀鉄の粉は燃えやすい。
火をつけたら街が業火に包まれる。埋まっている人も焼けてしまう。
いや、もう埋まっている人は助からないだろうが。
ヒスタロス。この男はなんてことを――
そう思った時。
ヒスタロスは、松明をブンと振って炎を消し、投げ飛ばした。
松明は弧を描いて飛び、遠くの川へとざぶんと落ちた。
その顔には晴れやかな笑みが広がっていた。
しばらくすると、ヒスタロスは胸を押さえ、苦しそうに膝をついた。
――振動している。
ヒスタロスの胸のあたりで何かが振動している。
まもなく、そこから激しく血がふき出した。
「!!!」
リュシアは目を見開いた。
「……ヒスタロス」
白い砂の上に倒れ伏す大男は、もう息をしていなかった。
心臓に近い部分の肉が割け、赤黒い血だまりを作っている。
割けた肉の中に、金属片が刺さっているのが見えた。
10㎝四方の、白くて滑らかな光沢を放つ金属片。
さっき頬で感じたものだと分かった。
「なぜ……?」
リュシアのつぶやきは砂の街に消えていった。




